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「生老病死を始めこの世には実に苦痛が多い。この原因は生まれてきたことである。」
なんか、こんな話を高校時代に友達としていたことを最近思い出しました。

そして、いい年になり子どもは何となく欲しいが(このくらいの気持ちなら耐えられる程度)、本当は作らない方が良いのではないかと思ったりしますがどうなんでしょ?
何故、子どもを作ろうと思ったのか?作ったのか?作らなかったのか?そんな話が聞ければ幸いです。

~この質問を思い立った原因のような物(長いので読まなくても良いです)~
私自身は、過去~今まで、主に両親の支えがあり、あえて自殺や未遂も選んではいません。ただ、2年前に結石で死ぬほど痛い思いをして生きるのが嫌になりつつあります。まだ石はあるそうですが現在の医学では自然と落ちる(その時は痛い)のを待つしかないそうです。また、限界集落一歩手前で老人が多く、話をしていても死にたいけど死ねないというような話も良く聞きます。毎日、誰かが、どこかが痛い、辛いという話を良く聞きます。ま、半分は話のネタでしょうがもう少し医療技術の発達時代に生まれていたらそんな悩みもなかったのにと思います。他にも、それなりに生きいますので楽しいこと嫌なこと色々ありました。このような経験を踏まえますと、もし生前に生まれるか否かを選ぶことが出来たなら、生まれてくる時代や場所を選んで生まれてきたかったです。少なくとも今の時代では決してありません。時代を選べないなら、生まれない方が良かったと思っています。その為、単純に子どもが欲しいという気持ちだけで子供を作ることは罪なのではと思っていますがどうなんでしょうか?

A 回答 (16件中1~10件)

将来、世界的な人口過剰を抑制する為、厳しい出産制限を施行する国が数多くでてくるはずです。

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こんばんは。




>「ま、半分は話のネタでしょうがもう少し医療技術の発達時代に生まれていたらそんな悩みもなかったのにと思います。他にも、それなりに生きいますので楽しいこと嫌なこと色々ありました。このような経験を踏まえますと、もし生前に生まれるか否かを選ぶことが出来たなら、生まれてくる時代や場所を選んで生まれてきたかったです。少なくとも今の時代では決してありません。時代を選べないなら、生まれない方が良かったと思っています。その為、単純に子どもが欲しいという気持ちだけで子供を作ることは罪なのではと思っていますがどうなんでしょうか? 」

両親によって(は)、出生をコントロールすることは、可能でしょう。
アナタが、ではなく、両親が「限界集落では・・・」と中絶したかもしれません。
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そりゃあ罪でしょう。



生むなら、自分が死んでも養う覚悟がなきゃ。
「子どもほし~」なんて短絡的な考えで生まれた子供が
ネグレクトに遭うなんてことも最近はザラ。

欲しいと思うのはいいけど、責任を負う覚悟がいるでしょう。

ぼくが遠慮しときます。いりません。
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もう一書きだけ、添えさせてください。



多くの回答者の皆さんに、あなたはとても丁寧に
お返事を書かれておられます。

中々、こういう律儀な方、同時に、それだけの言葉を
紡げる方は多くないように見えます。
真剣さが伝わってくるのと同時に、私同様、自分の
吐き出した言葉の糸で身体を巻かれて身動きが
取りにくくなってるようにも見えます。

さて、書き添えたかったことと言うのは、子を設けることに
限らず、人生そのものが、全て、心配し始めたら
どうにもならないことだらけ、ということです。

乗客の大半が無残に体を引き裂かれて死んだ
重大事故でも、たまたま、本当に偶然の悪戯で
無傷で助かった人もいますし、お祭りで、プールで、
朝の通学路で、いつもと同じように朗らかに笑って
いた、その次の瞬間に酷い死を迎えた子供たちも
数えきれない程、います。

女子高生コンクリート殺人事件を始め、女性や子供が
生き地獄をたっぷりと味合わされて殺されたいくつもの
事件を、戦慄と、恐怖と、凶暴な怒りと、そして我が身や
身近に起きることを思っての不安は、この平和な日常の
船底一枚下にいつも、あるんだ。

そう思いながら、実は、いつも心の底に虚無感のような
ものを抱いて私も生きています。

あなたのご質問からはピントがずれた答えかも知れません。

でも、あるものを、無く、無いことに、は出来ませんから
抱いた不安の分量だけ、不安を打ち消すラッキーなこと、
についても反射的に考える癖を、私は付けています。

ある時点で私が避けようのない不幸に見舞われる。

そのことを、家族にまで拡大解釈すると、怖くて怖くて
いてもたってもいられません。

だから、横浜ランドマークタワーのてっぺんに据え付けられた
ビルの揺れと反対方向に動く巨大な錘(おもり)のように、
自分の心の中にも、不安や恐怖を打ち消す感情も、常に
オンの状態にして、稼働状態にしてあるのです。

具体的には、思考が言葉を生むのではなく、言葉によって
思考も感情も操作できる、という考えに基づいています。

言葉で自分や自分の周囲の「心」をコントロールする。
別に難しいことではなくて、嬉しい時、安心した時、楽しい時に
発する言葉を、意図的に使うようにしているだけです。

自己暗示、かも知れないし、自己明示、かも知れません。

子供が、例えばトリソミー・・・ダウン症だと判ったとします。
私は子供は産めませんが、仮にその母親の身になって
考えてみれば、その命を障害ゆえに絶つことは、多分、
結局恐ろしくて出来ない気がします。

結果的に、産むことを選んだとしても、産んで終わりでは
ありませんものね。

それが始まりであり、毎日が始まり。

多分、死ぬまで、同じ一日は来ないんでしょうね。

絶対に。

罪かどうかよりも、不幸になるかも知れない、かどうかよりも、
それを考えるのは自分ではなく、子供だし、自分に出来ることは
生まれてよかった、と思ってもらえるように接して生きたい。
ただ、それしか思いつきません。 役に立ち続けたい、でも
我が子が息苦しくない程度の距離感をキープしてワイワイ
言いたい親の意見。 子供が結婚して出産したなら、子育てに
多少なりとも当てにして欲しい。

そうして、一緒に生きていきたい。

そう思いながら暮らしています。 生きてる時だけなんだもの。
そういう、小さな幸福を積み重ねて行けるのは。

その感情を見失わないように毎日、言葉で自分を操縦する。

それだけだと、私は思っています。

あなたはとても頭の良い方に感じます。

他の回答者さんとのやり取りを見ても、かなり深くまで
考えを巡らせていらっしゃる気がします。

でも、思考と感情は やはり別物のようですね。

であれば、感情というものは海の水面の様に変わるものだし、
表面と深い深層では、まったく違う想いがあるものです。

負の感情と同じだけ、正の感情もまた、存在するのでは
ないでしょうか。

理性は、その感情をバランスよく操縦できるかしらん。

でも、大地に根を張る様なスタティックな安定ばかりが
生物の機構ではない筈。

弥次郎兵衛のように、揺れ動きながら、実は安定して
いる、という仕組みの方が、人の心の動きには、しっくり
来る気がします。

ついまた、ダラダラ書いてしまいました。

何かご参考になるか書でもあれば幸いです。

何にせよ、あなたの判断が人生のグッド・ラックに結びつき
ますように。
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では、やっとこさ不妊治療で子供を授かった、とにかく


子供が欲しいと念じ続けた夫婦は罪人で、笑い泣き
しながら赤ん坊を抱きしめている姿は誰かに責められるべき
悪の姿、ということになりますね。

生まれてきたことを、本当に喜んでいる人々に、その子は
苦しんで苦しんで苦しんで死ぬ。
生まれて来なかった方が良かったんです。
今からでも、その子を楽にしてあげるべきです、生きる苦しみから。

と、あなたが言うとします。

さて、極端な話でしたが、あなたはここまで読んで、そんなつもりじゃ
ない、自分はそんな酷いことをしたいと思ってる訳じゃなくて、と
言い訳したい気持ちが浮かんで来るでしょうか。

それとも、その通りよ、と言うかしらん。

あなたは今、頭の中で言葉遊びをしているのだと思います。

それが明快な主義主張なり、哲学であれば 先の例のような
シチュエーションに対して揺るぎなく振る舞えるはずです。

ちなみに、私のこのご相談に対する答えはシンプルです。

あなたは気持ちが沈んでいて、色んなことが嫌になっている。

誰かに苦痛を取り除いて欲しいし、励まして欲しいし、未来は
きっと良く成る、と誰かに信じさせて欲しい、のではないでしょうか。

自分だけがどうしてこんなつらい思いをしなくちゃならないんだろう、と
考え始めると、誰もが自分と同じように苦しんで死にたいんだ、と
思いたくなるものです。

他の人は苦しみが少なく、喜びに満ちた人生を歩いている、なんて
考えるのも癪だし、辛くなるからです。

子供が欲しい、欲しくない、ということについても、あなたを産んでくれた
親に対する気持ちと、自分が将来母親になれない可能性についての
気持ちなどが混在しているような気もします。

大変な毎日だとは思いますが、何もかもいっしょくたでは見える物も
見えなくなります。

少しづつ、ご自分の気持ちを一つ一つ紐解いて、まずは整理なさる
ことから始められてはいかがでしょうか。

いきなり大きな結論を出して思考を停止させたいと思うのは、
リストカットと同じように、その逆の願いを持っていることが少なく
ないのではないでしょうか。

あなたは、幸せになりたいのだと思うのです。

それをもう一度よく、お考えになって見て下さい。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

例についてですが、生まれてきた子を殺す必要は無いと考えます。また、現代社会において許されることでもありません。ただ、その子どもは不妊の遺伝的な形質を持っており将来苦しむ可能性があるかもしれません。しかし、生まれた以上、本人の生死は、本人に選択させれば良いことであり、それを無視して殺す必要はないと考えます。これが、私の考えです。また、リアルな話であれば、出生前診断などこの点の悩みがかなり指摘されている気がします。人間社会で不利な扱いが予想され子どもにとって負担が大きいと考えると、子どもを堕ろす事もあるでしょう。現在は判定のしやすい分かりやすい病気だけで判断していますが、これが進めば将来は糖尿病や癌、はたまた禿げるか否かなどそういった細かい話で受精卵の選択が始まる可能性もあると思います。揺るぎないかどうかは分かりませんが、この様に考えています。

また、私自身は不幸かと言われると、恐らくそうではないと思います。もちろん、上を見ればキリがありませんが下もたくさん見てきました。少なくとも、途上国などをバックを背負って旅したり話をしたりしていますと、客観的に見て環境面では非常に恵まれていると思います。哲学が出来るほどの余裕があるのは幸か不幸か分かりませんが恵まれているでしょう。
ただ、喜びに満ちた人生かと言われると疑問ですが、やりたいことをやりながら過ごしていますので、他人を羨んだことはほとんどありません。先に挙げた悩みが最も大きい物で、病気(苦痛)が気にならない人は羨ましいと思っています。

なお、私の気持ちの整理ですが、どこから手を付ければいいのか難しいところです。正直なところ今が極めて安定(所謂、普通に幸せという状態です)しており、それを壊したくないというのが大きいかもしれません。
子どもがいれば責任や、トラブルや心配事が増えますし、今の安定した生活や世界は完全に失われるでしょう。
しかし、本能とでも言いますか、子どもが欲しいという気持ちがないわけではないという感じで悩んでおり、こちらで質問させて頂いた感じです。
そういえば、自分の気持ちを考えていて思い出した言葉がありました。子どもの頃、何度も父が言っていたのですが、五体満足で生まれてきてくれ本当に良かった。(そうでなければどうした物か・・・)カッコの部分は想像ですが、障がい者の居る家は大変だと時々言っているので、非常に困ったことは容易に想像が付きます。出産については、その保証はどこにもありませんし、これも私の心の中で大きな位置を占めている気がしました。

お礼日時:2014/06/19 21:32

>遺伝や与えられた環境に寄るところが大きく、親の責任は非常に大きいと思っています。



それは全くその通りです。
でもそれも含めて子供の運命かと。
という風に私は割り切ってます。
私にも自分の人生に色々と不満はありますし、その原因という意味では私の両親の影響は非常に大きいことは客観的に見て確かでしょう。
でも原因は両親でも両親の責任にするつもりはありません。少なくとも私の場合は虐待を受けたりはしてませんし、親としての責任は十分果たしてくれたと思っています。
その中で自分の幸せをどうやって掴むかは子供自身の責任です。
子供を作ることで子供に自分で自分の幸せを掴む機会を与えた、そういう考えはいかがでしょうか。
産まれなければ何も考えることもすることもできないのですから。

もちろん子供をまともに育てる力もないのに子供を作ってきちんと育てられなかったのならそれは罪であると思います。
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子供を作ること自体はただの行為であり、ただの現象です。


子供を作ること、あるいはどのような動機で子供を作るか、どのように子育てをするか、が罪かどうかは所属しているコミュニティの法律や道徳、倫理、さらには個人個人の価値観などによって決まります。

質問者さん個人は「単純に子どもが欲しいという気持ちだけで子供を作ることは罪」と思っている。
他の人はどう思っているかはその人の価値観次第。
ただそれだけの話でしょう。

なお、私は子供をどう育てるかが問題であり、そこに至る動機はどうでもいいと考えています。
例え子供は欲しくなかったけどうっかり避妊をしくじって出来てしまったとしても責任と愛情を持って子育てをするのであれば罪とは思いません。
どんな崇高な考えで子供を作っても育児放棄やら虐待やらをすれば罪です。

育った子供が産まれたくなかったと思うかどうかはそれはその子供個人の責任と運命であり(親の育て方に虐待やモラハラなどの直接的な原因があったのでない限り)それは親の罪でもないし責任をとるようなことでもないと考えています。

あくまでも私個人の価値観です。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

そうですね。みんな考え方が違いますので回答して頂きとても参考になります!

これは、私自身は、子どもがどのような考えを持つかは、自身の経験や研究論文などから、遺伝や与えられた環境に寄るところが大きく、親の責任は非常に大きいと思っています。今ホットな話題であれば、染色体異常のチェックを受けるかなどもすでに子どもの大きな人生を左右する選択だと思います。

また、私が非常に興味を持っていることや恐怖心などの発達には子どもの頃の教育や環境が非常に大きく全てと言っても過言ではないくらい周りの影響を受けています。例えば、ある事について興味を持った原因は?と聞かれると、○歳の頃、父に紹介されたあのことが切っ掛けであった等明確に答えられる話が多いです。
もちろん全てではありませんが、諸外国との軋轢を見ても、教育は人の形成にとても大きな役割を果たしていると思います。そして、その教育を施したり環境を用意できるのは親ですし・・・。

お礼日時:2014/06/19 00:16

#8です。



あ、でも子供を持ちたくない人を一概に変だとか悪いとは思いません。

人間は本能だけで生きておらず、心や精神が複雑ですから。

いろいろな事情や都合があるでしょう。
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この回答へのお礼

本当に複雑ですね。また、自己矛盾も多いと思います。あ、単に馬鹿なだけかもしれませんが・・・

お礼日時:2014/06/18 19:39

>もし生前に生まれるか否かを選ぶことが出来たなら、生まれてくる時代や場所を選んで生まれてきたかったです。



選んで生まれてきている、と考える人たちもいますね。魂の修行のためとか、魂を向上させるためとかで。スピリチュアリズムと言うんだと思いますが。

そうなのかどうかは分かりませんけれども、「たまには」そういう風に考えてみるのも良いかもしれません。人のせいにしないで自分の人生だと考えてみる。

人間は野生動物と違って、単純に本能だけで子供を産み育てられるわけではありません。哺乳類なら乳を与えて育ててエサを取ったり取り方を教えたり、だんだん親離れして、1年~数年程度で(ネズミとかならもっと早いか~)大人になり自活していく。

でも人間はもっと複雑ですから。

私は結婚もしていないし子供がいませんが、育てられる状況だと思えなかったからです。理屈の上でも、本能的にも。責任が持てない。自分の手には余る。
楽をしたかったのでなく、自分の都合を通したかったわけでなく(自分のことだけ考えていられなかったがゆえに今の状況があります)、他にいろいろ事情があって、手一杯だったためです。

他の人ならば何役もこなせたかもしれません。しかし、私には無理だと思えました。力不足で駄目な人間なのかもしれません。それとも、凡人で、能力が高く優れた人間ではなかったからかもしれません。

というように色々ムズカシイこともありますが、基本的には人間も動物、と言ったらおかしければ、生き物ですよ。

生き物は増殖したいのが本能です。
(おまけに人間は遠くに行きたがりますね。もちろん個人を見れば個人差があるけれど)

人間らしく哲学思想するのもいいけれど、生身の体を持った生き物だというところも忘れないほうが良いと思います。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

そうですね。確かに、もっと自由に欲望に忠実に生きるのもありかもしれません。ただ、そうはなかなか思えないところが人であるが故の性かと思う時もあります。
また、そう思うからこそ#4さんのような気持ちが痛いほど理解できたりもします。質問では高尚なことも書いていますが#4さんのような理由もあります。楽できたら楽がしたいというのは恐らく本能でしょうね。

祖母(大正生まれで多産だった)や途上国の人、知人と話をしていると、数が多い方が楽しいという結構シンプルな答えも良く聞きます。

どこまでが本能といえるのか分かりませんが、思いや考えに従い増殖したくないと思う個体は淘汰され、より増殖を願う個体が残りやすくなるのがより未来のヒトかもしれません。

お礼日時:2014/06/18 19:38

子供は授かりものです。


一時期を一緒に過ごし、こちらが面倒をみているようでも
楽しさや嬉しさを与えてくれる相手だと思います。

本当に身近に過ごすのも、小学生までです。
後は、どんどん自立していきます。

私はいい歳ですが、子供欲しいですね。
仕事に明け暮れてしまったので、まだいませんがこれからですね。


私は、自分が生きてるこの時代が大好きです。
過去には苦しいこともありましたが
生きるチャンスが与えられたことを大事に思っています。

生きていれば、自分の働きかけで十分に幸せになれる
この日本も大好きです。

今、手にしている沢山の小さな幸せを
これからも忘れないで生きて行こうと思います。

幸せって、無くした時に持ってたことを気がつくことが多いのが人間です。
持ってるものを一度しっかりと見てみるのもいいもんですよ。
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この回答へのお礼

回答いただきありがとうございます。

>幸せって、無くした時に持ってたことを気がつくことが多いのが人間です。
そうですね。それを失うくらいなら、初めから持たなければ苦悩がない(熟語で言えば死別離苦でしょうか)と思ったりもします。離れて暮らしたり事故があり危なかったりしたと期そう思いました。特に、身内や友達については強く思います。こういった苦痛や悩みが解消できていない現代に、次世代を生み、この課題を引き継がせるのは耐え難いとも思ったりもします。

また、子どもについては、時期を逃してしまった場合、日本では偏見がまだあるようですが里親制度などもありかと思っています。全く縁がなかったのですが、国は違いますが義兄が実はそうであったりして考える機会があり、血縁同様普段の親子関係の結びつきがかなり重要だと思うようになりました。

お礼日時:2014/06/18 19:26

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