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皆さんは、生きる上での美学をお持ちでしょうか。多かれ少なかれ、あるのではないかと思います。よろしければ、その美学を教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

 私のモットーは、「満足な豚でよい」と開き直ることですね。

とある思想家は「満足な豚より、不満足な人間でありたい」などと言いました。それは自分にも他人にも厳しく接し、周囲が敵ばかりで不幸なことになっても、誇りを持って生きていたいという高潔な精神の表明らしいです。しかしこういう意見に反し、私は満足とは結構、高度な感情だと思います。

 例えば筆記用具が私は好きなのですが、凝り始めるとキリが無いです。何本買っても、究極の一本がなくて、心に空洞が空いている。それよりはある一定のところで満足しなければなりません。同じようなもので、本を買っても、服を買っても、何をやっても、満足とは一つのポイントになります。

 また意見を戦わせる時も同じです。このカテによくありますが、自分に甘く、他人に厳しい人が多いでしょう。意味不明な質問を出しているくせに、「最善の回答なし」という意味で、ベストアンサーなしで締め切りにしちゃう人もいる。他人の出したプランに満足してあげるというのも、これはこれで高度な心の働きだと思います。

 さらに言えば、他人の出したプランに全く満足できないというのなら、部下に任せて仕事をするなんてことも、できないことになるでしょう。満足とは社会生活を営む上でも、大切なことなのです。満足しないで生活できる商売って、実はものすごく限られているんです。でもそのことが分かっていない人が、世間には多すぎる。

 しかしこれが我慢とか忍耐ではなく、満足でなければならないんですよね。そこが難しい。若い人はよく、満足している顔って醜いなどと言うけれど、醜くても平気の平左の神経を持つことが大切だと思うんですよね。同じ醜い顔であるのなら、怒っている不満な形相よりも、だらしなく笑っている顔の方が、まだマシです。怒っているのはカッコいいとドストエフスキーは物語の主人公に言わせていますが、ばかじゃねえの、と一蹴するべきなんでしょう。

 まあ私は、根が我が儘な人間なもので、このようなことを考えております。
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この回答へのお礼

いや、なかなか素敵なご回答でした。満足な豚、おっしゃるように、我々の満足とは豚と比べるにはあまりにも高度でしょう。へつらいにも理由があったり、計算があったり、豚の様に恐怖と食欲で縛られる存在ではいられない。見せかける美学というものかもしれませんね。ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 17:53

 「美学を持たない事が、自分の美学」・・・なんてね(^^)。



 石原新太郎(もと)都知事がいますが、任期の途中で都政(渡世?)を投げ出し、国政選挙に打って出た事について、「それは老醜だ」とか、「そんなにしてまで権力が欲しいのか?」とか、このカテでもけっこうありましたが、自分は思います。

  ・あの人は、いつまで経っても綺麗に枯れない事が、その美学.

なのだろうな・・・と。

 それはそれで良い。その美学に従ってとことんやってくれれば、政策は抜きにして、心情的には応援するかも知れない。爺さん頑張れ!、と。・・・俺も、いい歳だから(^^;)。
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この回答へのお礼

いいですね、美学に酔わない。
奥深いです。
たくさんの方に回答もらえて嬉しかったですし、大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/27 23:42

こんにちは。


私は、他人(ひと)の真似はしないというのが、子供の頃からの
生き方の基本です。
とくに遊びとかは、流行りものに背を向ける傾向が強いので
自分で考えて、面白いか面白くないか。遊びに遊ばれる人間には
ならないように、少し冷めつつ、面白いことを探すのが好きです。

あとは、カッコ悪いこととか、1番の人も答えていましたが
みっともないことはしたくない、できるだけしないよう心がけています。

それから子供がいますので、子供を育てる時に、嘘だけはつかないよう、
あとは自分の好きに責任の範囲でやれることをやってご覧と育てました。
まだ成長途中のハイティーンもいますが、考えは持っていると思います。

嘘をつきそうだったら、笑った方が良い。そんな考えかたでしょうか。
皆様の、明答には比肩できませんが、単純な方が楽かと思います。

この回答への補足

締め→しめ

補足日時:2013/05/29 02:21
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この回答へのお礼

シンプルでとてもいいと思います。
スッキリとした回答で混乱も無いあたり、良いなあと思います。
私はどちらかと言うと複雑でこんがらがりやすい思考回路ですので、回答者さんの示してくださったようなことは、とてもありがたいです。
何事も締めが肝心と思います。子育て、最後まで頑張ってください。なんて、若輩の私がいうことではありませんね^^;
ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/27 19:48

僕の場合だと「整理整頓」です。

ある程度「整理」されていないと、居心地悪く感じます。
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この回答へのお礼

身の廻りが整理整頓されていると気持ちのいいものですよね。頭も心も、同じ様に整理整頓されればいいのですが、うまく行きませんね、なかなか。

お礼日時:2013/05/26 14:40

とりあえず‘「人間性を否定することは良くない」というくらいのことを基本に据えた上で自由に生きる‘というのが美学というか自分の人生のこだわりです。

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この回答へのお礼

自由。いいですね。何処までも広がりそうな、いい響きです。

お礼日時:2013/05/25 17:46

17歳です。

正直、あまり無いです(>_<)
幼い頃はカッコイイ大人になりたくて
勉強も恋愛も夢に溢れて常に
生きることは向上心と自分の中で美だったけど

今は全て投げ出さないことが美学です。
一つ駄目でも、これは捨てないとか。

常に美学は変わってるけど
私の中で精一杯生きてるだけで美学です。
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この回答へのお礼

精一杯生きること、素晴らしいと思います。すべて投げ出さない、これも素敵です。回答者さんはお若いですが、教えられることがたくさんあります。多くの壁やら穴やらに遭遇し、人生に滅入っていた最近の私ですが、回答を読んで、元気がでてきました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 18:02

逃げない事、ぶれない事、負けない事、いさぎよくにつきる。

負けないっていうとなんか争いや競争に勝つ感じだけどちがうの。納得がいかなければとことん闘うって感じ。それが僕の生きる上での美学。つい3月辺りまでは人間が大嫌いだった。なんて醜い生き物だと…同じ民族で殺しあい奪いあい、更に為政者が自国民に銃を向ける、母親は平気で自分の子供を殺す。もし宇宙に人類意外に生物がいたら恥ずかしい、こんな生き物滅べばいいと本気で思ってた。でも僕の考え方は間違っていた、皆怖いんだ。放射能の脅威、将来の不安、たくさんの不安と脅威に圧倒されて目の前しか見えないんだって…だから今は世界の平和のためになる事をしようと本気で思っています。2001年9月11日のようなひどい事が起きないように出来る事をやってます。みんなも頑張ろう~
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この回答へのお礼

潔く。深い言葉です。一種の覚悟ではないかと思います。私たちは、思うようにままならないこの世界で生きてゆかなければならない。しかも、明るく、できるなら微笑んで。私は現代日本の平和を享受しているロマンチストですから、そんな風に思えますが、先の冬、次の様な夢を見ました。それは、私が、命乞いを迫られる様な緊迫した状況にある夢でした。私は夢の中で、脆くも、命乞いをしてしまうのですが、その時に、自分自身の正体を見た様な気がしました。侍でも大人でも、ましてや聖者でもなく、ただの弱者であることを、理解した、そんな夢でした。
人類の直面する難しい問題の前で、覚悟のない私は口を挟めない、その様にも思いましたが、ご回答にある様な、潔さ、というささやかな一個人の覚悟を持つことができたなら、少しは人間らしく振る舞えるのかもしれないと、思えました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 18:13

「生き方の美学」という場合の、前提となる“自分”とは、


肉体的な自己の事でしょうか?
僕の場合は、この宇宙そのものが自分の脳の中の現象だ、
という考えですから、肉体的な自己を美しくするというのは、
世界は目から見えるからといって、目ばかりを洗っている
ようなものです。

“自分”が肉体的なものならば、生きる目的は物質的豊かさ
の追求となりますが、宇宙(=心)そのものが自己ならば、その
生きる目的は、精神的な豊かさ(認識の深まりと他我的な愛
による精神的充足量の最大化)になります。
即物的な豊かさの追求=病気になるほどの飽食や一生触る
事もないほどの物資、使う時間もなく通帳の数字に過ぎない
財産など、虚構の豊かさの中で、それを守り、増やすために、
(本来、助け合っている社会の中で)競い、奪い続ける‥‥
そんな事で、人生を通算した「精神的充足量の最大化」が
図れる訳もありません。
「自己(肉体)と宇宙(心)の合一」において、この世界を良く
する事が、(その感受において)自己の精神を最良に充たす
事なのです。

「無=不確定的無限の潜在としての認識可能性(感受表面
=量子相互作用=現在=光速)からの、自我仮説性(時間の
流れ=経験=過去=超光速)と時空仮説性(空間の広がり=
予測=未来=光速下)の相補分化」という考えにおいて、
宇宙とは自我成立のための相補=自己の必要であり、
そうした環境性と“ぶつかる”のは、不完全な自覚(自己
チューな意識)による自己矛盾に過ぎないのです。
先述のように、自己存在の必然と自らの意志を合一する時、
その他への愛と信頼において、無限の宇宙、永遠の未来に
おいて、自らの意志は果たされる事が予め信じられ、有限な
肉体と寿命において、無限の充足が可能になるのです。
(ただし真の「愛と信頼」の限りにおいて)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
当然、美学と言うからには精神的なことです。物質的な事をおろそかにするわけではないですが、ここでは精神性に重きをおいた質問とさせていただきます。
ユニークな回答だと思いました。私は、人間のスケール感というものを大事にしています。ですから、宇宙観と自己をつなげる回答者さんの考えは、途轍もない事の様に思えました。しかしながら、そこから信頼や愛と言った事に重きを置く考えの展開に、安堵した節があります。宇宙は未曾有のことです。私には計り知れません。ですが、そんなわからない一人間として、真面目に生きたくも思うのです。幾度かご回答いただけて、psytexさんのお考えに少しは近づけた気がします。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 18:32

「誇りを失わない」



自分が嫌いになってしまうと生きていくことが辛いので、自分に恥じることがないよう、努力しているつもりです。
・・・とはいえ失いかけることもしばしばで、何とかギリギリのところで頑張っている次第です・・・。
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この回答へのお礼

私は、最近になって誇りのなんたるかを考えるようになりました。それが、独特のもので、人間らしさに関わることであると、最近になって気がついたのです。若い頃は、若いというだけで無頓着でいられて平気だったのが、少しとしをとった時に、ああ、気品とか、気高さみたいなのは、必要だなと、思う様になりました。わたしにはまだそれらは備わってないのですが、死ぬまでには身に付けたいとおもっています。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 18:37

やりまくることです。

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この回答へのお礼

私とはタイプが違いますが、それくらいオープンになれた、楽チンでしょうね。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/25 18:41

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