ショボ短歌会

文化、文化と良く聞きますが、文化って何でしょう?
ことある毎に「文化」で説明しているものをよく見かけます。

市の広報にも文化事業、建物に何とか文化何とかセンター、文化施設
文章中に、文化的、日本文化、何とか文化圏など考えれば考えるほど、文化とは何を指すのかわからなくなります。わかりやすく説明して貰えたら嬉しいです。

A 回答 (7件)

>日本人の女は静粛でなんでも聞いてくれるとか、男はサムライだという偏見や一昔前のステレオタイプで


>文化もばっさり切ることができる危うさがあるのかな? と思ったのでお聞きしてみました。

再質問のことで少し考えてみました.再質問をちゃんと把握できてるか自信ないですが.再質問にありました「日本人の女は貞淑(←この字でよいですか)」、とか、「日本人の男はサムライとか」、あと「西洋人の男は勇敢」とか、そういうタイプの解りやすいスローガン(標語)みたいのは、二律背反の方向性を持っているはずの軸の、片側方向だけを強調したものと見ます. その軸の「全体」に広がるはずの人間なのに、という観点ではおかしいな、と思います. そこで、そのスローガンは現状を正しく反映していない、表層的な、時には「その集団の表舞台でのみ公認の価値観」が特に強調された表現、と見ます. 例えばご質問の「日本人の女性は貞淑」との表現を聞くと私も、「ばっさり切ることができる危うさが」を感じて奇異に思います. 人間なんだから、と. そのスローガンの裏側に、二律背反の軸上で、そのスローガンとは逆方向に、なにか、うまく折衷されていない、価値観があり、それを折衷している(表のないし陰の)様式が存在するはず、と思ってしまいます. 例えば、思いつきですが、予想外なことですが、日本の貞淑な女性が成長してなるところの、「日本の母親」が、子殺しをする比率は世界最高の割合ではなかったでしたか?(違ってたらすみません.一ヶ月前ぐらいの毎日新聞のコラムによるとそうだったように思いますが).女性として「貞淑」という生き方を、自分を殺して夫に仕える、と見るとすると、そういう生き方が「良い」という価値観で生きてきた結果、そのあまりにも一面的な生き方に無理が高じて、長じて他の存在を殺すような結果になる、というような、二律背反の折衷を(皮肉に言い方ですけど)行なってしまっている、ようにも見えます. これは、文化と呼ぶには余りにも、無自覚で、あまり誉められるかどうか解らない例ですが. 私が積極的に文化と呼ぶに値すると思うのは、こういうことを子供等を殺すとかのことをせずに、折衷する方法を編み出した場合、等をイメージしています. 言い換えると、回りの人への被害も最小限にしつつ、ほとんどど不可能な二律背反の折衷を達成することです. ここには人格の関与が大きく発生するはずだ、ということ予想されます. 日本人の男はサムライというスローガンにしても、その逆の方向性の価値観はどこかで、採用されてしまっているはずと思います. また西洋人の男は勇敢、といっても、麻薬等への耽溺の率の高さは、勇敢な生き方を集団全体が採用することで人間にとっては自然に発生する孤独感・虚無感をなんとかしたい、それが「自然な」生き方だ、というある意味では「勇敢」の反対の価値観としての、個性なんか無くても埋没して生きたい!、という人間らしい願い暴発的な表現にも見れます. 解りやすいスローガンは、両方向あるはずのある軸の、片側だけを「ばっさり切」りとって、表現されたもの、と見ると、全体をまだ見ていないかも、と言う気がして、良いのかもしれませんね.
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>日本人の女は静粛でなんでも聞いてくれるとか、男はサムライだという偏見や一昔前のステレオタイプで


>文化もばっさり切ることができる危うさがあるのかな? と思ったのでお聞きしてみました。

再質問のことで少し考えてみました.再質問をちゃんと把握できてるか自信ないですが.再質問にありました「日本人の女は貞淑(←この字でよいですか)」、とか、「日本人の男はサムライとか」、あと「西洋人の男は勇敢」とか、そういうタイプの解りやすいスローガン(標語)みたいのは、二律背反の方向性を持っているはずの軸の、片側方向だけを強調したものと見ます. その軸の「全体」に広がるはずの人間なのに、という観点では現状を正しく反映していない、表層的な、時には「その集団の表舞台でのみ公認の価値観」が特に強調された表現、と見ます. 例えばご質問の「日本人の女性は貞淑」との表現を聞くと私も、「ばっさり切ることができる危うさが」を感じて奇異に思います. 人間なんだから、と. そのスローガンの裏側に、二律背反の軸上で、そのスローガンとは逆方向に、なにか、うまく折衷されていない、価値観があり、それを折衷している(表のないし陰の)様式が存在するはず、と思ってしまいます. 例えば、思いつきですが、予想外なことですが、日本の貞淑な女性が成長してなるところの、「日本の母親」が、子殺しをする比率は世界最高のパーセンテージではなかったでしたか?(違ってたらすみません.一ヶ月前ぐらいの毎日新聞のコラムによるとそうだったように思いますが).女性として「貞淑」という生き方を、自分を殺して夫に仕える、と見ると、そういうのが「良い」という価値観で生きてきた結果、人間の本性としては無理が高じて、他の存在を殺すようなひどい結果になる、というような、あまりお見事とはいえない二律背反の折衷を(皮肉に言い方ですけど)行なってしまっている、ようにも見えます. これは、文化と呼ぶには余りにも、無自覚で、あまり誉められるかどうか解らない例ですが. 私が積極的に文化と呼ぶに値すると思うのは、こういうことを子供等を殺すとかの悲惨なことにならずにうまく、折衷する方法を編み出した場合、等をイメージしています.つまり本来的には不可能なことをそれこそ人間の人格の力で可能にし、かつ、それで回りへの被害も最小弦にとどめる、と.ここには人格の関与が大きく発生するはずだ、という点が不思議な点です. 折衷の天才の様式は感動とともに他の成員にも伝播することが予想されます. 日本人の男はサムライというスローガンにしても、その逆の方向性の価値観はどこかで、採用されてしまっているはずと思います.また西洋人の男は勇敢、といっても、麻薬等への耽溺の率の高さは、勇敢な生き方を集団全体が採用することで人間にとっては自然に発生する孤独感・虚無感をなんとかしたい、それが「自然な」生き方だ、というある意味では「勇敢」の反対にある、埋没して生きたいという人間らしい価値観の、暴発的な表現にも見れます. 解りやすいスローガンは、両方向あるはずのある軸の、片側だけを「ばっさり切」りとって、表現されたもの、と見ると、全体をまだ見ていないかも、と言う気がして良いのかもしれませんね、等と思います.
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文化とは文明開化の略です。


なんとなく、「文化、文化」といっている底の浅さが見えてきませんか?
所詮現在でも「文明開化」なんですよ。
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この回答へのお礼

>文化とは文明開化の略です。

ややっ、そうなんですか?(◎o◎)私も辞書で調べましたが見つけることが出来ませんでした。できれば情報の出所をお聞きしたいです。お暇な時でかまいませんので教えてもらえないでしょうか。宜しくお願い致します。\(_ _)

>なんとなく、「文化、文化」といっている底の浅さが見えてきませんか?
皆さんの書き込みを読むに連れそんな所もあるというのが分かってきました。

>所詮現在でも「文明開化」なんですよ。
ちゃんと私が理解できたか不安なのですが、
言葉の意味をちゃんと捉えていないのに使っている現状から、「文明開化」を
越えたとは思えない、だから上の表現になる。というこで良いでしょうか?(^^ゞ

お礼日時:2001/05/22 20:52

古代において、稲作をはじめたグループが出現しました。

これは農耕文明の一つですネ。そして、広い地域で稲作が行われることとなり、その地域や嗜好の特性によって、地域によって異なる食生活が出現しました。それは地域文化ですネ。
本来の文化とは、気候風土などの地域特性により変化した各種の生活様式(衣・食・住)を指すものといえるでしょうネ。
明治維新の際、文明開化が時代の最先端となりました。そして、新しいもの、西洋的なものには、すべて文化という枕言葉がつけられるという風潮が広まりました。
文化包丁、文化住宅、文化鍋、文化‥
これは、言わば流行語としての文化というものですネ。
現在でも文化的な‥という表現はこの明治維新の文化という言葉と大差ないような印象を受けます。
ただ、現代においての文化人というのについては理解できません。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>本来の文化とは、気候風土などの地域特性により変化した各種の生活様式(衣・食・住)を指すものといえるでしょうネ。

なるほど~。私は「衣食住足りて礼節を知る」の礼節の部分が文化と思っていましたが、むしろ生活様式自体を本来の文化と考えたほうが、確かに分かり易いですね。

>明治維新の際・・(中略)・・これは、言わば流行語としての文化というものですネ。
明治以降、流行語として・・・ある意味言葉に躍らされている部分があると、はっきりしました。わたしも似たようなものですね。トホホ・・・ (T-T)

>ただ、現代においての文化人というのについては理解できません。
わたしも同感です。

お礼日時:2001/05/22 20:20

私なりの解釈ですが:「個別事例における二律背反の折衷の在り方の総体」との結論を持ったことがあり、今でもそう思っています。



(1)人間というのは、矛盾した「考え方」を内に持っているように思う. 例えば、

(例A)平等性・個性の軸. みんな仲良く「平等」に暮らすのが良いという考え方がある一方で、「個性」を尊びそれを厚遇して社会に貢献させ社会を発展させるのが「良い」という考え方もある.

(2)普通、ある程度は論理的な整合性を追求したいが、ある軸のある一方向のみに、圧倒的に重点をおく集団は実際にはあまりないように思う. この理由は、極端な価値観のあり方が、人間の本性に反するので、現実的には解体へ向かい、その集団としての存続が不可能になるからであろう. ここに述べたことの逆の意味で、現実に存在している集団は、おしなべて、ある価値観の軸において、「折衷」を行っているといえる. この「折衷」と言う行為自体は、予想に反して、相当に高度な「人格の関与」を基礎とする点を特徴としているように思える. なぜなら、数学的手続きや論理展開の手続きを以って、「折衷」という行為は、少しも達成できない. そこで、「二律背反な価値観の折衷」が生まれる場合、そこには人格の関与が強く、ひいては、集団の存在する場所、時代に応じて、独特な配合が生まれる.

(3)独自の折衷様式とは、ある軸に両方向に関して、独自の重み付け和をとるようなものである. そして、和をとるだけでは、矛盾が解消しない場合も多く、その折衷を維持するには、相当に独自な仕掛けを必要とする. 例えば、個性を大事にするという集団でも平等の思想はどこかで影に隠れて実践されているはずであろう.そうでなくては弱者への救済の視線というのは、その集団にはほとんど未来永劫生まれてこないであろう. そういう集団は長く存続できるだろうか. 逆に、平等の思想を建前にする集団は、建前に隠れた場所での本音として隠微な感じで競争主義が実践されるであろう.そうでなくては、その集団はあまりにも、他の集団との競争力を失ない、時代の流れの中で駆逐されていたので、今ありえないはずであろう.

上記に二軸のみを示したが、他にもいろんな軸が在る.

(例)有用性の軸. 実質的に今日明日を生き延びるのに「役に立つこと」こそが素晴らしいという考え方がある一方、そうではなく芸術など一見「役に立たないこと」の方が人間性の発露で真に偉大なもので素晴らしいという考え方もある.このような軸に関しての独自の折衷を行うと、ある種の「技術」「芸術」のその集団における価値観の折衷様式が生まれる.

他にも折衷を行うべき軸は無限と言えるほど存在する.

(4)これら「二律背反な各軸での折衷の様式の総体」が文化.

と考えたことがありましたし今でもこういう風に思っています.
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

finetoothcombさんは、個人から集団における価値観の折衷をどう証明し、本当に生まれているものなのかを明らかにしますか?
あっ批判しているわけではないのです。むしろここまで書けるfinetoothcombさんの文は説得力がありますし、私はよく考えてこの程度なのです。(T_T)
ただ、日本人の女は静粛でなんでも聞いてくれるとか、男はサムライだという偏見や一昔前のステレオタイプで文化もばっさり切ることができる危うさがあるのかな?
と思ったのでお聞きしてみました。いろいろな人のご意見をお聞きしたいです。

お礼日時:2001/05/19 23:46

martinbuhoさんに先を越されてしまった。

でもいいや。

大正14年の国語辞書は、こんな風に説明していますよ。
【1】世の中のひらけすすむこと。
【2】(Culture)自然を純化して理想を実現せんとする人生の過程、其成果は学問・芸術・道徳・宗教乃至法律・経済などすべてこれなり。
【3】西洋かぶれなること。新しがること。

ちょこっと何か感じることがありました?
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>大正14年の国語辞書
文化財と呼んでもいいのかな。貴重なものには変わりありませんよね。

>ちょこっと何か感じることがありました?
ありました!(^^)/
Culture=文化で結んで良いのでしょうか?
もともと文化という考えはどこで生まれたのでしょう?日本ではないようですね。

お礼日時:2001/05/19 23:03

これだけ広く使われている言葉を定義ずけるのは難しいですね。

文化の語源は耕す、手を加える、養育するなど、人が自然に手を加えた結果、生じるものです。
従って、人間の専有分野といえます。豚の文化生活はないでしょう。
生活様式、習慣、知識や芸術的、科学的な開発成果等は全て文化といえます。一般には精神面が重要視され、あるグループ(民族など)のある時代(ローマ、ギリシャ、江戸など)の成果を表します。文化遺産、文化映画は文字どうり文化といえるでしょうが、文化住宅、文化鍋など何にでも文化をつけるのは日本独特の習慣です。これぞ日本文化といえるでしょう。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>何にでも文化をつけるのは日本独特の習慣です。これぞ日本文化といえるでしょう。

あははっ。面白い回答ですね。 (^o^)
当たっていると思いますよ。

お礼日時:2001/05/19 22:54

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