プロが教えるわが家の防犯対策術!

漠然とした質問ですが、よければお付き合いください。


ご自分の中にいくつかの矛盾した「信念」や「感情」や「行動」があると思います。


・ご自身はどのような矛盾を抱えていますか?


・その矛盾をどう思いますか?


・そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?


・矛盾は無くせると思いますか?


以上、四つの質問になりますが、答えられるものだけで構いませんのでよろしくお願いしますm(_ _)m

A 回答 (18件中11~18件)

>・ご自身はどのような矛盾を抱えていますか?



 女子高生との淫行はいけないことだと知りつつやめられない

>・その矛盾をどう思いますか?

 至上の快感でもあり、なさけなくもある

>・そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?

 そのまま受け入れる

>・矛盾は無くせると思いますか?

 淫行を止めると、やってはいけないことをやらないという正しさは得られるが快感を失う矛盾に陥る
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この回答へのお礼

ご自身はいけないことだと思っているのですね。


これは、感情と行動の矛盾といったところでしょうか。


矛盾は無くせないから、矛盾を受け入れて生きる、ということですね。


御回答ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/26 15:21

>矛盾


このような時間を過ごすのはいけないとおもいつつ、ついついカキコしてしまう。
>その矛盾をどう思いますか?
いけない、と思っていますが、心のどこかでは、これも悪くはないと思っている自分が見えます。これも矛盾ですよね。
>そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?
一度徹底して考え抜き、これらの矛盾がなくせるのか、なくせるのならどんな方法があるのか記述し、整理したいと思っています。でもそのための動機付けが弱いんですよね。
>矛盾は無くせると思いますか?
動機が膨らむのを待っていますが、なかなかです。生きているうちにはダメか知らん。

この回答への補足

自己紹介文を拝見させていただき、なるほど!と思いました。


確かに、癖にはなりますね。


祖母にも勧めてみようかと思います。機械音痴ですが(笑)


少し元気が出ました。

補足日時:2012/08/25 22:50
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この回答へのお礼

・いけないと思いつつ、やってしまう。

・いけないと思いつつ、悪くもない気もする。


僕もそういう矛盾を感じたことがあります。


komaas88さんは、矛盾について強く考え抜くための動機が膨らむのを期待しているのですね。


これについては、例えば、生きにくさや辛さは、強い動機に成り得ると思います。また僕は、別に生きにくさを感じないのなら、それに越したことはないと思っています。なので、動機=苦しみが膨らむことを期待するという気持ちになれるかどうかは微妙です。


もちろん、動機は人それぞれだと思います。


今の心情は、中途半端な生きにくさに晒されているという感覚です。なので動機も中途半端です。これが極端に悪くなるのを望んでいるわけでもないし、かといって良い方向に向かうことを素直に望んでいるわけでもないのです。自分でもよくわかりません。

そのような矛盾に晒されている状態でもあります。


ご回答いただきまして、ありがとうございますm(_ _)m

お礼日時:2012/08/25 22:42

>・その矛盾をどう思いますか?



アウフヘーベンしちゃろうと思います。


>・そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?

アウフヘーベンの仕方を学ぶことです。


>・矛盾は無くせると思いますか?

アウフヘーベンすれば無くせます。
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この回答へのお礼

それぞれ矛盾する要素を、別の概念へと昇華させるといった感じでしょうか。


弁証法について勉強してみようと思います。

御回答ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/25 09:44

「自己の中」の矛盾という時、その『自己』が肉体を指すのか、


宇宙全体を指すのかで、大きな違いがある。
即ち、「宇宙の部分である肉体の性質として意識(自己)は
生じた」と考えるか、「この宇宙は心の中の現象に過ぎない」
と考えるかによって。

それ自体が、人にとっての根源的な矛盾であり、時間軸(時間
の流れ=記憶=過去=超光速)と空間軸(空間の広がり=予測=
未来=光速下)の、感受表面(量子相互作用=光速=現在)からの
相補分化における、相補的不確定性(位置(S)vs運動量(St)、
時点(T)vs質量(Ts)の、2対のそれぞれの不確定性が、例えばた
速度を確定しようとするとその位置が無限不確定へと発散する)
といった具合に、両立しないものなのです。

量子論的世界像において、有限的存在性は観察において派生
する=「全ては、あなたが存在するための(物理的根源にまで
遡った)補完」だと言うなら、宇宙は自己の必要であり、完全に
自由であるはずです。
しかし、物にぶつかり、人と争うのはなぜかというと、その場合
の自己は「物理的根源にまで遡った」ものではなく、現象表面的
&刹那的な「自己チュー」なものだからです。

いわば、「存在」とは自己矛盾であり、自己チューな意識に対
する「規制」なのです。
そうした短絡的自己から、認識の深まりによって“環境”を自己
として自覚化し、社会に対しては他我(愛=社会生命的自覚=
自律的社会行動)において生きるなら、その意志は永遠の未来
においても、宇宙の果てにおいても、予め達成されるものとなり、
完全なる自由と無限の幸福が約束されるのです。
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この回答へのお礼

大変難しいお話で理解できない部分もありましたが、興味深い内容でした。


「物理的根元に遡った自己認識」をすれば、完全に自由になれるということですが、


冒頭でのべられた「自己を肉体ととらえるか宇宙全体と捉えるか」との繋がりが良くわかりませんでした。どちらかが「物理的根元に遡った自己認識」にあたるということなのでしょうか?


よろしければまたの回答お願い致します。ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/25 09:41

自分の中にいくつかの矛盾した「信念」や「感情」や「行動」があると思います。



○自身の中に矛盾があるのが人間ですね。むしろ無い方がおかしいのですね。まあ、人間の格好をした人間でないものが増えてますから一概にはいえませんがね。
さて、近代日本の哲学者の西田は、自己の中の矛盾を称して「絶対矛盾的自己同一」という表現をしましたが、非常に宗教的であるとも言われています。「絶対矛盾的自己同一」を初心者に説明するたとえは、手と指の関係を使います。手には親指から小指までの5本の指がついていますが、全体としては手と呼ばれます。手を含めれば6つになるわけです。
各々の指は独立して動きますが、親指の先が小指を見て違うなと思っても実は同じ手の一部なのですね。
親指が違っている小指を見て違うと感じながら、それ自身も自分であるというのが「手」の感覚ですね。
さて、手を心と置き換えれば、各指は自身の矛盾する心となりますね。
心は一つではないという説明なのです。仏教的には6つの心が一体となっているのが普通の人間の心です。
だから矛盾する方が自然なのです。矛盾する心を統御して一つの方向にして生ききるのが人生がある本当の目的なのですよ。人生があるということはいろんな局面で心の格闘を産み、それが心の修行になっているのです。
自身の心に目を向けることは、心の神秘に目を向けることと同じですね。気が付けば簡単なことですから心の動きに振り回されるのではなく、手のように自身の心を是是非で修正していくことなのですね。
それが今生きている人のやることですね。中国の名僧、天台ちぎはそれに気がついて一念三千論という教えを残しています。悩みは悟りの元ですね。
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この回答へのお礼

いくつかの矛盾があることを認め、それらを一つにまとめ、一つの方向に向けていくことが人生の目的ということですか。


大変興味深い内容でした。これをきっかけに、西田哲学について勉強してみようと思います。良いきっかけが出来ました。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/25 00:39

・ご自身はどのような矛盾を抱えていますか?


    ↑
いつか、必ず死ぬのに、どうして頑張って
いるのだろうか。

・その矛盾をどう思いますか?
    ↑
私の手に余る、と思っています。

・そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?
    ↑
手に余るだろうが、とことん考え抜こうと思っています。

・矛盾は無くせると思いますか?
    ↑
理論的解決は無理でしょうが、感情的解決は
可能だと思います。
理論的解決を目指して勉強している間に、感情の方が
何とかしてくれると思っています。
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この回答へのお礼

これは終わりの無い悩みですよね。


理論的解決をとことん考え抜き、感情が解決してくれることを期待するのは、僕も似たような考えを持っています。


そこで時々襲ってくるのが「なぜ考え続けなければならないのか」という疑問です。これを考え出すと堂々巡りになります。頭を冷やすために寝て、起きてまた考えると冷静になれるような気がします。これの繰り返しなのかもしれません。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/25 00:31

『ご自身はどのような矛盾を抱えていますか?』



このような矛盾は、今から30年以上前に抱えていました。其々相容れない正反対の事柄です。

一つは『死に対する受容』が出来ないと言う強い想いと(苦しみ)と、その反対の考えは誰であっても、イエスやお釈迦様であってもいつかは死に絶えてしまう事でした。

早い話が死にたくない(永遠の命が欲しい)自分と、死を避ける事が出来ない現実の狭間で、死刑囚の心境で過ごした経験です。


『その矛盾をどう思いますか?』

この二つはとても相容れない問題だったために、不安症害になってしまいました、そして、離人症の症状で大変苦しい想いで過ごしました。ノイローゼになった訳です、14歳の頃です。

そして、苦しみ続けて、神経症の治療法の一つである、入院森田療法を2ヶ月間受けました、その4年後、『自分の顕在意識が、自分自身の中に存在する「自身の永遠の命を持つ、もう一人の自分」に出会うという体験をしました。

その体験以後『離人症』やその他の神経症などの症状等が、きれいさっぱり消え失せてしまって、ノイローゼになった事も、治った事も、離人症だった事も、忘れはてて過ごしていました。

その体験は32歳の時でした。今はもう64歳です。


『そういう矛盾があるという事実に対して、どう向き合えば良いと思いますか?』

素直に、真っ直ぐに、苦しみ抜く事が良いと思います。そしてその苦しみからこそ学ぶ事が在ると思います。

自分の苦しみは、振り返ってみた場合には、自分の心の矛盾を苦しんでいた事が分ります。人間でも動物でも植物でも、生命は生まれては、死を繰り返しているように見えていますが、『命には始まりが有りません、従がって終わりも無いのです。』

奇妙な言い方になりますが、生まれた訳ではない事から死ぬ事もない存在が『命の実相』です。

自身の中には『永遠の命が備わっています。』この者との仲違いを『心の矛盾として感じていた事が分ります。

もう一人の自分とは、『右脳の意識です。』無意識の中に封印された形で存在しています。

命として、生じた時点から働き始めるものです。生まれる前からもう働き始めている働きの事です。初めての仕事が細胞分裂、と云う事になります。

細胞分裂する事を始めから知っている働きそのものです。生まれてからは、『誰に習うとも無く』笑う事も、不安と云う事も、安心する事も、恐怖する事さえ知っている働きです。

身体機能の生命維持装置として働いている者です。

脳の血管が切れた事によって、二つの人格になって過ごした記憶を語っている動画がありますので載せておきます。尚この二つの意識が『意識の根底で(脳梁の中で)』出会う体験が宗教体験です。聖書に置ける『神と和解する事』を意味します。

仏教では『見性=悟りを開く』体験です。ここまで来た段階で、二つの意識はお互いの仲違いを解消出来ます。心の矛盾の解消です。

動画です、意識の根底(脳梁の中で)情報交換しています。

URL:

この回答への補足

動画を見て思いましたのが、とても科学的で驚いたということでした。「神との和解」だとか「悟りを開く」と聞くといかにも宗教という感じがしますが、回答文を踏まえて動画を見ると、本当に実際に体験したことなのだなと思ってしまいます。


右脳と左脳には、それぞれ別の人格が備わっているということですが、未だに半信半疑です。


実際に体験してみなければ実感できないのでしょうが、それを実践しようというのが宗教なのでしょうか。


これについては色々と知ってみたくなりました。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

補足日時:2012/09/02 13:53
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この回答へのお礼

大変興味深い内容でした。


矛盾に苦しむ原因は、「無意識の中に存在するもう一人の自分」との仲違いだったとは。

本当にそのような現象が起きているのなら、仲違いを解消することによって矛盾は無くせそうですね。正直、半信半疑ですが、助言を信じて勉強し、方法を模索してみたいと思います。


「素直に、まっすぐ、苦しみ抜くのが良い」というのを、有り難いお言葉として受け止めて、実践していこうと思います。


頂いた動画はこれから見てみようと思います。また改めて、補足欄にて感想を書きたいと思います。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/25 00:06

感情や内心となると物質や力学(?)と違って



両立することも共存することもあり得る

ので難しいところですが…

(1)自分の中の矛盾…
 自分の信念を貫きたい(安く言うと、やりたいようにやりたい) 
     と
 他者からうとまれずにやっていきたい

(2)どう思うか…
 方法論をつきつめればおそらく両立可能

(4)矛盾はなくせるか…
 前提として「矛盾をなくすべき」ということなのか
 どうかによります。私は「矛盾をなくすこと」の
 必要性を考えたことがないので・・・
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この回答へのお礼

両立する可能性はあるということですね。


「矛盾を無くすことの必要性」は、人によると思います。ただ、僕の場合は、矛盾を抱える苦しさから逃れようとするなかで、「矛盾とどう向き合うか」、「矛盾をどうすれば無くせるか」という疑問が先行し、「矛盾を無くす必要性」は後に沸いてきた疑問です。これらの疑問については、矛盾を無くさないと心が落ち着かないという思いから沸いたものです。なので僕は漠然とではありますが矛盾を無くすことの必要性は感じています。「無くする」といっても様々で、単に気持ちの持ちようで解決できる問題かもしれませんし。例えば、人間はその時々で自分の都合の良いように生きたいという点において一貫しているとも捉えられますしね。


御回答いただきまして、ありがとうございましたm(_ _)m

お礼日時:2012/08/23 23:05

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