架空の映画のネタバレレビュー

長年の悩みなのですが、
他人のいう、私自身にむけてでないと思われる
人格を否定するような言葉が
なぜか私自身に突き刺さり、自分のことを遠回しに悪く言っているのでは?
と捉えてしまいます。

たとえば、私の目の前のAさんがAさん自身の欠点や
AさんとつながりのあるBさんの悪口を言ったとします。

話の流れ上、これは絶対私のことを言っているのではないと
思うときは、感じないのですが、
話の流れに関係なく、別にそんな悪口を言わなくてもいい場面で、
「私は(Aさん自身)欲どおしい・・・」や、
又はBさんのことを「Bさんは見かけだおしだからね」
「Bさんは、ちょっと変」
(AさんとBさんは親戚関係、Bさんは実際はそんな人ではない)
と人格を否定するようなことを言うと、
こういう思考回路になります。

攻撃的な言葉に違和感を感じる

そんな言う必要もないことを言うということは、
何か伝える意味があるから言うに違いない

私に対する攻撃では?

違和感のある攻撃的な言葉は
自分のことを遠回しに批判しているのでは?
となります。

これは私の被害妄想でしょうか。
また妄想ではなく、人って、実面と向かって批判できないとき、
他人や自分を引き合いに出して批判するのでしょうか。

私自身は、本人を目の前にして、
その本人の遠回しな悪口は言わないので、
攻撃しているかどうかという、判別がつきません。
でも、直観というか、なんとなく、そう感じるときがあり、
苦しい思いをします。

抽象的な質問ですみませんが、
ご回答頂けると幸いです。

A 回答 (3件)

被害妄想というか、自意識過剰というか



根性悪い人等は、その人がいるところでその人に視線を向け
「誰かさんのせいで○○」と嫌でも分かるように言ったりしますね。
分かり易くない限りは、自分とは関係ない話と忘れてしまうのが正解だとは思いますが
実は自分を批判している と考え出すと、これが第一の思考になっていると
近所のオバハンの井戸端会議さえも自分への批判だと思ってしまいます。
なにもかもが自分のせいなのだ と。

職場で、普段から雑事を頼んでいた人が
私の目の前で他の人と私の話をしていて「(私に)こき使われてるの」と言い
他の人に「こんな事言われた」と話すと「気のせいだろ」と言われました。
あなたも多分、思う事を人に話してもこんな感じなのだろうと思います。

実際気のせいなのかも知れませんし、
こき使われてる=自分が有能で忙しいアピールなだけで
私を批判していたわけではなかったのかも知れませんが、
以降、その人には自分から何か頼む事は一切しないようにしています。

それが正しいかどうかは分かりませんが、
また同じ事を言われたくないから、自分がモヤモヤしたくないから
そうするしかなかったのです。

切り捨ててしまう事が出来ない限りは、言われるようなネタをなくすしかない。
または、聞く事自体が嫌というのもありますので、その時はその場から離れる。
聞きさえしなければ、気にする事もないわけです。

批判なのかそうでないのか判断が出来ないなら、気にせずに済ます事が出来ないなら、
何もせずにモヤモヤしているより、聞かずに済む努力をする方が
何かしている分、精神的には楽になります。
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こんにちは



心中お察しします。苦しいですね。



私にも同じような経験があります。

悪い意味で、考え方の矢印が自分に向きすぎているのでしょうね。

トピ主さんは自分自身のことがお好きですか??


私の場合は自分自身にコンプレックスがあり、常に自信がない時がありました。
その時は周りの発言の多くが自分への悪口のように感じていました。

その方の考えというのは見えないものですから、自分の中に答えを求めてしまうと
常にグルグルしちゃって負のスパイラルに入ってしまいます。つらいですね。

>私自身は、本人を目の前にして、
その本人の遠回しな悪口は言わないので、
攻撃しているかどうかという、判別がつきません。

自分がそうだからといって、他人もそうだとは限りません。

時には人は人であり自分ではない人間だと割り切り


どうしても不安ならその人に「それって私のこと?」と
きいてみる勇気が必要なのもしれませんね。私が困ったらそうします。

答えになっていればいいのですが。。
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根本的に他人を批判するような 悪口の連鎖の交友関係と距離を置けば良いと思います。


人様が何を言おうと ニコニコしていてネガなことは言わない練習をしてください。 するとそういう方は別の所に行きます
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