プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

看護学生です。
将来はがん看護や、終末期医療に携わりたいと思っています。

かなり重いテーマですが、皆さんのご意見をお聞かせください。がんの告知についてです。

質問は、シンプルにがんの告知は本人にするべきかどうか?です。

今まで私はもしも自分ががんだったら、絶対に告知をしてほしいと思っていました。余命が限られているならむしろ、です。やはり治療方針は自分のことですから自分で決めたいし、残された時間でしたらやりたいことをやれるうちにやりたいから、です。

しかし、最近慢性期の授業でがん告知についての様々な見解を学び、必ずしも告知をすることが正しいわけではない理由を知りました。

一昔前と比べると、告知を行う割合は増えたようですが、本人から告知をしないでほしいという希望があるというのも事実です。

私個人の意見としては、自分の体の状態を知らずに、治るかもわからないまま訳のわからない治療をすることは耐え難いと思いますし、自分の体の状態を本人は知らずに周りの人たちは知っていて隠している、というのは個人情報という面でもどうなのかな、と思います。本人の言わないでほしいという希望がある場合は別ですが…。

長文、そして乱文失礼いたしました。
これからの学びや、将来働く上で役立てたいと思っていますので、小さなことでも、どうかご回答お待ちしています。よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

あまりまとまった話ではありませんが、少し書いてみます。

がんでなくても健康診断というものは結果が気になるものです。ちょっと考えると、結果がよければ安心し、悪ければがっかりするものだということだと思われています。私も長い間そのように考えていましたが、最近は少し違う考え方になりました。それは結果がよければ、医師を含めた医療従事者によって支配されないで済むが、悪ければ彼らの支配下に置かれる、すなわち自分の人生を彼らに人質にとられてしまうということが苦痛なのだろうということです。がんの場合は人質にとられたうえに、彼らによって殺されてしまうということが重なって苦痛はさらに大きくなります。患者は大なり小なり医療従事者に対して恐怖心あるいは警戒心を持っています。厳しい上司の前に立っている部下のようなものです。このたとえで行くならば、その医療従事者が患者にとって尊敬あるいは信頼できるようであれば、告知を受けても少しは楽かもしれません。しかし患者は最近では医療従事者を無条件で尊敬することはなくなっています。ここにも問題があります。私の結論を言えば、告知によって患者を支配してはいけないということです。言葉が足りないと思いますが、補足欄でご指摘ください。返事は必ず書きます。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。

参考になります。
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2014/02/14 00:50

身内にがんになった経験がある人間です。



基本としては、本人に告知するべきだと思っています。

特に質問者様の目的としている場が「終末期医療」であれば特にそう思うんです。
わかっていれば治療にも専念できますしね。

ただ・・・告知は本当に心身ともにかなりのショックを受けます。
それを耐える事が出来るかも重要になってくると思うんです。
また、進行具合にもよって話が変わってくると思うんですよね。

ですので、基本は告知する事を前提に
ご家族がいらっしゃる場合はご本人の精神状態や性格を確認した上で
最終的に判断するべきかなと思います。

私としては、進行具合に関わらず告知してほしいなと思います。
自分がどういう状況でいつまで生きられるかはわかっておきたいですからね・・・。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。

参考になります。
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2014/02/14 00:50

病院のシステムの事はよくわからないのですが


基本的にまず本人に確認して
告知して欲しい人には告知し
して欲しくないという人にはしない
ということで良いのではないでしょうか。

決まりごととして保険証を持つ人すべての
人にその意思表示を義務つけるのです。

そういう単純な話では無いのかもしれませんが
個人的にはそれでいいような気がします。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。

参考になります。
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2014/02/14 00:50

医師です。

癌治療をしています。

今、告知をせずに癌を治療することはありえません。
かならず本人に告知をしたうえで治療を行います。

昔と違って情報が氾濫していますので、本人に隠したまま
治療するなんて無理なんです。

家族が本人への告知を拒んだ場合は、うちでは治療できません
と言います。

本人が告知して欲しくないといっているのであれば
家族に説明してどうするか決めます。
告知しないままでいくのであれば緩和治療のみです。


つまり、本人に告知しないという選択枝は緩和治療の時のみ
です。

告知をするべきかどうか、告知することが良いことか悪いことか
は医療者側が考える問題ではなくなりました。

医療者側のスタンスは決まっております。
本人に必ず告知をする。
告知をした上で癌治療を行う。
もし何らかの理由で告知が出来ないのであれば、積極的癌治療は
行わない。
緩和治療のみを行う・・・です。
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この回答へのお礼

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参考になります。
ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2014/02/14 00:50

 現実問題として、「医療従事者としての責任の所在」というものがあるので理想的な話と運用的法律的に何がただしいとかいうものとは異なる可能性があります。

ただ、今回はこの点はとりあえず無視して理想論を考えます。

 そもそも人が人として生き続けることというのは生物である以上永遠ではありません。人間の平均寿命はせいぜい60-80歳程度なわけですから実際そのくらいの年齢になったら体の様々な異常(疾患)がみつかってくることはある意味寿命とも言えるわけです。これが20歳ならともかく、実際にがん患者さんは高齢な方が多いでしょうからがんという病気が、ある意味現代社会での寿命のあり方という捉え方も出来るかもしれません。「人は生まれていつか死ぬものである」ということをありのままに捉えるとすると、従来の医学の目指すべき「生かす」という考え方はある意味自己矛盾しており、その中心的な議論の位置にある終末医療の考え方というものが挙げられるでしょう。そういう考え方を推し進めていくと、結局個人の死ぬ時を個人がどのように考えて選択するべきかという課題にもつながるわけで、結局第三者としての医療従事者はその個人の意思を尊重できるように最善を尽くすこと以外何もできないのです。ここに前提となるのは、その本人の意志(広義でいうなら本人を含む家族の意志)なわけであって中心となる本人を外すことはできない、すなわち告知をしないことは無理でしょう。

 一方で、がん患者に告知しないというのは、その辛い選択を患者にさせないであげようという配慮になります。これが先ほどの「個人の意志を尊重するべき」という点からすれば身勝手な選択であることは否めないのですが、「80歳になったから自分の死を受け入れるか、最後まで粘るか決めてくれ」と言われて決断に自信を持てるかと言われるとそれは難しいのです。ある意味「お父さんとお母さんのどちらかしか助からないからどっちを助けるか選択してくれ」と言われているようなものでもあるんですね。さらに言えば、高齢者の方からすると多分周りに迷惑かけたくないから延命はしないでくれ、と言っている場合は本当にそれがその方の(本当の)意志なのか?あるいは家族は本当に迷惑なのか?そもそも本当の意思ってなんなのか?なかなか難しいと思います。その患者さんのがんがどのくらい危険な状況なのかも結局医者にしか本当には分かっていない状況で、どうするべきかという選択肢を迫られても判断できないと思うことだってあるかもしれません。医者からすれば治療する方がはるかにいいと思っても、本人が不要と主張するかもしれません。生きていく過程で、自分が死ぬ時のことに準備出来る人がどのくらいいるのか、そしていざその時になってそれまでの意志が揺らがないのか、それらは本当に難しい問題かと思います。それを究極的に突き詰めていくと、オランダとかで合法と言われる尊厳死とかの考えにもなるでしょう。

 よってあくまで個人的にはですが、基本的には隠し事はなしで、告知して決めるべきものなのでしょう。ただ、その意志と単純にいっても、深く考えると「決断してください」と突きはなすようで本当の決断になっているか、十分本人が考えて決めた価値なのか難しいのが意思決定の難しさとも言えるでしょう。「自己責任」というのは聞こえはいいですが、責任を伴う意思決定ほど簡単なものではありませんよね。より医学的な視点から見ると、まだ頑張れる状況にあるかもしれない、だけど本人が断固として死ぬと思っているなんてこともあるかもしれないですよね。現実的には、告知する方向に向かっているのは現場でのやりやすさとか後々もめたりしないようにというまあ「責任問題」の色が強いのかもしれませんが、これまで「告知しない」という選択をとってきた医療機関あるいは医者はもしかしたら患者さんのためをすごく思っている判断なのかもしれません。つまり、「告知するかしないか」というよりも「告知してからの本人の意志の尊重の仕方」というものが難しいわけで、あくまで第三者でしかない医療従事者がどのようにしてかれらの苦痛や治療をサポートできるのかということが真の課題とも言えるのではないかということです。
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この回答へのお礼

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ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2014/02/14 00:51

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