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神が人間を作り出したのは、自分を崇拝させるため。
自分の光を強めるため。
そのために我々は苦しみを与えられ無力を感じ、
神様助けてくださいと言わざるを得ない状況に陥れられているのだ。

われわれは神を賛美するための奴隷で良いのか。
何故自分の意思で生きようとしないのか。

自分を崇める者に永遠の命を与え、
崇めない者に不幸を与える。
そんな存在の操り人形で良いのか。

神を超え、新たなる高次元の存在として君臨し、
世界を導くべきは我々ではないか。

神の意志に抗い運命に抵抗すること。
神が人に与えた苦痛、恐怖、絶望を乗り越えるのだ。
それが真の自立であり生き残る手段である。
そのとき人類は新たなる高次元生命体として地上を永久に支配する。

そう思いませんか。

A 回答 (21件中1~10件)

>先の私の発言にも論理的矛盾はたくさんあると思うのですが、


乳離れしていない害毒をまき散らしてしまう私のレベルに合わせて
回答していただいたということでしょうか。

論理が破綻している事は、無知・蒙昧なだけで問題ではないです。

それを振り回すのが「害毒」です。

知らない事を間違っている事を、尋ねてくる(質問する)方には何も問題はありません。

其の心のうちに「己」の「欲」に踊っている者が問題です。

先ほどの文意には「それ」はありませんでした。

>神と書いたのは自分の状況の延長線上にある運命。
その運命に抗うには激しい苦難が伴い、さらには自分自身の中に怠惰の心があり、それが運命を打破する上で大きな足枷となる。
それに負けるなと。

この場合突っ込むとすれば、神と運命の同一視位ですが、別に其処に興味は無いですねぇ・・

定義の問題になってしまいますので、感じ方は人それぞれでは?

それを他に押し付けるとなると問題ですが。
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ニーチェっぽいですね。



神は、一部の圧倒的な力を持った人間が、
自らをそう呼ぶように名乗ったものですね。

余りにも哲学的に考え過ぎると、人の姿をした、
人の人格を持つ神、などというマンガを本気で
考えるのがバカバカしくなるけれど、持てる者と
持たざる者のあまりに遠いその距離は、「崇める」という
保身、及びご利益頂戴、の射幸心を生みました。

だから、一介の農民からしてみたら、豊臣秀吉は
「太閤」という「神」と同義語だった。

一介の農民の人生には、意思を持つ究極の存在、を
人間以外のものに求めようもなかったでしょうね。

翻って、私たちはどうでしょう?

遠くアラブの国々に爆弾を落とす無人機は、衛星経由で
操作され、要員は交代しながら不眠不休でゲーム感覚で
無辜の民を笑いながら殺していきます。

私が殺される側なら、この無尽平気・・・違う、無人兵器は、
ある種「神」と同義語になります。

それは自分を滅ぼそうという明確な意思であり、その
禍々しい姿のロボット機を破壊した所で、その邪悪な
意思を絶やすことには、全くならないのですから。

不死。

そういう見方をすれば、この矮小極まる私達、名も無く
顔さえない私達地べたの弱者は、あなたが仰る通り、
自分こそが自分を支配する「マスター」でなければ
ならないと思います。

付け加えて言うならば、矮小なものはいくら背伸びしても
矮小です。

だから、手を携えて群を成すこと、その群れが単なる
烏合の衆ではなく、頭があり、手足があり、統率された
全体で一個の生き物のように振る舞えるように・・・

結局ここでも新たな「神」が生まれるだけですね。

カリスマとか英雄とか、呼び名は変わるけれども。

すると、もう一つ。

取るに足りない矮小な自分を、空気で膨らませるような
空疎なことはせず、自分の大きさと立ち位置と、出来る事を
弁えて、あるがままに生きる事。

他人の考えや価値観を排斥してじぶんを守ろうとすることも
一つの道ではあるだろうけれど、大抵のことは、ウンウン、と
拝聴して頭の中の引き出しにしまえば済む程度のことばかり。

たまに起きる、大きな事態に備えて、非常時にこそ、一時的に、
必要とされた時だけ、「神」に変貌出来れば良いのかも知れません。

自ら名乗る神、ならざりし神は、約束の地、約束の時にいずこより
来たりて、業を為し、いずこへと去るものでしょうから。

神について考えることは、自分の矮小さ、無力さと静かに向かい合う
こと。

そんな気もする今日この頃、皆様、いかがお過ごしですか?
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みたび。


http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8589879.htmlというのがありますね。

信仰精進はただ漫然と宗祖の言う通りにするのではなく、宗祖も予定している通り展開し付加することにより歩めるものでしょう。
草原の草が風になびくがごとくに大勢に従うだけが人間ではなく、創造者や創造の原理が予定しているものではないでしょう。
素直であると同時に、自己の展開付加は宗祖が期待しているものであります。
異端こそが真の道です。
何世紀も同じ内容なんてそんなのは俗界の強制でしかない。
異人である必要はないが、奇人変人は求道者の当然のあり方でしょう。
そうして求めていくのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 09:47

回答No.8です。

お礼とかを拝読しました。
神にどんなに抗ってもそれは神の中のことですからね。
自己(神)の内なる人間のなすこと見ること、經驗することを人間が楽しみ喜ぶ。それは神も楽しいでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 09:45

こんにちは。


 神がもしいるとしたら、人類に自ら主体的に歩ませてくれているのではないでしょうか。
「矛盾に満ちた現実の中で極限まで人事を尽くした先で神を意識する」ということはあると思います。それはもてあそばれているというよりは、人事を尽くさせてもらっているという感覚でいいような気がします。甘えでもひいきでも差別でもなく。そして、神が存在するしないに関わらず、実人生の中で人間として人事を尽くすというのが大事なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
人事は尽くしたいですね。

お礼日時:2014/05/11 09:45

>上述そもそも書いたのは、現在、自分自身現実上の修羅場に立たされており、自ら奮い立たせるために書いています。



なるほど、得心しました。

中々、質問も難しいモノです。

楽しみましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

先の私の発言にも論理的矛盾はたくさんあると思うのですが、
乳離れしていない害毒をまき散らしてしまう私のレベルに合わせて
回答していただいたということでしょうか。

お礼日時:2014/05/11 09:39

私の発言は、能く人を「エグリ」ます。



始めから其れを目的に発言する事は余りありませんが、論理の破綻を見れば切り込みます。

何故なら破綻した論理を振りかざす者は、不当な解釈と害毒を世に撒き散らすからです。

別に私が正しいと主張する訳ではありません。

私が破綻していれば、私が害毒を撒き散らしている訳ですから、改めます。

私を論破すれば良い。

人権だ命だWEBだなどは何の意味も無い。

茶を濁すだけの事しか出来ぬのであれば、何の意味を此処に求める?

真剣に楽しみたいだけです。
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この回答へのお礼

ふうむ、非常に難しいですね。

そもそも何か意味を求めて書き込みしたわけでも真剣に楽しみたいと思っているわけでは
ないのですが、それを言ってしまえば議論から逃げているとなってしまいますよね。

上述そもそも書いたのは、現在、自分自身現実上の修羅場に立たされており、
自ら奮い立たせるために書いています。

神と書いたのは自分の状況の延長線上にある運命。
その運命に抗うには激しい苦難が伴い、
さらには自分自身の中に怠惰の心があり、それが運命を打破する上で大きな足枷となる。
それに負けるなと。

以上が本音ですが、私の書き込み時代が「害毒を撒き散らしている」のであれば、
私の発言は世の秩序を乱しているとしかるべき宛先に報告していただいても問題ございません。

お礼日時:2014/05/11 00:57

あはは、なにを言ってるんですか(^^)


いいですか、我々人間が神を超えるなど無理です。
あなたが今生きているのも全ては神の御意志によるもの。
人はあくまで霊長類の進化版にすぎない。
我々は神の手の上で踊り狂う猿。
発展だなんだと神に勝とうする。
無意味なのだよ(^^)
また、従うのもさらにおかしい。
我々人間と神は本来、独立した存在。
上下関係はない。ただし世界は神のものさ(*^^*)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 01:04

神への不満は、君に教えを与え、君を信じ込ませた「人」に由来する。


君達のそんな信仰は神に通じるためでなく、その「人」に隷従するためであろう。
その「人」に対する憎しみから、神にまで逆恨みをしているのが君たちだ。
そんな事をしていては、神と通じる事は無いだろう。
教えが問題なのではない、君たち自身の穢れ切った信仰心もどきが問題なのだ。
私は神から糧を得る信仰あるものだ。
君達は「人」から餌をもらっているだけの奴隷だ。
自分自身を自分で養う事が出来ずに、「人」に求めてばかりに君達は自由という自助を放棄した愛玩動物だよ。
真の人間は君達に愛を手向け、慈悲を持ってエサを与える。
君たちにとってそれが救いであり、喜びなのだ。
そのようにして社会では支配する者が生まれ、幸いかな民主主義の日本では君達はすべての奴隷なのだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/05/11 01:02

>その論理でいくと、あいつは普通の人間の思考をしていないから命を奪っても良いよという議論になりませんか?


で、いやいや命を奪って良いなんて一言も言ってないよとその人が言えば、何甘えてんのってことになりませんか?

命のやり取りをしているならそれでいいでしょうが、この場は議論ですよ?(あぁ、議論も不味かったかな?)

貴方は私の言に人権を傷付けられるほどに「傷付き」命に影響するほど「追い詰められ」たのですね?

貴方の言う「破壊」は「殺戮」なのですか?

私は「存在(理由)」や「思考・思想」の破壊者だと思ってましたよ。

貴方の想像する「破壊する者」とは一体何を破壊するのですかねぇ?

私は貴方の命等を的に掛けてはいませんよ。

貴方の稚拙な論理を的にかけているのです。

ですから対抗策としては、私を論破すれば良いだけです。
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この回答へのお礼

どうですかね。
WEB上の発言にいちいち気にとめる必要もないという思いと、
例え小さい事でも侵害行為は許さないという思いがありますね。

貴方がそうというわけではありませんが、何にせよ「それなら死ねよクズ」みたいな
発言が多いので、それを容認するのがWEBの世界かもしれませんので、あまり敏感になるのは
発言する上で良くないかもしれませんね。

お礼日時:2014/05/10 23:02

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