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国語のノートを、たくさん書く人は、何をそんなにたくさん書く事があるのでしょうか。
なぜ国語のノートを多く消費するのか、理由を教えて下さい。

A 回答 (2件)

 「国語」と指定していることを考えますと、質問者様はおそらく小学生それとも中学生でしょうか。


「国語科」の授業で扱うのは、少なくとも「文章の性質」だけではありません。一つのまとまった文章を理解するには様々な材料も必要で、それには語彙もあれば文法もあります。もっと詳しくみていけば、メタファ(暗喩)やレトリック(修辞法)の問題もあります。一部には「国語」を感覚の科目と言って憚らない方もいらっしゃいますが、実際の「国語」は数学にも匹敵するほどの論理性が求められる科目です。
 「なぜ~なのか」との設問ならば「~だから」で止める。それを導き出すには幾つかのステップを踏んでいく必要もあります。その手掛かりとなる要素にメタファもレトリックも関わってきます。
 授業ではそれらを扱いますが、それだけで話は終わりでもありません。「文章理解」と「作品解釈」は別物であり、一つの作品に対しては様々な解釈も成り立ち得ます。学校で扱う作品でも「これが正解」などは作品解釈にはありません。一応のガイドラインはあるもののそれ以外は認めないなどの偏狭な理解の仕方は、作品やその作者にとって最も不幸な事象ともいえます。
 ノートのとり方も人によって異なりますが、ノートの余白などにチョットしたコメントなどを書いてくれれば、僕は嬉しく感じます。
 またテクストに出てくる「言葉」であっても、文章の書き手によっては「内容」も様々に変化して使われています。同じ表現を小説で使っている場合と論説文で使っている場合には「質」が異なりもします。それは辞書に載っている言葉の意味とは少し違った部分ともいえます。辞書の言葉をそのままに使って意味が通る場合もあれば、意味不明な文章になってしまう場合も数多くあります。
 「辞書的な言葉の意味」と「その文章の中で使われている言葉の意味」の違いを明確にしていくことも、国語の単元では大切な部分です。となれば新しい単元に入った時、そこに使われている言葉の意味を理解するには、比較することもアリでしょう。それを書き出していく生徒と書き出さないで結論だけを欲しがる生徒では理解のレベルでも差が生じます。
 感覚的に漢文を読み下すことができても、その理由を説明できなければ理解しているとはいえません。ですから「ノートを採る」にしても必然的な差違も生じることになります。

この回答への補足

補足日時:2013/02/14 00:28
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この回答へのお礼

お礼日時:2013/02/14 00:35

ノートは何のために書くのですか?


ノートに書く内容は、それが重要だと思うことを書くわけで、
または、このことは忘れてはならないと思うことを書くわけだと思いますが。

数学のノートは、質問者さんはどう使っているのでしょうか?
問題を書いて、答を書けばいいですよね。
途中の式なんていらないですよね?
答を導くのに必要というのなら、それは答の導き方を忘れてはならないと思うからでしょう。
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この回答へのお礼

ずいぶん回りくどくて、分かりにくい書き方をなさる方ですね。
もし何か気の利いたことを書いたつもりでおられるのなら、あなたの回答は、ただ分かりにくいだけですよと申し上げておきましょう。

お礼日時:2013/02/13 23:04

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