プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

創価学会(日蓮正宗)の御本尊とはどう言う意味を持ちますか?

学会の会員の人たちは御本尊に向かって南無妙法蓮華経と唱えるらしいですが・・・

また、御本尊は自分だとも宇宙だとも言っています。

どういう存在なのか、どなたか教えてください。

宜しくお願い致します。

A 回答 (3件)

★「ただの紙」です。




日蓮さんの教えを、本当に信じて実践していこうとするならば、

「御本尊」は、自分の心の中にある「前向きな気持ち」のことです。

怠け心や、逃げたいと思う自分自身の弱い心と闘うために、題目を唱えるのです。




あの「紙」があるがために、私たち愚かな人間は、偽物・本物論争を繰り返すのです。

あれは、ただの形にすぎない。

無くてもいいのです。



あの紙を【お守り】と勘違いしている会員が多いです。


「洗脳手法」のひとつですから、ご注意ください。

あの紙を、立派な仏壇に安置することが、信心深いことだと思い込むのは、愚かな人間の所業です。
    • good
    • 14

創価学会 壮年部の者です。




先ず、仏教全体において『本尊』とは、帰命する対象のものを言います。この本尊というものは、宗派によってそれぞれ違います。

この“帰命する(南無する)”対象が何かという事は、宗教上非常に大切な事なのです。
それは、単に曼荼羅や仏像を拝するというだけではなくて、私たち人間にとっての一生を決めてしまうほどの事なのです。

さて、創価学会(元は日蓮正宗)の教義についてですが、もともと仏教というものは釈尊の説いた経典をさして言います。釈尊の説いた教典の中でも最高峰とされているのが、“法華経(妙法蓮華経)”という経典で、是には『衆生をして仏になる為の“法”』の存在が明かされています。その“法”こそが『妙法蓮華経』なのです。この法を口に出して唱える事を『唱題業』と言います。唱える事で自身の胸中にある、仏界を顕すのです。これを“成仏”と言います。成仏とは、人が亡くなる事ではありません。

現在の御本尊というものは、鎌倉の僧:日蓮が、文永8年9月に鎌倉幕府によって“竜の口”という当時の刑場で斬首刑に会うまでは存在していませんでした。実際は、斬首になる瞬間に、“光り物”が飛んできて、太刀取りはじめ刑に処する人が怖くなって、斬首にはできず、佐渡の国へと流罪になります。その途中で、『南無妙法蓮華経』と書き表されたのが始まりです。
その後、かなりの数の御本尊が日蓮聖人により表されますが、最終的には“熱原の法難”の時に顕された、弘安2年10月12日の御本尊を“法本尊”として定めます。これは現在、日蓮正宗:大石寺に有り、この御本尊を模して、各家庭に配布されている御本尊を御形木本尊と言います。日頃信徒は、この御本尊に向かい『南無妙法蓮華経』と題目を唱えるわけです。


■唱題の目的・意味は、先にも書きましたが、自身の仏界を顕すためです。


人間の命(念心)には、十界といって十の境涯を具しています。

地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚(辟支仏)・菩薩・仏

の、十の境涯が一つも漏れなく具わっていて、瞬間瞬間に変わっていくのです。・・・※十界論参照
それは、過去世に宿った縁により、個人個人違っています。
さらには、その命(念心)を基に、我々の身体や環境にまで影響が出てくるのです。これを『依正不二』と言います。
私たちの生活において起きる、様々な悩みや事故、病気、愛する人との別れなど、何か自分以外に原因があるのではなくて、自身の持つ宿業により現われているに過ぎないのです。ですから、根本的に悩みを解決するには、自身の命(念心)を変えなければ、何も変わらないのです。

《結論》そして、この自身の命(念心)の上に、仏の境涯を開いていき、自在に人生を生き抜くために【題目】を御本尊に向かい唱えているのです。

※十界論・・・細かくは、『一念三千法門』と言うものがあり、瞬間の命(念心)を3千の相に分けた法門があり、正確にはこちらを用います。これは、中国天台宗の僧:智顗(天台大師)が表したものです。
    • good
    • 30

まず、日蓮正宗における「三宝」とは、日蓮大聖人とその御当体である本門戒壇の御本尊、そして日興上人をはじめとする御歴代上人であり、この三宝はすべて、富士大石寺に正しく伝えられています。

平成3年、創価学会は日蓮正宗より「破門」されました。そして、平成5年に至り突然、本尊を勝手に作製し会員に配布し始めました。この本尊は、栃木県浄圓寺に所蔵されている御本尊をコピーし、さらに御本尊に認められていた「本證坊日證授与」という授与書きを抹消して作り上げたものです。日蓮正宗では、この創価学会作成の本尊を「ニセ本尊」と言っています。では、日蓮正宗における御本尊の「書写」とは、本門戒壇の大御本尊を御法主上人が「書き写す」と言いますが、それは単に大御本尊のお文字を書き写す事ではありません。本門戒壇の大御本尊の御内証を時の御法主上人が唯授一人血脈相伝の旨をもってお写しあそばされる事であり、大御本尊にそなわる御本仏の「たましい」と一切衆生を利益される御本仏の功徳をそのままお写し申し上げる事なのです。まさしく御本尊の書写は御内証に御本仏の血脈法水を継承伝持あそばされる御法主上人でなければなし得ない事なのです。創価学会では、池田は唯授一人の血脈を承けている訳でも無く、本尊書写の資格もありません。ましてや本宗の御法主上人に反逆する大謗法者となっているのですから衆生を成仏に導く「永遠の師」どころか地獄に突き落とす魔の権化となっているのです。あなたが幸福な人生を築き成仏を遂げるためには池田大作に随うべきなのか、それとも御本仏の血脈法水を承継される日蓮正宗の御法主上人の御指南に随うべきなのか、考えてみるべきです。(法華講員)
    • good
    • 15

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!