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私は29歳の男です。

さて問題なんですが、
『なぜ他人を殺してはいけないのか?殺せないのか?』についてです。

☆まず、日本人に関してですが、こういった例解があると思います。
1)法律があるから。
2)人権・人命は尊重されるべき。
3)復讐されるから。
4)死後、地獄に落ちるから。
5)秩序の維持のため。
6)その他……あれば。

以上、1)~6)に当てはめて、具体的な理由とともに
皆さんの解を訊かせてください。
重複している例解もあるので、複合してもらっても構いません。

☆また、私の場合……
仮に、『自由に殺人や復讐を行っても良い社会』であっても、
私は人を殺したくはありません。
しかし、何故なのかは未だに解らず、
その理由を明確に提示することが出来ないでいます。

皆さんはどうですか?

大別して二つの質問になってしまったかと思いますが……
教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (19件中1~10件)

No.10です。

 自然淘汰の結果ですが、その補足です。

現代の人類は、同族は殺さず、他種族を殺そうとする本能によって生き延びてきた人々の子孫です。
相手を殺せるかどうかは、その相手が同族か他種族かによります。
もっと単純に言えば、敵か味方かです。

同族は殺してはいけないのですが、他種族を殺すことは全く問題ありません。
他種族を殺す事を躊躇していると、生存競争に負けてしまうからです。
しかし、他種族を殺さないでおいて、自他の種族が融合すれば、その他種族も同族に変化します。

人類は、そうやって、同族と見なす範囲を、お互いに広げてきました。

大昔は、自分の一族だけが同族であり、一族以外の人を殺しても問題ありませんでした。
戦争中は、異種族を殺すのが当然でした。
現代の日本人は、人類全体を同族と考える人が多いので、どんな人を殺すこともためらいます。
あなたも、私も、その一人です。
白人の中には、有色人種を同族と考えないので、殺しても問題無いと考える人もいます。
だから、日本に原爆を投下できたのです。
常習的な殺人者にとっては、殺した相手は、同族では無かったのでしょう。
こじつけですが、死刑囚を処刑できるのは、その人を同族から除外したからです。
逆に、現代の極端な例では、クジラなどの動物までをも、同族と考える人もいます。
また、自分のペットを殺せる人は、まず居ないでしょう。
ペットは家族の一員だからです。

「人を殺してはいけない」のではなく、「同族を殺してはいけない」のだと思います。
それが、自然淘汰の結果であり、あなたも私も、その本能によって生き延びた人々の子孫です。

あまりにも当たり前すぎる話だと思いませんか?
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ありがとうございます。


因みに、戦国期の武器殺傷ランクは以下の通り。
弓矢
鉄砲


上位2位だけで60%を超えるそうです。
調べた人いるそうです。
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A.no6です


返信ありがとうございました。

さてお返事の内容に対する返信ですが…


>殺人を厭わない人間は、過去に於いても少数派であったと思います。
>しかし、盗賊や海賊など、殺人を厭わなかった人間は、
>現代よりも多かったと想像できます。

>命の重みが変わったというのは、
>他者の命に対する考え方も、過去から大きく変わったということで合っていますか?


「命の重み」と言う言葉よりも
ざっくり言ってしまうと「昔は殺人を行っても捕まりにくい時代ではあった 今は捕まりやすい時代」と私は考えています。

以下は超例え話になりますが…


例えば江戸時代の人斬りを趣味にしていた人が現代にタイムスリップしたとします。
その人は江戸時代では見知らぬ人を切ったとしても、今で言う現行犯逮捕されなければ罪に問われる事は無かった。 人気の無いところで人をバッサリ殺しても捕まる可能性が低かった。

しかし現代で同じ事をしてもすぐ「証拠」が上がってしまい警察の捜査で「お前が犯人だろう」とバレてしまう。 そして法律の力で「必要に迫られたからではなく趣味で人を殺した 死刑ー」という判決がつく可能性があると思います。


これが「法律の力」なのかな と思います
そして現代社会で理解不能な快楽殺人は「死刑及び無期懲役の可能性がある」と言う事を人は無意識にでも理解している為、どんなに「ぶっ殺してやりたい」人がいても実際に事に及んだら何かしらの罪に問われると言う事を知っていると言うのが前提だと思います。
(逆に江戸時代では殺人を行っていなくても流刑、流罪といって一生罪を着せられる事はたくさんありましたが)

逆に質問主さんが江戸時代にタイムスリップし
そこで好きになった恋人、家族が誰かに殺されたとします。
恋人の知人から「仇討ち」を求められてもするか どうか?

そこで断ると「あなたには人としてのプライドは無いのか!?」と言われたりするのがその時代の一般感情論だと思います。



つまりは「命の重さ」に対する意識は今も昔も変わらないと私は感じます。

ただ人間も馬鹿ではないので「その時代その時代の法律」に応じて色々行動に移すのでは無いかと。

山賊や海賊の例が出ましたが
今で言うならヤンキーチンピラ系だと思います。

彼らは無法者の様で彼らのルールの中で生きています。
「ちょっと法を犯す」のがセーフでも
明らかに事件性がある事をしないという前提を持っているでしょう。

しかし山賊・海賊時代は彼らを咎めるルールは殆ど無かった
その為やりたい放題出来たとも言えます。
ルールがあったとしても、時代的に彼らがそのルールを守る義理は無かったと言えるかと。


そう考えると結構「法律」って重要なキーかと思います。


命の重さで言うと、捉え方は異なれど今も昔も変わってないのでは無いかと私は感じます。
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異なる質問が混ざっているので、まず分けましょう。

最初に
>なぜ他人を殺してはいけないのか
はい、そう取り決めた方が便利だから。 別に「人を殺してよい」と定めてもよいけれど、すると周囲は喜んであなたを殺しにくるので、あなたは家から一歩も外出できない。また外出時はいちいち護身具を携えてなければならず、さらに人影を見るたびに緊張して身構えてなければならない。
そんな生活、不便でしょ?って話です。さらに言うなら迂闊に店にも入れないし、異性とエッチもできない。そんな不便な社会になぜわざわざ戻したいのかわかりません。次に、
>なぜ他人を殺せないのか。仮に、自由に人を殺しても良い社会であっても、私は人を・・・
ハイハイ。理念は立派ですが、人を殺してよいとなった途端、他人は貴方を殺しに来るので、殺されたくなければ相手を殺すしかない。まさか殺されると嬉しい性癖の人でもないでしょ。
以上、明々白々、「理由を明確に提示する」だのどーだのという以前の話です。
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『なぜ他人を殺してはいけないのか?』についてです。



 まずこれは不当に人を殺してはならない。(快楽殺人、無関係な人殺し、弱い者いじめによって人を追い詰めて殺す。などの意味で不正や不当という感じですかね) 
 という意味で人を殺すのは良くないという感覚にいたるのだと思います。
つまり【殺さずにはいられない値】位の不条理な事をされたのであれば【殺したくなる】筈です。
 しかし、そのボーダーラインとは何ぞや?というのが未だに確定できないので【とりあえず人殺しはやめとこうよ】となっているのだと思います。もし殺したいのであれば、その正確なラインを決める裁判所で決めましょうという経緯をたどってきたの今の日本社会なのではないかと思います。結果最高裁で【死刑】が確定されれば、その人は殺されます。

次に『☆また、私の場合……仮に、『自由に殺人や復讐を行っても良い社会』であっても、私は人を殺したくはありません。』
 
 ですが、これは恐らく殺人という行為が不当な行為であるという刷り込みによるものだと思います。殺人というイメージが良くないイメージで育ってきた人は殺人は好まない筈ですし、『人を殺す位なら自分が死んだ方がましただ』という心理のもちぬしなら、相当不当なことをされても殺人しないと思います。
 しかしながらこれはMarkun-82 さんの感覚なのでそれを予測したに過ぎませんので外れているかもしれません。

 私が答えられるのはこれが限界です
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人がいやがることはことはやってはいけません。

例えば、人が大事にしている本を燃やしたり、せっかくとっておいたケーキを食べたり・・・・などといろいろな例が浮かびますが、人が嫌がることの頂点、言い換えれば、決して自分にやって欲しくはないこと、もしやられたら、絶対に許せないことは「自分が誰かに殺されること」ではありませんか?もちろん自分が犯した罪の償いとしての「死刑になる」ことは別ですが。人がいやがることは人に対して行ってはいけません。ですから人を殺してはいけません。これが私の考えですが、人を殺すことが、社会正義とか義憤による殺人とかは話が違ってきますが、今の世の中ではまず起こらないことだと思うので除外しても良いと思います。人が嫌がることは例えそれが殺人でなくても、せっかくとっておいたケーキを食べたり、かわいがっているペットの顔にマジックで「へのへのもへじ」を書いたりすることもやってはいけません。
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1~4 はあとづけですね。

1にしても、じゃあ、なぜそんな法律がつくられたの?で疑問が残ります。後も同じ。
5)は多少ましです。たしかに人間は社会的な動物であり、社会を維持していかなければ共倒れになります。皆が仲良くしていかなければ滅びてしまうということでしょう。その意味で大量殺人の典型である国家間の戦争も禁止する理由になります。同じ理由で犯罪者の死刑も許されることになります。
しかし、それがどの程度まで許されるのか、あるいは死刑廃止論者は何を考えているのか?という疑問が生まれてきます。つまり、秩序維持のためなら殺人は無制限に許されるのか?または大量殺人者も死刑されない社会は秩序維持以外に人命尊重の理由があるのではないかという疑問ですね。更には安楽死、ある一定に年齢がきたら死ぬという社会は最高に効率的だし秩序だった社会になるのに、というような疑問がでてもおかしくはないでしょう。
つまり殺人禁止には更に奥の、6番目の理由があることになります。

私は、人は自分自身で生き死にの裁量をする自由があるべきで、それを他人が勝手に決めるべきではない、だから基本的に殺人はいけないことなのだと思っています。ひとが死にたくないと思う気持ちは非常に切実なものです。基本的人権の最重要課題ですね。
貴方は他人のそういった願いを直感的に理解しているから、他人を殺せないのだと思います。これは人間同士でなくても、生き物全般にいえることでしょう。シュバイツアーの言った生命の尊厳ということも同様ではないでしょうか。

もちろん社会秩序は重要ですが、それと個人の自由(お互いに矛盾しています)とのせめぎあいで人間社会はずっと進歩してきました。これからもそれは続いていくだろうと思います。お互いの調和が完全に取れた時点で人間の死のありようは定められるのだと思います。殺人の限界もそれに従うということでどうでしょうか。

ご参考になれば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
とても参考になりました。

現代においても様々な課題が残されていますね。
私も一つ一つに疑問を感じております。


>私は、人は自分自身で生き死にの裁量をする自由があるべきで、それを他人が勝手に決めるべきではな>い、だから基本的に殺人はいけないことなのだと思っています。ひとが死にたくないと思う気持ちは非>常に切実なものです。基本的人権の最重要課題ですね。

私も不条理に殺されたくありませんね。
そしてその願いを共有し、尊重してくれる社会であり続けてくれる事を、
今以上の進歩を期待して止みません。
功利主義を超えた思想を持たねば成りませんね。

お礼日時:2012/11/01 00:22

グズグズ言いません。



人間としての理性があるからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

グズグズ考えてしまって、私の悪い癖でもあります。

お礼日時:2012/11/01 00:08

1+2ですね。



日本国憲法で「生存権」は、定義・保障されています・・・逆に言えば、他人の生存権を奪う権利が無いので「他人を殺せない」訳です。
(海外では、その理屈で死刑を禁止している国もありますね)

但し、生存権の解釈として難しい物もあるのは確かだとも思います。
先に書いた死刑もそうですし、戦争・・・広い意味では中絶等もそうです。

これから先は、倫理観による部分も大きいですが、個人的には「(他社を)殺さざるを得ない出来事は、この世界に(残念ながら)存在する」と考えています。

これは世界(社会)の未熟・・・限界(現段階での)であり、だからこそ考え続けなければならない問題なのだと思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

できることなら、回答者様のように、
考え続けていきたい問題だと私も思います。

人類には不可能なことなのか……可能であれば、
その社会はファシズムのような全体主義の世界なのか。
いや、それ以外に方法はあるのか。

私はこの問題の根本にヒントがあるように思います。

要は倫理観がどのように形成されてきたのか、或いは形成されているのか。
そしてもっと高尚な価値を人類が見出すことはできるのか、否か。

お礼日時:2012/11/01 00:07

自然淘汰の結果だと思います。



お互いに殺し合う集団は、自滅するか、あるいは戦力が削減された結果、お互いに殺し合わないで協力しあう集団に征服されて消滅します。
我々は、お互いに殺し合わない集団の子孫なので、同族を殺さないことが本能であり、また常識となっているのだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自然淘汰の結果だと思います。

なるほど、そういう考え方はおもしろいです。
野生の動物は凶暴なイメージがあり、
飼いならされたペットは温厚なイメージがあります。

興味深い説です。

お礼日時:2012/10/31 23:56

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