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やる夫がフューラーになるようです、を読んでずっとそういう理解でいたのですが、ここを見ているとどうも違うような。どっちが正しいんでしょうか?歴史書の正確な歴史的解釈はどうなってますか。

A 回答 (5件)

ヒトラーは一応選挙で政権を握っています。


もちろん突撃隊は強烈にその力を発揮しています。

当時の選挙っていうのは、常に暴力がついて回りました。
敵対勢力の演説会には殴り込む。敵のポスター張っているような奴はボコボコ。

ですから突撃隊の武力で政権を握ったというのはそういう意味です。
クーデターみたいに政権を武力奪取したわけではありません。
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この回答へのお礼

安心しました。
やる夫の内容に大きな間違いはないってことですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/08/04 08:15

ベルリンSAの逸話です


ゲッベルスがガウライターに就任した当時のベルリンは共産党勢力が強く、ナチスなんて誰も知らない弱小政党だったんです。
ベルリンの拠点は不良の集まりで且つお金が無かったのです。そこでゲッベルスは不良党員を排除して組織を立て直すと同時に画期的な宣伝方法を思いついたのです。

宣伝費をかけずに党名を知らしめる画期的な方法です。
共産党の講演会や党員を襲撃するという戦術でした。普通、こんな事をしたらイメージダウンにしかなりません。ですが、ベルリンではナチスなんてほとんど誰も知らなかったので、実害がありませんでした。それどころか共産党が自分達の機関紙ヤポスターでナチス批判をしたのです。町のあちらこちらにナチスの文字が書きまくられました。ベルリン市民は共産党の非難キャンペーンによってナチスという組織を知る事になったのです。
ゲッベルスは知名度が高まると新たな戦術に出ます。共産党のポスターに似た講演会のポスターを作成して如何にも共産党によるナチス非難講演会をやるように見せかけました。実際、それに乗せられて人が集まったのです。そして集まった人にゲッベルスはナチスこそあなた方を救う救世主なんだと説いたのです。気がついたらナチスという名前は知れ渡り、支持者が増えていたのです。
一定の成果を収めた後、暴力政策を止めました。
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No.1のご回答のように合法的に政権の座に着きました



政党に私的武力集団ができたのはドイツだけでなく
中東欧諸国では多く見られました


その一つ、オーストリアでは
キリスト教社会党や社会民主党のような既存政党も武装集団を有し
国軍、警察も巻き込んでの市街戦にもなったことがあります
逆にオーストリアではオーストリア・ナチスの武力威嚇を封じられ
ファシスト・イタリアの支持下、ナチスを含む全政党を禁じた旧キリスト教社会党系のドルフスが権威主義的政権を樹立


これに対しオーストリア・ナチスは一揆を起こし、ドルフスを暗殺しましたが
ドルフスの跡を継いだシュシュニクが素早く建て直し
国軍、警察、私的武力集団である護国団を用いオーストリア・ナチスを徹底弾圧したのです


スペイン内乱で独伊和解するまで
皮肉なことに中東欧ではドイツ系国家のオーストリアで最も反ナチス系国家だったのです
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ヒトラーは民主主義の制度に則って選ばれ,その後その権力を維持するために暴力を扱いました。


なので,暴力で権力を握ったのとは少し違います。


当時のドイツは,第一次世界大戦の敗戦で多額の倍賞支払いが生じ,それに応じて増税が重ねられました。
そこに,世界恐慌とフランス軍のルール工業地帯の占拠によるハイパーインフレ,内外とものまともな政策もできない中央政府。
そうした社会の不満が高まってる時に,アーリア人主義を掲げるナチスの台頭に徐々にドイツ国民が染まっていきました。
そして遂に,ヒトラーが政権を握ると,ヒトラーは「全権委任法」によって法的な独裁体制を築くと共に,警察の頭に自らの右腕を送り込みました。
そして,その警察力でもって共産主義者や政敵を排除し,ますます政権を盤石なものとしていきました。
その辺りの所を以下にざっくり纏めてみようと思います。

国家社会主義ドイツ労働者党(通称ナチス)の前身は,ドイツ労働者党という弱小地方政党でした。
その後,縁ありヒトラーが入党します。
すると,弁舌やが立つのを見込まれ,党の宣伝本部長を任されることになりました。

ナチスが突撃隊と言われる暴力的部門を抱えていたのは事実です。
しかし,当時のドイツは他党の集会に殴りこみをかけるなんてのは当たり前の光景でした。
そういった意味で,ナチスのそれが特別に優れていたとか,すごい武装してたとかいったこともありません。
党員活動(得に暴力面で)に熱心な,そのへんのチンピラみたいなものでした。

そんな中,フランス軍がドイツ経済の心臓部でもあるルール工業地帯を占拠するという暴挙にでました。
理由は,第一次世界大戦終戦の時に結ばれたヴェルサイユ条約で決められた倍賞金支払いが遅れたためです。
しかし,ドイツ政府は強気に出ることが出来ず,労働者に対してストライキをするよう勧める位の弱腰外交を展開します。
長い不況で苦しんでいた上に,ナショナリズムが刺激されるような事件です。
当然,各地で暴動が起きました。
その中には,突撃部隊を指揮するヒトラーの姿もありました。
バイエルンで反乱を起こしたヒトラーでしたが,あえなく御用となり他の党員と共に投獄されました。
その間も,ナチスに魅了された党員などによって着々と勢力(ファンみたいな党員じゃないけどヒトラー様素敵って思う人も)を広げて行きました。

そして,初参戦の国政選挙である1928年5月20日の選挙で19議席を獲得。
2回目の選挙は100議席超,3回目には200議席を超えるなど,順調に勢力を伸ばして行きました。
この背景には,やはり既存政党への失望と政治離れがありました。
日本でも,自民党はイヤだ民主党は信用できんとか言っていた時に維新の会が新興勢力として注目されてましたが,それに似ていますね。(まぁ,橋下さんにはヒトラーほどの器量は無かったようですが。)
閑話休題。1933年の選挙では第一党の地位を占め,政権を取るに至ります。
その後,「全権委任法」という特別法を通すことで,独裁体制を盤石なものとします。
「全権委任法」は,第一次世界大戦期に国家存亡の危機において一時的に全指揮権を一人に与えるものです。(非常事態時は,トップダウンである独裁体制の方が有利)
なので,ヒトラーの独創ではありません。
前例があるものを再利用しただけです。


さて、晴れて政権を握ったヒトラーが次にしたことが,政敵の排除ですね。
ヒトラーの最大の政敵と言えば,共産主義者でした。
しかも悪いことに,首都ベルリンは共産主義者の牙城と化していました。
「赤いベルリン」との異名を取るほどその勢いは強かったわけです。
そこで,ヒトラーはベルリンを州都とするプロイセン州の知事にヘルマン・ゲーリングを据えると,警察内の実権を握らせました。(警察は各州の地方分権であり,中央がどうこう言えなかった)
ゲーリングは密かに警察内の隊員をナチス党の突撃部隊員にすげ替えたり,秘密部門を作ったと徐々にナチスの犬に変えて行きました。
それが,後のゲシュタポと言われる秘密警察の始まりです。

長文乱文失礼しました。
ではでは、参考になれば幸いです。
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 これは読んどいてね。


 「濡れた魚」(上下)
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488258030

 当時の状況が非常によくわかる小説。
 8月末続刊
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488258054
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