
恐怖を無くすにはと言うとちょっとニュアンスが違うのですが。
人間、いつかは死ぬのは当たり前です。
そうは言っても私は死ぬのが嫌で嫌で仕方ありません。
恐怖とか怖いとか言うのもありますが
この世に居なくなってしまうと考えると、いてもたってもいられないと言うか
片想いの相手を想ってどうしようもなく胸が苦しくなるような
状況が違いますが、そんな感じになってしまいます。
もともと諦めが悪く往生際が悪い性格です。
やり残した事だらけの後悔だらけなので
今死んだら、あれも出来ないこれも出来ないのオンパレードです。
絶対成仏できないような気もします。
自殺の事件や話題は昔からありますが
生まれてからこの何十年も一度も死にたいと思った事がありません。
それどころか、映画やドラマを観ていて殺されたりしてしまうシーンなどでは
自分だったらどんな卑怯な手を使ってでも生き延びるのに!と常に思ってしまいます。
そうこうしているうちに自分も人生の折り返し地点。
でも一向に人間はいつかは死ぬと言う事に腹をくくれません。
それは今の自分に満足してないとか充実してないからなのでしょうか?
臆病者だからでしょうか?
開き直ると言う言い方はちょっと違いますが
どうしたら人間はいつか死ぬんだと開き直れるのでしょうか?
生まれ変われるとか言い聞かせても
今の環境と永遠にお別れと思うとどうしょうもなくなってしまいます。
80歳90歳位になれば悟りを開けるのでしょうか?
A 回答 (29件中11~20件)
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No.18
- 回答日時:
純粋に技術論でいうならば死の恐怖を
麻痺させればよいでしょう。
昔の、ちゃんとした武家では、幼少のコロから
真夜中刑場まで一人で行かせ、生首を持ち帰る
という訓練をしました。
薩摩藩では死体を掘り起こし、刀で斬る、という
修練を積み重ねました。
CIAでは残虐なビデオを大量に観せて死への
恐怖を麻痺させる訓練をしているといいます。
こういうのは感情の問題ですので、いくら理屈を
積み重ねても、解決するのは難しいですよ。
「死を怖れる理由などない。
何となれば、生きているときは死んでいないし
死んだときは恐怖を感じることもないからだ」
こんな、理屈が役に立つでしょうか。
後は、心の底から宗教を信じることですね。
そうすれば自爆テロでもなんでも出来るように
なるんじゃないですか。
どうでもよくなってきたと言うか
何だか恐怖があったり未練があったりでも良くなってきました!
何なんですかね、これは。
決して死ぬ事が何でもなくなったわけではなく
悟りを開けたわけでもありません。
皆さんの文章を読んでるうちに暗示にでもかけられたのでしょうか・・・
例えば、死んだらの事を考えようとすると
面倒くさくて考える気にならないと言うか。
とにかくありがとうございました。
お騒がせしました。
No.17
- 回答日時:
取り立てて「無くするほどのもの」なのでしょうか?
往生際悪く「まだ死にたくない!」といい続けるほうが、死に急ぐものたちにとって「何か」が伝わるかもしれないと勝手に思ったりしています。
家族の方々に、「俺は死ぬ間際まで、往生際悪く『生きてやる!』と叫ぶから覚悟しておけ」といっておけば、そうなったときには「あぁ、そう言っていたよね」と思われるでしょうし、瞬間に悟りが開けて穏やかな死を迎えることができたなら「あぁ、あんなことを言っていたのに、変わるものなんだね」と思われるかもしれません。
確かに、遺言など、それなりの準備は必要かもしれませんが、いつ訪れるか分からない時のことを、あれこれ思い悩むことなど必要ないのではないでしょうか?
死後のことは、死後に考えればいいことです。
人間が想像できることには限界があります。宗教家がいくら言葉や絵などを用いて天国やら地獄やらを説明したとしても、所詮は人間同士が伝え合える程度の物事でしかありません。死後があるかどうかすら死んで見なければ分からないと思っていたほうが、ずいぶんとましなような気がします。
逆説的ですが、そのように考えることこそが、ある意味、開き直りに繋がるのではないでしょうか?
質問をして回答いただいて
お礼をしているうちに、なんか死んだらの事をあえて考えなくて
どうでもよくなっていました。
でも無理やりあらためて考えると
うまく説明できませんが
死後の世界の恐怖感と言うのではなく
例えば明日の朝突然死で、
もし死んでしまったらと、、、
やはり一番思うのは、息子や娘にもっと接していれば良かったとか。
と言っていつ死ぬかわからない事を思って
のべつ幕なしに接することなどおかしい話で
とか色々考えます。
でも色々な意見を聞いているうちに
何となくですが何かがわかったような気もします。
No.16
- 回答日時:
No.15
- 回答日時:
こんばんは。
>「今の環境と永遠にお別れと思うとどうしょうもなくなってしまいます。」
それを、多分「執着」と言うんですよね。
・・・手放してみては。
「そんなもん、ありゃしねー」ですかね?(笑)
「執着」
そうかもしれません。
それもよくよく考えてみると、子供に対してだけかもしれません。
と言う事は、まだまだ「子離れ」してないと言う事かも。
どうしたら子離れできるのか、という質問が必要なのかもしれません。
ありがとうございました。
No.14
- 回答日時:
自分自身を学ぶ事で解決します。
その理由は簡単な原理からです。死を恐いと思う事は『恐いと思わせている者が、脳内に存在しているからです。』科学的な証拠を、ウイキペデアから載せてみます。
”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究
ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”
この場合の『それぞれ独立した意識』が、関係しています。
もう一つの証拠を載せて見ます。脳の血管が切れた事によって、其々の意識が、別々な形で『自分に現れる事によって、悟りを開いて、涅槃の境涯を味わっている動画です。
URL:
この場合では、自分の自我意識が『一旦死を覚悟しているところがみそ』になっています。
仏教などで『悟りを開く』と言う場合では、『死を意識せよ!』と言う命題があります。『死に対する恐怖症になれ』と言う命題です。
お釈迦の場合も、ノイローゼの状態になったために、家を継ぐ事が出来なくなって『良い精神科医を探して、死の恐怖(一切皆苦)を乗り越えるために、家にいる事が出来なくなった。』と言う見方も出来ます。
お釈迦の場合も『死に対する恐怖』に生活が脅かされて、出て行かざるを得なかった、と言う側面です。
こういう理由から、お釈迦の教えは『死に対する、今生きている人間のための精神療法や、究極的な心に対する癒しの心理学』と言う事実があります。
貴方の場合も『自分自身を学ぶ事によって』禅の目的である『見性』と言う経験をする事は可能と思います。
禅では『見性=自分自身を知る』と言う体験後は『生死の問題が解決する。』と云う事になります。
貴方が望む事は『禅』の中に存在します。
禅の歴史は『不安になり易い人達の歴史です。』処が只の歴史では有りません、それは『不安になり易い性格の人が、その不安になり易い性格のままで』不安をそのままで安心に替えてきた歴史です。
禅を学ぶ事をお奨めします、鈴木大拙博士の著作したものです。私の場合も『死に対する恐怖症=ノイローゼ』を、博士の著作したものを学ぶ事によって、自分自身を知った経験が在るからです。
学んだ事は、恐怖の元が『自分自身であった事』です。恐怖を感じさせていた者が、自分自身の『無意識の意識』だった事です。ですが自分自身と出会う体験後では、『感情が湧き上がる情報の読み間違い』だった事が分ります。
死の恐怖の中での『生き難い想い、や、生き難さ』は、感情を湧きあがらる情報の読み間違いだった事が分ります。
恐怖心そのものは、『自分自身の中の、永遠の命からの救いの手』だった事が実感として分ります。』恐怖心の正体とは、『自分の中の命の働き=永遠の命』からの救いの手を振り払っていた事。と言う意味です。
その体験後『死に対する認識』が、180度変化します。死にたくない気持ちは依然として在りますが、死に対する恐怖心は皆無になっています。身体や意識は、自分の死によって存在の姿は消えてしまいますが、本当の自分には『元々永遠の命が備わっていた事が、体験として分るからです。』
その事によって、肉体の死は、本当の自分にとって、一番大事なものではなくなってしまいます。本当に一番大事な事が、今までとは逆転します。
今まで大事ではない事柄が、大事になって、自分の生死には、余り執着しなくなるという意味になります。この体験が『魂の救いです。』死に対する執着心が失せてしまうからです。
人間の苦しみとは『心の矛盾』と云う事が判ります。『自分の心同士の争いによって、心がざわついて騒がしくなっています。』二つの意識が、脳梁の中(意識の根底で)出会う体験をした場合では、二つの意識の仲違いが解けて、心が、争う事をしなくなります。この境涯が涅槃です。『絶対の安心感』です。
死に拠っても、破られる事がない、幸福感です。
この事を聖書では『神と和解する』そうして神の僕となる、と言う表現方法です。
右脳の意識は『自分の命を働かせている意識です。』そうして身体に対しても、心に対しても、行動に対しても、生命維持装置としての機能を発揮しています。
自分の命の働きと、『自我意識』が戦っている現象を、不安や恐怖と勘違いする場合が『一切皆苦』となっています。
二つの意識の折り合いが付いた場合では、『笑いながら死に行くことが出来ること』を意味します。その理由は、命の働きの後から『自我意識は』喜んで付いてゆく事を意味するからです。
命の働きを他の言葉で表現するなら『神や仏』になってしまいます。一人の人間には必ず『一つの神や仏』を宿しています、その理由は、スペリー博士の研究成果が示しています。右脳を持っていない人は、殆ど居ないからです。
No.13
- 回答日時:
>人間、いつかは死ぬのは当たり前です。
>そうは言っても私は死ぬのが嫌で嫌で仕方ありません。
人間が死ぬのは、他人ばかりで、自分が死ぬということはありません。
あはたは、絶対に死ぬということを経験しません。
あなたは、生きて死を恐怖しているということこそが「死」そのものなのです。
その死はあなたには起こらないのです。起こるであろうことを今想像して恐怖しています。
>今の環境と永遠にお別れと思うとどうしょうもなくなってしまいます。
今、自分の死を想像し恐怖する環境なんじゃありませんか。
愛おしい今ってやつを完璧に堪能することで恐怖=死は消え去るんですけどね。
No.12
- 回答日時:
>死ぬ事への恐怖を無くすには?
それは出来ないと思うのですが、恐怖の量を少なくすることは出来るような気がします。
秘訣は年をとることです。
若い時は、喜怒哀楽の感情が強く、苦しみもそれだけ大きいですが、高齢になってくるにつけ、感情の起伏が若いときよりも平坦に近づきます。
歓喜にむせぶことも減る代わり、苦しみの値も若いときより小さくなるのです。
90歳より、100歳。
100歳よりも110歳まで生きるのが、死の苦しみを和らげる秘訣のひとつです。
なんかわかったようなわからないような・・・
はぐらかされたような。
そりゃそうですけど、そうですよね。
ありがとうございました。
No.11
- 回答日時:
>80歳90歳位になれば悟りを開けるのでしょうか?
多くの人は無理でしょう。
自分も30過ぎればそんな事は無くなると思ってましたけど。50間近になった今でも変わらず怖いです。
そりゃ、当然でしょう。
ただ、目をそらすことは出来るようになりましたねぇ。
ある意味現実逃避と言うか…必ず来るんだから抵抗しても無駄だと思うようになりました。
それでも死を宣告されたらもがき苦しむでしょうねぇ。
でもそれが当たり前なんだと思いますよ。
人間、ほとんどの人が、もがいて苦しんで未練を残して最後を終えるんです。
だから、生きている「今」が大切なんだと思いますよ。
少なくとも「今」生きているのですから、いつか来る死よりそれを大切にしましょう。
逆に言えばいつ来るかわからない死を恐れ悩む事は生きている今を無駄にする事だと思います。
いくら考えてみても答えは出ないのですから…
後は宗教にでも救いを見出すしか無いでしょう。
宗教を心から信じられる人は本当に幸せだと思います。
天邪鬼な自分には到底無理です。
「逆に言えばいつ来るかわからない死を恐れ悩む事は生きている今を無駄にする事だと思います。」
損得とかその時の気分ばかり考えているので
その点を自分自身に言い聞かせて突き詰めていくと良いのかもしれません。
宗教は全く駄目です。
「天邪鬼」が何て読むのか知らなかったので
ググったら「あまのじゃく」なんですね。
ちょうどこんなのが出てたのでやってみました。
【あなたの天邪鬼度は61です!】
あなたは友達といるよりも一人でいる方がいいようです。この調子で、自分自身を磨きましょう。「天邪鬼」としての才能を感じます。
そんなあなたにアドバイスを。
「世界は自分を中心にまわることはない」
だそうです。
かなり当たってます。
ありがとうございました。
No.10
- 回答日時:
どうしたら人間はいつか死ぬんだと開き直れるのでしょうか?
○いつ死ぬかわからないから怖いんでしょ。死ぬ時がわかればよけ怖いですかね。
明日死ぬと思って今日を生きればいいんですよ。
「一日一生」の行き方ですね。明日はないと思えば、今日やることは整理できるでしょう。明日の朝、目覚めれば今日も生きていたと思って、一日を生きるようにすればいいだけですね。その繰り返しですね。
いつまでも命があると考えている人多いですけどこれから20年の間に生き残れる人はどれほどいるかですね。平和な時代はすでに過ぎ去っていますから、生き残れる人あまり多くないと思いますよ。そんなこと書くと怖いと思う人が増えるでしょうから、まずは「一日一生」で生きることですね。あす目覚めた人は、「今日も生きていると感謝することですね。」
そうなると
毎日毎日やり残したことだらけで
眠れなくなりませんか?
それじゃ駄目だと言う事ですかね。
あまり眠くない時は
そう考えると居てもたってもいられなくなって
起きて何かを始めてしまいます。
「一日一生」
よく考えてみます。
ありがとうございました。
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