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25歳女です。職場の同僚と旅行先を考え時刻表を見ていたら東海道本線(東京~神戸)がもう一つ大垣~美濃赤坂も東海道本線となっているのを発見しました。何故この支線が東海道本線なのですか?ご存じの皆さま素人にも分かる回答お願いします。又、過去にも同じ質問がありましたら失礼します。

A 回答 (6件)

こんにちは。


美濃赤坂宿は、中仙道の宿場町で、江戸末期の皇女和宮の御降嫁の際に、
一行の指定宿となり、大々的に町構えを一新した立派な宿場町になりました。
このあたりは鉄道では東海道本線で、今では東海道のイメージがあるのですが
元々は中仙道で、今の中央本線は東京ー塩尻ー名古屋の鉄道ルートですが、
旧街道は、江戸ー高崎-軽井沢ー塩尻ー木曽ー中津川ときて、ここから
愛知県に入らずに岐阜県と滋賀県の間を通り、関ヶ原から今の東海道線と並行します。

旧東海道は桑名の方から鈴鹿越えをして、草津付近で中仙道と合流していたのです。
鉄道の経緯に付いては詳しい皆さんが、解説していますので、補足に留めます。
東海道線の全通は明治20年代ですが、赤坂は宿駅から離れた所に大垣駅が出来て
寂れかけたのですが、石灰石の採掘で例外的に大正8年に東海道線の一部として
線路が延長されます。
昭和に入り採掘量が増えて、美濃赤坂からさらに奥の地区にレールが延びますが、これは
民間資本の西濃鉄道という私鉄で、戦前の東海道線が非電化の頃には、乗り入れ運転も
あったようです。戦後旅客運輸は廃止し、現在は貨物専用の鉄道です。

私も近年気が付いてまめに探訪しているのですが、旧中仙道沿いの町並みはお勧めです。
というのは、このあたりには江戸以来の街道の松並木がまだ残っているのです。
場所は垂井という付近になります。
http://www.jalan.net/kankou/220000/221100/spt_21 …

垂井と、新垂井の上下線の分離運転については長くなるので省略しますが、昭和19年に
戦時輸送で貨物量の通行が激増し、当時の蒸気機関車の力では、関ヶ原越えをするのに
補助機関車を連結する必要があり、回送運転の目的もあったからのようです。
このあたりは東海道線が昭和31年に全線電化されるときに最後まで残った非電化区間で、
当時の選ばれた鉄道ファンが、美しい写真をいくつも残しています。
http://wadag.exblog.jp/6482296/

一度是非、大垣から美濃赤坂、垂井、関ヶ原と言った旅情の濃い地域を旅されてください。
日本国内の観光も捨てた物ではありませんよ。

それでは。
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この回答へのお礼

勉強になりました。有り難うございます。

お礼日時:2013/05/26 17:08

美濃赤坂駅について


近くに金生山の石灰産出する為に石灰の輸送の為に東海道本線の支線として開通しました。
1969年までは東京から普通夜行列者が美濃赤坂まではしていました。
美濃赤坂から豊橋の快速もありました。
富山行(しらさぎ)も美濃赤坂回りで.鉄道フアンの撮影場所でした。
西濃鉄道も乗り入れていましたが.廃止されました。
現在の乗降数350人が利用しています。
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そういう例はこの通称「赤坂支線」以外にもあります。


赤坂支線は石灰石搬出のために作られた支線で、最初から名古屋~大阪とは関係ありません。線路戸籍として細かく分けると管理や財務上煩雑になるので東海道本線に組み込んだ里だと思います。

同様の盲腸線としてよく知られているのは東北本線の岩切~利府(通称利府線)があります。

東海道本線は、大垣~関ヶ原間には垂井経由のメインルートの他に旧新垂井を経由する勾配緩和線がありますから、大垣と関ヶ原の間には三つの東海道本線があるんです。
こういう勾配緩和や複数経由の理由で別線を作った例としては、函館本線の大沼~森(直通の本線と通称砂原支線)、長崎本線の喜々津~浦上間(トンネル経由の本線と非電化の通称長与支線)、中央東線の辰野回りとみどり湖回り(塩嶺トンネル経由のショートカット)などがあります。

なお、通称横須賀線とか湘南新宿ラインと呼ばれている品川~西大井~武蔵小杉~新川崎~横浜は正式に東海道本線の別線、品川~横浜間の京浜東北線と呼ばれている線も東海道本線の緩行線、鶴見~分岐して羽沢貨物駅を通って東戸塚から並行して湘南貨物駅に至るのは東海道本線の貨物線ということで、この区間には、戸籍上は東海道本線が四路線ある事になります。
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「JR東海が東海道本線として公告しているから」というのが回答です。



理由については区間毎に線名を付けるのは案内上の意味の他に収益や採算などの統計を取るためという側面もあります。
もともと1駅のみの枝線(後から荒尾駅が開業)であり独立した支線としてもあまり意味が無いからです。
案内上区別が必要なときは赤坂線、赤坂支線などと呼んでいます。


なお知恵袋の回答は全くのデタラメです。
大垣-美濃赤坂間の開業は大正8年、関ヶ原方面の開業は明治17年です。
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「特に名前を付けてないから」ってのもあるんじゃない?



名前がなければ「東海道本線」とせざるをえない. ほかにもいくつか例はあります.
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