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先日のゴールデンウィークに、久しぶりに祖父母の家に行きました。
今は珍しいかもしれませんが、祖母はもんぺです。もう90超えたか超えないかくらいです。
時々着物も着ます。そんな祖母が妹に、「着物はきんのけ?」
とふいに聞いたのが始まりでした。
妹「着方がわからん」
祖母「体に巻くだけたい」
妹「お端折りは?」
祖母「そんなんいらんけん。着物のこすれる音も楽しみのひとつたい。訪れは音がすれるところからきとるけん。なんもせんでよか」
母「私らの時は、みんなお端折り必死で作って、なんとか着崩れせんようにしとったわ」
ここで祖父登場「着崩れせんように着こなすなら、裸しかなかね」
祖母「人それぞれ、歩き方が違う。姿勢も、歩幅も、利き手も、声の出し方も違う。だけん、着崩れ一つとってみても、みんな同じやなかと。裾垂らして歩くんが嫌ならきれいに切ればよか」
祖父「右見ても、左見ても、みんな同じような着方して。そっちの方が見とって笑えるわ」

結局、こんな調子で笑い話で終わりました。
祖父母の家にいるときは、祖父の着物や、浴衣を借りて着ますので男性の着物はそこそこわかります。ただし、ピシッとした着こなしではなく、左前の胸元に腕一本入るくらいのだぶつきがあった方がいいと祖父に言われ、そうしてます。ですので、だらしがないと言えばそうみえます。

祖母も、着物を着ているときは、テレビに出てくる着飾った人たちのようにしおらしい感じではなく、胸元のあわせは浅いです。お端折りがないので、開くんだと思います。
本人は気にしてませんが、それが世間一般でどう見られるのか少し気になったので、質問させていただきます。
ちなみに、紋付きは紋付きで別できちんと着こなすみたいなので大丈夫です。

A 回答 (4件)

襟元の崩れ方とおはしょりのありなしは関係ないです。


対丈で着る男性の着流しで崩れているのは大きめに合わせているだけで、女性は衣紋を抜き気味に着るとそれで収まります。

もともとおはしょりは長い着物を端折って着るというだけのことで、昔は腰ひもをつけた後、もう一本紐をかけておはしょりが崩れないようにしていた時期もあるんです。今でも芸者や舞子がそうやって着ていますね。

自分流に着る。

これでいいと思います。

着くずれしない着付は苦しいです。成人式や結婚式で着つけてもらった場合あまりの苦しさにその後着物を嫌いになる人は少なくないですからね。

着つけ師してますが、美容師に着つけてもらうよりも楽だと言われます。自分で着るから締め加減がわかるからでしょう。

着崩れても直せばいいだけなので、本来、体に巻くだけ、で正しいと思いますよ。

帯だってそう。とりあえずはお太鼓作るっていうのも近年のことですから。それまでは本当にたくさんの結び方があったのです。

ただ、洋服のような足さばきでは着物では無理なので、その辺だけ注意すればいいだけです。
むしろ楚々としていい感じになるんですけれどねえ。
浴衣でも洋服のように裾をばさばさと広げて歩いているのを見るとちょっと悲しいです。

花火大会などでボランティアの着付お直しブースをやるんですが、結構来ます。
家で着せてもらったんだけれどなんか変。。。。というのでみたら襟が左前だったりね。

とにかくは慣れですよ。

日常を着物で過ごしていますが、それで困ったことはないので・・・・・。

良い話を聞かせていただきました。
どうか祖父母を大事にしてあげてください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/23 23:22

もう亡くなった夫の祖母が外出時はかならず着物を着ていました。


家ではもっと簡単な部屋着のようなものを着ていたりしたのですが、一歩外に出る時は着物。
旅行の時ももちろん着物。
ほっそりした体型の人で少し腰もまがっていましたが、その着物姿がとても素敵でした。
胸元はゆったりと合わせてあるのに衿が崩れません。おはしょりはしています。
でも着物のなかで体が泳いでいるような、と言ったら良いでしょうか、本当に楽そうに着てるのです。
帯も今にも落ちてくるのではないか?というくらいにゆったり締めてあるのに決して落ちません。

着物が好きな私はどうしてそんな着付けができるのかまじまじと観察していました。
観察するうちに何となくわかってきました。
着物が体のどこに落ち着くのかそのポイントを体で覚えているようでした。
そして楽だからこそ着崩れないのだ、と。

衿が崩れないと言いましたが、それはピタッと動かないという意味ではありません。
動く、けど崩れないのです。
まだ着物歴の浅かった私は、まるでマジックのようだと思いました。(笑)
体は動く。当然、動くことを予測して着付けているのです。
きっとご本人は意識してるわけではなかったと思います。長年の勘というものでしょう。

着物を着慣れた方の着付けは本当に着物が体に馴染んだようで美しいものです。
たぶんお祖母様もそんな風じゃないかと想像します。
決して見苦しい印象は受けないのではないかと。
おはしょりのない対丈の着物は室町時代あたりでは普通にありましたよね。
その時代の方だって時代劇に出てくるような着付けではなかったと思います。
テレビや雑誌に出てる着付け。あんな風に着付けて生活できません。
シワもたるみもない不自然な着付けは撮影用です。

着物を日常的に着ることがなくなった現代ではその撮影用の着付け方が正しいかのようになってしまっています。
私はちっとも美しいとは思わないし魅力に欠けると思います。
お太鼓の作り方一つとっても体型や年齢や個性で変えるべきなのに一律で同じですから、むしろ滑稽です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/23 23:22

【本人は気にしてませんが、それが世間一般でどう見られるのか少し気になったので、質問させていただきます。



世間一般で、’着物知識があるとおもっている’人が一番、うるさい。
そして、自分が’常識’だと思うから、自分のスタンダードから逸脱するのが’許せない’
そして、持っている’着付け’のスタンダードが一つしかない。

あなたの祖母様、祖父様が言われるのが、大正解です。

昔のセピアの写真をみると、銀座を歩いているのでさえ、今からすると、’ぞろり’としてだらしないとしか
見えない’着付け’です。

人は動くのですから、崩れて当たり前。
それを、タオル巻いたり、何本もヒモを締めたり、○○帯はおかしいとか・・・、園遊会に出るわけでもないのに。

着物の形は一つしかない。
Tシャツがあって、スーツがあるように、形に違いがないのです。

ならば、素材と、着こなしが普段と、余所行きと、公式に別れるだけのこと。

さらに言うなら、着物は季節感を大事すると言う感覚はわかりやすいですが、
これが行き過ぎて、拘束になってる。

衣服という’原点’をわすれて、袷と、単をうるさく言う。
タダの模様、柄だけでなく。

形は同じなのに、温度調整をカレンダーでしかしてはいけないという。
さらに、南北に長い日本列島を無視しているし。

着物人口が減ってしまった今、難しいかもしれませんが、
せめて、ワンピース感覚で、あるものを着用して、皆さんが、好きに、ゾロリと歩いてくださると、
日本文化も今を謳歌できると思うのにね。


着付けを知らない人に着付けをする人が、’これがスタンダード、常時がこの状態。’と
するのが、動けない’着物’です。

’身体に巻くだけ’まさにこれは極意です。
確か、幸田文さんの書いたエッセーのような小説の中で、同じようなことをかいてました。

巻いただけのものを、時として身じまいしながら、動く。

それが美しい、礼と、所作を見せると思う。
だから、崩れるように、崩れて、崩して、そして、時折、気にして・・・と。

いつも’四角’姿では、意味ないでしょう?
訪問者があれば、ちゃちゃっと、見繕いして、応接に出る、普段の中でも、きちんと’所作’として
生かされるためには、落差もまた必要です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/23 23:22

遊びで着物を着ているものです。



>世間一般でどう見られるのか
着物を着ない人が増えていますから、着ない知らない人だと、なんとも思わないでしょう。
あまり着ないけれど、ある程度の知識はあるという方が一番嫌がりそうですね。
よく着る人になると似合っているかいないか、好みに合うかどうかですね。

書道家の篠田桃紅さんって、ご存知でしょうか。
グズッと着崩したような独特の着方をなさる方なんですが、ご本人の雰囲気にすごく似合ってらして、粋でかっこいいと私は思います。
ただ、その着方を他人が真似ると、だらしない崩れてしまった雰囲気にしか見えないでしょう。
特に、着物を着慣れていない人がしてしまえば、「着崩した」のではなく、「着崩れた」にしか見えないことは確実です。
また、私は粋でかっこいいと思いますが、嫌う人もいます。
特殊な着方になればなるほど、熱烈に好きと言う人が出る一方で嫌う人も多くなります。
平凡な着方だと、すごく好きと言う人は出にくいですが、嫌う人も少なくなります。

洋服でも同じでしょう?
たとえばリクルートスーツ、みんな同じような形で同じ色で面白みもないと言ってしまえばそうですし、リクルートスーツがすごく似合う、その人の魅力を最大に活かしているという人も少ないでしょう。
でも非常に個性的な、たとえばアニマルプリントのスーツだの、シャツやブラウスを着ずに素肌に上着を羽織ったりするのと、どちらが着こなしやすいか、より多くの人に似合うか、多くの人に好感をもたれるかと言えば、リクルートスーツの方ですよね。
本当はたいていの人には、そういった極端なパターン以外に、その人を魅力的に見せ、多くの人に好感をもたれやすい服装があるはずです。
着物も、その人に似合う着方があるはずですが、不慣れだと平均的な着方をしてしまうだけでしょう。
それは別に悪いことでもないと思います。


私個人で言えば、あまり着崩れないです。
というより、着崩れる前にちょっと引っ張って直しちゃっているという方が正しいかもしれません。
おはしょりを作っていれば、着崩れてくるのは衿くらいですし。
何度も着ていれば、どう着るのが楽か、どう着たら綺麗か、なんとなく分かってきますしね。
フォーマルな席や、お茶席のようなルールのある席でなければ、きっちりとでも、着崩してでも、好きなように着ればいいと思いますよ。
みんなと同じ着方だろうが違う着方だろうが、自分が満足していて、周囲の人が不快感を持たないなら、なんの問題もありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/23 23:22

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