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最近大日本帝国は自衛戦争だったという説明を多々受けて、やっとこ愛国心がわきました。
さて、日独伊三国同盟など結ぶ必要があったのですか?ドイツは特にユダヤ人虐殺に関与したということでそこで同名結んだせいで戦後の日本もだいぶ悪者に見られたと思いますけど。

A 回答 (6件)

日独伊の三国同盟は最初から三国ではない事を理解するとわかりやすいと思います


はじめは日独の防共協定これはわかりやすいと思います。

両国共にソ連とは地続きで近いですそしてその脅威を常に感じてました、
さらに言えば立地がソ連を挟んでいます
そういった事を考えると両国にとってこの防共協定は合理的です
協定を結べばソ連を挟み撃ちにできます
こうなるとソ連も安易に日独へ進行することができなくなります
なのでまず日独は同盟関係が結ばれました。

そしてイタリアなのですが
これに関してはイタリア側が英・仏との関係が絶望的となり
孤立化を防ぐには昔から昵懇のドイツを頼って日独の協定に入ってきました。

こういった時系列を考えると
元々三国同盟で何かをしようという意図があって結ばれた同盟ではなく
何となく最初はソ連を牽制するため(互いにソ連とは逆の方向へ進出するため背後を固めたかった)
に結んだ協定が何となく同盟に発展していったというのが真実なようです。
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当時の日本は、日中戦争の真っ只中でした。


その結果、英国とともに米国とも関係が悪化していきます。
そして、米国は蒋介石を支持するようになっていきました。
このままでは、米国が参戦してしまうと日本首脳陣は恐れました。
そこで、同じく米国を参戦させたくないであろう独・伊と同盟を結ぶことで米国を牽制できると思います。
というのも、当時の独軍は英仏に対して有利に戦況を進めていたからです。
なので、米国の参加はあり得ないと踏んだわけです。

一方、独・伊にしても米国の国力は脅威でした。
更に、英国本土の攻撃にも行き詰まりはじめていました。
そこで、標的を西から東に移しソ連侵攻を画策し始めます。
そこで、大陸の反対側である日本を引き込み、東西両面から挟み撃ちにすることでソ連戦を優位に運ぼうとしています。

以上、簡単に日本と独・伊、それぞれの思惑を簡素化してまとめてみました。
つまり、日本は米国との戦争回避のために、独・伊はソ連と戦争をするために手を結んだんです。

しかし、1941年12月8日に日米開戦をもって日本側の思惑は外れてしまいます。(もちろん、それ以前に開戦が避けられない状況へと悪化したのが原因です。その一因に三国同盟があるのは間違いないでしょう)
一方で、先立つ6月22日にソ連と戦争を始めた独・伊にしても、日本が逆っかわ(米国)を攻撃したため思惑が外れてしまいます。

三国同盟の失敗は、お互いの思惑が一致していなかったことによりますね。
ではでは、参考になれば幸いです。
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日本が自衛戦争というけれど、仮に北朝鮮が経済制裁を受けて戦争をおっぱじめるようなもので、あまり国際的には自衛戦争と認められていないのではないかしら。

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元々は


1936年の日独防共協定が発展したのが日独伊三国同盟

日本軍の主力は陸軍であり、最大の仮想敵はロシアそしてソ連です。
また、ドイツはイギリスに対してはフランス降伏後は講和を模索しましたが、ソ連に対しては模索していません。我が闘争において述べているのは、東方における生存圏の確保=ソ連を潰すです。

日独の仮想敵はソ連です。

なので、独ソ不可侵条約が結ばれただけで平沼内閣は総辞職しています。
発想の転換で日独伊ソ四カ国同盟を結ぼうとしたら、独ソが開戦しちゃったので、ありゃりゃというので、対ソ開戦しようと近衛などは主張したが、「ソ連は負けるから、この際、南方に行こうや」ということで南(仏印)に進んだら、アメリカが「なに 考えているんだよ」というので、日米開戦となる。この時も、南に進んでも、イギリスだけが相手で、それなら勝てそうだなぁと思ったら、思いの外アメリカが怒ってしまった。

要は、国家戦略がぶれまくりの一幕であります。
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貴方の愛国心というのは、随分とお手軽なのね



人に教えて貰うと湧き出すんだ・・・・
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敵の敵は味方ってことですよ。


敵とは英米の事です。
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