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それは誰にも反論できないものなのですか?

A 回答 (12件中1~10件)

絶対的に正しい、と言うのは勝手ですが、どうせ間違っておりますのでいくらでも反論できます。



しかし、そのような事をいう人は高い確率で精神病を患っているに決まっていますので、絶対にかかわり合いを持ちたくないと思います。
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 そうです。



 「絶対的に正しい」って云っているその視点、立場に於いては誰にも反論できないもの、と云うことなのです。

 でも視点、立場が変われば、その事は「絶対的に正しい」とは云えなくなることもあります。

 
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どうしても強く主張したければ、そういうと思います あるいは自己主張が強い人ですね。

反論するかどうかは自由に決まってます これはぜったい正しいと思いますけど・・
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主張する側の信念ですので、主張者の域を出ません。



絶対的というものはなく、現実は全て相対的です。

どんどん反論しましょう。
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”「絶対的に正しい」ってどういうことなのでしょうか? ”


     ↑
1,まず、相対的であってはなりません。
 つまり、何時、何処でも、誰から見ても正しい、と
 言えなければ絶対的とは言えません。

2,次に、例外があってはなりません。
 常に正しいと言えるものでなければ、絶対的では
 ありません。


例えばです。
正しいの反対は悪い、ですから、人を殺すことは
絶対に悪いのか、という命題があったとします。

死刑制度や正当防衛、戦争などを認める以上、
人を殺すことは絶対に悪い、とは言えません。
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「絶対的に正しい」ってどういうことなのでしょうか?



それは誰にも反論できないものなのですか?

○「絶対的に正しい」とは「真実は一つ」と同じことです。しかしその真実がわからないからいろんな反論が生まれるのです。ということは「真実」にたどり着くものがごくわずかであり、それを信じるものも少ないからということになりますね。逆に言えば、巷の常識は「間違った真実」に満ち溢れていると言えますね。
誰にも分かることが「巷の真実」とは成り得ないので反論が生まれるのです。これが「無知の知」のゆえんですね。真の真実は信じるしかないので反論は存在しないのです。
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キリスト教徒からすれば、




「神は宇宙を作り、地球を作り、人や自然を作った。」
「そして、人間達に自然の管理を委任した。」
「委任の見返りとして、人間達に牛を食する権利を認めた。」


彼らにとっては、これは「絶対に正しい事」です。



>それは誰にも反論できないものなのですか?

反論は出来ます。
しかし彼らは、その反論に耳を貸し考えを変える事はありません。
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本当のことは、「正しいこと」になると思います。

お釈迦様やキリストも、本当のことを伝えてきたから、今に受け継がれていると思うんです。時代が変わっても変わらない、普遍的なことなので。
本当のことを信じない、という人も稀にいますが、そういう人は相手にしないことです。
本当のことは、人の心を打ち、感動させ、本当のことだから、反論もできないと思うんです。
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 こんにちは。




 たとえば

  ○ この経験世界におけるものごとや出来事のすべてについて それらを利用活用するという立ち場は 或る意味で《絶対的にただしい》ことだと言えるはずです。

 利活用の仕方がよくなかった場合には よいように見直していくはずですから。

 これは そのうつろいゆかざるを得ない経験的なものごとに この上なきたのしみを見い出すことは出来ないという意味があります。うつつを抜かしていてはいけないという意味にもなります。



 そしてそれには その立ち場が 人間なら誰しもに共通であるという必要条件がついています。

 早い話が 神が 誰もに共通の同じひとつの神であるということが その内容です。

 すなわち 有る神〔と表現するそれ〕も無い神〔と表現するそれ〕も 同じ神であり また ブラフマンと呼ぼうがイワシノアタマと呼ぼうが そのような名前にはいっさいかかわらずすべて同じ神であるという条件です。




 このことは 普遍的なことです。そう認識し得ます。



 《絶対にただしい》という場合には 人間の判断が入っています。《絶対に》にも《ただしい》にも 入っています。

 人間の知解行為や意志による判断が 《絶対》だということはあり得ません。もしくは その行為主体である人間(ないしそれぞれの《わたし》)がそれを 証明することは出来っこありません。単純に言って 永遠に生き続けなければ証明し得ません。

 ですから これこれは 普遍的なことであると皆がその妥当性に賛成することを例示しました。

 むろんこれに反論できますが その普遍性を反駁しきることはできないと考えられます。

 (《経験世界は 相対的でうつろいゆかざるを得ない》と言っただけなのですが 経験世界を超えた場について触れることで 普遍性を表わしうると考えます)。
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「正しい」という事が意味するのが、「論理的に破たんしていない


(不完全ではない)」と「現実を正確に表している(無矛盾である)」
という2つを意味している時、ゲーデルの不完全性定理において、
「公理系は不完全(公理系内で導けない公理の介入)である時
のみ無矛盾(Aと非Aを同時に導かない)であり得る」という事が
証明された。

その良い例が、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学の
関係である。
ユークリッド幾何学の体系において、平行線定理(線の外の点を
通って平行な別の線はただ1本)は必須であるが、他の定理から
導けない。
逆に「1本もひけない」とか「たくさんひける」にしても、それぞれ
ユークリッド幾何学に匹敵する異なる体系が導け、さらに相対性
理論において、そうしたユークリッド幾何学的な空間は、物体が
存在しない時にのみ可能な特殊な解である事が明らかにされた。

つまり、「正しい」という意味が1つではない以上、「絶対的に」と
言う事に意味はない。
正しいと主張する事自体が間違いであり、絶対とは言えないと
いう事は絶対なのだ。
反論できない事もないが、反論する意味もない。
生きる目的は「人生を通算した精神的充足量の最大化」だと言っ
ても、それは人それぞれの事を意味するのだ。
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