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旧日本軍は戦時中にも関わらず、長男については優先して兵役から解放して故郷に帰還させた傾向があったと祖母から聞きました。戦後から現在は農業や地元を離れて都会に出ていく若者が多く、高度成長期の間に人の価値観などが変わり都会に目を奪われ、昔はうまく機能していた?地域社会システムですら崩壊して様々な社会問題の引き金になってしまっているのではと感じました。現在は農業就業人口のうち七割が兼業農家と言われ、地元から出て行く若者達を含む若い世代が、農業そして祖先が育んできた田舎の精神的魅力にもなかなか価値をシフト出来ないことは残念です。

そこで日本軍はなぜ長男を故郷に返そうとしていたのか?そこにはどういった心情や思惑があったのか。気になって仕方ありません。誰か詳しい方教えていただけませんか?

A 回答 (3件)

旧日本軍だけでなく、明治政府の日本帝国陸軍も同様の政策を採ったようです。

明治のは、農家の次三男を優先的に兵隊にした。
それに対して、職業軍人だった武士が異を唱えた。が、武士の出で兵隊に志願した人数が少なく、明治の兵隊は農家の息子が主だったと読んだ事があります。
兵隊になれば、餓死する事は無いでしょうから。

昭和の兵隊さんは、上に立つ人間がもう少しまともなのが居たので、長男には農役に付かせる、と言う方便を使ったと読んだ事があります。次三男は兵役に付かせる。
当然、食糧増産。フルーツ類などは倒して炭水化物。

戦後は、長男が農業を継いで、次三男が都会に出て働いて現金収入の一部を両親に渡して、農業を金銭面で支える。同様に長男が冬期間出稼ぎに行って現金収入を得て農業を支える。
集団就職時代はこんな感じで農村を守っていた。同時に出稼ぎに出ると、春に帰ってきた時に優先的に失業保険の手続きを受け付けて、失業保険をもらえて、
さらに2~3週間、夏の農閑期に地元の会社(主に建設業)での労働を斡旋して、地元企業にも労働力を回して、地元の産業も潤していた。

それから50年、中小に出稼ぎに行った人たちは何も無いが、大手に出稼ぎに行った人は厚生年金が雀の涙程度もらえ、おまけに企業年金も上乗せしている人もいる。

昔は決して平等ではなく、同じ家に生まれても何番目に生まれたかでまるで違う待遇が当たり前。
今風に考えると、早く生まれた人ほどリスクが大きかった。一番最初の子供が死んだ話はよく聞く話。
男女関係無く3番目の子供当たりから育って居るみたい。10人産めば、半分位は育つだろうと言う栄養、医学レベル。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます☆なるほど、戦前と戦後でも長男という立場を取り巻く慣習は違うなぁと思いました。詳しくありがとうございます。やはりこの様な歴史から学びながら現代社会の問題を紐解かなければならないと感じました。

お礼日時:2013/03/23 11:44

徴兵制度は、色々の目的で実施されるでしょうが、やはり兵力の確保が一番のネライでしょう。


必要な兵力を確保できれば良いのだから、年寄りばかりにならないように兵力として考えて(訓練期間、実戦力、若手に交替)をさせるし、人数も不必要に多くてもしょうがないし、農業や鉱工業、商業、官吏などの仕事をする人も考えて徴兵したでしょう。
平時では徴兵年齢に達した健康な男子の中から4人に一人~10人に一人を徴兵し、徴兵令が改正された兵役法では現役は2年間が原則(海軍は3年が原則)です。適格者の中から選抜で招集ですから、家長とその家の家督を継ぐとされる者(実子、養子を問わない)は選抜から外されるです。その他にも教員関連は短期間で良いことになっています。
戦時下で兵力が多く要るようになれば、10人中9人を招集する、従来なら選抜から外していたものも現役兵として招集することになるでしょう。ただ、生産が止まっては困るので、生産の維持のために必要な人間は出来るだけ外すようにしたでしょう。
招集されたものが、兵役期間中に長男であることを理由に短期間で除隊になるとは思えません。
http://www.geocities.co.jp/technopolis/8926/heie …
多くの人が徴兵のがれで策を弄し、養子になったり(長男になる)、徴兵検査で乙以下に認定されるようにしたのに、徴兵率は上がっていくのです。
http://www.furuyatetuo.com/bunken/b/63_kindaniho …
兵力確保に政府も軍も努力しているときに、初年兵訓練が終わったものを短期除隊にする理由がないです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます☆なるほど、徴兵とその歴史や徴兵基準などが少しわかって来ました。ありがとうございます。

お礼日時:2013/03/23 11:41

推測ですが、また戦争小説が好きで読んでいて、思いついた理由です。


また、私の田舎の自分自身の家の実例も考慮しています。

1.戦時中の国内での食料生産の維持とその継承者とした。
  他の兄弟が、出征しているのが普通であったので、老人やその妻や姉妹では、農作業の統括と食糧増産が難しかった。

2.私が生まれた田舎では、長男が遺産を全て相続して農業を行った。他の兄弟は相続権の放棄が普通であった。
  中農程度で(5ha以上)でその他の兄弟(徴兵検査で丙(C)のになり兵隊になれない場合は、小面積を与えて分家とした。  重要な農作業や共同作業(収穫作業等)は、本家の指示に従った。

 です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。なるほど、やはり食料と軍備の間で良く考えられたいきさつがあったのですね。ホントに詳しくありがとうございます。

お礼日時:2013/03/23 11:46

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