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よく分からないのですが、哲学で、
”絶対の真理はない”というのが一般説となっているようですが、
これは、皆が共通の現実はないということなのですか?
つまり、事実=真実=真理=現実ということなのでしょうか?
素人なので、専門用語抜きで、シンプルに書いていただけると、
うれしいです(*^^*)

A 回答 (3件)

我々の日常では皆(それを知る人)が共通の現実として捕らえていることはあります。



哲学の考え・理論・方法は多様なので(現実の出来事でも解釈は多様で、形の無いものは一層!TVの法律番組系でも1つの事実への捕らえ方が専門家でさえ180度違うでしょう?)、たとえとしては

哲学的真理とは絶対に普遍・不変だから真理(朝や昼・家と隣で変わったら真理じゃないですね)で

私たちの世界では、どんなことでも我々人間が見つけ(事実を)・伝え(言葉や記録で)・確認して(広く検討され)・決めていきます(認められて用いられる)ことから、

現実の物質の世界でも新たな発見により変わり行くように、人間が言葉や記録によって決めたルールが変われば変わってしまう=不変でないなぁ

目の前の空気(いろいろな構成要素が含まれることを人は知っていますが)は、今のレベルで人が空気=○○な物と決めたので、すべての要素を知らない人間(すべてを知ることの無い状態は永遠に続く?)が今だけの知識で絶対に間違いが無いとは言えないなぁ

”事実”は 目の前にある事柄でも
 (道で子供を突き飛ばした場合)
”真実”は まことその奥にあることがあり
 (車の衝突から救うためだった)
”現実”は そのために現れたこと
 (打ち所悪く大怪我をさせた)
”真理”は 普遍な存在で
 (どちら ほっておくか突き飛ばすかが良いか、また突き飛ばした人の心の奥 会社のストレスやその子が我が子のライバルだったとか で本人にもとっさの真意は判らない)

なんてこともあったりするのです。
強引かつすごく悪い例でごめんなさいでしたf^^)

事実≒現実 真実≒真理 は多々あるでしょうが
事実≒現実≒真実≒真理 であったり
事実≒現実≠真実≒真理 であったり

真(まこと)が実ったこと”真実”は、まことの理(ことわり≒理論)”真理”に限りなく近いところにあるのが我々の常識で、考え方・捕らえ方の世界での研究考察は日常の常識とは厳密な定義(これが意見がいろいろあるので)は複雑(^^;なようです
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この回答へのお礼

ご回答いただき、有り難う御座いました。

お礼日時:2004/02/26 16:00

 一般的にですが、宗教は、真理を求めるときに、信じることから始まります。



 哲学は、疑うことから始まります。それに最初から何か決まった「真理」というものを設定してしまうことも、哲学らしくはありません。

 哲学と宗教は似ていますが、信じることから始まる哲学は基本的にありません。まずは、目の前にあるものや、当たり前とされていることを疑うところから始まります。


 「絶対の真理はない」というのは、そういう哲学の方法を言ったのだ思います。
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哲学とは、「何が真理か」を追究する学問といえます。



ですから「真理がひとつ」とすると、それは哲学ではなく「宗教」ということになります。つまり言語矛盾というか、哲学の自己存在と矛盾することになりますよね。

私はこう理解しています。
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