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富山県自然解説員をしていて、立山の弥陀原を案内していると、「池塘は、どうして出来てくるのですか」と質問されて、上手く答えられなくて困っています。
いろいろな本を調べても、キチンンとした説明が載っていません。池塘の発達経過や消滅過程は理解できるのですが、どうしても発生機序を子供達に上手く説明できません。宜しく御願いします。

A 回答 (3件)

  余談から始めます。

「塘」の字義は堤のような盛り上がりを指すようです。ご存知のように池の縁には実際に高さ10 cmくらい、幅20 ~40 cmくらいの目立たない堤ができることがありますので、それに対しては「池塘」を当てても良いと思います。mitikusaさんのご質問は多分水溜りの方を指していらっしゃるようですので、そちらに対しては「池溏」が適切かと思います。
  池溏の断面はどんな形でしょうか。お皿のようになっているとも思えますし、ご飯茶わんのような形とも考えられます。でも実際の多くの池溏の断面は湯飲み茶わんを泥炭に埋め込んだような形をしています。つまり湖岸が垂直といってもよいほどに切り立っているのです。そして沼底は中心がやや凹んでいるものの全体はほぼ同じ深さです。池溏が浅い時期にはパイ皿のようです。深さが違っても底が平らなことはいつでも一緒です。
  いくつかの池溏が並んでいてそれらの間が狭い畔道のようになっているところが弥陀ヶ原にもあると思います。その畔道はすべて泥炭でできています。そのような池溏群から水が抜けた状態を想像してみてください。畦道は底からてっぺんまで僅か数十cmの同じ厚さで、高さが例えば2 mもの泥炭の壁です。これが何の支えもなしに立っていたら、異様な光景にみえるでしょう。
  この壁の材料の泥炭は良く知られているように、植物が枯れて未分解のままその場に積み重なったものです。水浸しの環境が酸素の供給を妨げて微生物が植物遺体を分解する作用を阻害するのです。植物は生きている間も枯れてからも横方向にそうは動きませんから、池溏の部分よりも畦道の部分のほうでたくさんの植物が(長い時間をかけて)生長して、枯れてをくり返し、堆積した結果です。これが実は池溏の発生機序とも関係することなのです。「池溏の岸が切り立っている」、「畦道の幅・厚さが永いあいだずっと同じままだ」という事実は植物が育ちやすいところとそうでないところの境界は、水が有るか無いかという環境の境界だとも言い換えられそうです。
  この関係を受け入れると重大な勘違いをしてしまいそうだと感じませんか。湿原に生える植物は水が多いほどよく育つと考えられがちですが、もしそうであれば池溏を志した凹みはたちまち植物に覆い尽くされて凹みはなくなってしまうはずです。湿原に水溜りは一つもなくなってしまうはずです。そう、お察しの通り健全に育つためには湿原植物にもほどほどの水はけが必要なのです。ミズゴケなどの中にはごく稀に水浸しの環境でよく生長する種もありますが、陸上で生育する普通の湿原植物は地下水が地表面下 3 ~10 cm くらいという微妙な深さにあるときに最もよく生長します。つまり地下水位が最適水位よりも高すぎて水浸しになっても、低すぎて湿原が乾燥しても育ちが悪くなるのです。この簡単な原理がわかっていれば、湿原で見られるあらゆることが無理なく理解できるはずです。
  湿原に最初すこしの凸凹があったとします。地下水全体が低すぎる時には高いところよりも低いところに生えた植物の方が余計に生長しますから凸凹がしだいに均されて、平らな草原状になっていきます。逆に地下水が高い場合には凹部より凸部に生えた植物のほうが良く生長し、良く育った部分は水の流れを妨げて低いところには余計に水が溜まります。その結果凸凹はより顕著になっていきます。凹部には植物があまり生えなくなり、凸部だけが一方的に育っていきます。しかし地下水位が表面下3 ~10 cmのとき最も良く生長するという原則がありますから、畦道が水面上 1 mにも達するなどということは絶対になく、せいぜい20 cm止まりです。最初に述べた池溏周りにできる小さな堤もまったく同じ原理から生じるものです。
  湿原のでき始めの頃、地下水位が比較的高くなりやすいところ(ジメジメしたところ)に凹凸があるとそこで植物の生存競争が始まります。水面すれすれのところに芽を出した植物は少しでも水はけを良くしようと背伸びしてでも伸びようとします。一方少し高いところに生えた植物は自分の立場をもっと有利にしようと生長を急ぎます。そのような苛烈な競争の過程を経て生き残ったものが畔道であり、負けて水没した部分が池溏であると言えましょう。
  以上に述べた原理で池溏ができてくると認めれば、池溏の深さはそれを取り囲む泥炭の厚さとほぼ等しく、それが堆積してきた時間の長さの象徴です。だから同じ環境条件の中であれば、「深い池溏ほど古い池溏である」と言い換えることもできます。

 この簡単な基本原理を組み込むと変わりゆく湿原の風景さえ、シミュレートできます。上に挙げた池溏と畦道の話は
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110007539550
を、基本原理の説明は
 http://ci.nii.ac.jp/naid/110006862131
をご覧ください。いずれも和文です。
  また一般的読み物として
 http://shopping.hokkaido-np.co.jp/store/item/?it …
の144 ~171 ページに湿原の地形のことが書いてあります。

参考URL:http://shopping.hokkaido-np.co.jp/store/item/?it …
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こんにちは,suiranといいます。

この質問は大変興味深く,どんな回答が寄せられるかの心待ちにしていたのですが,残念ながら専門家の回答はないですね。

昔々そのまた昔,尾瀬の調査に作業員として同行した事があります。東大から地元の大学まで参加していた先生方に,「なぜ池溏が出来るのか?」と質問しましたが,答えは「湿原に小さな水たまりが出来て,これが発達して池溏となる。」とのこと。この答えには全く納得できなかった事を思い出します。

実はあまり大きな声では言えませんが,環境庁(当時)の腕章をして,そこら中にスコップで穴を掘りました。前の説が正しいならば,その後尾瀬には至る所に池溏が出現したはずです。

果たしてその後,学説として納得のいくものが登場したのでしょうか。検索掛けますと,坂口豊さんが多くヒットします。本を探していますが,絶版との事で図書館にでも行こうかなと考えています。

私の推測ですが,池溏は,始めが単なる穴ではなく,保水がなされなければなりませんし,いろいろと考えると,始めから水苔の発達しない保水層のある場所が池溏になったのではと言った考えを持っています。結構湧水のあるものもありますし…

ぜひ専門家の回答を聞きたいものです。
蛇足ですが,かっては「池溏」と言っていたように思います。
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この回答へのお礼

回答有難うございます。
私も、何人かの専門家にお訪ねしたのですが、はっきりした回答は頂けませんでした。
まだ研究が進んでいないのかもしれませんね。
晴れた朝に、弥陀ヶ原の解説下見に歩いていると、10cm以上もある霜柱が数年に1度見ることが有ります。何か関係があるかもしれないと思っています。
文献・論文がありましたら教えてください。

お礼日時:2004/04/12 20:51

富山県在住です、自然解説員の方ですかいいですね、がんばってください。



池塘(ちとう)と読むのですね、勉強になります、私はそこのへんはよく分からなかったのですが興味もあるのでネット検索してみると関連するサイトが検索できました

池塘(ちとう)と生き物
http://www.oze-info.com/~guide-eye/chitou.html

河川のはんらんで水がたまったり三日月湖なんかも池塘の部類の様なことが書いてあります。

参考URL:http://www.oze-info.com/~guide-eye/chitou.html
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この回答へのお礼

回答有難うございました。
この文献も依然読みましたが、弥陀ヶ原のような所にできる 池塘(ちとう)の発生説明になっていないのです。いろいろな説が有りますが弥陀ヶ原の様な草原にポコッと出切るのはどうしてなのでしょうか。

お礼日時:2004/04/07 21:32

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