天使と悪魔選手権

 いろいろ調べると、「了解」は「ぶっきらぼうで敬意が不足」なので避けたほうがよいようです。「了解です」も同様でしょう。
 でも「了解しました」「了解いたしました」が不適切な理由がわかりません。

■下記にある『明鏡国語辞典 第二版』の記述
http://m.news-postseven.com/archives/20121207_15 …
================引用開始
「りょうかい【了解 諒解】
1:物事の意味・内容・事情などを理解すること。
2:理解した上で承認すること。

 近年、目上の人の依頼、希望、命令などを承諾する意に使う向きもあるが、慣用になじまない。(ぶっきらぼうで敬意が不足)『分かりました』『承知しました』のほか『かしこまりました』『承りました』などを使いたい」
================引用終了
 原文が少しわかりにくいのですが、『明鏡国語辞典 第二版』の記述と思われます。
 これは「了解」の話ですよね。「了解(いた)しました」が「ぶっきらぼうで敬意が不足」とはとうてい思えません。

■下記にある『敬語』の記述
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/2329408.html
================引用開始
「了解しました」でも「了解いたしました」でも、敬語としては問題ありません。ただし、#3の方のおっしゃるとおり「了解」自体に尊敬の意味が含まれていないこと、また一般的な日本の大人社会を考えると、「かしこまりました」などを用いた方が無難でしょうね。
参考文献 菊地康人 「敬語」 講談社学術文庫
================引用終了
 この『敬語』は手元にあるのですが、このような記述は見当たりません。該当ページがおわかりのかたは教えてください。
 仮に〈「了解」自体に尊敬の意味が含まれていない〉から×ならば、「承知」も×になる気がします。

「了解しました」「了解いたしました」が不適切な根拠をご存じのかたは教えてください。

A 回答 (28件中11~20件)

#14です。



1.
> いずれにしても、「承知する」は謙譲語Iではないということでよろしいでしょうか。

そのとおりです。
#10で述べたことの繰り返しになりますが、コピペを再掲いたします。
-----------------------------------------------------------------------------
「承る」という語には謙譲の意味があり、それゆえ「承知」という熟語は謙譲語のニュアンスになるでしょう。
ただ、たとえば、これが「了解」の謙譲語である、といった記述は目にしたことがありませんし、私もこれが謙譲語とは思っていません。
しかし、そのニュアンスがある以上、相手にはそれが伝わるわけですから、『謙譲語の働きがある』と言って差し支えないと思います。
-----------------------------------------------------------------------------
余談ですが、今回のご質問において、謙譲語であるのか、または、『謙譲語の働きがある』のか、ということは本質的な論点からは離れると思っています。

2.
> すでに書いたように、多少なりとも謙譲語性がある「承知する」のほうが「了解する」よりも適切、という考え方ならアリだと思います。

全くおっしゃるとおりだと思います。
そうであれば、問題はすでに解決しているのではないでしょうか。
「謙譲語性がある」ということが『「承知する」のほうが「了解する」よりも適切』な理由である、ということをお認めになっているわけですよね。
ということは、「了解する」には謙譲語性が無い、ということもお認めになっていることになる。
謙譲語というのは、自らの行為を謙ることによって相手に敬意を表す、という用法です。
その性質を持たない(敬意を表す意図の無い)「了解する」という表現を、敬意を表わすべき相手に対して使えば失礼になるという、きわめて自然な論理(理由)だと思うのですが。
なぜ、『この論理では「了解(いた)しました」が不適切な理由にはならないでしょう』とおっしゃるのか良く理解できません。

3.
>つまりhakobuluさんの考察は〈「了解(いた)しました」は不適切ではない、むしろ「わかりました」のほうが敬度が低い〉ということでよろしいでしょうか。

そのとおりです。

4.
> 当方の質問の趣旨は「了解(いた)しました」が不適切な「論理的な理由」を教えてほしい、ということです。現段階では見当たりません。

理由については何度か繰り返し申し上げたつもりです。
再掲しますと、
-------------------------------------------------------------------------------
『「承」という字の含まれていない点が、「了解」敬意不足論の根拠になっているような気がします。(#7)』
『「了解」というのは、自分側が理解することに重点を置き、分かるという行為の対象である、相手からの情報に対しての顧慮が不足気味である、といった理由で敬意不足と評価されてしまうのかもしれません。(#7)』
『つまり、敬意を表していないこと自体が失礼となる場合もあるだろうからです。
まあ、しかし、このあたりは無意識、感性の問題ですから微妙な問題でもあるのでしょう。
似たようことが「承知」は OK だが、「了解」は不可という論拠になっているのかもしれません。
敬意に対して消極的であるという点で敬意がない・・・といった理屈である可能性はありませんかね。(#8)』
-------------------------------------------------------------------------------
以上、わたしとしては「論理的に」述べているつもりです。
上記2でも、さらに述べましたので、再度ご確認いただければ、と思います。
これらの論理が通じないということであれば、わたしの説明能力の限界だろうと思います。
  
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この回答へのお礼

 hakobuluさんの回答が非論理的と言う気はありません。むしろいままで見たどんな文献よりも論理的な気がします。
 しかし、「了解(いた)しました」が不適切な「倫理的な理由」にはなっていないと思います。
 何より、hakobuluさんご自身が「了解(いた)しました」を不適切とは考えていないんですよね。当方も「不適切」とは思えません。
〈多少なりとも謙譲語性がある「承知する」のほうが「了解する」よりも適切〉だからといって、「了解(いた)しました」が不適切とは言えないと思います。
 以下は数日前に書いたブログからの抜粋です。

 いままで見たもののなかでは、下記1)がイチバンいいと思う。
「了解」「了解です」「了解しました」「了解いたしました」〈2〉に書いたことを再掲しておく。

1)【「了解しました。」は敬意表現にならないか。】
http://www.ninjal.ac.jp/QandA/vocabulary/ryokai/
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
〈「了解」に敬意は含まれていないが、あらたまった漢語なので、使う人は〈敬意〉を含むと勘違いしているのではないか〉。
 そういう考え方をするなら、「承知」も「了承」も×だろうね。語尾を別にすると、敬意を含んでいるのは、謙譲語の「承る」「承りました」あたりだろう。「かしこまりました」も敬意を含んでいるけど、これが謙譲語か否かというのは別の話になるのでパス。
【ネタ元4】で肝心なのは、〈本来待遇の意味を含まない「了解しました。」が,どうして「ぶっきらぼう」に感じるのか,と探究しても,理屈で余りはっきりとは説明はつかない〉ってこと。要は、論理的な理由はないってこと。
 もうひとつ大事なのは下記の部分。
================引用開始
結局思い当るのは,日常の言語生活上の,円滑なコミュニケーションに肝心なのは,もっとふさわしい言葉があれば,そちらの方がよい,とすべき,ということです。いうまでもなく,「わかりました。」「かしこまりました。」「承りました。」など,別にもっと良い言い方が,いろいろあるではないか,その場合には,それに譲ればよい,ということです。
================引用終了
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 新たに2)を見つけた。これは3エントリーにわたる力作。
「軍隊用語っぽい」に関しても〈2〉に書いた。
================引用開始
 軍隊や刑事ドラマでは目上に使わなかった……ではなく、話が逆だろう。簡潔を重んじるために使われた「了解」は、元々は一種の業界用語として軍隊などで上下関係抜きで使われていた。でも「ぶっきらぼうで敬意が不足」に感じられるから、現代では目上には×ってこと。「了解です」も「ぶっきらぼうで敬意が不足」気味だから×。「了解(いた)しました」が×なのは、濡れ衣トバッチリを受けているだけって気がする。
================引用終了

2)【「分かった」の敬語 その2 (「了解いたしました」「了承いたしました」「うけたまわりました」)】
http://dora0.blog115.fc2.com/blog-entry-45.html
================引用開始
了解いたしました。
この表現は、結構良く見かけます。
「あなたの言うことを良く理解したよ」という気持ちを表明する意味では、かなり適切な熟語である気がします。
でも、あまり好まない人も多いですよね。
「軍隊用語っぽい」「くだけた感じがする」など、批判的な感情を持つ人が結構います。
不快に思う人がいるのなら、なるべく避けておいた方が良いですよね。
================引用終了

 
 ただし、どちらも「了解しました」「了解いたしました」が不適切な「論理的な理由」にはなっていないと思う。現段階ではやはり〈2〉に書いたことを結論にするしかない。
================引用開始
 結論。
 目上に「了解(です)」はやめたほうがいい。「了解(いた)しました」を×にする論理的な理由はない。
 しかし、ここまで「了解(です)」「了解(いた)しました」の評判が悪くなってくると、例によって使わないほうが無難。
 国立国語研究所がおすすめの「わかりました」「かしこまりました」「承りました」あたりを使うべきだろう。当然のことだけど、まず相手の言っていることは理解してね。
 ネット記事では「わかりました」も×なんて主張も目にする。根拠もなくそんなこと言われてもさぁ。
================引用終了

 ただ、「わかりました」も要注意って気がしてきた(×とまで言う気はない)。
 理由は2)【「分かった」の敬語 その2 (「了解いたしました」「了承いたしました」「うけたまわりました」)】や、質問版のhakobuluさんの発言をご参照ください。

お礼日時:2014/02/10 12:45

〇か×のいずれしか認識できないようですね。


枯れ木も山の賑わい、遠慮する人に、枯れ木といえども山の賑わいに必要不可欠、として励ますつもりで言ったところ、露骨にいやな顔をされた。
実は、枯れ木、は邪魔のもの、不要なもの・・・が本当の意味なんですね。
同様に、了解、の意味をどのように認識しているかにより当然異なります。
私の認識では、無線通信の交信、電話と違い相槌は相手に通じません、話しているほうも、伝わっているのか確認できないまま話続けます。
そこで、了解、まとめて相槌(長々ご苦労さん、言ってることはすべて伝わりました)、電話なら文節毎にも可能だがまとめるため、了(すべて)解なんです。
相槌なら、面と向かっているときは、うなずくだけで、言葉は不要です(結論1言葉不要の場面に言葉である敬語の出番はもともとなかった)。
飛行機のパイロットと管制官のやり取り、待機の指示、使用滑走路の指定等もあります、対して確かに、了解しています。
でも了解はあくまでも、情報としてです、指示に対して動く意味は含みません、どう動くかは、航空法とかパイロットとしての教育の中ででどんな義務があるか教えられています、それに基づいて自身の判断で行動します。
そんな、やり取りを、「カッコ良い」と思った人が表面だけ真似したとき、通常会話では相槌が十分打てるため指示、内容について承知したと勘違いして使用してもおかしくありません。
そうなると、適切、不適切なんか関係なく、後は野となれ山となれです、強制する気はさらさらありません、私には何の実害もありません。
もって他山の石、とするかどうかはそちらの自由です。
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この回答へのお礼

>〇か×のいずれしか認識できないようですね。
 それは「了解(いた)しました」を×としている方々だと思いますが。
 当方は状況によっては「了解」だってOKだと考えています。
 詳しくはNo.19のへの「お礼」で書きます。

>もって他山の石、とするかどうかはそちらの自由です。
「他山の石」という言葉をどういう意味会いで使われているのでしょうか。

お礼日時:2014/02/10 12:33

 「承る」が謙譲表現であるとしながら「承く」がなぜ謙譲表現とはならないのか、この両者の間にどれほどの違いがあるとお考えなのか、今一つ僕には納得する説明がなされておりませんので、議論がかみ合っていないのだと感じます。


 「承く」を「受く」の派生語と理解するならば、「承る」も「受け賜る・受け給わる」であるはずです。この論理のどこに矛盾があるのか、ご教示願えれば恐縮です。
 「承知致しました」は貴方様の仰る内容や指示を当方は了解し受領しましたので、その様に致します、との理解では不十分でしょうか。
 指示を仰ぐ→指示が出された→それに基づいて行動する、との意識と行動の過程の変化を示す語と理解するなら、了解の延長線上に承知がある。了解が発言者の意識であり、それに対応して応える相手が発言者よりも目上であるなら、了解と承知を同列に並べるとの論旨に危うさも生じるのではないでしょうか。
 この菊池氏の見解も実際に国語学や国語教育の場で同意を得ているかとの疑問も生じてきました。これは素人考えですので、お気に召さねば削除を求めて下さい。
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この回答へのお礼

 確認いたしますが、No.3で回答してくださったかたですよね。
 No.3の回答は非常に勉強になりました。重ねて御礼申し上げます。
 No.12/No.13/No.17の回答は質問内容との関連性が薄い気がします。当方の読解力不足でしょうか。
 はかのかたへの「お礼」をご参照ください。

>「承く」を「受く」の派生語と理解するならば、「承る」も「受け賜る・受け給わる」であるはずです。この論理のどこに矛盾があるのか、ご教示願えれば恐縮です。
 当方にそのようなむずかしいことを訊かれても……。

>この菊池氏の見解も実際に国語学や国語教育の場で同意を得ているかとの疑問も生じてきました。これは素人考えですので、お気に召さねば削除を求めて下さい。
 当方も詳しくはありませんが、菊地康人先生は言語学(だと思います)のトップクラスの研究者だと思いますが……。

お礼日時:2014/02/07 14:24

単なる思い付きですが。


言葉明瞭意味不明、また、聞き置く、という言い方。
日本語であり、個々の言葉は自分の知っている言葉である、その限りにおいては、わかりました(了解)、で具体的にどうすればよいのか、まったくわからない(意味不明)。
言っている言葉も意味も理解した(了解)、でもそれに沿って行動はしない(聞き置く)。
了解は単に「ハイ」で済むところを了解を使ったでけ。
通常会話でも「ハイ」に続けて、具体的な行動について述べるのがおおいのでは(もちろん省略される場合もあります)「ハイ、そうします」、「ハイ、それでは・・・・」。
となれば「ハイ」は意味のある言葉に該当しないのでは。
言葉は聞いたが、それに従った行動するつもりがないのに、敬語は・・・・?。
または、単なる返事に敬語をつける必要性は?。
承知、は言葉だけでなく、その内容に沿った行動を起こすことも含めるとすれば・・・。
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この回答へのお礼

No.15の「お礼」をご確認ください。

お礼日時:2014/02/07 14:03

不適と言ったつもりははないんですけどねー。


了解を使いたがるがるのは、私の知る限り、俗にいう、ええかっこい、またはそのまねしい。
近隣の日常会話ではまず聞くことはありません。
特定?の業務についている人達のサイン、隠語とまでは言いませんが、としたら、敬語でなくても、丁寧語も謙譲語もあえて不必要では・・・・とおもうだけです。
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この回答へのお礼

 当方の質問は、〈「了解しました」「了解いたしました」が不適切な根拠をご存じのかたは教えてください〉です。
 その点についてはどのようにお考えでしょうか。

お礼日時:2014/02/07 14:02

#10です。



1.
> No.8の回答にあった〈このような謙譲語1+謙譲語2〉〈承知しました」だけでも、行為の向かう先としての相手としては謙譲語1〉はちょっと違うと思ったもので……。

厳密に言えば、たしかにご指摘のとおりです。
「謙譲語1とほぼ同様の働きをするもの+謙譲語2」と読み替えていただければ幸いです。(ただ、わたしとしては、ほとんど同義と思っておりますが)
今回のご質問の骨子は、謙譲語であるか否かではなく、なぜ失礼だという説が存在するのか、ということだと認識しております。
その認識に沿った記述でしたが、認定されている定義と個人的な定義をごっちゃにしてしまったということをご指摘になるのであれば、それは認めます。
ただ、「謙譲語ではない」ということよりも、「多少謙譲語性がある」という点のほうが重要ではないかと思います。
また、菊池氏が「あるいは失い」とも述べているとのことですが、結論としては「ただ改まった言い方として使われていると捉えるべき」としているわけです。
なぜ改まった言い方になり得るかと言えば、それは謙譲性が含まれているからに他ならず、結局は謙譲性を認めていることになりますし、ご本人の本意がこちらにあることは明らかでしょう。

2.
>「了解(いた)しました」よりも謙譲語性のニュアンスがある「承知(いた)しました」がふさわしい。
 それは承知しております。
 ただ、そう考えるなら明確な謙譲語である「承りました」のほうがもっとふさわしい、とも言えそうです。「かしこまりました」でも同様ですかね。

「承る」には、「承知する」にあるような、知る・わかる・理解する・聞き入れる、といった意味が含まれていませんから、シチュエーション次第ではありますが、常に言い換えが可能になるわけではありません。
基本的には別の言葉と考えるほうがよろしいかと思います。
「かしこまる(畏まる)」は最上級の謙譲語になります。
これは、了解とか、承知とかいう意味を超えて、あくまで「身分の高い人、目上の人の前などで、おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる」という語義だからなのでしょう。
つまり、なにか具体的な行為に対する謙譲表現ではなく、相手の存在そのものに対する敬意になるからなのだと思います。

3.
> ただ、世間では「承知(いた)しました」はOKで「了解(いた)しました」はNGとされています。なかには絶対ダメなどという主張も見聞します。
「了解いたしました」なら、れっきとした謙譲語なのですが……。
 そのことを論理的に説明している文献などがあれば……と思ったのですが。
 仮に「了解する」が単に「わかる」の意味だから×……ということなら「わかりました」も×になると思うのですが。

a.
まず、敬意の順で言うと、
わかりました<了解しました<承知しました<畏まりました、となると思います。
後者の2つ、「承知する」「畏まる」が謙譲語として認定されているか否かは、わたしにはわかりませんが、少なくとも、その働きはあるはずです。

b.
次に「了解いたしました」について。
この「致す」は謙譲語2(丁重語)です。
「自分が話す対象としての相手」に敬意を表す用法です。
次の例がわかりやすいかと思います。
・課長→同僚「社長にご連絡した」
・課長→部長「社長にご連絡いたしました」
この2文は、どちらも社長に対する謙譲語1が使われています。自分の「連絡するという行為の向かう先」が社長なので謙譲語1を使っているわけです。ですから、「(ご連絡)した」と言っても社長に対して礼を失していることにはなりません。
しかし、部長に対して「(ご連絡)した」と言うのは不可です。
「自分が話す対象としての相手」としての部長に対して謙譲語2(丁重語)が使われていないからです。
それで「(ご連絡)いたしました」と表現するわけです。

これらと同じことで、「了解する」に謙譲の意味が含まれていないという前提に立った場合、「了解いたしました」は、「了解するという自分の行為の向かう先」に対する謙譲語1にはならない、ということがおわかりになると思います。
「いたしました」は、話している相手に対する謙譲語2(丁重語)にすぎないわけです。
おそらく、質問者さんとしては、「了解するという自分の行為の向かう先」と「自分が話す対象としての相手」が同一人の場合を想定されていると思います。
また、実際に、そういう場合が多いでしょう。
ただ、その場合でも、行為の向かう先として敬意を払うのか、話す相手として敬意を払うのか、では意味合いが異なってくると思います。
なぜかというと、謙譲語1の意図は、あくまで自分の行為を謙って言うことだからです。
「了解する」という自分の行為に対して謙っていない、という点が好ましくない、という理屈になるのではないか、と思います。
菊池氏の場合も、
『 なお、「持参」「承知」は、「参」「承」という字を含むので、謙譲語性が感じられる面もある(とくに「持参いたしました」「承知いたしました」「承知いたしております」というような場合は、もちろん「いたす」の力にたすけられるところもあろうが、謙譲語性は感じられよう)』と述べていることから推測すると、同じような勘違いをしている可能性があるように思います。
「いたす」の力は、謙譲語1ではなく、あくまで謙譲語2としてより働いていないのです。

c.
「わかりました」は、基本的に NG ではないかと思います。失礼と言うよりは、砕けすぎているといった印象でしょうか。ただ、シチュエーション次第、また、目上とはいえ相手との関係によっては親しみを表すために有効である場合もあることでしょう。
 上記 a でお示ししましたように、「了解する」は「わかる」よりも丁寧度が高いと思います。
個人的には特に失礼な表現とは思いません。
しかし、繰り返しになりますが、敬意を明確に示すことのできる表現とも思いません。
天皇陛下から何か頼まれて、「了解いたしました」とはおそらく言わないような気がします。
これは、「相手の言ったこと」よりも「自分が理解したこと」に重点が置かれている表現だからでしょう。少なくとも、相手に向かう自分側の行為を謙る、という意図はほとんど無いと言ってよいと思います。むろん、話している相手にたいして丁重に述べる、ということだけは為されているわけですが。
  
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この回答へのお礼

 ウーン。
 hakobuluさんはこのカテゴリーの常連回答者のなかでも有数の知識の持ち主……と当方は考えています。今回は回答がすんなりとは理解できず、もどかしく思っています。

1.に関して
「承知する」が謙譲語Iと「ほぼ同様の働き」なのか「似た働き」なのか「近い働き」なのか、そのあたりの感じ方は個人差があると思います。
 いずれにしても、「承知する」は謙譲語Iではないということでよろしいでしょうか。当方はそこに疑問を感じただけですので。
 菊地先生も、「(基本的には)ほぼ同様の働き」くらいに考えている感じもありますが、謙譲語Iではないとしています。
 すでに書いたように、多少なりとも謙譲語性がある「承知する」のほうが「了解する」よりも適切、という考え方ならアリだと思います。
 しかし、世間の「了解」否定派でそのような説明をする人はほとんど見ません。しかも、この論理では「了解(いた)しました」が不適切な理由にはならないでしょう。

2.に関して
>基本的には別の言葉と考えるほうがよろしいかと思います。
 だと思いますが、世間はそうは考えていないようです。「了解(いた)しました」の言いかえとしてあがるのは、「承知(いた)しました」のほか、「承りました」「かしこまりました」です。「わかりました」に関しては賛否あるようです。
 個人的には、一般的な人間関係なら「わかりました」を×にする理由はないと思います。敬度が低いことは留意するべきでしょうが。

>「かしこまる(畏まる)」は最上級の謙譲語になります。
「かしこまる」が謙譲語か否かに関しては、個人的にはちょっと疑問をもっています。ただ、世間はそのように考えているようなので、逆らう気はありません。

3.a.に関して
>「承知する」「畏まる」が謙譲語として認定されているか否か
「2.」には〈「かしこまる(畏まる)」は最上級の謙譲語〉とありますが……。
 当方の考えは↑に書きました。

3.b.に関して
 このあたりのことは存じております。シックリしない点もありますが……。
 ただ、世間の「了解」否定派で、謙譲語Iと謙譲語IIの違いにまで踏み込んでいる説明は読んだことがありません。

>「了解する」という自分の行為に対して謙っていない
 そう言えるかもしれません。
 世間の「了解」否定派はそんなことまで考えてはいないようです。

3.c.に関して
 ↑に書いたとおりです。

>上記 a でお示ししましたように、「了解する」は「わかる」よりも丁寧度が高いと思います。個人的には特に失礼な表現とは思いません。
 つまりhakobuluさんの考察は〈「了解(いた)しました」は不適切ではない、むしろ「わかりました」のほうが敬度が低い〉ということでよろしいでしょうか。
 当方の質問の趣旨は「了解(いた)しました」が不適切な「論理的な理由」を教えてほしい、ということです。現段階では見当たりません。
 そう思いながら、これだけ評判が悪いと使わないほうが無難だろうな、と考えています。

お礼日時:2014/02/07 13:59

 「承く・承ける」の語に関して。


手許にある『古典基礎語辞典』(大野晋編 角川書店刊)の「承る(うけたまは・る)」の項には次の説明がありましたので紹介させていただきます。

引用開始**********************************************************************************

ウケは動詞ウク(受く カ行下二段活用)の連用形。タマハルはタマフ(賜ふ ハ行四段活用もしくはハ行下二段活用)の受身形で、いただく意。目上の人から物や命令をお受けする、いただくが原義で、「受く」の謙譲語として使われる。そこから、命令を受けるばかりでなくそれを承引・承諾・承知するときの謙譲語としても使われるようになる。
 そのほか、例は多くないが、平安女流文学の会話文では、手紙などをいただくことから、拝見するの義で使われた例もある。さらに、「受く」ではなく、キク「聞く」の謙譲語として使われることも多い。『名義抄』で漢字の「聴」にウケタマハルの訓があることが、その裏づけとなる。
 **********************************************************************************
引用終わり

 >おそらく、「承ける」の意味合いのものは謙譲語性がほとんどない。「継承する」「承継する」「承前」あたりがこれだろう。
 一方、「承る」の意味合いのものは、多少謙譲語性がある気がする。だが、「謙譲語か」訊かれれば、NOと言うしかないだろう。
 これらの言葉を謙譲語としている辞書があったら教えてください。
 
 上記の大野晋氏の説明が、このご質問に対する回答となり得るかと存じます。つまり「承る」は「受け賜る」とのことになるとの理解になります。「受く」と「承く」は同じ行為を行う者の地位関係を示す点において、敬意の度合いが異なるとの理解が成り立つこととなります。謙譲語ではないとの根拠がおありならばお示しいただきたいと存じます。
 なお更に補足するならば「聴」は奈良時代もしくはそれ以後の平安期では「ユルス」との訓読もあります。これは例の聖徳太子とされる人物が策定したとされる十七条憲法の写本にもみることができます。
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この回答へのお礼

>上記の大野晋氏の説明が、このご質問に対する回答となり得るかと存じます。つまり「承る」は「受け賜る」とのことになるとの理解になります。「受く」と「承く」は同じ行為を行う者の地位関係を示す点において、敬意の度合いが異なるとの理解が成り立つこととなります。
 そのとおりだと思います。
「承る」は謙譲語で、「承く」(承ける)だけでは謙譲語ではないということですよね。

>謙譲語ではないとの根拠がおありならばお示しいただきたいと存じます。
 ここが意味不明です。

お礼日時:2014/02/05 11:19

 この問題を改めて別角度から考察してみました。


古代から中世の史料を読んでいますと、「謹みて言上仕り………」もしくは「謹みて言し上ぐ………」などの文言に出会うことも少なくありません。
 「言上」が下から上への文書の運動であるならば、それはこの時点で敬語表現にあたるといっても過言ではないはずです。
 けれども言葉としての「言ふ」を字義どおりもしくは辞書的に解釈するならば敬語ではありません。したがってそれは敬語ではないとの説明になってしまいそれでは文書に使われている言葉が不自然ではないかとの疑問も当然の様になされます。
 謹みて、との文言が先にあるのだからそれで敬語であるとも説明できますが、実際にはこれがなくとも上申文書の形式であるとの認識も古文書学的にはあります。それは内容から判断しての結論といえます。
 また同時に、臣下からの状況説明を聴いて、上位の者がそれに返答する段階で「承知」と一言返す事例もあります。そうした場合に「承」が敬語であるとの説明が飛んでもしまうとの歪な論理になります。
 これは古語の世界の話ですから、それを現在の国語表記と同列に扱うにも疑義のあるところですが、こんな説明もあるよ、との話をさせていただきました。
 敬語をどの様に位置付けるかは、やはり語尾処理をどうするかとの問題に行き着くのではないでしょうか。

 「了解」も「承知」も語だけを相手に返すなら、それは不十分な回答の仕方であり、だから何なの?、結論を言ってよねとも言いたくなります。日本語は最後まで読まねば、それが肯定文か疑問文か否定文かを確認することの困難な言語ですから、その方が問題であると僕は感じています。何もかもを一般論化するのは性急ではないでしょうか。個別と特殊を詳細具体的な形で検討すべきでしょう。
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この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

>上位の者がそれに返答する段階で「承知」と一言返す事例もあります。
 時代劇では、下位の者の返答でも「承知」があった気がします。
 時代劇はあまり見ないのですが、NHKの『新撰組』で斎藤一(オダギリジョー)が「承知」と言っていたような記憶が……。
 軍隊などの「了解」と同様の使い方だと思います。

>「了解」も「承知」も語だけを相手に返すなら、それは不十分な回答の仕方であり
 そのとおりだと思います。
 当方が考えているのは、〈「了解しました」「了解いたしました」が不適切な理由〉です。

お礼日時:2014/02/05 11:13

詳しくはありませんが、漢字の音読みは大和言葉ではないと認識しています。


神社に祭っている神様の名前、すべて訓読みですね。
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この回答へのお礼

 ではどうして「承知(いた)しました」がOKで、「了解(いた)しました」が不適切なのでしょうか。

お礼日時:2014/02/05 11:08

#8です。



>「承知しました」だけでも、謙譲語の働きがあるのでしょうか。

#7のコピペですが、『「承る」という謙譲の語意が含まれているため、相手の言ったことを謹んで了解した、という謙譲語のニュアンスになる』と思っています。
「承る」という語には謙譲の意味があり、それゆえ「承知」という熟語は謙譲語のニュアンスになるでしょう。
ただ、たとえば、これが「了解」の謙譲語である、といった記述は目にしたことがありませんし、私もこれが謙譲語とは思っていません。
しかし、そのニュアンスがある以上、相手にはそれが伝わるわけですから、『謙譲語の働きがある』と言って差し支えないと思います。

>結局、謙譲語性はすでに薄く(あるいは失い)、ただ改まった言い方として使われていると捉えるべきことになろう(菊池説)
> 一方、「承る」の意味合いのものは、多少謙譲語性がある気がする。だが、「謙譲語か」訊かれれば、NOと言うしかないだろう。(1311tobi説)

どちらにも同意します。
謙譲性が薄い・多少謙譲性がある、ということですね。
hakobulu説は以下のとおりでしたが、左程違いはないものと思います。
『「承知いたしました」の場合は、「承る」という謙譲の意味が含まれているわけですから、「承知するという自分の行為の向かう先」に対して敬意を表しているのは確かでしょう。(#8)』
謙譲性に若干、重きを置きすぎているきらいはありそうですが、謙譲性を否定はしていない、という点で一致しています。
ただ、ここが論点ではなく、然るに、「了解」には、その意味が全く含まれていない、あるいは「(菊池氏の言うところの)改まった言い方」という用法さえ含まれていない、ということのほうが重要でしょう。
『「了解」というのは、~~、相手からの情報に対しての顧慮が不足気味である、といった理由で敬意不足と評価されてしまう(#7)』
『敬意に対して消極的であるという点で敬意がない・・・(#8)』
ということになるのではないかと思います。
  
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この回答へのお礼

「承知しました」に謙譲語のニュアンスがあることを否定する気はありません。
 どの程度感じるのかは個人差があるでしょう。
(菊池説)の「あるいは失い」に注目する人もいるでしょう。
 当方の「多少謙譲語性がある気がする」は「気のせいだ」と言われれば反論できません。
 あくまで個人差の問題であって、「承知しました」は謙譲語ではありませんよね。
 No.8の回答にあった〈このような謙譲語1+謙譲語2〉〈承知しました」だけでも、行為の向かう先としての相手としては謙譲語1〉はちょっと違うと思ったもので……。
「謙譲語I+謙譲語II」は存じています。「ご案内いたします」「拝見いたします」のような形のことですよね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

「了解(いた)しました」よりも謙譲語性のニュアンスがある「承知(いた)しました」がふさわしい。
 それは承知しております。
 ただ、そう考えるなら明確な謙譲語である「承りました」のほうがもっとふさわしい、とも言えそうです。「かしこまりました」でも同様ですかね。

 ただ、世間では「承知(いた)しました」はOKで「了解(いた)しました」はNGとされています。なかには絶対ダメなどという主張も見聞します。
「了解いたしました」なら、れっきとした謙譲語なのですが……。
 そのことを論理的に説明している文献などがあれば……と思ったのですが。
 仮に「了解する」が単に「わかる」の意味だから×……ということなら「わかりました」も×になると思うのですが。

お礼日時:2014/02/05 11:03

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