素朴な疑問です。
偶像崇拝は、なぜ、ダメなのでしょうか?
そもそも、ここでいう《偶像》とは何なのでしょうか?
人や動物などを象(かたど)った、直接、礼拝や信仰の対象となる造形物。
こんなところでしょうか、偶像の一般的な定義は。
では、抽象的なオブジェ、もしくは、シンボル(石や記号など)ならば、偶像にならない(ハテナ)?
具体的な造形物は偶像でないけれど、
手足のある人間の姿をした神さまは、偶像にならない(ハテナ)??
ボンクラなわたしには、
偶像というものが、どういうものであるのか、さっぱりわかりません。
特定の宗教を攻撃しようとする意図は、まったくありません。
偶像崇拝を否定する宗教がより高度で洗練された宗教であるとも考えていません。
宗教の優劣をつけるつもりは、毛頭ございません。
ただの素朴な疑問です。
なぜ、偶像崇拝はダメなのでしょう?
よろしくお願いします。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
神の姿を写し取るという行為自体があたかもヒトが神を創っているかのような不敬な行為に当たるため。
また、神は絵や像に宿るわけではなく普遍に存在しているので、そういったものを信仰の対象にすることは意味を成さず、更に、もしそれを容認した場合、絵や像を傷付けることが今度は逆説的に神を傷付けることに結び付くことになるので、その様な不祥事によって神を冒涜するような事態が生じる事を避ける必要があるため。
まぁ、神という概念は人がその精神的な拠り所として創出せざるをえなかった空想上の存在なので、神が禁止する云々という話自体が本末転倒な話ですよね。
わかりやすく、簡潔な回答をありがとうございました。
pupPeTeer119さんのお考えをさらに徹底すると、
聖書やクルアーンの神に対する擬人的な記述なども偶像化ということになるのかな~。
聖書やクルアーンの言葉を神からのメッセージとすれば、そうはならないのか。。。
偶像〔化〕という言葉一つをとってみても、奥が深いようです。
No.2
- 回答日時:
ユダヤ教、キリスト教において、偶像礼拝とは、第一義的には、神以外のものを神とすることです。
モーセの十戒には、偶像を拝んではならないとはっきり書かれています。ちなみに、カトリックではその文言を削除して使って独自の十戒を使ったりしています。それにより何とか、聖像を正当化しております。プロテスタント教会においては、教会の屋根などにシンボルとしての十字架をかかげています。これを偶像とは認めておりません。イスラム教となると、もっと厳格に、そうしたシンボル的なものも、絵画も偶像になる、なりうると考えます。
でも、聖地だとか、カアバ神殿の黒石はどうなのかということになります。シンボルと偶像は、見方によれば同類ともなりかねないものです。
しかし、実際に、キリスト教の教典である聖書によれば、偶像とは、目に見えるもののみでなく、むしろ、自分を神とする、神を中心とする生活でなく、自分中心の生活を偶像と言うことができます。
旧約聖書の創世記は、天地創造の物語ではじまります。森羅万象は神によってつくられます。言い換えると、動物も人間も、太陽も月も、すべてのものは被造物であり、神によって造られたものであり、神ではないということなのです。
結局、キリスト教的に言えば、偶像は、神を無視した生き方であり、罪深い生活なのです。
以上のようなことでキリスト教、ユダヤ教、イスラム教での偶像が少しご理解いただけるかと思います。
☆ちなみに、カトリックではその文言を削除して使って独自の十戒を使ったりしています。それにより何とか、聖像を正当化しております。
◇このことは、はじめて耳にしました。
教えていただいて、ありがとうございます。
No.4
- 回答日時:
ねむりねこさん こんにちは。
《神》ということばですら 《偶像》に成り得ますよね。
そういう注意や警戒をしていれば それほどの問題ではないのかも知れません。
オシエが絶対視され 神に代わってしまうのは つまりそれも偶像崇拝の一種であり おそろしいと思います。
何だかふざけた言い方に聞こえるかも知れませんが 《偶像崇拝はダメ》という戒めを偶像崇拝するというおそれは ないのでしょうか。
やぶにらみばかりしてしまいましたが。
この回答への補足
わたしの質問の仕方がまずかったのかもしれませんけれども、
神さまや仏さま、ご神体、などを拝んでいる人たちも、ご自由にご意見、ご感想をお寄せください。
この質問は、
いわゆる《偶像崇拝》と呼ばれる信仰形態の是非を問題にするものではありませんので。
《偶像崇拝》のどこがいけないのか、でも結構です。
「確かに、外面的には偶像崇拝のように見えるかもしれないが、実はそうではないのだ。これは。。。」などの回答、大歓迎です。
回答、ありがとうございます。
☆《神》ということばですら 《偶像》に成り得ますよね。
☆オシエが絶対視され 神に代わってしまうのは つまりそれも偶像崇拝の一種であり おそろしいと思います。
◇無反省で固定化した《教義》《ドグマ》こそ真の偶像である、というわけですね。
であるから、
☆そういう注意や警戒をしていれば それほどの問題ではないのかも知れません。
◇そういう注意や警戒があれば、つまり、それは神そのものではないという認識と理解があれば、
たとえ神仏の像や山などを拝んだとしても、それは、必ずしも、真の偶像崇拝には当たらないと。
必ずしも形式にとらわれる必要はない、というわけですね。
このように理解して、よろしいでしょうか。
No.5
- 回答日時:
こんばんわ、ねこさん。
質問に対する回答にはならないかもですが、
質問に対する文句みたくなっちゃうかもですが、
思ったことちょっとだけしゃべります。
人間にできることは
とても少ないんだけど、
してはいけないことも
あまりないんぢゃないかなあ。
楽(ラク)をして生きたくて
楽(たの)しさを放棄するのも
その反対も
個人の自由なんぢゃないかなあ。
他人の自由を尊重しないと
わたしの自由もないんだけど。
他質問でのお礼を込めて。
nuetralさん、こんばんはです。
そして、
回答ありがとうございます。
神学的な立場からではなく、人権・人道的な見地からですね。
人間には人権や自由がある。
だから、
信仰・信教の自由を最大限に尊重しなければならない。
ありがとうございます。
No.7
- 回答日時:
No.4です。
◇ ~~~~~
それは神そのものではないという認識と理解があれば、
たとえ神仏の像や山などを拝んだとしても、それは、必ずしも、真の偶像崇拝には当たらないと。
必ずしも形式にとらわれる必要はない、というわけですね。
このように理解して、よろしいでしょうか。
~~~~~~~
☆ 《偶像崇拝》はいけないというのは たとえば次の聖句によると理解しています。
▲ (コリント後書 3:5-6) ~~~~~
・・・もちろん、独りで何かできるなどと思う資格が、自分にあるということではありません。
わたしたちの資格は神から与えられたものです。
神はわたしたちに、新しい契約に仕える資格、文字ではなく霊に仕える資格を与えてくださいました。
文字は殺しますが、霊は生かします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ この《文字》が 偶像のことを言っているのだと受け取ります。もとは 律法のことを指しているのでしょうが 《霊は生かす》というのでない場合に 偶像になりうるものとして オシエや人や教会組織を言っていると捉えます。
◇ 神仏の像や山など
☆ は 芸術作品――自然環境としても――であるといった見方でよいのではないでしょうか。
といったひとつの見解でいます。(異端であるかも知れませんが)。
この回答への補足
お前の読み方は間違っているよ。
キリスト教では、こう考えるています。
わたしの解釈が間違っているならば(その可能性大です)、
クリチャンの方、ご指摘いただけると、ありがたいです。感謝いたします。
訂正:
3:2 それ(推薦状)は、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。
コリント人の手紙2→コリント人への第二の手紙
回答、ありがとうございます。
☆ この《文字》が 偶像のことを言っているのだと受け取ります。もとは 律法のことを指しているのでしょうが 《霊は生かす》というのでない場合に 偶像になりうるものとして オシエや人や教会組織を言っていると捉えます。
正確を期すため、これに関係する箇所を聖書(口語訳)から引用します。
────────────
3:4 それ(推薦状)は、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。
3:3 そして、あなたがたは自分自身が、わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものであることを、はっきりとあらわしている。
3:4 こうした確信を、わたしたちはキリストにより神に対していだいている。
3:5 もちろん、自分自身で事を定める力が自分にある、と言うのではない。わたしたちのこうした力は、神からきている。
3:6 神はわたしたちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされたのである。それは、文字に仕える者ではなく、霊に仕える者である。文字は人を殺し、霊は人を生かす。
コリント人の手紙2
────────────
これは、読みようによっては、単に律法だけではなく、聖典としての〔新約〕聖書否定ともとれると思うのですが。。。
もちろん、書物としての聖書、文字で記された書物としての聖書という意味ですが。。。
わたしはクリスチャンでないので、このように解釈していいのかどうかはわかりませんけれど、
この議論を徹底していけば、
「聖典としての聖書ですら、これを絶対視すれば、《偶像》」ということになりますよね。
適切な言葉が思いつかないので、精神という言葉を使いますけれども、
重要なのは、聖書に書かれている精神、《霊》である、と。
あるいは、真の聖書は、我々の心の中に内在すると。
bragelonneさんは、
《文字は人を殺し、霊は人を生かす》をこのように解釈している、
と理解してよろしいですか。
もちろん、聖書学的には、
この時、まだ、マルコ福音書は作成されていないので、
新約聖書は含まれない、と考えるべきなのかもしれませんが。
No.8
- 回答日時:
偶像崇拝は、形に囚われるから。
人間は分かりやすいものに流れる傾向があります。
目に見える形は分かりやすさに繋がりますが、形が優先してしまいがちです。
本質を見失う恐れが強いからだと思います。
日本でも、お犬様が優先され多くの人が命を落としたことがありますよね。
大切にするものを履き違えないためだと思いますが
形あるものは無常なので、そちらに比重を置くと
ぐだぐだになりがちなのが人間とも言えるように思います。
わかりやすさを求めて形から入ると、形式化や形骸化などの弊害を伴い、本質を見失うおそれがある。それゆえに、偶像崇拝は禁止される。
なるほど、なるほど。
回答、ありがとうございます。
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