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人種差別撤廃の運動をする黒人はマーティン・ルーサー・キング牧師の前にもいたと思うし、
1955年のローザ・パークス逮捕事件のときにも、唯一の黒人指導者というわけではなかったのに、
なぜキング牧師は歴史に残る主要な黒人指導者の一人になれたのでしょうか?

A 回答 (2件)

>なぜキング牧師は歴史に残る主要な黒人指導者の一人になれたのでしょうか?



ドラマチックな言い方をすれば「運命」だった。
シニカルな言い方をすれば単なる「偶然」。

キング牧師は、ローザ・パークス逮捕事件と、それにより発生したモンゴメリー市でのバス・ボイコット運動以前は、全米的には無名の存在でした。
ローザ・パークス事件は「偶然」、キング牧師が赴任していたモンゴメリー市で発生しました。
また、バス・ボイコット運動の提案者はローザ・パークスの友人であり、キング牧師の知人である黒人活動家のE・D・ニクソンです。
キング牧師はニクソンからローザ・パークス事件の成り行きを聞き、バス・ボイコット運動の提案を受け、それに賛同し、積極的にモンゴメリー市の黒人社会の色々なグループにに呼びかけ、自分の教会を黒人代表者達の集会の場として提供しました。
そして、「モンゴメリー改良協会」が結成され、キング牧師が会長に選出され、バス・ボイコット運動が進められていき、最終的には裁判で勝つまでになります。
そんなキング牧師を一躍、全米的に有名にしたのはマスコミです。
特にタイム誌はバス・ボイコット運動での勝利の後、キング牧師をカバー・ストーリー(表紙&記事)で大きな特集を組み「無名の状態から身を起こし、僅か1年足らずでわが国の優れた指導者の一人となった学者肌の黒人バプテスト教会牧師」と「英雄視」する紹介をします。
その反響は大きくキング牧師には全国から説教や講演の依頼が殺到しました。


キング牧師には情熱と行動力がありました。
モンゴメリー市の各黒人グループに呼びかけ代表を集め纏める事のできる力量がありました。
これに関してはキング牧師が教会を集会の場として提供できるだけの地位にいた事も無視できません。
後には、モンゴメリー市でのバス・ボイコット運動が成功すると、他の都市でもバス・ボイコット運動が広がり、これを効果的な運動とするために、キング牧師は自らが積極的に動いて南部キリスト教指導者会議を発足させ、その議長に就任しています。
ただし、繰り返しますがキング牧師が赴任した先でローザ・パークス事件に遭遇したのは、あくまで「偶然」であり、バス・ボイコット運動という有効な抵抗手段を提案したのはニクソンでした。
もし、キング牧師がモンゴメリー市ではなく、他の都市にいたり、牧師ではなく単なる一労働者だったらモンゴメリー市での黒人運動のキーパーソンとなる事はなかったかもしれません。
ニクソンからバス・ボイコット運動の提案が無かったら、モンゴメリー市での黒人運動の方向性はどういったものになったかわかりませんし、全米の注目を集める事も無かったかもしれません。
そういう面では「偶然」という要素は大きいかと思います。

○キング牧師には情熱と行動力があり、また、組織を纏める力量があり、それ故にモンゴメリー市での事件発生以後、黒人運動という舞台で頭角を現す事になりました。
そしてそれに飛び付いたのが、話題性を求めるマスコミであり、モンゴメリー市での黒人運動の若き英雄たる26歳のキング牧師でした。
そしてキング牧師の活動は全米的になってゆきます。
また、キング牧師にはスピーチの才能もありました。


●つまり、情熱と行動力とある程度、才能のある人物が、偶然遭遇した事件で、他者の手を借りながら活動するうちに、良き結果を出し、それが話題性やヒーローを好むマスコミに取り上げられ、全米的に知名度を高め、以後、黒人運動の重要なキーパーソンになっていった・・・それがキング牧師という人物です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/09 14:48

リーダーとしての才能と、弁論の上手さでしょうね。

そして少なくともブ男ではなかった。テレビのアップに耐えられるルックスの持ち主だったというのも大きいと思います。

あの「I have a dream」は歴史に残る名演説だったと思います。言葉の力強さと共に、中学生でも理解できるシンプルな言葉遣い。あれを超える演説を私はまだ知りません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/09 14:48

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