最速怪談選手権

会話が苦手な男です。
もう30代ですが、未だに会話の何が楽しいのかさっぱりわかりません。

人に聞いてもらいたい事もないし。
下手に喋っていつボロが出るかわからないし。
「お前の喋りは皮肉っぽくて、いちいち癪に障る」と言われてから、必要以上の事は喋らないようにしました。

人の話にも特に興味はないし、いきなり喋りかけられても「へぇー…」「そう…」「ふーん…」みたいな反応しか出来ません。

他人と何を話していいかわかりません。

会話って楽しいですか?楽しいと思えるようになる為には、どうしたらいいのでしょうか?

A 回答 (8件)

>「お前の喋りは皮肉っぽくて、いちいち癪に障る」



本当に皮肉になっていたのか、たまたま聞き手側が何でも皮肉に受け取ってしまうタイプの人だったのか解りませんが、どちらとも取れるような言い方だと誤解されてしまうことが多いと思います。
特に話し相手がプライドの高い人だと、イエス、ノーのハッキリした話し方じゃないと、変に勘ぐられておかしな展開になってしまうことが多いですかね。
出来ないことを無理に出来ると言ってしまったり、嫌々合わせたりするよりも、「嫌なら嫌、出来ないなら出来ない」とハッキリ言った方が良いようです。

説明口調になっていたり、誰かと比較した上で「それに比べて、あなたは…」もしくは「私は…」というのも、展開としては避けたいですね。
相手を貶めるような表現も、逆に自分を貶めるような表現も、嫌味に聞こえてしまうものなので、ネガティブな話はあまりしない方が良いです。


>人に聞いてもらいたい事もないし。
下手に喋っていつボロが出るかわからないし。
>人の話にも特に興味はないし、いきなり喋りかけられても「へぇー…」「そう…」「ふーん…」みたいな反応しか出来ません。

これは自分の本性をさらけ出すのも相手の本性を知ってしまうのも嫌、傷つくのも傷つけられるのも嫌、ということだと思います。
誰でも最初はそんなものだと思います。
いきなり相手の懐に飛び込んで、バッサリ傷つけられるのは御免だ、それが通常の感覚だと思います。…そう考えると人って大差ないんだ、みんな同じなんだと思えて来ませんか。

わざわざ打たれに行く必要はないけれど、それでも、少しは打たれ強くなった方が良いのかな。傍から見たら悪口を言い合っているように見えても友達同士、軽口を叩くように笑い合っている人っています。そこには喧嘩するほど仲が良いに通じるものがあって、本当に喧嘩しているのでも本気で嫌っているのでもなく、信頼し合っているからこそ、あそこまで何でも言い合えるんだなと、真似は出来ませんが感心します。
そういう感じで笑い合っている人だと、人の話を何かにつけて嫌味に受け取ったりせずに、いつも笑い飛ばしています。そういう豪快さとタフさがあると「傷ついた、傷つけたと、くよくよしなくて済む」んだなと思います。

人を傷つけたり迷惑を掛けてしまった場合ですが、謝罪は長ければ長いほど丁寧ならばより丁寧な方が良い、そんなことは決してありません。
あまりにも何度も何度も謝られると逆に責められているようで辛くなるので、私は何度も謝られるよりも「あのときはごめんなさい!今後気をつけるから許してね」と短くキッパリと謝罪される方が良いですね。
何度も謝罪されるよりも、過ぎたことを何度も穿り返されるよりも、その後の態度で示して貰った方が気持ちが良いです。


>他人と何を話していいかわかりません。

これも結構話題になります。
「この集まり、私 初めて参加するんですが、周り中知らない人だらけで緊張して、何を話したら良いのか困っちゃうんですよね」って。
緊張しまくっているのなら、無理に話すこともないですけれど、「あっ、私、浮いてるな…」と思ってふと周りを見ると、同じように浮いてる人っているものです。
そうすると、「何だ私だけじゃなかったんだ…」と急に肩の力が抜けて、そうすると「まあ、こんなものかな?」と結構話せるものです。
「自分だけがみんなと違う。私だけが偏屈だ」なんて思うと何も話せなくなってしまいますから、上手に話せなくても良いので、取り敢えず身構えるのを止めるところから始めてはどうでしょう。

あと、趣味はあった方が良いですよね。
「芸は身を助く」と言いますが、エジプト考古学者の吉村作治さんが正にそれだと思います。
小学生の頃はいじめられっ子で、休み時間はいじめっ子から逃れるために図書室に逃げ込んで、そこで出会ったのがツタンカーメンについて書かれた本。本の面白さに魅了されて図書室通いをするうちに、エジプト考古学に詳しくなったので、いじめっ子にいじめられることもなくなって行き、この一冊の本との出会いが吉村教授を考古学者へと導いたのだそうです。

打ち込める趣味があれば孤独に苛まれることもないですし、趣味を介して交流の輪が広がることもありますから、何か関心があることを一つ続けるのも良いですよ。
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ぼくも雑談が好きではなくてですね。



まったく興味をそそられません。

でも、哲学的なこと、将来のでっかい夢を語り合うのは、
大好きです。

ぼくと話が合う人は、極めて少ない。

でも、それでいいと思っています。

あなたも、会話が嫌いなんじゃなくて、
興味のもてない話題しか、ないだけでは?

だとしたら、単なる友だち選びのミスです。

つまらん話をムリして、聞く必要はありません。
気の合う話ができる人と関わればいい。

そういう友人がいなければ、本でも読んで、
偉大な成功者と対話すればいいのです。
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ここに書き込みをして、返事がある、そういったことも会話のひとつだと私は思います。


インターネットやらケータイがこれ程普及したのも、みんな会話が楽しいからではないか、それをしたいからそれらをするようになったのでは?と私は考えています。
私は十年以上前からネットにホームページやブログを作ってきましたが、ぜんぜん反応がないので、今は半分休止してメールやら、特にここに来て書き込みをすることが多くなっています。ここは反応があります。やはりそういった「会話」が楽しいからだと今は思っています。
もちろんネットに関わるよりも、生の人間と話を交わすほうが私も楽しいです。

何で楽しいのでしょうかね。反応がまったくないよりもあるほうが楽しいです。
なぜでしょうか。
やはり情報交換でしょうか。
私の思うことややっていることを多くの人に聞いてもらいたいし、他人のしていることも興味があるし。

>人に聞いてもらいたい事もないし。
そうなんですか。
たいていのひとは聞いて欲しいのです。聞くだけでも会話は成り立ちます。言う人も悦びます。悦んでいるのを感じたら、私もそれなりに楽しいものです。

>下手に喋っていつボロが出るかわからないし。
ぼろが出ても悪くはないと思います。自分のありのままが知れたら親しみが増して更に会話が進むかもしれません。ま、あいてを怒らせるのは良くないですが、うまく続けるこつはやっぱり相手を認めることです。自分を押さえて相手をたてることでしょう

>人の話にも特に興味はないし、
たしかに、そういった人間も居るとは思いますが、話しあっていれば意外な面があったりします。まあ、私を含めて、話しかける動機は大抵自分の自慢話です。ちょっと我慢して楽しそうな顔をして聞いてあげれば満足しますし、たまにはこちらの自慢も聞いてくれます。

>他人と何を話していいかわかりません。
最初は聞くだけでもいいと思います。貴方も3十数年生きてきたのですから、話すことは一人前にあるはずです。職場の仲間の間では仕事の話しかしない人間もいましたが、その中でも楽しい会話はあるものです。

自分の世界を持っておられると思います。そういった世界が他人にすぐ理解されるようになるとは思いません。ゆくゆくは私も会話の中にそういう内容を混ぜて話ができれば、更に会話は楽しくなるだろうと思っています。
人間はお互いに共通のものを一杯持っているものです。そういう情報を独り占めにせず、、交換し合って社会が成り立っているのだろうと思います。人生楽しくやっていくにはやはり人間同士の交流が不可欠だろうと私は思っています。

ご参考になれば。
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言葉は言う人によって意味が違うところがある。

言葉を喋る人は、今までそんな環境で育ってきているので、その言葉の意味するところのことが自分の捉え方と違うようになっている。そのへん考えて相手の言う言葉に重みを感じたり、軽く感じたり自由に物事を解釈していけば少しずつ楽しみを感じることができるようになるんじゃないかな。「愛蔵版 心の休ませ方」(PHP研究所)500円 を読まれてはどうでしょうか。
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 もともと苦手だったけど、まぁ良く話すようになったわ。



 皮肉っぽいと言われるのは、基本的に自分の主張だけを言っている。また、批判したりする言葉を言っている。つまりマイナスの言葉を出しています。プラスの言葉。褒める言葉などだと相手も怒りません。批判したいときもありますが、アドバイス。こうすればもっと良くなったと思うから、機会があればやってみてと相手に押しつけない形で。言葉の選び方を工夫すれば結構会話は楽しいです。
 自分の知らない事とかだと「なるほど、そうか」と相手の意見に同意したりも必要です。

 相づちも大切だから。そういえば、NHKの番組だったかな、面白いロボットがあったよ。相づちを上手にうつロボットで、適当に言われて居るのと、相手の言葉の句切りを理解して入れると、会話が続くという事を試していました。

 会話はあるいみ情報交換ですから、今日こんな事があったよ。テレビでね、ラジオでね、ネットでね、あそこでね、と情報源は多いほど会話の情報が増えてきます。
 それと、興味を持つことですね。これが絶対的条件です。自分に取って有益じゃないと思うのではなく、無益と思える会話から、探すのです。その会話の内容から、その人や状況を推理していくのです。
 そうすると話しの内容が具体性を帯びてきて、楽しくなってきます。分からないのなら、どうして?、それから?って話しを膨らませるように尋ねていきます。

 昨今、コミニュケーションを高めるための会話などの本も出ているようです。そこにいろんヒントがありますよ。

 お笑い芸人のように、色んな所に観察力を持ってみよう。話のネタは転がっている。

 おもしろい物を見つけたときには話しを膨らませていく。ピンクの服を着たいとが居る。おねぇかな。いや、ピンク星人で、ピンクチラシをくばっている。 とか、意味不明でも良いと思いますよ。最後にオチがあればベストかなぁ。


 私は妻と子供と楽しく会話しています。会話のネタは結構あるよ。テレビを見ていてもツッコミ入れたりして、そこからというのもあるし。 新聞で競馬の馬の名前を見てみよう。「馬らしい名前」などの条件がありますが、「ロバノパンヤ」という何でロバや!とか楽しみもありますから。
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質問者さんがそれをしたいかどうかではないでしょうか。


したいのにできないなら、頑張る必要もあるでしょうが、別にしたくないのなら、他人が何といおうが、自分の人生。誰に強制されるいわれもないはずです。
会話って楽しい? 私は楽しくない。でも誰にも迷惑かけてない。何か悪い? と開きなおるのがむしろ健全な反応であるし、世間の多くの人は、そういった開き直りのもとに生きてるように思います。
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話に興味がないんじゃなくて、他人に興味がないんでしょ?

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私は一人で孤独なのがすごく苦手です。



常に誰かと喋っていたいですね。

自分がとても喋ることが好きなので、誰かがいれば常に何か喋っています。

私も喋っていて、間違いや言い方を誤って相手に傷つけてしまったこともあります。

ですが、最近はあまり相手に傷をつけるような事はなくなりました。
(もし言ってしまったら普通に誤れば済むことです。)

会話が全部が楽しいわけじゃないのですが、いい事もあり悪いこともあります。

会話が苦手なら身近な人と話す事をしてみてはどうでしょうか?

たとえば、親や兄弟などはどうですか?

喋っていてボロというのが何かは分かりませんが、どんなことでしょうか?

物や人物を間違えたりということでしょうか?

それとも、自分に何か嘘をついていて、それを言ってしまうとか?
(好きでもない趣味を好きと言って、実は好きでも何でもない?)

私は物や人物などはかなり間違えますよ。
(軽く笑われてネタにしますけど(笑))

嘘も差し障りのないことなども言います。
(その時は、ごめんそれ嘘だった(笑)

などと言って、言ったりしますけど。
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