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  二つの関連ある質問をいたします。(ここでいう謙譲語は「謙譲語I」に限ります。「謙譲語II」の話が及ぶ場合はその都度IIを付けます)

1.自動詞には「尊敬語」はあるけれど、「謙譲語」はない。

 (質問内容)自動詞である「生まれる」(他動詞は「生む」)・「立つ」(他動詞は「立てる」)・「分かる」(他動詞は無し)等には、次のように相手側の動作に対する尊敬語はあります。
  
 お生まれになる 生まれなさる ・お立ちになる お立ちなさる ・お分かりになる お分かりなさる

 ところが自分側(話し手)の動作に付く「謙譲語」には適当な言い方が存在しない。

 お生まれする ・ お分かりする ・ お立ちする(最後の言い方については場合によってはあるかも知れない) 
  
 以上について、異論があればお教えください。

2.上に関連して相手側の動作に「くださる」や「いただく」が付くのはどう考えればいいのか、お教えく ださい。
 お生まれくださる(これは通常言わないこばなので省きます)  お立ちくださる  お立ちいただく
・お分かりくださる お分かりいただく

 「くださる」が尊敬語であり「いただく」が謙譲語であることは知っています。しかし、この二つに「お立ち」や「お分かり」という語句が付くと、意味としてほぼ変わりない言い方(おそらく尊敬表現)になるのはどうしてなんでしょうか。そして、話し手の立場からすれば、「尊敬語」なのでしょうか。それとも、「謙譲語」なのでしょうか、そこのところを分かりやすくご説明くださると有り難いのですが。

A 回答 (7件)

「そしり奉り給ふ」や「そしられ給ふ」はあり得ても、「そしられ奉り給ふ」はあり得ない文と思いました。




ところが、どっこい類例はあるんですねぇ。先の回答では実例を探すのが面倒だったので作例しましたが。


  かのおとどに知られたてまつり給はんこともまだ若若しう、(源氏物語・胡蝶)
  さうじみは、我にもあらぬさまにて、つくろはれたてまつり給ふままに、(源氏物語・椎本)
  されど、御前には、おされたてまつり給はざめり。(源氏物語・東屋)


「要求した回答はまだいただいていません」とおっしゃいますが、「『~てくださる』と『~ていただく』については、自分で使うのに迷ったわけではありません」ともおっしゃっているぐらいですから、ご自身で内省なされば答えは出るはずです。
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この回答へのお礼

>ところが、どっこい類例はあるんですねぇ。

なるほど、そうでしたか。これは失礼しました。わたしの不明のなせる業でした。わざわざ、検索くださって、ありがとうございます。
 質問の答、「立場を変えて別の言い方をしても同じことになる」ことが外にもあるかというと、受け身で思い付きました。「敵が(わたしを)斬る」を受け身形にして「(わたしが)が敵に斬られる」となっても同じことだとだと言うことでしょうか。更に「軍記物語」に出てくる「敵に斬らせて」という使役形も、「敵に斬られて」と同じことになりますね。ということで「一人合点」しておきましょう。ある意味では、あまり意義ある質問ではなかったようですね。

お礼日時:2014/07/14 13:35

そこまでわかっていらっしゃるなら、人に尋ねるまでもないでしょう、


締め切って、あとはご自分で考え、判断なさればよろしい。

「A、Bにそしられ奉り給ふ」は作例です。一目でわかるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
>締め切って、あとはご自分で考え、判断なさればよろしい。

 要求した回答はまだいただいていません。

>「A、Bにそしられ奉り給ふ」は作例です。一目でわかるでしょう。

 そうでしょうね。「そしり奉り給ふ」や「そしられ給ふ」はあり得ても、「そしられ奉り給ふ」はあり得ない文と思いました。

 失礼な言い方は、お許しください。
 

お礼日時:2014/07/13 15:00



謙譲語は動作客体を敬う表現ですから、動作客体のない自動詞に謙譲表現がないのは当然です。

2、 

「Aが私に席を譲ってくれた」
「譲ってくれる」の動作主体はAで、動作客体は「私」です。Aが目上の人であれば、
「Aが私に席を譲ってくださった」
と表現することでしょう。「~てくださる」は動作主体を敬う尊敬語です。


「私がAに席を譲ってもたった」
「譲ってもらう」の動作主体は「私」で、動作客体はAです。Aが目上の人であれば、
「私がAに席を譲っていただいた」
と表現することでしょう。「~ていただく」は動作客体を敬う謙譲語です。

どちらの表現も結果的にAを敬っているわけですが、けっして同じではありません。

質問者様の場合、上の例文でいえば、「譲る」を「相手の動作」と捉えた点が「躓きの石」になっているものと想像します。「~てくださる」「~ていただく」それぞれ全体を一つの動作として、その動作主体、動作客体をお考えになると良いと思います。

似たような話は、古典語の、たとえば、
A、Bにそしられ奉り給ふ。
という受身文についても言えます。
「そしる」を動作として捉えたのでは敬語の説明はできません。
「そしらる(=非難される)」を一つの動作と捉えることで、Aが動作主体、Bが動作客体、「奉り」が動作客体Bを敬い、「給ふ」が動作主体Aを敬う、といった説明が可能になります。

この回答への補足

>「そしられ奉り給ふ」はどこに出てきた文なのでしょうか。ちょっと奇妙な文ですね。

補足日時:2014/07/13 07:49
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。「自動詞に謙譲語がない」というのは、言わば確認事項でした。
 「~てくださる」と「~ていただく」については、自分で使うのに迷ったわけではありません。
>「譲る」を「相手の動作」と捉えた点が「躓きの石」になっているものと想像します。

 「譲る」だけ取り出せば、間違いなく相手の動作でしょう。「譲ってくださる」となったとき、その動作主体はが相手側になることはおっしゃるとおりですし、「譲っていただく」のはこちら側で、その動作客体を敬う謙譲語であることもそのとおりです。そうした点は実は分かっているのですが、分からなかったのは「譲ってくださる」と「譲っていただく」とどちらが正しい敬語ですか、という質問があった時に教える人が「どちらでもいい」と答えているのを見かけます。この一見対照的に見える敬語が、どうして「どちらでもいい」になるのか、不思議だったということに質問の原点があります。このことは尊敬語の言い方に「お譲りになる」と「お譲りなさる」の二つの言い方がある時の「どちらでもいい」とは相当な違いがあります。
 あるいはここにお書きくださったような違いを言うと、かえって質問者を混乱させかねないとの思いやりからくるのかもしれません。その一方で「くださる」と「いただく」の意味の違いを説明しているサイトもあります。その違いの要点を言いますと、「ご出席くださいまして」と「ご出席いただきまして」とを比べた場合、「いただきます」の方には「こちらから依頼して」のニュアンスがあると言っています。また、別の人は「いただく」には「恩恵を受ける」の意味があると言っています。その点については、別の回答者への「お礼」で触れました。
 古文の「そしられ奉り給ふ」は「そしる」という動詞に「れ」という受け身の助動詞、「奉る」という謙譲の補助動詞、「給ふ」という尊敬の補助動詞が付いていると分かれば、「そしられ申し上げなさる」とその訳の巧拙はあるものの、敬語の関係は現代語に比べて分かりやすいと思います。「聞き手尊敬」と考えられる「丁寧語」はあったとしても接頭語や「侍り」(西暦1000年前後の場合)程度しか無かったのに、現代語では、謙譲語II(丁重語)など云々されて、大変むずかしくなっていますね。

お礼日時:2014/07/12 22:46

#3です。



>「いただきます」には「不正」のニュアンスを感じるのです。

下記辞書の、
6 苦労もなく、手に入れる。「今度の試合は―・いたも同然だ」
という用法も持っているからなのかもしれません。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/12108/m1u/% …
この用法で使う場合は、たしかに上品な表現とは言えませんしね。

>まして「させていただきます」になると、「許可を受けて恩恵にあずかる」という説明があるけれど、「前もって」ではなく、許可と恩恵を同時に要求してくるように思われてなりません。これは「厚かましさ」に通じます。

いや、それは、おっしゃるとおりでしょう。
「許可と恩恵を同時に要求」しているのです。
ただ、これは功罪相半ばすると思います。
商店などが、「本日は休みます」と貼り紙すれば正直かもしれませんが、ややつっけんどんな印象も受けます。
「本日は休ませていただきます」とすれば、「事後承諾の形にせよ、お客様の許可は得られるものと考え、休むという恩恵にあずかります」といったニュアンスになるでしょう。
つまり、「お客様の迷惑ということも、一応、心の片隅にではあるが、留めていました」という(弁解がましくはあるが)顧客に対する配慮の表明になっているのだと思います。これなどは「功」と言って差し支えないように思います。
一方、厚かましさを糊塗する目的で確信犯的に使われる場合も多いのはたしかです。
「ワールドカップ開催中は、ドリンク価格を通常の倍とさせていただきます」などと喫茶店が言うような場合。
要するに、明らかな不利益を相手に与える場合、または、与えられたと相手が感じる場合に「厚かましい」と評価され、そうでなければ、「弁解がましさも若干備えた事後承諾」として評価されるのだと思います。
  
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この回答へのお礼

余談にまでおつきあいくださり、ありがとうございました。
>「本日は休ませていただきます」とすれば、「事後承諾の形にせよ、お客様の許可は得られるものと考え、休むという恩恵にあずかります」といったニュアンスになるでしょう。
つまり、「お客様の迷惑ということも、一応、心の片隅にではあるが、留めていました」という(弁解がましくはあるが)顧客に対する配慮の表明になっているのだと思います。これなどは「功」と言って差し支えないように思います。

 なるほど、そういう受け取り方もありますね。

お礼日時:2014/07/13 15:07

#1です。


>「いただく」と「くださる」が、具体的な用例の場合において、どうして同じような働きをすることになるのか、分かるようで分からない

視点の違いということになるかと思います。
たとえば、「先生がわたしに本をくれた(くださった)」と「わたしは先生から本をもらった(いただいた)」は、本の移動ということに関しては、ひとつの同じ状況を指しています。
しかし、先生からすれば本は離れていくものであり、わたしからすれば本は向かってくるものです。
その視点の違いが「くださる」と「いただく」の違いなわけですが、「本の移動」が先生によってもたらされたものである点では同じですから、視点を変えて敬語表現をしたとしても、先生に対する敬意になることに変わりはない、ということでしょう。
因みに、<敬語の指針>40ページには、次のような解説があります。

5 「いただく」と「くださる」の使い方の問題
【 17】 いつも 「御利用いただきましてあ 17 , 。 りがとうございます 」と言ったり,書
いたりしているのだが 「御利 , 用くださいまして」の方が良いのだろうか。
どちらが適切なのだろうか。
【解説1 「御利用いただく」は謙譲語 】 ,I 「御利用くださる」は尊敬語である。つまり,
「 自分側が相手側や第三者に)御利用いただ ( 」く 「 相手側や第三者が)御利用くだ ,(
さる という基本的な違いがある しかし 」 。 ,, , 立てるべき対象は どちらも同じであり
また,恩恵を受けるという認識を表す点も同様であるため,どちらの言い方も適切に
敬語が用いられているものである。
【解説2】謙譲語Iの「御利用いただく」の使い方には,問題があると感じている人たち
もいる。その理由としては 「利用する」のは相手側や第三者なのだから,尊敬語で ,
ある「御利用くださる」を使うべきだということなどが挙げられているようである。
しかし 「御利用いただく」は 「私はあ , , なたが利用したことを(私の利益になるこ
とだと感じ)有り難く思う」という意味を持った敬語である 「利用する」のは相手 。
側や第三者 「御利用いただく」のは自分側,という点がやや理解されにくい敬語で ,
あるが,自分側の立場から相手側や第三者の行為を表現した敬語であり,敬語の慣用
的な用法として特に問題があるわけではない。ただ,このような「いただく」の用法
に対しては,その受け止め方に個人差があり,不適切な用法だと感じている人たちも
いる。
また 「御利用いただきまして…」と「御利用くださいまして…」のどちらが適切 ,
か,どちらが丁寧か,という判断や感じ方についても個人差が大きいようであるが,
基本的には,どちらもほぼ同じように使える敬語だと言ってよい。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi …
他の方からのご回答、わたしも楽しみにしております。
   
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この回答へのお礼

なるほど、その「指針」の説明は読んだのに、忘れていました。「不適切な用法だと感じている人たち」の一人がわたしかも知れません。こちらのために用意してくれた食事に「いただきます」というのは抵抗ないのですが、「いただきます」には「不正」のニュアンスを感じるのです。まして「させていただきます」になると、「許可を受けて恩恵にあずかる」という説明があるけれど、「前もって」ではなく、許可と恩恵を同時に要求してくるように思われてなりません。これは「厚かましさ」に通じます。
 しかし、これは個人的で主観的なものでしょう。

お礼日時:2014/07/12 14:52

#1です。


項目2の箇所で訂正があります。

×
「もらう」というのは相手の動作ですから、「お立ちいただく」は、自分の動作について謙譲語1を使っていることになります。

「もらう」というのは自分の動作ですから、「お立ちいただく」は、自分の動作について謙譲語1を使っていることになります。

失礼いたしました。
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わたしの場合、ネット辞書と<敬語の指針>ぐらいしか読まないので、とても「詳しい人」とは言えませんが、その範囲で理解(解釈)していることでよろしければ、僭越ながら述べさせていただきます。



1.自動詞には「尊敬語」はあるけれど、「謙譲語」はない。

同意いたします。
<敬語の指針>15ページによれば、
「謙譲語1」は、『自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて,その向かう先の人物を立てて述べるもの』と定義されています。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi …
一方、「自動詞」とは、『動作主体の動作・作用が他に及ばないで、それ自身の働きとして述べられる動詞』です。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/99104/m1u/% …
前者は「相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて」述べる場合の用法であり、後者は「動作・作用が他に及ばない~動詞」なので、自動詞の厳密な区分には疎いのですが、謙譲語を兼ねた自動詞というものは(たぶん)、基本的に存在しないように思います。

2.
・「お立ちくださる」→『「あなたが立つ」ということを、わたしにくれる』という構図。
「くれる」というのは相手の動作ですから、「お立ちくださる」は、相手の動作について尊敬語を使っていることになります。

・「お立ちいただく」→『「あなたが立つ」ということを、わたしがもらう』という構図。
「もらう」というのは相手の動作ですから、「お立ちいただく」は、自分の動作について謙譲語1を使っていることになります。
立つのは相手の動作だが、それを「もらうという自分の動作」が相手に向かっているわけです。
「千円、いただきます」は「千円をもらう」という動作の謙譲語1です。これに対応させると、
「あなたが立つこと、をいただきます」となります。

因みに、謙譲語1というのは、自分の動作を謙ることによって、その動作の向かう先に敬意を表すものです。
尊敬語の場合は、相手の動作だけについて使われ、自分の動作は絡んできません。
ただ、どちらの場合も「相手に対する敬意を表す」ということが最終的な目的なので、「意味としてほぼ変わりない言い方(おそらく尊敬表現)」になるのは、おっしゃるとおりです。
まあ、「敬語」自体が「尊敬語」の略でもあるのでしょうしね。(たぶん^^)
若干、くどい表現になったかもしれませんが、以上です。
    
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この回答へのお礼

時々意見が対立することもある、hakobuluさんがご同意くださって、安心いたしました。ただ、2.の「お立ちくださる」「お立ちいただく」に付いては、もう一つしっくりしません。「いただく」と「くださる」が、具体的な用例の場合において、どうして同じような働きをすることになるのか、分かるようで分からないという思いがあります。
 出来れば、外の方々にもご教示いただきたいと思います。

お礼日時:2014/07/12 11:03

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