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李白の「峨眉山月歌」の起句・承句は実景か、回想か? というのが質問です。
  峨眉山月 半輪の秋
  影は平羌江水に入つて流る
  夜 清渓を発して三峡に向かふ
  君を思へども見ず 渝州に下る
このとき李白は民江のほとり清渓を出発し、長江を渝州に向けて下ったのですから、
峨眉山は北方に位置し、したがって峨眉山かかる月を見ることはできなかったはずですし、
もちろん民江支流の平羌江のほとりにいるわけでもありません。
したがって、この詩の起句・承句は蜀を去る李白が青春の地を懐かしんだ回想の情景であろうと考えたのですが、いかがでしょうか?

A 回答 (2件)

もはや遠くにある 峨眉山月 半輪の秋 を回想していると考えて間違いないと思います。



影は平羌江水に入つて流る は流れ去った時間=過去を掛けているのでしょう。
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この回答へのお礼

「すぐに回答を」としておきながら、お礼が遅くなり申し訳ありません。
賛同のご意見をいただき、すこしほっとしました。ありがとうございました。
江水の流れに時間をかけているというのもイメージ豊かな解釈で勉強になりました。
今後ともよろしくお願い致します。

お礼日時:2013/01/30 22:15

otasuke009さん、こんにちは。



この詩は諸説あるようですね。私の師はこういう解釈でした。

君=月であるから、月=君である。
想い人を月に見立てた惜別の詩ではないか、と。

ロマンティックで、私は気に入っています。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。お礼が遅くなり申し訳ありません。
先生の解釈を教えてくださり、また味わい方が広がりました。
今後とも、よろしくお願い致します。

お礼日時:2013/01/30 22:17

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