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車懸りの陣・鶴翼の陣とか色々ありますが

あの陣形シリーズ中で一番最初にできた物は何で、発案者は誰なのでしょうか?

また、一番最初にできたいう事は、当時は他に○○の陣はない訳ですから

何に対してその陣形を必要としたのですか?

A 回答 (3件)

日本国内のものではなく、大陸からの輸入物です



孫子や孔明の戦術論に学んだものですね
確か「続日本記」あたりだったと思いますが、九地・八陣を学ばせに誰かを派遣したような記載があった覚えがあります
大体、西暦700年代の話です
九地は孫子の兵法で地形に応じた兵の配置方法論
八陣は孔明による陣形のバリエーションとその活用論

そもそも陣形とは、どれだけ効率よく敵と戦えるかって事を主眼に置いた兵隊の配置方法です
横一列に、ずら~っと並べるだけでも「横陣」という陣形になります
これでは敵が密集してると、端っこの兵隊は仕事しないわけだから効率悪い。
しかも陣が薄ければあっという間に突破分断されてしまう
じゃあ、三角形に並べてみよう、これは「魚鱗の陣」。
それに対して、相手が三角形にまとまってるなら、逆V字で取り囲んでしまえ、「鶴翼の陣」です

色々な陣形が発案されては、その弱点が研究されて対応する陣形を編み出し・・・
という歴史のようですが・・・

陣形を運用するには、練度の高い兵と指示伝達系統の確立が必要不可欠
日本の戦国時代のように、ほとんどが半農半兵の状態で運用が可能だったか?
最初に陣形を整えても、いざ戦闘が始まれば、そのまま乱戦に陥る、というのが実態であったようです
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その手の陣形は、ほとんど机上の創作です。


今日、平地で、無線などを使用しても、マス・ゲームには多大な訓練が必要です。

1,地形が複雑
2,無線、拡声器無し。
3,封建制度では訓練が困難。兵数すら、武士や村の自己申告による怪しいモノ。

車懸かりなど不可能です。そもそも、出典が正確な記録ではなくて、江戸の小説に近い甲陽軍鑑ですから。仮に可能だとしても、車懸かりは、戦闘中の部隊よりも、戦闘していない部隊の方が常に多い、という戦力の逐次投入そのものであり、愚策そのものです。

関ヶ原の戦いのように、
1,東軍の西への行軍の阻止のために、街道付近の小高い場所へ、各部隊が布陣した結果、鶴翼に近いモノになったり、
2,行軍隊形から、西軍の各部隊への対抗の位置への布陣が、結果的に、鋒矢に似たモノになったりした。
3,しかし、戦の勝敗は、最後は「裏切り」だけで決着した。陣形による効果は小さかった。
こんなもんです。実態は。
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僕も詳しくは無いですが



陣の言い方とか、発案は
古代中国からありますよ
ローマとかにも←これは関係ないか

車懸りは、上杉謙信
鶴翼は、日本では武田信玄が使ったとされますね

どっちも、実際使わなかった、発案は江戸期だ
・・などなど、めっちゃ某説が多いですけどね
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