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 日本語を勉強中の中国人です。日本の方はなぜいつも他人の目に映る自分のことがとても気にして行動するのでしょうか。他人は他人で、他人にどう思われるのかまったく他人の自由で自分とどんな関係があるのでしょうか。日本の考え方をちゃんと理解したいと思います。

 また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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A 回答 (12件中1~10件)

以下のとおりお答えします。



>日本人はなぜ他人の目に映る自分のことが気にしますか
> 日本語を勉強中の中国人です。日本の方はなぜいつも他人の目に映る自分のことがとても気にして行動するのでしょうか。他人は他人で、他人にどう思われるのかまったく他人の自由で自分とどんな関係があるのでしょうか。日本の考え方をちゃんと理解したいと思います。

〔質問文添削(このままで十分と思いますが、あえて加筆すれば…)〕⇒ 日本語を勉強中の中国人です。日本の方はいつも他人の目に映る自分のことをとても気にして行動するようですが、それはなぜなのでしょうか。他人は他人で、他人がどう考えようとまったくその人の自由で、自分とは何の関係もないのではありませんか。日本人の考え方をちゃんと理解したいと思います。

〔質問への回答〕⇒ 日本人の「集団主義」が大いに関係していると思います。確かに、日本人は常に周囲の人と同化しようとする性向がありますね。これは、昔から協同で農作業をやってきたことによって、長い間に自然に無意識裡に醸成されてきた日本のDNAのようなものではないかと考えます。それで、集団から逸脱したりすると、みんなでその人を「村八分」にしたわけですね。意識下に、そういう「恐怖感」を我々は抱いているのかも知れません。

 豪華客船タイタニック号が座礁して沈没したとき、甲板の船員は最終的に乗客を海に飛び込ませなければならなくなりました。そのとき、各国に人に彼が何と言って海に飛び込む決意を促したか、というのが小話になっているそうですね。
アメリカ人には:「保険がかかっていますよ!」
イタリア人には:「飛び込んではダメですよ!」
ドイツ人には:「船長が飛び込めと言ってますよ!」
日本人には:「みんなが飛び込んでますよ!」

アメリカ人の実践・実利主義、イタリア人の超個人主義、ドイツ人の権威追従性、そして、日本人の集団主義的な国民性がよく捉えられているではありませんか!?

 以上、ご回答まで。
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>日本の考え方をちゃんと理解したいと思います。


日本人についてだけを考えるのではなく、中国の人達と比べてた方が理解し易いと思います。
少し遠回りになりますが、次の違いについて考えて下さい。

中国では家族、親族などの血縁を非常に大切なものと考えていませんか。

中国では、婚姻後の御夫婦の苗字は独身時代と同じように別々ではありませんか?
日本では習慣上も法律上も夫婦のどちらかの苗字を使います(夫婦同姓)
(近年、夫婦別姓化ということで議論はされています)

日本には、100年や200年続いている商店や会社が沢山あることを御存知ですか?
中国には、華僑と呼ばれる方々がおられますが、この方々の継承の仕方と日本の継承の仕方が違うことを御存知ですか。
日本の場合、経営者が「○○衛門」「△△兵衛」などと、代々同じ名前であっても、血縁関係が無い場合が多いことを御存知ですか?(名前を継ぐといいます)
現在では、苗字の異なるが人が継承している場合もあります。
(ただし、大手の株式会社とは別の、中小の会社や商店での事例です)

華僑の場合には、血縁、いわゆる一族の何方かが継承されていませんか。
全く血縁関係のない方が継承した場合には、一族の方々は気持ちの上でどのようにお感じになられますか?

以上でお判りのように、日本では、血縁の継承よりも組織の継承を重要視する習慣があります。
この考え方の延長線上に「組織の和」というものが大変に重要視されます。
和を重要視すると、結局、突出した人や、和の総意に異議を唱える人は排除されます。
(これが、良いのか悪いのかという議論とは別です)
排除されない為には、常に他の構成員の意向を確認しておくことが欠かせません。
これが習慣となって、質問者様には他人の目を気にしていると感じられたのかと思います。

歴史的にも、この組織というものに対する意識は、家から始り、村落や武家のような集団、藩と呼ばれる組織、国へと発展拡大してきました。
今回の東北の地震での行動で御覧になられたように、いざとなると、この組織優先の意識が表れて地域ごとに一致団結してことにあたるという行動が極自然に生まれてきます。
中国の一部の方々が教育の成果だと認識されておられるようですが、全く異なります。

多少脇道に逸れてしまいましたが、イメージとして御理解頂けましたでしょうか。

この回答への補足

 申し訳ありませんが、訂正いたします。

×No.9さんのお礼欄
○No.12さんのお礼欄

補足日時:2013/09/29 22:08
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この回答へのお礼

 No.9さんのお礼欄をお借りしてまとめてお礼させていただきます。ご親切に回答してくださった皆様のおっしゃったことはどれもとても参考になりました^^。心から厚くお礼申し上げます。

お礼日時:2013/09/29 22:04

最初に;


“他人の目に映る自分のことがとても気にして行動するのでしょうか。”で、
格助詞の使い方が違いますね。
“気にし”は、“気にする”が終止けいですね。これほ目的語は“自分”ですね。
ここで格助詞の“が”が使用されていますが、“を”でなければならないでしょう。
でも“が”を使用するなら、“行動において、他人の目に映る自分のことがとても気になる”とするのでしょう。
でもそうすると淡雪さんの質問の意味と少し違ってきますね。

やはり個性や独特なことに対する警戒でしょう。
変人とか奇人といわれて、まともに相手にされないことのないように、という配慮ですね。
変わり者、って日本人間ではのけ者、外の者。となるのです。
まぁ今は変わってきているけれど、それでもみんなと一緒、同じ。ということが安易でるが無難なんですね。
相手にしてもらうには。
島国、そして居住や藩で小さく分かれていた歴史から、そこの仲間から除外されると生活がしにくくなるんですね。
昔は仲間内の罰として村八分でいいのがありました。
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こんばんは。




基本「他律的」なんだと、思いますね。
・・・・それだけ「我欲」にとらわれにくい、かもしれない。
「恥」といったことも(いまだに)言われる。

でも、それを「日本の」と言ったら、多分もはやミス・リーディングと思います。
というか、「「そうじゃない日本人」」て、多分、遥か昔から、居るんでは?
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>>◆他人は他人で、他人にどう思われるのかまったく他人の自由で自分とどんな


   関係があるのでしょうか。

他人の眼を気にするのは、中国人も同じだ、と聞いています。
例えば、中国人は、大型の車が好きだ、と言います。
実際、中国では、大きな車を買う人が多いそうです。
それは、「他人の眼を気にするので、小さな車ではかっこ悪い」からだ、と・・・。
日本人は、経済性などから、軽自動車などの小さな車を買う人も多いです。
多分、軽自動車は、車種別では、最も多いんじゃないですかね?
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”日本人はなぜ他人の目に映る自分のことが気にしますか”


    ↑ (添削)
日本人はなぜ他人の目に映る自分のことを気にするのですか。

”日本の方はなぜいつも他人の目に映る自分のことがとても気にして行動するのでしょうか。”
   ↑
狭いところで、同質的な人間が、ひしめき合って
農業をやっていたからです。
自分は他人にどう思われているのか、他人に
不愉快な想いをさせていないだろうか、という
ことをいつも注意して生活するようになった
のです。

”他人は他人で、他人にどう思われるのかまったく他人の自由で
 自分とどんな関係があるのでしょうか。”
     ↑
これは次のように考えて下さい。
欧米キリスト教文化圏では、いつも神が人間を見ている、
として人間を律します。
しかし、日本にはそんな神様はいません。
だから、日本人は、他人の目、その集合体とも
いうべき「世間」を神の代わりにもってきたのです。

欧米では、そんなことをすると神の罰が当たる、と
なりますが、日本では、そんなことをしたら
世間に申し訳ない、となります。

日本には、昔からこのような世間=神 が存在しました
ので、道徳が発達したのです。
魏志倭人伝にあります。
「倭人は盗まず」

これに対して、猿騰という中国人学者は、中国には
良い宗教が無かったので、道徳が育たなかった、と
いうことを指摘しております。
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人にどう思われるのか気にする理由



まず、「人間はひとりでは生きられない」というところから始まります
周囲の人たちの力添えがあって生きていることに感謝します
ですから周囲の人たちが不快に思うことはしません
何が不快なのかは人によって違います
常に自分の行動が周りの人を不快にさせていないかチェックをする必要があります

普通、人間は不快な思いをしたくない
不快な思いをしないためには不快にさせる人に近づかない
または排除する

自分が排除される側の人間にはなりたくない
それには自分が相手にとってどういう存在なのかを認識する必要がある
そして相手を不快にさせる行動を取らないように努力する

他人に迷惑を掛けても平気な中国人には理解するのは難しいかもしれませんね
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確かに日本人は積極的に自分を意見を主張しません。

我侭を言って、他人に迷惑をかけることを恥ずかしいと感じるからです。理由は2つあると思います。

1つは、子供の頃から親や学校の先生に「人に迷惑をかけてはいけない」と教育されてきたからです。これは大昔の日本の農村文化から引き継がれている習慣でしょう。

もう1つは、暮らしが豊かなことです。もし貧困であれば、他人に迷惑をかけても、自分の利益を奪い取る習慣が身についてしまうでしょう。日本の場合は、多少自分が我慢して不利益を被ったとしても、致命的な影響はないため、心理的な余裕が大きいのだと思います。

あと、他人の目を気にするかどうかは、自分の意見を主張するかどうかと必ずしも一致しないと思います。人の目を気にするからこそ、自分の意見を声高に主張する場合もあるでしょう。人になめられたくないとか、自分を大きく見せたいとか。ファッションに気を遣うことや、名誉を欲しがることも他人の目を気にするからこそですし。他人の目を気にすることはどこの国も同じだと思いますが、そのときの対応の仕方が異なるのだと思います。
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中国の方も他人の目を気にすることはないのでしょうか?


例えば中国の方の「面子」というものが日本人にしてみれば「恥意識」に当たるのではないでしょうか。
よく日本人は「恥ずかしい」と口にします。

文化背景、育った社会環境が違うので本当に理解するのは困難でしょうが、
疑問を投げあうことでお互いがわかってくると思うので、こうした質問はとても大事なことだと思います。
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大陸に住む人々は、中国人も含めて「国家」というものに全幅の信頼を置くことはないでしょう。


それは中国の歴史でも見ても、王朝が何度も変わったり支配民族が変わったりしたことがあるからです。
ですから、国家=社会と考えたときに、ころころ変わる社会に全幅の信頼を置くことをしないで、身内とか財産(それも紙幣や土地ではなく金や宝石)に信頼を置く、という考え方が大きいと思います。

これが華僑のように、世界中のどこの場所に出て行っても生活できる活力であると同時に、海外でもチャイナタウンなどをつくって身内で固まる傾向を有している、という風に現れるのでしょう。

そのような視点で日本を見ると、日本は「歴史に現れてから、ほとんど変化の無い国」です。江戸時代から明治時代と社会システムの変革はあるように見えて、民法は江戸時代の土地所有権の考え方をそのまま取り入れていたり、結婚の考え方をそのまま取り入れていたり、しますので時代によって変化するものと、まったくへんかしていないものがあるのです。

そのため日本人は「社会に信頼を置く」ことができます。逆をいえばひとりひとりが「社会に信頼されている」という前提で生活していることになります。

もし「自分が社会に信頼されていなかったらどうしよう」と考えると日本人はとても恐怖を感じるのです。
ですから、華僑のように気軽に自分や身内または財産だけを信頼して、他の社会に出ることは怖いのです。

これが日本人の根底にある考え方で、だからこそ「他人=社会からどのように見られているのか」が重要になるし「社会(子供の仲間社会)からはじき出す行為」がいじめ、になるのです。

また、この考え方を援用すれば、日本語に主語が異常に多いことも理解できると思います。
つまり日本語の主語は「私」ではなく、「他人から見たその人」なのです。
これは同時に日本語から主語を極力排除する力として働きます。

つまり日本人は「個人」として社会に存在してるのではなく、社会に個々が存在していて、社会が無くなれば個々の存在も消えると考えているわけで、だからこそ「孤独が怖い」とか逆に「引きこもり」(社会に参加することが怖いので、個のまま殻に閉じこもる方法)も生まれやすくなるのです。

質問文の訂正
>日本の方は、なぜいつも他人の目に映る自分のこと(を)、とても気にして行動するのでしょうか。他人は他人で、他人にどう思われるのかまったく他人の自由で(すので)、自分とどんな関係があるのでしょうか。日本の考え方をちゃんと理解したいと思います。
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Q外国人の態度について

街や電車内、海外旅行中に外国人を見る度に、
いつも外国人の独特の雰囲気、目つきに魅力を感じています。

私だけが感じる見解かもしれませんが、外国人達の自分に集中していて、
周りの目を気にしない自分の意思を強く持った雰囲気は、なぜ外国人
には備わっているのでしょうか?

先週も白人親子(母と娘)が電車で前の席に座った時、5歳くらいなのに日本人では
ありえない落ち着きと自信に溢れた態度の大きさに関心致しました。
こっちが観察する目でじろじろ見ていても全く動じる様子はなく、日本人の子供
ではありえないと感じました。

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ここでいう自信に溢れた態度とはいばっている態度とは違います。

どうやったら得れるのかと考えた時、もう子供の時から持つ遺伝子や環境が影響して
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では外国のどういった環境がああいった人間に育てるのでしょうか?
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外国に住んでいた方や、外国人と深い関わりを持っていた方で判る方教えてください。

宜しくお願いします。

街や電車内、海外旅行中に外国人を見る度に、
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個人差のある問題です。日本では当然ながら外国人は少数派です。我々が見かける外国人が世界の外国人を代表しています。同じように我々が外国へ行けば日本人を代表します。外国語が堪能な日本人を3~4人知っている人は、友達に日本人は外国語がうまい人種だと話すでしょう。勿論、服装、態度、表情も日本人の代表(見本)として観察されます。

上記の個人差のある問題ということを念頭において、敢えて比較上単純化して、私なりに説明いたします。

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こうして育つ子供たちは、世間を気にした行動はしません。自分が正しいと思うことを、社会人を真似て、話し行動します。世間もそれを期待し、出来なければ親は軽蔑され、子供も叱責されます。

エスペラント(語)で小さな子供を指す代名詞は人に使う代名詞ではなく、動物や物に使う代名詞です。ここに西欧人の小さな子供に対する考え方が現れていると思います。

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Q日本人の視線

今、色んな国の人が大勢集まるところへ参加しています。
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昔私もあまり他人を気にしていなかった時期があるのでわかるんですが、他人と言う者を意識しないで、自分の中の法則にのみしたがって行動すると、他人を気にする意味がありませんから、まっすぐと前しか見ない状態になります。
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日本でも差別問題はありますが白人国家は現在でもアジア人を差別しています、中国人とか韓国人と言うととんでもない嫌な思いをさせられます、皆さんこの現実をどう思いますか?

Aベストアンサー

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
http://www.fujitv.co.jp/ainori/st/st361.html

有色人種を人間と認めざるをえなくなったのは、後の方の世界的な大戦のあとではないかと考えます。第一次世界大戦ののちある有色人種の国家が提案した人権平等条項の提案は英米によって葬り去られました。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h10_2/jog053.html

「ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに、デュボイスへの対応を続けた。勘定がすべて終わると、彼はデュボイスに向かって深々とお辞儀をし、それからやっと、その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。フロント係の毅然とした態度は、これまでの白人支配の世界とは違った、新しい世界の幕開けを予感させた。

 「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を、日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が「同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい、同じ運命を背負っている」ことを、心から理解してくれているのだ。」
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/entry/964059/


人間は好き嫌いのほかに生理的嫌悪ということもあります。戦後は戦争の被害ということも理由に付け加わりました。

オバマ大統領はなぜ黒人なのか。ハーフではないのか。白人男性の主人と黒人女性奴隷の間に生まれた子どもは、生まれながらにして奴隷であり、色が白いほど高く売れたと聞きます。人種差別に法的に最終的な決着がついたのは1964年(昭和39年)かともいわれます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95

>日本人の君はまだマシな方だ
そんなわけで、白人にすれば納得ずくというより、無理やり人種平等を誓わされたわけで、本人からみた多層な差別意識があるのはある面いたし方がないと考えます。

武力ということではないにしても、要は実力で認めさせるほかはないと考えます。

アジア人という定義の仕方に白人目線を感じます。つい近年まで白人は有色人種を人間とは見ていませんでした。「奴隷、当時のヨーロッパでは『黒人が白人と同じ人間である』という考え方はなかったのである。
『法の精神』で知られるモンテスキュー。
社会学の父と讃えられるフランスの哲学者でさえ「黒人が人間だと考えるのは不可能である 彼らを人間と考えるなら 我々がキリスト教徒でないと認めざるをえなくなる」と語っている。」
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Qアメリカ人が嫌いになってしまいました・・

はじめまして。アメリカ在住の方や滞在経験のある方に質問です。

私は小さい頃からアメリカの音楽や映画といった
ポップカルチャーが大好きで、ずっと留学を夢見ていました。
そこでやっと決心がついて、今年からアメリカに留学するために、
その方向で学校や親とかなり前から話を進めてきました。

去年震災が起こり、その時私は丁度ビデオを回していたため、
youtubeに登録しその映像をアップロードしました。
最初は日本の方々からの心温まるコメントを頂いていたのですが、
何かで紹介されたのか、知らないうちに再生回数が十万回を超え、
英語でのコメントが一万件以上寄せられていました。

でもほぼ全てのコメントがひどく道徳にかけるものばかりで、
コメントを全部確認することはもちろん出来ませんが、
ひどいコメントをしている人の国籍がほとんどアメリカだったんです。

「日本人は死んで当たり前」「真珠湾の天罰だ」
「もう一度原爆を落とす手間が省けた」
「ジャップが巻き込まれた黄色い(黄色人種の)波をこの目で見たかった」

たったの2、3件じゃありません。
何百件以上も本当にこんなコメントばかりだったんです・・・。

私は被災地の出身で、友達を一人津波で失いました。
変わり果てた風景もこの目で見てきました。
アメリカ人は人の痛みの分かる心やさしい人たちだと思っていたし、
本当にアメリカが大好きだったので、ショックが大きくて
何週間も吐き気が続いて、もう自分でもどうしていいのか分からなくて。

でも留学は小さい頃からの夢だから、と少し気持ちが落ち付いた頃、
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アメリカでのトレンドワードになってると教えてくれました。
もう訳が分かりません。気持ち悪い・・・。

私が思っていたアメリカ人像は、
音楽や映画の中だけのものだったのでしょうか。
実際は、過去の戦争から未だに日本を憎んでいて、
アジア人の中でも日本人は特に嫌われているのでしょうか?

向こうでの差別もある程度覚悟はしていたのですが、
ああいったコメントを見てしまったら、実際耐えられるか不安で、
留学をやめようか、真剣に悩んでいます。
こんな気持ちのまま留学するのも、気がすすみません・・。
どうかアドバイスよろしくお願いします。

はじめまして。アメリカ在住の方や滞在経験のある方に質問です。

私は小さい頃からアメリカの音楽や映画といった
ポップカルチャーが大好きで、ずっと留学を夢見ていました。
そこでやっと決心がついて、今年からアメリカに留学するために、
その方向で学校や親とかなり前から話を進めてきました。

去年震災が起こり、その時私は丁度ビデオを回していたため、
youtubeに登録しその映像をアップロードしました。
最初は日本の方々からの心温まるコメントを頂いていたのですが、
何かで紹介されたのか、知らないう...続きを読む

Aベストアンサー

度々すみません。

>ひどいコメントをしている人の国籍がほとんどアメリカだったんです。
本当にアメリカ国籍か確認する方法はありませんが、その人間とは絶縁する方法をお勧めします。
反対に、自分が尊敬する人間と親しくするべきでしょう。(教師、上司、尊敬・共感できるなら誰でも構いません)

私は、一時期外国でつきあう相手を非常に選んだ時期がありました。
その社会の人間なら誰とでも交流すれば良い関係が築けるというのは幻想です。
同時に、自分自身も健全な人格者であるように努力して向こうから近付いて来る人間を振るいにかけるべきです。
人間関係は、自分と相手と両方の相互作用で決まります。
勿論そこには、社会的・文化的様々なファクターが存在します。

1.主観を取り払い偏見を除外して人間を観察する
2.自分の人格・倫理を磨き自律に徹して努力して相手を見る目も同時に養う
3.それでも状況に流されるのであれば、相手を厳選し共感できない相手とは接触しない

その上で、カルチャーならカルチャー、
勉強なら勉強で集中可能な対象に取り組んだらいかがでしょうか。

Q何故日本人は外国人の意見を気にするのでしょうか?

 前から思っていたのですが、ネットを利用すると、度々、
外国人の日本に対する批評、論評を日本語に訳した「海外の反応」と
言うべき、翻訳サイトが多数出てきます。何故、こういうサイトが多数存在
するのでしょうか?日本人がそれだけ、外国人の意見を気にしているのでしょうか?
一人の日本人として思うのですが、「自意識過剰」としか、言いようがありません。
自分はこういう類のサイトが大嫌いです。外国人の意見など知りたくもありません。
外国人の反応など「ノイズ」そのものです。それが日本に対する批判だけじゃなく、
肯定的なものであってもです。

 東日本大震災のときも、暴動が起きないことを世界
中で賞賛されていると、マスコミなどがしきりに報道していましたが、
これにも非常に違和感を感じました。外国人が評価しなければ、
自分たちを評価できないようにしか思えません。すごい卑屈に見えます。

 検索サイト「goo」で外国人の日本に対する反応、評価を記事にした特集のサイトが
あったはずですし、中国系のサイト「サーチナ」でも外国人がブログに書いた
日本に関する事柄を日本語に訳したものがあります。日本人の自意識過剰な面だけ
じゃなく、情報戦争・プロパガンダの側面もあるのではないかと、邪推したくなります。

 何故、このように日本人は外国人の意見を気にするのでしょうか?
政治、歴史、文化などあらゆる側面からの推測を書いてください。

 前から思っていたのですが、ネットを利用すると、度々、
外国人の日本に対する批評、論評を日本語に訳した「海外の反応」と
言うべき、翻訳サイトが多数出てきます。何故、こういうサイトが多数存在
するのでしょうか?日本人がそれだけ、外国人の意見を気にしているのでしょうか?
一人の日本人として思うのですが、「自意識過剰」としか、言いようがありません。
自分はこういう類のサイトが大嫌いです。外国人の意見など知りたくもありません。
外国人の反応など「ノイズ」そのものです。それが日本に対する...続きを読む

Aベストアンサー

ここんところの若い人達の辞書には無い言葉、「世間体」の存在なんてのはどーでしょう。
これが、町内の事ならご近所さんですが、時代背景も様変わりして、事と次第で世界の各国への様子伺いに広がったようにも思えます。

この「世間体を気にする」のは、日本独特の慣習なんじゃないか?と思いますが、どーなんでしょ。
今のチャラッとした世代が取って代わる時期には、他者の反応に対して「誰にも迷惑かけてないから」なんて言ってのける気がします。

日本人の独特に思える文化は、良くも悪くも“相手を気遣う”点が原点に思えます。
自分のした事に相手からどんな評価が得られるかのような姿勢を何につけても持つ事は好ましくも無いと思う一方、卑屈になりさえしなければ戦略的に使えるとしたらそれはそれでもいいのかな。
と、思っちゃったりもします。

島国であり文化は交易のみで、「日出る処の天子、書を日没する処の天子に致す」とした隋への書簡で“対等だよ”としているから、米国に敗戦して属国に成り下がるまでは他国の目を気にする事はなかったんでしょう。

ジパングというコミックがありますが、旧帝国海軍の軍人が海自隊員を見て
「あなた方は確かに日本人だが、私と同じ日本人ではない」
作者は、取材を通して描くんでしょうから、こうした一節もそこから浮んだんでしょうね。
第二次大戦後のGHQの教育の賜物なのかもしれませんね。

ここんところの若い人達の辞書には無い言葉、「世間体」の存在なんてのはどーでしょう。
これが、町内の事ならご近所さんですが、時代背景も様変わりして、事と次第で世界の各国への様子伺いに広がったようにも思えます。

この「世間体を気にする」のは、日本独特の慣習なんじゃないか?と思いますが、どーなんでしょ。
今のチャラッとした世代が取って代わる時期には、他者の反応に対して「誰にも迷惑かけてないから」なんて言ってのける気がします。

日本人の独特に思える文化は、良くも悪くも“相手を気遣う”...続きを読む

Q「周囲と同じことをする」日本文化論の具体的な例

「周囲と同じことをする」日本文化論の具体的な例

「本音」は違うかもしれませんが、協調性を大事にする日本人は「周囲と同じことをする」という事に安心感を得ると本から読んだ日本文化論に大変興味を持っておりますが、実例がないので、理解がただ概念的で実感がありません。そういう行動意識をよく理解するため、具体的な例を挙げていただけませんか。よろしければ、できるだけ多くの例をいただければ、ありがたいです。


補足:海外の新人日本語教師です。日本文化が大好きで、上記の事に興味を持っておりますので、ここにいる日本人の皆さんの知恵をお借りして、日本文化への理解を深めたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
また勝手ですが、上記の私の質問文におかしい日本語の使い方がございましたら、訂正していただけないでしょうか。

Aベストアンサー

日本には隣百姓という言葉があります。

日本は古くから農業国でした。主要な農産物は米です。
稲作は春に田を耕し、水を張り、種をまき、雑草を取り除き、肥料をやって、秋に収穫する。
その工程、時間管理は経験がものを言います。

隣百姓というのは、熟練農家の工程を見て自分も同じ作業をする農家です。
隣と同じことをしている限り、自分だけが失敗するということはない。
1000年以上そうやって隣と合わせようとしてきた結果が今の日本人を形作っています。

北野武という日本人映画監督をご存知でしょうか。
彼は元々はコメディアンです。
彼の若い頃のジョークに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というものがあります。
このジョークの背景は、日本では車が全く走っていない状況でも信号が赤ければ歩行者全員止まって待っているという日本人の常識というかメンタリティーです。
ルールに疑問を持たずに黙って従うのって変じゃないか?という皮肉です。
逆に言えば、日本ではルールやマナー(日本独特のものですが)に従わない人は犯罪者とまでは言わないものの、知的水準が低いとみなされ、軽蔑されるのです。

たとえば日本では公共の場所では静かにしていることが求められます。
電車や飛行機の中で大声で喋っていると知的水準が低いと思われ軽蔑されます。
だから、電車の中で赤ちゃんが泣いたりすると、お母さんはあわてて「泣くのをやめなさい」と言います。
たとえ言葉が通じなくても「静かにしなさい」と言うのです。
この場合、赤ちゃんに通じるか通じないかは問題ではないのです。
お母さんが回りの乗客に向かって「私はルールを理解しています」と釈明しているのです。
「私は正常です」と言う為に、赤ちゃんを叱るのです。

重要なことは、日本人は赤ん坊の頃から恥をかくことは個人だけでなく、家族や一族の問題だと教育されるのです。
だから、周りの人と違うことをすることに対しては慎重になる。
周りと違うことをやって失敗すれば、あいつは馬鹿だ、親の教育が悪かったのだと軽蔑されるのです。

日本には隣百姓という言葉があります。

日本は古くから農業国でした。主要な農産物は米です。
稲作は春に田を耕し、水を張り、種をまき、雑草を取り除き、肥料をやって、秋に収穫する。
その工程、時間管理は経験がものを言います。

隣百姓というのは、熟練農家の工程を見て自分も同じ作業をする農家です。
隣と同じことをしている限り、自分だけが失敗するということはない。
1000年以上そうやって隣と合わせようとしてきた結果が今の日本人を形作っています。

北野武という日本人映画監督をご存知でしょうか...続きを読む

Q日本という国は「変わり者」を貫くのに不向きな環境

日本という国は「変わり者」を貫くのに不向きな環境なのでしょうか?
私は幼少期(物心ついた頃)から変わった物事が好きで、一風変わった個性的な人間でありたいというポリシーを今なお貫いています。
「個性」とは本来、認めるべきでありますが、日本という国は集団において異質なものを排除したがる傾向が強いゆえに、変わった人・物事は忌避されるのが実情です。このように日本社会において変わった人・物事を忌避する傾向にあるのは、かつて「村八分」という制度を施行していた頃の名残なのでしょうか。

私は、よく親から「お前は感受性が普通とズレていることが結構あって、他でそういう様子を見せると叩かれる可能性が高いから、よそでは普通を装え。」と忠告されます。私が叩かれて嫌な思いをしないようにという意味での忠告でしょうから、それはありがたいのですが、はっきり言って私はその必要は無いと認識しています。
人はそれぞれ考え方・感じ方・価値観が違います。どんなに変わった人・物事を忌避する傾向にある日本人だって、実は「一人ひとり違う人間」なのです。このように各々、考え方・感じ方・価値観が違う人間で成り立っている集合体が人間社会なのですから、変わった人・物事が存在するのは当然です。そんな当然のことを四の五の言ったり、変わった人・物事を寄って集って叩いては排除しようとするほうがおかしいと思うのです。
そういえばフィギュアスケートの安藤美姫選手も「日本人は皆と違う人をおかしいと決め付ける!」とぼやいていたっけな。

さて、欧米・ヨーロッパは個性(変わった人・物事)を強めることで皆に認められる傾向にあります。そんな欧米系の国の一つであるニュージーランドでは「人は一人ひとり違う」ということを前提に他人と接するそうです。
文化の違いとはいえ、このように「人は一人ひとり違う」というのは日本人にも言えることなのに、「なぜ日本は集団において異質な物事に対する嫌悪感が強いのだろう…。」と気が沈みました。

日本人だって「一人ひとり違う人間」である分には何ら変わりないのに、変わり者って決まってイジメ・からかいの標的にされるなど忌避されるのがオチです。(だから私の親は、私が変わり者を貫こうとするのをあまりポジティブに思わないのでしょう。)そう考えると、日本って変わり者を貫くのに不向きなのでしょうか?

※私は日本という変わった人・物事が理解されない難しい環境だからこそ、変わり者を貫き通し甲斐があると思いますけどね。

日本という国は「変わり者」を貫くのに不向きな環境なのでしょうか?
私は幼少期(物心ついた頃)から変わった物事が好きで、一風変わった個性的な人間でありたいというポリシーを今なお貫いています。
「個性」とは本来、認めるべきでありますが、日本という国は集団において異質なものを排除したがる傾向が強いゆえに、変わった人・物事は忌避されるのが実情です。このように日本社会において変わった人・物事を忌避する傾向にあるのは、かつて「村八分」という制度を施行していた頃の名残なのでしょうか。

私...続きを読む

Aベストアンサー

私も変わり者のひとりでしょう。質問者様と同様の忠告を親から受けたことがあります。
また海外での生活経験もあります。

私自身の経験から言えば日本は「変わり者が住みやすい世界」である、といえます。

「変わり者」が暮らしやすい、という点で言えばアメリカのほうが暮らしやすいということはあります。しかし、アメリカのほとんどは、保守的な田舎であり、そこに共通している価値観はひとつしかないのです。もし、そういう田舎に日本人として住んでいる場合は「マイノリティ」として尊重されるでしょうが「アメリカ人」として暮らそうとしたなら、アジア人種であることが差別を呼び、必ずしも暮らしやすい、ということにはなりません。

じゃあ白人ならいいのか、というとそうでもありません。アメリカの子供向けアニメをみると良く分かるのですが「子供の頃から変わっていて、人となじめない孤独なヤツ」というキャラクターが定番のように出てきます。その成れの果てがバットマンのジョーカーである、といえば分かりやすいかも知れません。

日本においては、そのような子供であっても「同調圧力」が高いため、公共の場(クラス会とか部活動とか)に引き出されることが多くなります。その上で苛められることもあるわけです。

しかし、あめりかにおいては一度「変わっている」と認められ「孤独が好き」と認められると、基本的には誰も相手をしてくれなくなります。
これによって、アメリカのアニメキャラである「孤独を愛する(実は結果的に孤独だった)変人博士」のような人が出来上がるわけです。

ですから、ほっといてくれない日本のほうが変人に対して寛容である、という言い方もできるわけです。

また、もうひとつの理由もあります。それは「他人の理解できない趣味・主義を容認する寛容さ」についてです。
アメリカの場合、階級がある程度固定的であるからなのか、その階級における主義や価値観はかなり大きな影響力をもちます。

たとえば学者階級なら外国産のワインなどをたしなんで、部屋の調度品は品良く、スポーツはたしなむ程度に付き合う、という感じであり、肉体を酷使するブルーワーカーなら、ビールはバドワイザー、スポーツはアメフト(またはアイスホッケー)、車はピックアップで仕事帰りは必ずビアバーで仲間とわいわい、という具合です。

日本の学者のように、どてらを着こんでモツ煮を食べながらほっぴーと焼酎を愛し、広島カープを熱烈に応援する、というスタイルだと、他の教員から「あの人は教授にはなれないね」といわれてしまいます。
なぜなら、趣味や趣向が「アカデミック(学術的)」ではない、とされるからです。

これらの価値観から見た場合、アメリカは比較的「変人」を許容しますが、ヨーロッパやその他の国などの歴史ある国になればなるほど、階級差が厳然とあり、変人が許容される雰囲気が減っていきます。
具体的にいえば、学者階級の家族なら強烈な知識欲やこだわり(つまり探究心?)は許容されるものの、貴族階級なら社会適応できない時点でアウトですし、労働者階級ならよほど勉強ができて小学生のうちから大学にいけるぐらい、周りが認めていないと変人扱いだけで終わりです。

その点で言っても日本は「○○が好き」という好みから、本当に「変わり者」であっても、それなりの居場所を見つけることができるといえます。

もちろん生まれ育った場所ですんなり受け入れられるとは限りませんが、不思議なことに日本には、どんな変わり者でも適応できる場所が存在するのです。

もちろん、人によってはMITが居心地がいいとか、インドに行って人生が変わったとか、メキシコが良すぎてもう帰れない、という人もいるでしょう。そういう人はそれでいいでしょうし、そうでない「変わり者」も日本なら居場所があることが多いのです。

ということで、今居る場所がすごくいいとは言いませんが「日本」という広さなら、たぶん世界一「ギーク」を受け入れてくれる場所だと思います。

私も変わり者のひとりでしょう。質問者様と同様の忠告を親から受けたことがあります。
また海外での生活経験もあります。

私自身の経験から言えば日本は「変わり者が住みやすい世界」である、といえます。

「変わり者」が暮らしやすい、という点で言えばアメリカのほうが暮らしやすいということはあります。しかし、アメリカのほとんどは、保守的な田舎であり、そこに共通している価値観はひとつしかないのです。もし、そういう田舎に日本人として住んでいる場合は「マイノリティ」として尊重されるでしょうが「...続きを読む

Q日本人て妬みが強い人種?

日本人て妬みが強いんですか?
アメリカ人なら友人が成功したら仲間がみんな集まって喜びパーティをする。
日本人は妬む。
日本人、アメリカ人、中国人
それぞれ、どんな感じですか?

Aベストアンサー

強い方だと思います。
もちろん表面上はおめでとうくらいは言うでしょうが、内心はどうだか。
嫉妬を力に変えて頑張る人もいれば、足を引っ張ることに執着する人もいるでしょう。

アメリカの方はどうだろう。それほど多くの人間を見てきたわけではないけども、その中では
自分のことのように成功した人を喜んでました。もちろん相手との関係性もあるのでしょうが。
良くも悪くも裏表がなく、嫉妬したなら直接文句や愚痴を言い、そうでないなら一緒に喜んでくれる印象です。

中国の方はわかりません。

ただ3つの国全ての言えるであろうことは、成功したらわがことのように喜ぶ人もいれば妬みが凄い人はどこでもいるものです。比率の問題かと。
個人的には同族である日本人の嫉妬や妬み等の陰湿さはアメリカ人を凌駕しているとは思います。
中国人はわかりません!

Q日本は社会主義国家なのになぜ発展できたのでしょう?

かつてソ連のゴルバチョフ大統領が‘日本は世界で一番成功した社会主義国だ‘と発言したそうですが、確かに日本は表向きは資本主義国家ですが社会主義的要素が強いように思います。税金の累進性は欧米より強く高額所得者は税金をたくさんとられます。貧困層は福祉や公的補助、医療制度など優遇され高額所得者から巻き上げた税金が還元されます。サラリーマンは年功序列で能力で関係なく昇給しました。(以前は)
経済格差は‘悪‘と公言する政治家までいます。ソ連、旧東ドイツ、北朝鮮など社会主義国家はどこも貧困に喘ぎ崩壊しました。日本だけなぜこんなに発展できたのでしょう?またこれからも発展できますか?自分は経済学、政治学には疎いのでどなたかお教えください。

Aベストアンサー

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないので、市場に任せず、政府が責任をもって経済を運営すべきだ」との、社会主義と資本主義の折衷政策「混合経済」政策をとった。このため多くの企業が国有化された。フランス石炭公社、フランス電力会社、フランスガス会社、鉄道部門、エール・フランス、フランス銀行 と四大預金銀行 クレディ・リヨネ、ソシエテ・ジェネラル、全国割引銀行+全国商工銀行⇒パリ国立銀行、保険会社、ルノー公社、航空機エンジン開発製造公社が国有企業として活動し始めた。
 石炭・鉄鋼に関してはドイツとの国境周辺地域に「欧州石炭鉄鋼共同体」を設立し、ドイツなど欧州6ヶ国で、アメリカ政府の援助資金であるマーシャル資金によって運営された。これは一国社会主義ではなくインターナショナル社会主義であった。1983年、フランス企業の売り上げ上位20社の内13社が国有企業であった。
 政治を見れば、ドゴール派の保守政権と社会党とが政権交代を繰り返した。日本に置き換えてみれば、石炭・鉄鋼がアメリカ政府資金による韓国との合弁、トヨタ自動車が国有、自民党と社会党が政権交代を繰り返す、といった状況だ。フランスから見れば日本は「市場原理主義」「自由放任主義」であった。
 イギリス──労働党の「ベヴァリッジ報告」による「ゆりかごから墓場まで」の社会主義政策を戦後の経済方針としていた。鉄鋼は、国有⇒民営⇒国有⇒民営と政権交代毎に弄ばれた。石炭はアーサー・スカーギルが率いる全国鉱山労組が仕切っていた。つまりアナルコ・サンディカリズムをやっていた。戦前アメリカに次ぐ自動車産業国であったが、中小企業が多く、このため国有企業に集約したが成果が上がらずホンダの支援を受けたがダメだった。政権は保守党と労働党が競い合い、その勢力は均衡していた。イギリスから見れば日本は「自由奔放経済」で「保守党独裁の反社会主義国家」であった。
 西ドイツ──アメリカ政府のマーシャル・プランによる援助資金をもとに戦後復興政策を進めた。戦後復興の基幹産業である石炭・鉄鋼は「欧州石炭鉄鋼共同体」という多国家管理による非民間企業に頼った。エアハルトは社会主義と資本主義の良いところをとった「社会的市場経済」を目指した。フォルクスワーゲンは戦後再出発にあたり、その株式20%を連邦政府が、さらに20%を地方政府が保有した。こうした石炭・鉄鋼・自動車産業を日本に当てはめるとどうなるか?それに比べれば日本経済は民間主導の自由経済であった。
 仏・英・独とも戦後何度も左翼政党が政権を担当した。現在英・独が保守政党を破っている。それに比べいかに日本の左翼・社会主義が信頼されていないか、よくわかる。

 日本では行政指導という政府の関与が話題になる。しかしそれ以上に「官に逆らった経営者」がいた。
 (1)天皇とまで言われた日銀一万田総裁に「川崎製鉄が千葉工場建設を強行するならば、ペンペン草を生やしてみせる」とまで言われた、西山弥太郎の大胆な設備投資、それに刺激され他社も追従した。戦争で古い設備が使えなくなったのは仏・英・独も同じ。しかし欧州の官僚にはあれほど大胆な発想は出来なかった。
 (2)「井深さんはトランジスタを使って補聴器を作るのですか?」と皮肉られ、特許導入を1年間遅らされた東京通信工業(後のソニー)。その1年の間に世界初のトランジスタ・ラジオはアメリカにやられた。大宅壮一に「ソニー・モルモット論」と皮肉られたが、今日の電子産業、官に逆らってトランジスタ特許を導入したソニーに始まると言って良い。
 (3)政府が成長産業を育成しようとした特定産業振興法、それに逆らって通産省で大型政務次官と言われた佐橋滋と喧嘩した、本田宗一郎は1983年のテレビインタビューで、佐橋滋と会った時を振り返り、次のように語っている。 「どうにも納得できないということで、僕は暴れたわけで、特振法とは何事だ。おれはやる(自動車を作る)権利がある。既存のメーカーだけが自動車を作って、われわれがやってはいけないという法律をつくるとは何事だ。自由である。大きな物を、永久に大きいとだれが断言できる。歴史を見なさい。新興勢力が伸びるにに決まっている。そんなに合同(合併)させたかったら、通産省が株主になって、株主総会でものを言え!と怒ったのです。うちは株式会社であり、政府の命令で、おれは動かない」(1995年2月5日、NHKテレビ「戦後経済を築いた男たち」から)
 (4)「官と闘った経営者」ヤマト運輸社長・小倉昌男が始めた「宅急便」、この普及は日本の流通業を大きく変えた。郵政民営化が問題になるのも宅急便の普及があったからだ。
 日本が「官民一体」ならば、仏・英・独は「民なしの、官のみ」だ。官に逆らった経営者たちのハイリスクな事業計画、前例を尊ぶ官僚にはとてもできない。戦後の荒廃はどの国も同じ、日本は度胸のある経営者が力を発揮できる自由な経済体制だった。進化論に例えれば、突然変異が出やすく、育ちやすい環境だったと言える。
 はしょって書きました。「官に逆らった経営者たち」「戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義」をキーワードに検索してください。詳しく書かれたサイトがあります。

戦後復興政策 ヨーロッパ西も東も社会主義
 「資本主義経済では、政府はなるべく経済に介入せず、市場のメカニズムに委ねるべきだ。それなのに日本では政府がマネーゲームのプレーヤーになっている。これでは社会主義のようだ」との見方もあるでしょう。
 でも同時代の欧州先進国、フランス、イギリス、ドイツと比べると日本は「市場原理主義」とも言えるほど、政府の介入の少ない自由経済であった。
 フランス──戦後のフランスはジャン・モネの考えによる「フランスは未だ十分に市場が成熟していないの...続きを読む

Q郵貯の残高照会ってネットで確認できるのでしょうか?

夜間郵便局が閉まってしまった時に
家で確認したくなる事がよくあるので。

是非教えてください。
お願いします  m(_ _)m

Aベストアンサー

利用者の、蛇足の補足です。

本サービスの利用登録をすれば、ネット環境に有る
自宅PCから郵貯口座にログインして、「郵便振替」
「残高照会」「明細確認」が出来るようになります。
http://www.yu-cho.japanpost.jp/service/ihs/ihsintroduce.htm

郵便局で申込書をもらい、1通で3種類の登録可能。
・インターネットホームサービス(PC)
・モバイルサービス(携帯電話)
・ホームサービス(固定電話)
【申込書】http://www.yu-cho.japanpost.jp/service/ihs/s4060.htm
【記入要領】http://www.yu-cho.japanpost.jp/t0000000/t000a049.htm

記入・捺印後、郵貯窓口に差し出すか付属封筒で郵送
すると、「貯金センター」で処理されます。 
登録は1-2週間で完了するようですが、不正取得の
防止の為に再確認の手続きが増えたようです。
なので、使えるようになるには2-3週間位では。
http://www.yu-cho.japanpost.jp/service/ihs/s060328.htm

利用者の、蛇足の補足です。

本サービスの利用登録をすれば、ネット環境に有る
自宅PCから郵貯口座にログインして、「郵便振替」
「残高照会」「明細確認」が出来るようになります。
http://www.yu-cho.japanpost.jp/service/ihs/ihsintroduce.htm

郵便局で申込書をもらい、1通で3種類の登録可能。
・インターネットホームサービス(PC)
・モバイルサービス(携帯電話)
・ホームサービス(固定電話)
【申込書】http://www.yu-cho.japanpost.jp/service/ihs/s4060.htm
【記入要領】http://w...続きを読む


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