稲作の起源について調べていたのですが、どこでどんな風に始まったかを書いてある文献はあっても、ではなぜ稲作を始めたのか、作るのも食べるのも手間のかかる稲をなぜ作ろうと思ったのか、がいまひとつ解かりません。
 「こうだと思う」と言う意見や考え方でも構わないので教えてください。

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A 回答 (11件中1~10件)

ひさびさにametsuchiさんのお答えに出会いました。


本能的に「うまい」ものというのは、体にいいものである(もし悪いものがうまければ生き残れずにいるはずですが)という前提でいえば、
栄養的にすぐれている米がうまいわけですね。それはまちがいないでしょう。

ただ、稲作は農作業が面倒くさい。同じイネ科の小麦に較べても泥田の作業など、作業量がぜんぜん違います。
そこまでやって、イネを作らなければならないか、という問題でしょうね。
縄文時代の稲が好きで作られていたのか、必要に迫られて作られていたのか、というのも考えのポイントでしょう。前者ならば、狩猟の合間に作業して、それで不作であってもしゃあないなあ、ですみますが、後者なら徹底した農作業が必要になります。
それをするかしないか。縄文遺跡の田んぼは、そんなに大きなものでないと思いますが。

vaiosanさん説で、人口が減っても、それによって、一人あたりの獲物がふえれば問題ないわけで、人口の減少を(GNPを?)問題にする意識は縄文人にはなかったと思います。人口の少なかった時代ならば、わざわざ、不毛の山奥にすまなくても、適した場所に住めばいいはずだから、しかたなくヒエを食ってた、と決めなくても、単に、「ヒエを作ることができたから、山奥にすむことが出来た」ということではないでしょうか。飢えてからイネ(ヒエも)を植えたのでは間に合わないです。

稲作によって人口をふやし(文化が発展したかどうかは疑問ですが)、「国力」をつけて勢力を広げる意図があるならば、苦労をして(ただし、支配者は楽をして被支配者=奴隷などに苦労を集中させる)稲作をすすめる価値はあります。
アイヌ人(だけではない)はそれを選択しなかったから、ずっと狩猟民族で通せたのでしょう。
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2度目の登場です。

vaiosanさんの説興味深く拝見しました。流石に大学で専門的に学ばれただけのことはある。大筋「なるほど」と思いながらも、一寸疑問点も生じました。

1)稲作:最近縄文時代の稲作遺跡が次々に見つかっているようです。これが例外なのか、ともいえないのか...。

2)「沿海部と内陸部」という2分類:

「南川雅男」氏の「アイソトープ食性分析法」による分類によると、
a)関東貝塚民(魚貝類35%、草食動物44%など)
b)内陸採取狩猟民(魚介類8%、草食動物7%、植物85%など)
c)北海道沿岸部貝塚民(大型海産動物49%、魚貝類35%など)
と3つに分かれ、各々全く異なる食生活を送っていたそうです。

3)「漁撈や狩猟では増えすぎた人口を維持できなかった」:

少なくとも、2)c)では、縄文時代から近世アイヌまで一貫して海産物が主たる蛋白源であった。食物の内容と人口の多寡は直接関係ないが、海道沿岸部で食糧が不足していたら、別のものを食べるはず。

4)「手間のかかる稲作をする・・・ということはそれなりの苦しい理由」:

上の「アイソトープ食性分析」によると、アメリカ先住民は採取狩猟社会からトウモロコシ農耕社会に移行したことが裏付けられている。マンモスの絶滅にも人類による「オーバーキル」が関係していることが確実視されている。この点では、vaiosanさんと意見を異にするものではないが、もし、食糧が足りずに飢えに苦しんでいたなら、本来亜熱帯の食物である稲なんか栽培しようと思うだろうか?と言うのが私の疑問です。

5)自分の「グルメ説」に拘るつもりは毛頭ないが、現在、「家畜」として飼われている動物の人間にとっての有用性:

a)鶏:卵を産む。肉は鳥類中図抜けて旨い。または旨いように改良した。
b)ブタ(猪):人糞を含み何でも食べる。肉は旨い。
c)牛:乳をだす。田畑を耕す。肉が旨い。
d)羊:毛や上質の皮。肉は新鮮ならまずまず。
e)猫:穀類を食い荒らす鼠を捕る。
f)犬:狩猟の友、番犬。肉も旨い。(犬肉が旨いというのはホントです)

同様、人によって栽培されている穀類や野菜は、単に生命を維持するための手段というより、食べて旨いものが好んで栽培されていることが分かります。彼らは栄養学も何も知らない訳ですから、旨い、もしくは体が欲している植物を栽培するはずです。

■「古代人はグルメである」

という命題は、私の中では、

■「老人や身体障害者はスケベである」

という命題とほぼ同じです。老人でも身体障害者でもない私を含む大多数の人が、えてして、彼らにはスケベ心のカケラもないかのように思ってしまうのは色眼鏡です。このことには十分注意したいと思います。これは彼らにとっても不幸なことでしょう。
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「何故、稲作?」というのはちょっと知らないのですが、「何故?農耕?」ってのには少し知識が。

大学で学んだことで参考になれば、どうぞ。

 縄文時代には一般的に(やはり例外はあるみたいですが)、農耕(稲作)はありませんでした。縄文焼畑農作と呼ばれる、ヒエやイモ、アワなどを栽培する農法が中部山岳地帯にありました。何故、その地域だけそういうことが行われたかと言うと、海に面してなく漁撈があまりできず、食料不足であったためです。

さて、興味深い報告があるのですが、縄文時代の年代別人口を見てみると、
縄文初期は人口約2万人いたそうです。
それが、中期(最盛期)には30万人にも膨れ上がったと言います。
ここで注意が必要なのは、縄文末期は人口が約10万人まで逆に減少しているのです。さらに、縄文末期の遺跡では、それまで頻繁に見られた大型の獣(特に猪)の骨が出てきません。

これが何を意味するかというと、増えすぎた人口のため、乱獲等で食料不足によって人口の激減があったと考えられます。
漁撈や狩猟では増えすぎた人口を維持できなかったのです。
そんな感じで、縄文末期はこのまま滅びてもおかしくないくらいの有様だったと想像されますが、そこへ農耕と言う新手法が登場するのです。
これは言わば改革で、これがなければ文化も人口も発展しなかったと思われます。

それだけ手間のかかる稲作をする・・・ということはそれなりの苦しい理由があったのではないでしょうか。
的外れな回答だったらごめんなさい。ぺこ <(_ _)>
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縄文人が、クリ栽培や狩猟で生活しているあいだ、1日の労働時間は2~4時間だったそうです。

それで十分生活できたらしい。あとは、のんびりと縄文土器をつくったり・・。

稲作は、いわば、高度成長産業で、年間を通して農作業はきついし、手間もかかるけれど、単位面積あたりの収穫量・エネルギー量、すなわち、養える人口が他の作物に較べて圧倒的に多い。

自給的生産から、集団的生産。あるいは、奴隷制や身分制をくわえて、勢力を広げるにはこれが一番。他人をこき使って、生産を増やすのに、稲が一番で、ついで小麦。年間降水量が稲作に足りないところは小麦。温度も足りなければライ麦。もっと悪ければとうもろこし。だんだん、効率の悪い作物を選ばざるをえなくなります。

縄文人は高度成長を選ばず、自給生産を貫いたために、弥生人に追い出されていったのでしょうね。(転向して、弥生人と同化したやつもいただろうけど)
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変わった視点で書いて見ます.



[1]賢いチームが、合理的に、稲を、最良のものとして、選んだ、という発想の逆に、
[2]何かの制約でたまたま稲を育てることにしたチームが、(稲の「適度に」人手を要する、その独特の属性によって)、チーム成員の協調を高度にせざるを得なくなり、他の作物を作っていたチームよりも、格段に組織力が高くなってしまった. その結果、稲の特性に鍛えられて協力体制の強くなったそのチームは、他のチームを、戦闘・政治などでも圧倒する勢力となった.

というような、可能性もあるように思えてきました.

言い換えると、人間が公平な合理的な判定の結果「人が稲を育てた」、というよりも、稲を育てることにたまたま決めたチームは、適度に人手のかかる「面倒な」稲によって逆に、(人間が本来持っていたところの)「組織力を(うまく)育てられた」. 例えば、日本人の組織力の巧みさは、日本人がもともとそうだった、というよりも、稲を育てつづけてきた結果、稲という生物によって、鍛え上げられたような気さえしました.
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
稲作が日本人を鍛えたと言う話は全く同感です。
日本人に限らず稲作を行っている民族は、手先が器用で粘り強く、辛抱強いところがあると思います。現在の緻密な工業製品などは稲作地帯が多いですし、過去の戦争などでは日本は原爆落とされるまで辛抱(?)してますし、ベトナムなどは圧倒的な軍事力の差があったのに粘りと辛抱で勝ってしまいましたからね。

お礼日時:2001/05/24 00:17

私はやや異なる見解を持っています。



■旨い

というのが最大の理由だと思います。味に慣れているから旨いという見方も可能でしょうが、必ずしも作り易いとはいえない米に拘るのは「旨い」からです。

鳥類の中で何故「鶏」が人間に愛されたか?これも「旨い」、いや、乱暴な言い方をすると、「鳥類の中で最も旨い」からです。「ブタ(猪)」が人類に愛されているのも「旨い」からです。「牛」もそうですね。ただ、「牛」や乳や、農耕用など多目的に使われましたが...。

小麦もそうです。麦のなかで一番「旨い」のです。ここで主観によって左右される「旨い」という言葉は、「多くの人間にとって人気が高い」という意味です。

農耕民どころか採取狩猟民も、実は大変な「グルメ」だったのです。土地に定着し農耕を始めるようになっても、基本的に「旨い」食べ物を栽培したのです。採取狩猟生活を送っていたとされる縄文人も栗を栽培していたことが最近科学的に証明されました。栗も椎やクヌギなど常緑広葉樹の仲間では図抜けて旨いのです。

採取狩猟民や昔の農耕民は我々が想像するより遥かにグルメであり、豊かな食生活を送っていたのだと思います。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
単純明快で解り易く説得力がありますね。
文中に「土地に定着し農耕を始める」とありますが、これも美味しい稲があるから定着したと言えるかもしれませんね。
そして、稲作を発見し、稲が美味しいため食糧の中でのウェイトが増えていき、更に稲作が拡大した、とつなげることができますね。

お礼日時:2001/05/24 00:00

稲は世界三大穀物のひとつです(麦、とうもろこしと共に)4番手はイモ類でしょう。

それぞれの穀物はその土地の気候にあったものが長い年月をかけて改良されてきています(目的は収穫量を増やす、病害虫に強くする、栽培地域の拡大、栽培時期の拡大など)我々が知っている稲が昔から存在したわけではなく、日本には古代米として、赤米、黒米などが僅かに栽培されています。単位面積あたり収穫量が低いため高く売られています。

アジアを中心に稲が栽培されたのは(主食として)モンスーンとの関係です。稲は
開花までの期間、日照と水が大量に必用です。たしかに栽培には手間がかかりますが、古代には何にでも手間がかかったので稲が例外というわけではないでしょう。
(現代生活からの推測は誤りです)収穫まで半年もかからず(早い)、一粒の籾から400-500粒(古代にはその半分ぐらいか?)の収穫がある植物は他にありません。この点、とうもろこし(800粒?)小麦(?)も似ています。次に保存性に優れていることです。籾のままなら3-5年はもつでしょう(条件次第)イモ類は収穫量が10倍前後と低いと思います。稲には陸稲と水稲があり現在も両方栽培されていますが(外国)陸稲の収穫量は水稲の1/2ぐらいなので土地の狭い日本では
作られなくなっています。狭い国土で食料の自給率が低い日本ですが、米だけは
100%以上あり、政府は農家に対しこれ以上作付面積をふやすなという減反政策をとり、一反あたりいくらかの補助金(補償金)を支払っているほどです。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
栽培条件が稲作に向いていたから稲作があると言うのは確かな話ですね。麦に向いてる所は麦作ですしね。

お礼日時:2001/05/23 23:42

 前の方々が答えておられる通りと思います。


 おそらく最初は、粟や稗、芋類、瓜などを試したのでしょうね。毎年種まきができて実がなる作物は、意外と少ないと思います。作りすぎても保存が利き、しかも保存に特別な工夫がいらない、場所を取らない、湿気乾燥に強く数年は持つとなると、やはり麦や稲でしょうね。
 それを取り入れた村や集落が少しずつ勢力を広めていった。時に戦いにも高カロリー食として、携帯にも有利に働いたのではないでしょうか。
 つまり、それらを主食とした共同体が勢力を伸ばしたが故に、現在につながったと考えます。
 稲作には陸稲と水稲があることはご存じだと思いますが、水稲栽培は高度な治水技術が必要です。そのことが結果として国家を必要としたといわれています。余談ですが。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
確かにイネは保存性高いですよね。でも、突き詰めて行ったら、なぜ保存性の高いものを栽培する必要があったのかと言うことが解らなくなったんですよ。確かに短期間の天候不順の間を食いつなぐ分は野生種のイネなど保存していたと思うんですけど。

お礼日時:2001/05/23 23:31

 私も、単なる試験で申し訳ないのですが・・・


 多分、ありとあらゆる作物の育成が試みられたと思います。その中で、稲(主としてアジア系でしょうか?)と麦が残っていったのは、耕作面積あたりの収穫量が多く効率が良かったからだと推測します。つまり、同じ面積の農地で、養える人工が多く、稲や麦を栽培した種族、民族または都市の人口が増加して、その他を駆逐してしまったのではないでしょうか。これは、武力による場合と、稲や麦の普及による穏やかで平和的な浸透と両方が考えられますが、如何でしょう。つまり、栽培品目を、人間が自己都合で取捨選択していったと・・・
 去年開催された、4大文明展のメソポタミア展を見て、そんな風に思いました。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
収穫量が多いというのも栽培作物として魅力ですよね。
ただ、多収量の作物を栽培する理由と言うのも自分にとってなぞだったんですよ。
あと、稲や麦を栽培した種族がその他を駆逐する話は全く同感です。
日本でも同じことが起こっていて、狩猟民族の縄文人が稲作民族の弥生人に駆逐され、稲作不適地の北海道にだけ生き延びてきた、その末裔がアイヌと呼ばれる人達だと想像しています。

お礼日時:2001/05/23 22:49

稲に限らず穀物は,作るのも食べるのも大変かもしれませんが,


「貯蔵性」が高いので作るに値するものだったと思います.
いつでも食べ物がある,という安心感はウン千年前の人類にとって
十分稲作をはじめる動機になったと思うのですが如何でしょう.
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます。
そうですね、貯蔵性は有ると思います。
根や葉や茎は日持ちしないですが、種については日持ちしますからね。古くから主食とされている麦やとうもろこしも種を食べますしね。

お礼日時:2001/05/23 21:55

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よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

一考古学ファンとして大いに関心があり、詳しい方の回答を待っています。

私は回答できる立場ではないのですが、何らかのお役に立てればと思って回答します。
既読かも知れませんが、安田喜憲著『文明の環境史観』(中公叢書2004年5月発行)に記述されている「稲作の起源」は、核心をついていると思い、自分の考えの基本としています。
著者の主張の一部を紹介します。

稲作起源論を論じる上で注意しなければならないことは、「考古学者のお国自慢」である。
とくに農耕の起源は文明の先進性という問題と密接に関連しており、農耕の起源が恣意的に不当に古く論じられている。
そうしたなかで湖南省道県玉蟾岩遺跡から出土した最古の土器と4粒の種籾が、これまでのところ一定程度の信頼がおける稲作起源の最古の事例である。
(一部省略)
それ故、稲作の起源は、(各地の遺跡の例を挙げてありますが略)1万4千年以上前までさかのぼりうる可能性はきわめて高い。
しかしそれと断定するためには、さらなるデータの蓄積が必要である。
(一部省略)
以上の理由により、現時点における筆者の仮説は、1万5千年前のベーリング亜間氷期の温暖化が、野生稲の分布の北方への拡大を促進し、その分布の北限地帯において、稲作が起源したというものである。

私は、研究者が上記のように自著で述べておられることから、農耕と稲作の起源については、「研究途上であるというのが定説」と思っています。

なお、この著書には、原典を含む多くの参考文献が記載されています。
また、麦作の起源についても考察されています。
人類が最初に麦作農耕を開始したのは、ヤンガー・ドリアスの寒冷期であると主張されています。

http://joumon-juku.com/books/2004_8.html

参考URL:http://joumon-juku.com/books/2004_8.html

一考古学ファンとして大いに関心があり、詳しい方の回答を待っています。

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全国各地の縄文期の貝塚から、船から網ですくわないと捕れないマイワシや片口イワシの骨が出土しています。
網その物の出土例は少ないですが、網の存在は分かっています。

「貝塚 網 錘」で検索すればいっぱいヒットします。
錘の写真が出ている例では、
千歳市美々貝塚
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/sbs/joumon/remains/is_bibi01.htm

愛知県海津市「縄文人海と出会う」 10ページ 
http://www.city.kaizu.lg.jp/mpsdata/web/919/zyoumonzin-umi-deai-l.pdf

鹿児島県水産技術開発センター
http://kagoshima.suigi.jp/ayumi/book/01/a01_01_14.pdf 
このHPの最初の一節です。

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全国各地の縄文期の貝塚から、船から網ですくわないと捕れないマイワシや片口イワシの骨が出土しています。
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千歳市美々貝塚
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の鉄から作ったという。だとしたら元々鉄製の剣というものがあっ
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つまり言いたいのは現在の人類が発生する以前に、現在とは違う
人類がいて文明を築き、滅びた文明の遺跡から現在の人類が
文明を創り直した。という仮説です。皆さんはどう考えますか。

Aベストアンサー

十年ほど前まで盛んにシリーズでその手の出版を繰り返していたグラハム・ハンコックという人が居て、私は随分彼の本を愉しんで読んでいたのですが、ばったりと出なくなりましたね。最近の「ピラミッドのなぞ」という映画は彼の考えの2番煎じなのでしょうが、インカやマヤ、イースター島などの巨石文化も含めていろいろな先史文化の存在が窺われる証拠はたくさんあります。ハンコックが最後に手がけた海底の遺跡(「神々の世界上下」)も日本の沖縄近海やインドのベンガル湾などが確認されていて、もっと多くの人がしっかり調べればいいのにと思っていますが、現在の考古学の権威者はそういうことに首を突っ込もうとはしません。残念ですね。巨石文化がシュメール以前にあっても今の歴史学者は何も困らないと思うのですが。

ただ、この考えが弱いのは、もし現代文化に迫るものがあったら、いわゆるオーパーツがなぜこんなに少ないのかということです。おそらく先史文明はあったのでしょう。でも近代以後の文明はやはりわれわれの人類しか経験しないものだったのではないでしょうか。こんなことを決め付けるのはいけないかもしれませんが。

十年ほど前まで盛んにシリーズでその手の出版を繰り返していたグラハム・ハンコックという人が居て、私は随分彼の本を愉しんで読んでいたのですが、ばったりと出なくなりましたね。最近の「ピラミッドのなぞ」という映画は彼の考えの2番煎じなのでしょうが、インカやマヤ、イースター島などの巨石文化も含めていろいろな先史文化の存在が窺われる証拠はたくさんあります。ハンコックが最後に手がけた海底の遺跡(「神々の世界上下」)も日本の沖縄近海やインドのベンガル湾などが確認されていて、もっと多くの人...続きを読む

Q埴輪の起源等、埴輪の質問いくつか

埴輪について教えてください。
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3.埴輪は古墳以外の場所でも見つかっていますか?(埴輪製造工場以外)
4.すべての埴輪の足(底部)は土の中に埋められていましたか?
5.全国の埴輪がみな同じような形態なのはどうしてですか?
 写実性がなく、地域による個性が少ない。
6.人物埴輪の顔がみな穏やで優しいのはどうしてですか?
 人物埴輪は女性が作ったのでしょうか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

近くの古墳公園で埴輪を見て以来、不思議な魅力に魅せられてしまいました。
そして、何より驚いたのは大きさと数の多さです。
製作工房で多くの専門の工人の手によるものだと直感しました。

2について。
朝日新聞で読みましたが、埴輪は、わが国特有のものだそうです。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201201190251.html
埴輪は3世紀に日本列島で生まれ、数百年にわたって用いられた日本列島の古墳特有の副葬品だ。朝鮮半島南部でも一部出土した例があるが、それは、日本列島から移り住んだ人々が作ったと言われている。典型的な「倭(わ)系」遺物だ。

下記論文でも同様です。「古墳の周濠の意義」抄録。
http://ci.nii.ac.jp/naid/120003501393

6について。
数の多さと、大きさ(重さ)から製作工房で男性が作ったものと思います。

橿原日記(個人のHP)
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2005_08_01.htm 
たとえば焼成した埴輪の移動の問題だ。出来上がる埴輪は高さ2.4m、基底部の直径90cm、重量350~360kgの土の塊である。

「人物埴輪の顔がみな穏やで優しい」のは、葬送儀礼に関わっているからだと思います。
しかし、泣いたり笑ったりしている埴輪もあるそうです。

上智大学教授 北條勝貴氏のサイト
http://d.hatena.ne.jp/hojo_lec/20110530/1307584797 

5について。
南関東と畿内とに交流があったと推定されています。
昭和女子大学文化史研究「南関東における埴輪の受容」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000985385

4について。
どうなんでしょうか。私も知りたいです。
埴輪が立った状態で見つかった例があるのでしょうか。
調べた限りでは、土中から掘り出したか、倒れて散乱していたかです。
ただ、古墳頂上部にあったものは、盛り土の流出を防ぐために、下部を埋めてしっかりと立てた、とされていますね。
古墳頂上部ではなく、地上の墳丘脇の「造出し」に置かれた埴輪では、並べるだけだったのか、どうでしょうか。

近くの古墳公園で埴輪を見て以来、不思議な魅力に魅せられてしまいました。
そして、何より驚いたのは大きさと数の多さです。
製作工房で多くの専門の工人の手によるものだと直感しました。

2について。
朝日新聞で読みましたが、埴輪は、わが国特有のものだそうです。

http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201201190251.html
埴輪は3世紀に日本列島で生まれ、数百年にわたって用いられた日本列島の古墳特有の副葬品だ。朝鮮半島南部でも一部出土した例があるが、それは、日本列島から移り住んだ人...続きを読む


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