『L・DK』上白石萌音&杉野遥亮インタビュー!

お世話になります。海外に住む日本文学が好きな友人にたのまれたのですが、英語で執筆している日本人作家を知りたいとの事なのです。その友人の意図が、日本でも活躍しているが英語でも執筆している人を探しているのか、英語だけで活動している人を探しているのかわからないので出来れば両方教えてくだされば嬉しいです(もちろん片方だけでも嬉しいです)。僕はカズオ・イシグロという人が「日の名残り」の作者でいるという事は知っていますが、彼についてよく知りません。元々海外で生まれ育った方なのですか?
合わせて教えてくだされば幸いです。

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A 回答 (3件)

手元にある『女たちの遠い夏』(筑摩書房)という本のあとがきを見ると、カズオ・イシグロは1954年長崎生まれ、五歳のときに海洋学者のお父さんがイギリスにいくことになったので、一家でイギリスに移住し、そこで教育を受け、1983年、イギリス国籍を取得した、とあります。


訳者の小野寺健によると、「作者がほとんど日本語が読めない」とあるので、日本で生まれ、日本人を両親としている、といっても、たとえばインド系でトリニダード出身のナイポールやパキスタン系のハニフ・クレイシがイギリス人作家と見なされているように、イギリスの作家と分類されると思います。

ほかには日本で生まれ、十代でアメリカへ渡ったキョウコ・モリという人がいます。
日本でも『シズコズ・ドーター』『めぐみ』など翻訳されています(未見のため内容不明)。
同様の経歴の方で、水村美苗、この人の『私小説』は英語と日本語が入り交じった作品です。

ほか、アメリカで作品を発表している日系アメリカ人作家となると、何人か思いつくのですが、ご質問は「英語で直接執筆している日本人作家」ということですね?となると、思い当たるのはこのぐらいしかありません。

なお、#1の方があげていらっしゃる多和田葉子はドイツ在住で、ドイツ語で作品を発表しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変わかりやすく、参考になりました。友人は (ヨーロッパの人です)
...I dont know their name(s), but i have been told some japanese writers write their novels/poems directly in english.
と言って聞いてきていますので、日系ではなく「日本人(日本語がネイティブ)」って言う事だと思います。
改めてご回答感謝いたします。

お礼日時:2004/03/02 09:02

武士道、の新渡戸稲造も、英語で書いたようです。



参考URL:http://blog.livedoor.jp/mtmt0414/archives/104953 …
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この回答へのお礼

すみません、しばらくみていませんでした。遅ればせながらありがとうございました。

お礼日時:2004/05/30 11:43

海外在住です。


私も友人に紹介されたのですが、

Yoko Tawada と言う方が、
The Bridegroom was a Dog.
という本を書かれたそうです。

カズオ・イシグロさんに関しては分かりません。
ごめんなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/03/02 08:54

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Q英語で小説を書く

英語で小説を書いて外国で販売することは可能でしょうか。

Aベストアンサー

ネイティブでもないならほぼ無理だと思います。
日本人が日本語訳するのであれば、日本語の微妙な意図やサジ加減や用途がわかりますから問題無いですが、日本人が自然で慣用的な英文を作るにはかなり限界があります。文学となると、「通じればまぁなんとかなる」英会話とはわけが違いますので。

日本文で書いて、ネイティブに翻訳して貰う方がいいです。
それでも販売までには色々課題があるでしょうけどね。例えば出資は誰がするのですか? マーケティングは? ただ「印刷した」「ネットショップにアップした」だけでは当然「販売」までには至らないと思いますよ。

Q哲学科に進学したことをとても後悔している

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。

そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。

哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。

このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。

現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。

勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。

それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。

自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すの...続きを読む

Aベストアンサー

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。

日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。

カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。

ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。

いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくら...続きを読む

Qどうしても使い方がわからない・・・such as とlike

こちらのサイトでも調べてのですが、どうしてもわかりませんでした。 ~のような というときのsuch asと likeの使い分けです。例を用いてなるべく簡単にわかりやすく説明してくださる方いらっしゃいませんか?すみませんが教えてください。

Aベストアンサー

such as ~ のほうは「例えば ~ などのようなもの」という例を挙げるもので、

like ~ のほうは「~ に似ているもの」という類似性を示すもの、

という印象の違いがあると思います。

日本語で「~のようなもの」という言葉には、例を挙げている場合と、形や様子が似ているものを挙げている場合があいまいに混じっているので、和英のときに一緒にまとめられてしまうのですね。


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