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一言主神の態度に怒った役行者は、一言主神を捕らえて、葛の蔓で7周も縛り、更に呪縛した上で金剛山中の谷底に放置したが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A9%E6%A9%8B% …より引用
と書いてありますが
役行者は一言主神を金剛山中のどこに放置したんでしょうね。
その場所に一言主神がまつられていたりしないのでしょうか。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
役行者が一言主の神を蹴落としたのは、葛城から吉野まで石橋を架けようとした時の話ですが、この石橋は葛城側の土台の部分が岩橋山(葛城山の北、竹内峠の少し南にある山)に残っていますので、この付近のことではないかと思います(従って、金剛山ではないと思います)。
「むかし、役優婆塞(=役行者)、葛城の峰より金御嶽へ通ひ給はんとて、石橋をかけなんとす。これを諸々の神に命じ給ふ。葛城一言主神、容貌いと醜ければ、昼の役をはゞかりて、夜をまち給ひしより、橋をわたし得給はず、行者いかりて、一言主神を呪縛して、深谷に押籠置たまへり」
岩橋山と石橋
http://www.geocities.jp/iko_kan2/iwahashi.html
下の回答者の方も紹介されている一言主神社は、岩橋山よりもだいぶ南側ですし、そもそも物語自体が一言主の神の権威を貶める内容ですので、どちらかと言うと、古事記に出てくる「雄略天皇が一言主神に出会った場所」の方に位置付けられる場合が多いようです。
一方で、岩橋山や石橋の付近には、一言主神が押し込められたと言う伝承が残っている場所は、残念ながら見当たりません。
ただ、一つだけヒントになることとして、上記の一言主神のエピソードに出てくる「深谷」に押し込められたと言う表現は、非常に古く、この話が登場する最古の文献である日本霊異記等にも既に「深谷」と言う記載があるのですが、御所から葛城山頂に登る登山道(ロープウエイの葛城登山口から谷沿いに登っていく道)が、通称「深谷道」と地元の人からは呼ばれています。もしかしたら、この谷が、日本霊異記に出てくる「深谷」なのかもしれません。
それにしても一言主神は不思議な神で、古事記では、雄略天皇を恐れおののかせた程に権威のある神だったのですが、日本書紀では雄略天皇と仲が良かったと言う表現になっており、続日本紀では、逆に雄略天皇の怒りを買って、一言主神の方が土佐に流されたことになっています。そして日本霊異記の頃になるとすっかり落ちぶれてしまい、役行者にこき使われて役立たず扱いされるまでになってしまいます。一説によると、この地の豪族であった葛城氏の栄枯盛衰が反映されているのだそうです。
回答ありがとうございます。
>この石橋は葛城側の土台の部分が岩橋山(葛城山の北、竹内峠の少し南にある山)に残っていますので、この付近のことではないかと思います(従って、金剛山ではないと思います)。
そうですか~。
ウィキの記述ってよく間違ってるので確認しないといけないと思い
金剛山を調べてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B% …
上記には次のような内容がしるされています。
(1)「葛城山」の呼称は、歴史的には南北に連なる金剛山と葛城山(大和葛城山)との総称。
(2)正嘉元年(1257年)の『私聚百因縁集』には「葛木山ハ即チ金剛山ナリ」とある。
(4)貝原益軒の『南遊紀行』では現在の葛城山をさして「葛城(金剛山)の北にある大山をかい那が嶽といふ、河内にては篠峰と号す、篠峰を葛木といふはあやまりなり、葛城は金剛の峰なり」とある。
(5)本居宣長の『菅笠日記』には「古は二つ(金剛山と葛城山)ながらを葛城山にてありけんを金剛山とは寺(金剛山転法輪寺)たててのちにぞつけられん」とみえる
(6)貝原益軒の『和州巡覧記』では葛城山について「篠峰の南にあり。篠峰より猶高き大山也。是金剛山也。山上に葛城の神社あり。山上より一町西の方に金剛山の寺あり。転法輪寺と云。六坊有。山上は大和なり。寺は河内に属せり。婦人は此山による事をゆるさず……此山に登れば、大和、河内、摂津、其外諸国眼下に見ゆ」と記載されており明らかに金剛山をさしている。
原文を確認してみないとはっきりしたことはいえませんが
金剛山とは葛城山をさしている可能性があると思いました。
岩橋山に橋の残骸と伝わるものが残っているのはご指摘のとおりですが
昔の人はかなり雄大な距離感でものごとをとらえていたかもしれず
そうするとNo.1の方がおっしゃっている、葛城山麓の一言主神社がそれではないかとも思えてきました。
ただし一言主神社は葛城山の中腹にあって東は平野になっているので、谷とはいえないのが気になります。
あと金剛山には葛木神社があって一言主を祭神としているようです。
しかし山頂付近にあるそうで、谷底ではありません。
>古事記に出てくる「雄略天皇が一言主神に出会った場所」の方に位置付けられる場合が多いようです。
一言主神は雄略天皇と同じいでたちをし、同じ言葉を返したというあの話ですね。
>上記の一言主神のエピソードに出てくる「深谷」に押し込められたと言う表現は、非常に古く、この話が登場する最古の文献である日本霊異記等にも既に「深谷」と言う記載があるのですが、御所から葛城山頂に登る登山道(ロープウエイの葛城登山口から谷沿いに登っていく道)が、通称「深谷道」と地元の人からは呼ばれています。もしかしたら、この谷が、日本霊異記に出てくる「深谷」なのかもしれません。
おおーーー、貴重な意見をありがとうございます。
おっしゃるとおりかもしれませんね!
>それにしても一言主神は不思議な神で、古事記では、雄略天皇を恐れおののかせた程に権威のある神だったのですが、日本書紀では雄略天皇と仲が良かったと言う表現になっており、続日本紀では、逆に雄略天皇の怒りを買って、一言主神の方が土佐に流されたことになっています。そして日本霊異記の頃になるとすっかり落ちぶれてしまい、役行者にこき使われて役立たず扱いされるまでになってしまいます。一説によると、この地の豪族であった葛城氏の栄枯盛衰が反映されているのだそうです。
そうなんですか。
古事記、日本書紀、続日本記、日本霊異記など読んでみたいです。
大変勉強になりました。
No.1
- 回答日時:
葛城山の麓には一言主神社がありますよ。
地元周辺では知らない人がいないくらい有名です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E% …
その場所かどうかはわからないですね。
回答ありがとうございます。
一言主神社には参拝したことがあります。
あそこは葛城山麓で境内から大和平野がよく見渡せる場所で
谷とはいえないのでちがうかな、と思いました。
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