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日米開戦勝算なし。第2次世界大戦は、日本にはまるで勝算のないままに突き進み、挙句の果てには、特攻隊として若者に無駄死にを強いて、ついには、二つの原爆を落とされ、これ以上はないほどの敗北を喫しました。

個人のケンカであれば、たとえ10人相手にしようとも、引けないときは、ズタボロになること覚悟で突き進むこともあるかもしれません。しかし、多くの国民、多くの党員などをその肩に背負う時には、自分の意地だけで済む話にはなりません。どの程度の勝算があるのかを計算して、引き際、落とし所を考えることも必要だと思います。被害は自分自身だけでは済まないのですから。

その肩に多くの者の運命を抱えながら、まるで勝算の無い戦いを、どこまでもどこまでも続けてしまう政治家の真理とは、どのようなものなのでしょうか!?

A 回答 (5件)

返信どうもどうも。


「それでもなお戦争を続けましたよね? 」なんて言っても、一度始めてしまった戦争を終結させるには「講和」という手続きが必要になって、その「講和」は相手が交渉に応じなければ始められないのね。
その為には連合国側の敗色が濃くならないと。それで連合国側は交渉に応じようという気分になる。
日本はその講和開始条件を作り出そうとして戦っていたわけ。
米国側は元々、日本を戦争に引っ張り出して叩き潰そうとしていたのだから、日本の有利な講和には応ずるつもりも無かったのです。

日本側の残る手立ては、「降伏」。
だが降伏するにしても戦争している最中に突然降伏することも難しく、結局の所、誰でもが認めるタイミングで天皇が降伏宣言した。
なので、
政治家の責任を連呼しているようだが、そもそもの責任は天皇にあった。
形式上は天皇しか戦争をやめさせられなかったのに、その天皇がいつまで経っても降伏しようとしない。
それが問題だったわけだ。
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この回答へのお礼

天皇は、何を考えとったんですかね。無能も罪ですね。

お礼日時:2013/06/05 02:49

「喧嘩に勝って勝負に負けた」って言葉はご存知ないですか?


アメリカは喧嘩には勝ったんだけど勝負に負けたんだよね

日本の戦争目的は東南アジアを日本の経済圏にすること
中国との戦争を終わらすこと

昭和20年8月、何れも達成したんですよ
東南アジアは日本の経済圏なんですよ

アメリカは日本のアキレス腱だった朝鮮半島を引き受ける羽目になるわ
打ち破った相手にお金をあげなきゃならなくなるわ
何も得られずに戦争を終わってしまったんですよ
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この回答へのお礼

もっと早く何とかならんかったんですかね。

お礼日時:2013/06/05 02:50

質問の主旨は、「戦争を始めたのは誰か」ではなく、「何故もっと早く降伏しなかったのか」ということでよいのでしょうか?(開戦自体もアメリカと国内の某新聞社が煽ったからですが)



>日米開戦勝算なし。第2次世界大戦は、日本にはまるで勝算のないままに突き進み、挙句の果てには、特攻隊として若者に無駄死にを強いて、ついには、二つの原爆を落とされ、これ以上はないほどの敗北を喫しました。

戦争とは、国際法で認められている交戦権の行使であり、相手国に自国の要求を武力で承認させる行為です。
外交とは手段が異なりますが、同じ国益を追求する為の行為であり、政治の一手段に過ぎません。
(以上から、侵略以外の戦争は権利である以上、犯罪ではなく責任も発生しません。)

その目的自体(領土の割譲や有利な条約など様々)は、講和条約で相手に認めさせれば良いことです。
なので、相手国の占領や国家体制の破壊は必要条件ではありません。

そもそも、日本は最初からアメリカ本土の占領は考えていません。
当時は、ハワイからアメリカ本土まで往復できる爆撃機など、どこの国も持っていません。
間に基地に使える島もありません。

当時の日本政府は、開戦前の昭和16年に「総力戦研究所」を作り、軍・官僚・他各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っています。
そして、その結果は現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
ということは、軍部も勝てる(この場合アメリカの占領)とは思っていなかったということです。

日本の戦争目的は、初戦の勝利が続いている内に、アメリカ世論の厭戦を煽って有利なうちに講和し、資源の禁輸を解除させることと、中国への支援を止めさせることです。(失敗しましたが)



>どの程度の勝算があるのかを計算して、引き際、落とし所を考えることも必要だと思います。被害は自分自身だけでは済まないのですから。

個人のケンカであれば、面子がズタボロになっても、命惜しさでその場限りの土下座をすることもあるかもしれません。しかし、多くの国民の未来をその肩に背負う時には、自分の命だけで済む話にはなりません。降伏により、どの程度の被害があるのかを計算して、引き際、落とし所を考えることも必要だと思います。被害は自分自身だけでは済まないのですから。

日本は条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもり」でした。
しかし、アメリカは無理な降伏条件(国体の護持、天皇制の維持等が保証されていない)を出すことで、原爆を使用する準備をしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を削除しています。)

これは、降伏した場合、国が消滅する事もありえるということです。
そして、日本軍が戦闘を停止したのは、それが天皇の命令であるからです。
逆に考えれば、降伏後に天皇が処刑された場合、それは国民を統べる権威の消滅を意味します。
そうなったら、国民の中から政府の意向に関係なく戦闘を行う者が出る可能性もあり、国内で泥沼の内戦になる可能性もあります。
更に、それにソ連が介入し、朝鮮やドイツのような分断国家や、未だに紛争地帯であり続けていた事も考えられます。


その肩に多くの者の運命を抱えながら、少しでも有利にして降伏する為に、まるで勝算の無い戦いを、続けていた政治家の真理とは、どのようなものだったのでしょうか!?



>二つの原爆を落とされ、これ以上はないほどの敗北を喫しました。

これは、某隣国が必ず嬉しそうに持ち出す話題ですが、
原爆は、↓のような経緯で投下されており、故意に民間人の被害を増やす意図で進められています。
それらの目的は、原爆の実戦でのデータ(破壊力・人体への影響)を得る為です。

投下目標の選定条件
1:直径3マイル以上の市街地を持つ都市(効果を正確に測定する為)
A:更に広島は山に囲まれた地形で原爆の破壊力を探るのに適していた。
B:広島はまだ空襲を受けておらず、原爆の威力を確認しやすかった。

この↑の理由で、アメリカは広島への空襲を禁止した為に、人口が増え建築物も保存されました。

2:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領が設置した暫定委員会が、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと決められました。
(開発に携わった一部の科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)

当時、日本は空襲で焦土となった土地が多かった筈です。
原爆の効果を知らせ、降伏を促すには、そのような土地か、予告して日本近海に投下すれば十分であった筈です。
しかし、アメリカは、↑の目的で市街地である広島を選び投下しました。

長崎については、小倉に落す予定でしたが、爆撃機が道に迷ってとりあえず長崎に落しました。
しかも、投下地点の真上には、日本で最初に建設されたキリスト教の教会がありました。(これについては、アメリカが必死で隠そうとしています)

以上から、私は原爆の使用はアメリカの戦争犯罪と考えています。



>多くの党員などをその肩に背負う時には

質問者様は、戦争指導者が罪に問われたり、処刑されると思っていたとでも考えているのでしょうか。

前述しましたが、侵略以外の戦争自体は認められている権利の行使であり、国家の行為である以上、戦争指導者であっても、個人に対外的な責任は発生しません。(これらについては動画参照)
そして、私は明治以来の日本の戦争は侵略ではないと思っています。
(これについては質問の主旨から外れるので説明はしません。)

以上から、日本の軍人・政治家は、降伏後に東京裁判で裁かれるとは思っていませんでした。

その東京裁判が、戦勝国の都合によるリンチに過ぎず、裁判ですらなかったことは、戦勝国も認めています。

1951年、米上院の軍事外交合同委員会でマッカーサーは、
「日本の戦争は自衛戦争であり、アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである」
と語っています。

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この回答へのお礼

すいません。どうもストンと納得でできないです。

お礼日時:2013/06/05 02:58

そもそも我が国には戦争する意思なんてなかったからです。


強欲なアメリカとソ連の世界赤化計画に翻弄されてしまったのです。
自分から始めようと思った戦争ではないのですから、
終わらせることも出来なかったと考えるべきではないでしょうか?
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この回答へのお礼

外交能力が低かったのでしょうか。

お礼日時:2013/06/05 03:01

あの時戦争を拡大したのは、政治家でなくて軍人と軍事官僚の軍部だった。


政治家の方は内閣は戦争拡大(日米開戦前から戦争だった)しない方針を決定していた。

また当時の文学は戦争文学で、小説家は愛国小説を量産していた。
よく取り上げられたモチーフが「新兵器開発」。
『海底2万哩』をもじった海軍の新式潜水艦とかが造られて国威発揚するとか。
多分当時の軍部には勝算があったのかもしれない。
秘密兵器開発が進んでいた。戦艦大和やゼロ戦はその一つだし、その他にも今で言う「大量破壊兵器」。生物化学兵器に原爆。
つまり、毒ガスに細菌兵器に原爆。これら開発中だった。
これが開発完了して工場生産ラインに乗ってたら、勝てただろ?

というわけで、政治家が戦争を拡大したわけじゃないし、勝算が無かったわけでもない。
そもそも米国に経済封鎖されてしまったので、インドシナ方面に石油を求めて活路を見出そうとしたわけですね。
また、当時の日本の社会体制を丸ごと全破壊して新しい世界を作るためには、日本の地下組織が連合国側と内通して日本を破滅に導く戦争を進める必要は、少なからずあった。
戦争に負けなければ今の日本は有り得ない。

この回答への補足

最初は、はかない希望があったかもしれないですけど、各地戦線で大敗北し、もう手段さえ選ばず特攻自殺攻撃までさせても沖縄まで掌握された上、ヨーロッパ戦線で独伊が敗北、孤立無援の本土決戦が迫る中、敗戦覚悟して講和工作までしながら、それでもなお戦争を続けましたよね?

補足日時:2013/06/04 19:43
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