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第一の死は経験的な通常の死のことでしょう。この通常の第一の死からは誰しも逃れようがないことは明らかです。では、それに続く、第二の死とはなんでしょうか?
第二の死の意味がわからなければ逃れようがないのか、あるのかもわかりません。
第二の死とはどういうことあるいは意味でしょうか? 回答お待ちしています。

A 回答 (21件中11~20件)

mmky様、こんばんは。




「経験的な通常の死と違って、誰しもが勝手に定義可能なもの」
(ただし、(それによる)「人権侵害」は、不可)
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
「経験的な通常の死と違って、誰しもが勝手に定義可能なもの」ということですね。
確かに、みなさんの回答を見ると、死についていろんな考えや捉え方がありますね。

お礼日時:2014/03/04 08:50

例えば、死んだオリンピック・メダリストの記録が


塗り替えられた時、とか。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
<死んだオリンピック・メダリストの記録が塗り替えられた時> とっても面白い回答ですね。
更新を死と捉えるわけですね。

お礼日時:2014/03/04 08:46

存在を忘れられること

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この回答へのお礼

回答ありがとう。
<存在を忘れられること> 同じような回答がありますが、そうかもしれませんね。

お礼日時:2014/03/04 08:43

”死”に関して、物理的な死(体力的・定義)と精神的な死なのが、あるのかです。


第一とか、第二とか・・・と言う表現は不可思議ですが。
いわゆる、”植物的人間”とは、どういう意味合いかを、考えますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
第二の死という表現はヨハネの黙示録20章に出てきますね。変わった表現ですし日本的な表現ではありませんね。第二の死が、”植物的人間”だとすれば、生花のようにしても良いということかな。
切ったり貼ったり自由であれば、臓器の取り出しも自由、つまり、脳死も第二の死にあたるのかな。

お礼日時:2014/03/03 13:39

また、別の角度からの回答になりますが、輪廻転生を前提とした場合の話です。

もし、輪廻転生というものがある場合、転生する主体というものがあります。この主体がなくなって、もう二度と転生しなくなった、という表現があるときに、つまり解脱のことですが、それがあるときに、死という表現はふさわしくないですが、そこには、離れ遠ざかること、があると言えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
解脱はある意味の死ということですね。解脱しても転生はあるんですよ。解脱は自由になることですから、自由意思で生まれることはできるんですね。ただ、洗濯機のように機械的にぐるぐる回る輪転の転生はないということなんですね。ちょっと解脱と死は関係ないような。

お礼日時:2014/03/03 13:31

第二の死とは、生きている間に死ぬことだと思います。

生きているのに、死んでいるようだということです。生ける屍とも言いますが、虚しく人生を過ごしてしまったなら、その人は生前から既に死んでいたと表現していいのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
<第二の死とは、生きている間に死ぬことだと思います。生きているのに、死んでいるようだということです。生ける屍とも言いますが、虚しく人生を過ごしてし・・>
虚しく人生を過ごさない方法を知れば第二の死から逃れられるということですね。
そうであれば、「どうすれば虚しく人生を過ごさないですむか?」という別の設問になりますね。

お礼日時:2014/03/03 13:17

愚かさから脱却したのなら、一つの愚かさから脱却したのなら。


愚かさに入ったのなら。一つの愚かさ入ったのなら。
賢くなったのなら、一つ賢くなったのなら。
病気になったら、回復したら。
絶望したのなら。結婚したのなら。大人になったのなら。さなぎから蝶になったのなら。
何でも言えばよろしいという言葉です。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
なるほど言葉のあやですか。

お礼日時:2014/03/03 13:10

3次元の自己意識を吸収した4次元の自己意識への移行


(第1の死)

4次元の自己意識を吸収した5次元の自己意識への移行
(第2の死)

てな感じかと、、
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
<三次元から4次元、(第1の死)、4次元から5次元、(第2の死)> ということですね。
次元が上がることが死であれば、5次元以上もあるとすれば、(第3の死)・・、(第Nの死)
もありそうですね。死というより覚醒ですね。表現の違いだけでしょうか。

お礼日時:2014/03/03 13:08

>第二の死とはどういうことあるいは意味でしょうか?


⇒以下のとおりお答えします。

「生きながら死んでいる」という表現があります。人間としての心の働きを失って生きている、すなわち、動物的に「息だけしている」状況を言うのでしょう。これぞまさしく「第二の死」ではないでしょうか。いや、むしろ逆に、これが「第一の死」で、肉体の死のほうが「第二の死」かも知れません。

そして、この息だけをしながら生きている(いや、死んでいる)状況から逃れようともがくことこそ、「生きていることの証し」でありましょう。さらに、これが、肉体の死のあとに得られる(かも知れない)「第二の生」、すなわち、「精神の復活」を願う者にとって最低限の条件ではないか、とこのように考えます。

しかし、こう考えると、本当に「人間を生きる」ことはそうたやすいことではないように思われてきます。「無関心は最悪の罪だ」とノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼルは語りましたが、私は日々その罪を犯しているような気もします。ふだん、他人の不幸、世界の友好、人類の幸福などに対していかに無頓着に過ごしているか…。「生きながら死んでいる」、あるいは、「死にながら生きている」。そんなところかも知れません。(脂汗)

おっと、ご回答のつもりが、自戒の弁になってしまいました。このご質問に感謝します。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
<人間としての心の働きを失って生きている、すなわち、動物的に「息だけしている」状況を言うのでしょう。これぞまさしく「第二の死」ではないでしょうか。いや、むしろ逆に、これが「第一の死」で、肉体の死のほうが「第二の死」かも知れません。>
第二の死とは人間としての心が死んでいるということですね。現代では人間も動物もさほどかわりがないように見えますが、人間と動物を分ける心とは何ぞやという別の設問なってしまいますね。
余談ですが、「永遠のゼロ」の主人公は生きようともがくも、自身を助けた者の代わりに特攻機で空母に体当たりしましたが、この主人公には第二の死はないということですね。私も彼らがそのようであったと思いたいですね。

お礼日時:2014/03/03 13:01

人は、肉体的な死のみを、死だと考える。


しかし、本来自我成立のための必要として、自我仮説
(記憶=過去=時間軸)と時空仮説(予測=未来=空間軸)
の相補分化として派生する世界を、本質的に認識せず、
神や金といった外的権威に依存して低認識のまま満足し、
他律的に生かされる時、意識としての世界は希薄化し、
精神的に死にゆく。
もう1つの死だと言えるだろう。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
<意識としての世界は希薄化し、精神的に死にゆく。> 自我意識の死が第二の死ということですね。
自我意識は死後も存在しそうなので、そうであれば第二の死の心配はいらないのかもしれませんね。

お礼日時:2014/03/03 12:44

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