街中で見かけて「グッときた人」の思い出

 日本語を勉強中の中国人です。現代中国に良心というものがとても足りないと感じております。なぜこうなっているのか考えてみました。外国なら宗教というものがあって、悪いことをしたら、神様からばちがあたると思われるので、それを怖がり、悪事をする勇気がありません。でも、中国は無神論を進めているので、悪いことをしたら、ばちがあたるなんて考えないので、堂々と悪事をすることになりました。皆様はどのように考えていらっしゃるのでしょうか。宗教は良心にとって必要なものなのでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (22件中11~20件)

”中国は無神論を進めているので、悪いことをしたら、ばちがあたるなんて考えないので、


 堂々と悪事をすることになりました”
     ↑
1,中国では道徳教育が盛んだと思いますが、道徳教育で
  良心を育てるのは難しいのです。
  上っ面をなでるだけに終わってしまいます。
  しかし、宗教を使うと、これが内部にまで浸透できるのです。
  
  新渡戸稲造の「武士道」にあります。
「日本では、宗教教育をしていないと聞きましたが本当ですか?」
「本当です」
「おお! それでどうやって子供達に道徳を教えることができる
 のでしょうか?」
「我が国には武士道があります」

2,中国人の宗教ですが、一応下のようになっています。
   道教など国民土着  30%
無し        39
仏教        10
キリスト教     12
   他          9

しかし、これは表面だけで、中国人の根底にある
宗教観は道教だと思います。

3,人間には聖なる面と俗なる面があります。
宗教は聖なる面を刺激し、俗なる面を抑制する
機能を持っています。
これが良心を発生させます。
ところが、道教は、富貴、長寿、一族繁栄が目的の宗教です。
これでは、聖なる面を刺激できません。
俗なる面を刺激するだけです。
それで猿騰という社会学者は、中国には
よい宗教がない、と言っています。
宗教が無い訳ではないと思います。

4,尚、日本にも宗教はあります。
文科省の調査によると、神道が1億1千万人で
仏教が9千万人です。
日本の人口よりも多くなります。
神道は、道教と同じく多神教ですので、こういうことが
可能になるのです。
日本人の根底にある宗教観は、この神道だと言われています。
この神道のお陰も一因となって日本は犯罪が少ないのです。

魏志倭人伝にあります。
「倭人は盗まず」

”宗教は良心にとって必要なものなのでしょうか。”
    ↑
良心の醸成には効果的ですが、必須という訳でも
ないでしょう。
特に、現代は宗教の力が弱くなっています。
フーコーのいうパノプティコンの威力も弱まって
います。
現代人にマッチした良心育成技術が望まれるところです。
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>>宗教は良心にとって必要なものなのでしょうか。



回答された方には、「日本人に宗教心が無い」と考えている方が多いようですが、宗教(仏教)の根底にある価値観を共有していて、意識していない方が多いだけであり、日本は、中国と比較すれば、ほとんどの方は宗教心を持っているといえると思っています。

そして、宗教無くして、良心を考えることはできません。

人間は、何をするか、してはいけないか?を考えるとき、そこには価値観・判断基準があります。無神論・無宗教だといわれる方であっても、道徳や法律には従って生きています。
そして、それらの道徳・法律の根底にあるものは宗教なんです。
「神」が「あれはしていい」「これはやってはいけない」という根本基準を示し、それを人間が細分化して道徳や法律にしてきました。ただし、その過程において、人間心による、すり替えや隠匿、経済的・政治的な考えが混入することにより、本来の神の御意志とは180度違った教えを持った宗教・宗派が生まれてきたのも事実だと思います。

そういう経緯があるとはいえ、宗教は、「人間は神の創造物」「あの世があり、魂は永遠の生命を持つ」「転生輪廻を通しての因果応報の法則が存在する」など、「証明不可能」なことを信じることが根本にあります。

そして、これが「良心」は神が人間に与えたものであるという考え方に通じてゆきます。決して人間が「良心」を作ったとは考えません。もし人が作ったなら、すべての人間の共通基準になる「良心」なんて出来るわけありませんからね。
とはいえ、そのダイヤモンドともいえる「良心」が煤けて石炭のようになっている方がいるのも、事実でしょう・・・。


なお、中国人に宗教心が無い、良心が無いと思う人が多いのは、彼ら中国人には「食人」の習慣が昔からあることが原因だと個人的には思っています。
つまり、世界的な宗教では、どれも「殺すなかれ」が宗教の教えに入っています。もちろん、非常時だとか聖戦だとかいう理由で殺人を許容することもあるでしょうけど、平常時には、「殺すなかれ」が行動規範になっているといえるでしょう。
でも、中国は、同じ人間を食料として考えてきました。「若い女性の肉をいかに調理するか」という調理法が一般的知識として存在する国です。人間も牛や豚・鶏と同じ扱いなんですね。

こういう国には、宗教の教えは入りずらいと思います。
中国に宗教が乏しいのは、共産主義国だからというよりも、こちらのほうが大きな理由ではないか?と考えています。
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 日本に宗教はありませんよ。

アメリカやヨーロッパでも同じ。中国もそうなろうとしているんですね。
 宗教と良心は別物です。
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こんばんは。




>「中国は無神論を進めているので、悪いことをしたら、ばちがあたるなんて考えないので、堂々と悪事をすることになりました」

むかし、日本(人)も似たような事を


・・・「赤ん坊を抱えた女性をレイプして連行して、・・・泣き止まない赤ん坊を谷底に放り投げたら、その女性が後を追って身を投げた」とか。
「「万歳」と言って、そんなのを送り出した日本女性(たち)」も含めて「なんたることか」と思いますね。
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まず最初に、質問者様の文章は全くきれいな日本語だと思います。

不自然さは、ありません。丁寧な表現で、素晴らしいです。

本題ですが、ご質問の趣旨は「中国は、国の政策で無神論を広めようとしている。その結果、<神などいないのだから、悪事も含めて何をしてもばちがあたるなどはあり得ない。だから極端に言えば、つかまらなければ、やったほうが得だ。>と考える人が多い。そんな考えと宗教はどう関係するのか?」ということかなと理解しました。

奥の深い質問だと思います。宗教については、あまり詳しい知識はないのですが、日本では古くから神道がありました。その後、中国等から仏教が渡来しました。仏教では、<死後の世界があり、この世は修行のために生まれてきてしばらく過ごす仮の世界にすぎない。死後あちらへ帰った時に、この世での生き方に応じて、魂にふさわしい霊界へ戻る。」と説明しています。因果応報(この世での行い、思想が自分に様々な形で返ってくる)、輪廻転生(修行のために、魂はこの世と霊界を行ったり来たりを繰り返す)が仏教の根本理念かと考えています。

中国では、昔は仏教や儒教が中心だったのでしょうか。儒教も、親への忠や孝行を説いたと思いますが、仏教も本来、始祖の仏陀は、他者への愛、思いやりを一番大事だと言っているようです。その後、時代と共に解釈が変わってきたり、正直、金儲け中心の本来の教えを知らないような坊さんもいるのは、残念ですが事実です。

長くなりましたが私の考えでは、人類は不完全なもので、またこの世に生まれてくる人の魂のレベルもかなり差がある(だから平気で金のために殺人できる人もいれば、世の中のために無償で働く人もいる)。神(仏)的なものはやはり存在していて、常に一人一人の行動をじっと見ている気がします。まさしく、あなたのおっしゃる「宗教があり、悪いことしたら神からばちがあたる。」は本当のことだと思ってます。

必要がなければ、太古の昔から延々と続く宗教はとっくになくなっているでしょう。今は、科学万能みたいになってますが、そのため、地球レベルで環境汚染や経済(金儲け)最優先となり、めちゃくちゃです。中国について言えば、共産主義のもともとの考えは、資本主義よりはるかに素晴らしいと思ってます。資本主義は、一部の金持ちの資本家が労働者をこき使って儲けるのが基本ですが、共産主義の理念は、みなが平等にスタートしようですから。ただ、そこから無神論に行くのは問題あるかもしれませんが。

結論ですが、無神論者でもそれとは関係なく、良心をもち行動する人ももちろんいるでしょう。しかし、人は弱いもので、そうだとえてして自分勝手に生きるようになりがちです。神(仏)の存在を信じる意味での宗教が延々と続いてることを考えれば、必要ということかなと思います。
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宗教は良心に基づく行動を助ける意味は有るかもしれませんが必要かどうかとなるとそれぞれの方々の育った環境によって違ってくるとおもいます。



自分の考える日本の宗教:
ごぞんじの様に日本は古代から自然災害(台風、地震、旱魃、大雨など)の多い国です。古代の人々は人知を超えた現象を 「神様」 「八百万の神」(やおろずのかみ:木や草、机などにも神様が宿るという考えで物を大事にしなさいと教えた)として恐れ祭ると同時に助け合いました。

その様な宗教観風土の為、仏教やキリスト教も当初の問題はありましたが割りにすんなりと受け入れられました。(やおろずの神の一つとの考えと思います。) その証拠に日本人が海外旅行するときは その国にある神様に平気でおまいりします。キリスト像、イスラム経寺院、ヒンズー経など。
日本人は根本的に一神教ではなく多神教ですね。

中国の方々には靖国神社のお参りを理解して頂きたい点は多々有ります、そこに祭られている人々の多くは良心とかいうものではなく 国のため という一つの価値観の為になくなった方々です。でも理解は難しいかも知れないですね。その価値観が「良心」 だったのかもしれません。

その様に宗教は政治的に利用された時期もありました。ヨーロッパではイスラム教徒キリスト教(十字軍)の名の下で沢山の殺戮があったそうです。

良心に宗教が必要かというということに関して、それは必ずしも宗教でなくてもいいと思います。
中国の孔孟思想など宗教の発生した同じ頃の思想にかなりいい物があるとおもいます、 
それよりも一番大事なことは日頃の生活で他人から優しくされると自然と良心は生まれてくると思います。 それで自分の他人にやさしくなれる それが良心で宗教で宗教なのかもしれません
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日本には良心がある・・・これはとんでもない幻想です。


東日本震災では日本人は凄いなんて言われていましたが、ただ呆然としていただけ。
口先では頑張れとか言っていても自分を犠牲にする気なし。食べ物は外国から買えばいいといって買わない。
ゴミなどは放射能が怖いといって受け入れ反対。ところが計ってみたら自分達の土地の方が高かったり。
阻害しておいて、原発ががなきゃと言い放つ。でも後数年で使用済み燃料は満杯。でも処理や廃棄は地方に押し付ける。せいぜい札束で頬をたたいて納得させる。
街中でも親は殺す、子は殺す。面白くなきゃ刃物を振り回す。

これは宗教とは無関係です。
というか、昔の宗教は道徳を取り込んでいました。宗教が道徳を説いているのではなく、例えば仏教に儒教思想があるわけではなく、儒教思想を仏教が取り込んできたのです。

ところが共産主義ではこれらを弾圧した。
日本でも戦後、道徳は軍国主義だと共産主義者が反対したのです。その結果教育から道徳が消えた。
この子、その孫が今の世代なんです。
日本でマナーとか常識などと言っているのはエゴの多数決でしかない。だから道理などない。あるのは屁理屈だけ。大切な道徳がないから乱れるんです。

中国も全人民が不道徳なのではありません。多くは教育を受けていない民族です。
マトモな道徳教育を受けていない連中を国などが扇動しているんです。
マトモな道徳教育を受けていないのは日本も同じ。日本には中国のような文化が断絶している地域がないので遅れているだけで、いずれ同じ事になるかもしれません。

韓国は自称儒教の国ですけど、実際には既に廃れています。意識だけが儒教儒教と叫んでいるから道徳がなくなっている。
日本も「日本は大丈夫」などと幻想に浸っているといずれ同じ轍を踏む事になります。
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宗教を言い訳に数えきれない人が殺されてきたし、今でも多くの人が殺され、迫害されている。


だから、宗教が良心にとって必要だとは思わない。

良心を育む為に何が必要かと言われたら困る。家族の絆かな。
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>宗教は良心にとって必要なものなのでしょうか



宗教に関して言えば、日本ではほとんど実践されていないと思います。仏教や神道はいわゆる形骸化しお葬式と結婚式にその様式のみが残っているように見えます。他の国のことは判然としませんが、イスラム圏の国の全てと言うわけではございませんが、テロが容認されているばかりか、国家がテロリスト国家になっているように見える時があります。そのうな国家の国民はテロをすることが悪いこととは考えにくくなります。

そのような現状をみるにつけ、国民にモラルが欠如するのは実は国家を動かす政府にすでにモラルが組み込まれていないので国民もモラルを尊重しないのだと思わされます。むかしある国のの政治家が日本の組織から腕時計をもらったことが分かって大臣の席から追われたということがありました。つまり国家の法律なり、組織なりにモラルが組み込まれていれば、国民はモラルを学ぶのではないでしょうか。同じ様に国の法律や組織の中に良心が組み込まれていれば、国民も良心を肯定し、おのずと良心的な行動をとるのではないかと思います。

上の私の考えが正しければ、中国の国家組織、政府、法律の中に良心が強力には組み込まれていないということになります。しかし淡雪さんのように中国の現状を憂えるということは、政府がどうであれ、環境がどうであれ、人には良心が組み込まれているということをも示していると思います。

つまり外的な要因としての宗教や政府が良心を肯定し、制度や法律、およびその運営方法が個人の良心に照らして矛盾のないものであれば、その国民は内にある良心の呼び声と共に良い行いや考え方を選択すると思います。しかし国家が強大な力で人々の言論や人権を抑圧する環境では個人はその良心を発揮する場所を失います。

中国政府の少数民族に対する弾圧や他国の主権を無視しようとするとき、実際は自国民の人権や主権を無視し、弾圧しているということにきずかされます。中国が他の国の人々に対して公平になるとき、自国民に対しても公平になるように思います。同様に他の国民、国家に対して良心的になるとき、中国政府は中国国民に対しても良心的になるように思います。

最後にその宗教が良心を肯定するその度合いにもよりますが、宗教は個人の弱い良心、国家が封じ込めようとするとすぐに萎えてしまう弱い良心を強めてくれるものであるということは間違いないと思います。

しかし宗教は極めて巧妙に形式化され、本質は失われてゆきますので、淡雪さんのご質問が中国を良心的な国に変えたいということの心の現れであれば、お勧めしたいのは政府の法律や、制度に良心を組み込んでゆくように働きかけるのが最短の道と思います。そのためには勇気が必要ですが、日本国民には戦前その勇気が無かったので、やすやすと政府の悪い判断に飲み込まれて第2次世界大戦へと突き進んでしまい、アジアの多くの国、特に中国には多大な人的な損害とあまりにも大きな悲しみを与えてしまったのではないかと思います。

淡雪さんの日本語にはいつも敬服しております。
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封建主義にも資本主義にもそれなりの倫理というものがあります。

もちろん万能ではありませんでしたし、いろいろな問題を含んでいたわけですが、例えば封建主義的な忠孝を最大の利徳とするのは孔子の教えですし、法律に基づいた契約を守るというのは資本主義の基本です。宗教とかバチとかはあまり関係ないように思います。

こういっては何ですが、中国人民を主導しているはずの共産党幹部が違法に私財を蓄えているということがあるのでしたら、バチとか言う前に、革命による打倒の対象となると思います。
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