dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

逆に死刑反対派の人に伺いたいのですが、

もしも、自分の肉親がすごく酷い殺され方をしても死刑反対を唱えられるのでしょうか?

以前、何年か前に私の地元で、20歳前後の女の子が自転車走行中に、車にぶつけられ、そのまま車に乗せられて山奥に連れてかれて、意識のある状態で灯油をかけられて殺された事件がありました。犯人は公判で反省していると情状酌量を訴えていましたが、そんな奴に人権などあってはならないと思いました。

そんな奴は死刑どころか同じ事をしてやっても良いと思っています。もし私がその子の父親だったらと思うと・・・「あの時自転車で行かせなければ・・・」と一生後悔すると共に、その男を自分の手でぶっ殺したいと思うと思います。私には二人の娘がいますが、もしこんなことがあったら、死刑反対などと言ってられません。死刑反対なんて言ってる奴まで殺したいと思うと思います。間違いなく・・・

死刑反対派の皆さんなら、どう考えますか?

A 回答 (8件)

肯定派の人には申し訳け無いが いずれは死刑は無くなります



人の命に 代えられる他の物が この世に無い限り 死刑 そのものの間違いに気づいた時 新たな刑法が必要になるから

 日本の打ち首から始まった 悪しき風習は終わらなければならない

これが事実です
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>肯定派の人には申し訳け無いが いずれは死刑は無くなります
十分ありえると思いますが、その前に日本が滅びるかもしれませんね。

お礼日時:2014/01/24 15:42

単純には言えないでしょう。



「加害者が死刑になって少しはうかばれる」と思う遺族もいれば「加害者が死刑になっても死んだ人間は返らない。むしろ憎むべき相手がいたほうがよい」と思う遺族もいるでしょう。

裁判での弁護は被告の刑事罰を軽くすることが目的ですから感情的には理解しがたい主張がされることはいたしかたないかと思われます。
判決がそれに惑わされなければやむなしかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/26 20:59

死刑存続の意見を持つ者です



死刑存続の意見として遺族感情が挙げられることがありますが、私は必要以上に遺族感情を考慮すべきではないと考えています。

「もし自分の家族がそんな目にあったら」

では遺族がいない人は?
親が自分の子供を殺した場合は?
声高に犯人の死刑を求める遺族がいない場合は死刑は考慮されなくてもいいのでしょうか

遺族感情により刑を重くすべきだというのであるば、刑を重くすべきだと主張する遺族がいない場合、罪を軽くしなければなりません

自分に置き換えるというのは、自分には分かりますが、言い換えれば自分にしか分からないのです


死刑に値する人間がいるか否かは分かりかねます
しかし死刑に値する犯罪は確実に存在します
    • good
    • 0

私は死刑反対派ではありませんが……



そのような状況になったことがないのでわかりません。
そして、質問者様もただ「そうなると思う」と想像しているだけの単なる部外者です。

被害者、被害者遺族と一言で言っても、その状況は事件ごとに様々ですし、個々人によって感じ方も違うはずです。そんなもの、部外者が想像をしても、仮定に仮定を何段にも積み上げるようなもので、ただの妄想とかわりません。
被害者遺族の感情についての議論は、被害者遺族がやればよいのです。部外者である人間は、部外者としての立場で、物事を考えるべきことでしょう。
この仮定、というの何の意味も持たないものです。むしろ、単なる部外者が被害者遺族はこうに違いない、と決め付けて、「こうしろ」などと言うのは、被害者遺族に対する侮辱そのものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

結局私たちはマスコミに毒されているのかもしれませんね。

お礼日時:2014/01/26 20:57

もし、家族を殺した犯人に対して死刑を望み、その通りになった場合、自分の発言で犯人とはいえ人の命を奪ってしまったのではないか、と一生悩み苦しむでしょう。

私はその重荷に耐えるなら、罪のみを憎むことを選びます。

私は復讐を望みません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/24 23:07

どっちでもいい派


可能か不可能かでいえば可能。
十年もたてば慣れるんじゃない。
    • good
    • 0

肉親には仕返しの権利があるのか?


有るのかもしれませんね・・。

法整備をしてそういう枠を作ることは、考えても良いかもれない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/24 20:18

 死刑賛成か、反対かという二律背反論に疑問を持っている者です。

死刑を存続しても、廃止しても、凶悪事件が無くなる可能性はありません。社会問題の解決以外に凶悪事件を根絶する方法は無いでしょうし、それが難しいのも事実です。

 死刑制度が作られたのは、社会問題の政治的解決手段としての死刑の政治利用が目的だと考えます。死刑が無ければ、報復主義が台頭し、殺したら、殺し返すという仇討ちが多くなるという人もいますが、報復を恐れて、被害者だけでなく、被害者の家族や親戚まで皆殺しにする殺人事件が起こる懸念もあります。

 もちろん、見方を変えれば、死刑は見せしめとしての性格が強く、殺人犯を死刑にする事で社会的制裁がおこなわれる安心感を民衆に与える為の政治だと考える事も出来ます。

 死刑と政治が不可分の状況にあるとすれば、死刑制度の廃止は難しいでしょう。死刑制度を廃止しても社会問題が解決しない以上は、殺人事件は起こり続けるでしょうし、凶悪殺人も無くならないでしょう。

 死刑を無くすのは理想かもしれませんが、オウム事件の例を言うまでもなく、反省を悪と考え、犯罪の繰り返しを善とするカルト宗教団体が存在する以上は、ナチズムのように、死刑の免除が大量殺戮に繋がる危険も考えられます。死刑制度に関しては多くの議論を重ね、社会的認知を得た上で、死刑に代わる制度を確立して行くしかないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>ナチズムのように、死刑の免除が大量殺戮に繋がる危険も考えられます。
ナチズムってユダヤ人を大虐殺したんですよね。

お礼日時:2014/01/24 15:45

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!