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この世において人が人を裁くのは、あの世では人は裁かれないと考えるからではないのか。
何故ならもしあの世で人が裁かれると考えるのであれば、この世で人を裁く必要など無いからである。
しかし現実には古今東西この世のどこにあっても人は人を裁いている。
これはたとえあの世についてどれほどの教えを授けよーが、どれほどの教えを受けよーが元より誰もあの世があるなど考えてはいない何よりの証拠ではないのか。
 

 

A 回答 (25件中11~20件)

逆だと思います。


「この世の裁きが充分じゃないので、せめて(あるか無いか分からない)あの世の裁きを期待したい、ていう。
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この回答へのお礼

 
あのブータンの人達とて結局同じで毎日マニ車回してあの世のこと願ったりしても、ほんとーはあの世があるなどとは思っていないゆーことか。

あ~、寂しいな~マニ車。
 

お礼日時:2012/09/18 21:18

これも面白い。

 なかなか。

ちょっと気になる。「小乗は仏教ではない」それはおかしい。

書かれてありますけれどね、区別は人間がしているだけ。

神が仏の仕事ではないですよ^^;

 #ちなみにσ(・・*)は、曹洞宗:大乗です。

「この世で人を裁けるのは、人以外にない」

それ以外に理由は要らないと思うけれど。

被害者加害者って考えていくと、この世での裁きは

被害者のための裁きでしょう、多分。

であれば、あの世で加害者を更生させるのが裁きなのかもしれませんね。


ところで、このルールは始めて聞きましたが、

「人を裁くのは 神や仏の仕事。この世で裁くことは禁じられている」

と、言うような趣旨のお礼が目に付きましたが、

これはどこのルールでしょうか?

もう一点、質問者さんが「極楽」これは天国ということ?天上界ですか?

に行かれる事が決定しているそうですが、それはどのようにして分かるのですか?


大乗の徒に拝見させていただくにつれ、「不自賛毀他」という戒めがあり、

そこにかかっていらっしゃる気がいたしますが、いかがでしょうね。

 #見てご存知だと思いますが、

 #自慢、自賛ばかりで、他人を全て 毀損 する。他人をわるいものにするといいましょうか?

 #こういう戒めです。小乗にもこういうのはあるよ。

4枚の般若のうち、「愛語」にもはずれていらっしゃるようにお見受けいたします。


この上天上界に行かれるというのは、よほどの善行を積まれたのでしょうが、

どのようなことでしょうか? 後学のためにお教え願いたいです。

(=^. .^=) m(_ _)m (=^. .^=)

ちなみに当方、防人僧(江戸末期に対馬藩配属の坊さん兼侍)の子孫です。

敬虔な仏教徒ね。
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この回答へのお礼

>人を裁くのは 神や仏の仕事。この世で裁くことは禁じられている」
>と、言うような趣旨のお礼が目に付きましたが、
>これはどこのルールでしょうか?

「人の道」の教えで御座います。

「人の道」においては、
神や仏を語るのであれば、人を裁いてはなりません。
人を裁くのであれば、神や仏を語ってはなりません。
と教えています。


>もう一点、質問者さんが「極楽」これは天国ということ?天上界ですか?
>に行かれる事が決定しているそうですが、それはどのようにして分かるのですか?

親鸞聖人は「ただ一度、南無阿弥陀仏と唱えさえすれば極楽浄土へ行ける」とゆーております。
これが即ち大乗であります。
わしはこの大乗以外に仏教は有り得ないと信じておるのです。
そしてただ一度どころか既に20回も南無阿弥陀仏と念じたのだから、これはもー極楽行きは絶対に間違いないはずなのです。
 

お礼日時:2012/09/17 14:24

>○○○○○とは何でしょう。



語りえないものこそ真実である。
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この回答へのお礼

 
>語りえないものこそ真実である。

やっぱそーなると思うておった。

もー来んでえー。
 

お礼日時:2012/09/17 01:41

あの世もなければ、あの世の裁きもない。



あの世の話を信じているとすれば自己欺瞞である。
信じていないのにそれを語るのは虚偽である。
相手をよく知りもせずあの世の方便を用いるのは愚かである。

人間は迷惑をかけ合って生きているが、
度を越すようであればその自由に制約がかけられる。
これを、人は人を裁くというのだが、
本当の裁きとして有効に働かない。

人は人を裁くことはできない。
人を裁くことができるのはただ「○○○○○」のみ。
人は常にこれによって裁かれている。
人はこの世で常に裁かれ、苦楽を味わう。
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この回答へのお礼

 
>人を裁くことができるのはただ「○○○○○」のみ。

○○○○○とは何でしょう。
 
ベストアンサーに近いが、肝心な事が示せんよーでは・・・
 

お礼日時:2012/09/16 23:35

あの世については、何も知らないので、この世に限定して回答致します。




一般的に、「内心の自由」は100%の自由で、何を思っていようと考えていようと、他者からどうこう、まして刑罰の対象とされることは、ありません。

しかし、それが「表現」となったり、具体的な行為や行動となって「結果」を生じさせるようなことになると、責任を問われ、場合によっては刑法によって裁かれることにもなります。


「刑法によって裁かれる」というのは、「この世において何が大事なのか」という一つの価値観に基づいて、それを保護しなければならない何か、というものを侵害してしまったら、まあ、これこれこれくらいの刑罰としましょう、という、あらかじめの決まり、に基づいて、決定されるもので、
そこには「こんなことをしたら、こうだぞ!?」とあらかじめ宣言することで、「それなら、そんなことはしないようにしよう」と、思わせる(実際には、侵害行為は為されない)効果が期待されているのです。


以上は「あの世」とは関係無く、また、「私刑」とも無関係です。
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この回答へのお礼

 
もしもあの世があるのならこの世で人が人を裁く行為は神や仏の下では違法行為であり、この世に裁判所を作ったり、裁判官になって人を裁いたり、検事になって人に罪を負わせたりする行為は神や仏によって裁かれることになるかも知れんのである。
 
それについては考えているのであろーか。
 

お礼日時:2012/09/17 00:08

>この世において人が人を裁くのは何故か



実は、この世とあの世は独立採算制の別運用となっちょるからや。

この世のみなには知らされていないが、あの世には、あの世に入ってからの悪行を裁く怖ーい制度が有るんじゃよ。
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この回答へのお礼

 
>この世のみなには知らされていないが、あの世には、あの世に入ってからの悪行を裁く怖ーい制度が有るんじゃよ。

もしそれがほんとーなのであれば人を裁く前にあの世の悪行を裁く怖ーい制度のことを皆に知らしめることが先決ではないんかね。
 

 

お礼日時:2012/09/17 00:16

>あなたの考えるその仏法は小乗である。


大乗ではありません。

○なるほど、ダブルスタンダードがあるというのですね。hitonomichi23さん、この世にダブルスタンダードがあるからといってあの世にはありませんよ。あの世は一乗ですね。
また小乗の菩薩とか大乗の菩薩という区別もありませんよ。あの世は一乗だからですね。
つまり、因果の理法はくらませないのですよ。
まあ、小乗とか大乗とか区別するのは人の道で都合の良いようにすれば良いのですが、
残念ながらあの世はそんなものはありませんよ。なのですね。
親鸞も帰天してみて間違いの悪人正機は叱られて反省してますよ。
ご本人はお叱りだけで済んでも迷ったあとの人はどうするのでしょうね。
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この回答へのお礼

 
>つまり、因果の理法はくらませないのですよ。

その因果の理法とは所詮は小乗的発想に従う利己益追求の業なるが故に神や仏の前ではお叱りを受けることになろー。
 
そもそも小乗など仏教の中に入りません。
 

 


 

お礼日時:2012/09/17 00:35

論点をずらさないでチョ


あたしはタイミングがあるでしょと言ってるのさ。
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裁くタイミングってものがあるでしょうに。


裁くとは罪を自覚させるという意味もあるんじゃないですか。
死ねばわかるじゃ効率悪すぎです。
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この回答へのお礼

 
アメリカなどでは、懲役300年の宣告ゆーもんがある。

つまり死んでもなおこの世で罰しよーゆー魂胆である。

あまりに浅ましいとは思わんか。
 

お礼日時:2012/09/16 11:01

>この世において人が人を裁くのは何故か



○hitonomichi23さん、その理由はこの世よりあの世の方が刑罰が重いからなんですよ。
この世の殺人の刑罰が20年だとして、20年の罰を受けて監獄で反省すると罪は消えますが、逃げおおせてこの世を去るととあの世で罰が待っているのですね。これは200年の罪になるのです。刑罰が10倍大きくなるのですね。この10倍の法則があの世とこの世の違いなのです。
肉体がないあの世は肉体のあるこの世と比べて10倍自由なのですね。十倍自由ということは逆に10倍罪が重いということなのですね。
だから、生きている内に犯した罪は生きている内に与え、反省を促すというのが「裁き」なんですね。
こんな常識知らないからあの世の監獄である地獄に100年、200年、1000年と放り込まれてる死者が沢山いるのですね。
要は良きも悪しきも10倍の法則があるからこの世において人が人を裁くのですよ。
実際に犯した罪は覚えているでしょうから、まだいいほうですね。心の中で犯した罪も裁かれるのですよ。
そんなこと考えただけじゃないかといって逃れられる世界でもないのですね。これがもっと怖いことですね。
善因善果・悪因悪果は心の中も同じなんですよ。なぜならあの世は心しかない世界ですからね。

「肉体のみだから死んだら何も無くなる、だから何もしても分からなきゃいんだ。」というのは地獄の人口を増やそうという悪魔の手したと悪魔の教えですね。
悪魔というのは地獄を住処としている住人のことですね。こいつらも馬鹿じゃないからいろんなこというのですね。それに騙されるもの多しですね。だから、裁きのお白砂というのは天使や菩薩軍団がやっているいうことですね。
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この回答へのお礼

 
あなたの考えるその仏法は小乗である。
大乗ではありません。
大乗からはそのよーな発想は決して出てこない。
あなたのその仏法は小乗であり、大乗ではありません。
わしは小乗は仏法ではない思うております。

親鸞は「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」とゆーた。
これが即ち大乗である。
 

お礼日時:2012/09/16 10:22

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