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流行と伝統、個性の関係
「史上最強カラー図解 世界服飾史のすべてがわかる本」能澤 慧子 (ナツメ社)

を読んだのですが、
「近世 国同士で影響し合う服飾」「国民性が服飾に表れる時代」
「国民意識が高まるにつれ、全体のフォルムは似ているもののその国ならではの個性的なファッションが生まれるようになる。」

とあります。

実際、ある国であるスタイルなど生み出されて流行され、その国に合わせて表現されて、ある国が何か革新的なスタイルをあみだして流行する様式かと思います。

トルコやインド、そしてシノワズリ、ジャポニズムなど違う文化からも東洋趣味を持ってうけいれますね。


日本は歴史上は中国、朝鮮の大陸から、近代以降は西洋技術の模倣など文化を受け入れるのと独自の文化に咀嚼していく様式かと思います。


西洋って、ある国の全部が流行するのではなくて、ある一部のものあるいは主流みたいなものが流行してもその中に伝統性を守ったりしてという形なんだと思います。

生み出されて流行していくもの、流行しないでその国のみの伝統であるものなどにわかれますね。また流行してもその国の文化の伝統、個性も大事になりますね。

伝統はその国で大事にされるけどうみだされたものの全部広がらなくてなど。

ある意味循環的ですが、その構図が整理しにくくて。

また和魂漢才、和魂洋才の日本のスタイルとどのように違うのでしょうか?
ヨーロッパの伝統は日本の伝統意識とは違うものなのでしょうか?

流行と伝統、個性の関係って難しいので、整理をお願いします。

A 回答 (4件)

質問者さんの質問の背景や問題意識が、私にはちょっと読み取れないのですが、、、


 
ヒトというのは、個体ですが、親子、兄弟姉妹、友人、同じ組織集団のメンバーなどと関係してます。 個体が個体として独立しているとは言い切れず、個体同士が関係しあい、影響し合っています。その影響のしあうし合い方の中で、子供は生育発達しています。言葉を覚えるのも、日常習慣、食事の仕方、就寝の方法、他のヒトとの挨拶の仕方、連絡の取り方、協力や指導服従・抵抗の仕方なども、ヒトとヒトのふれあいの中で習得していきます。
しかし、そのように育っても、双子の兄弟で同じ家族内で育っても、微妙に違いが出てきます。兄弟姉妹でも全く同様の言語使用、服装の好み、料理の好み、スポーツや音楽、演劇や小説に対する好みも、社会に対する態度、親に対する態度も違いが出てきます。 
ある家族内の子供と別の家族の子供とでの違いは、一家族内の子供間の違いよりも大きいです。また、東京の子供と、仙台の子供、福岡の子供での違いはもっと大きいです。
言語や習慣の異なる文化圏になる、韓国・日本・スペイン・インド・アルゼンチンなどで、同じように10歳の子供のもつ行動の傾向、好みなどを見れば、その差は、同じ言語圏の子供よりも大きくて自然です。
空間的な視点を離れ、時間的な視点で見ても、2000年生まれの10歳、1975年生まれの10歳、1950年生まれの10歳、1925年生まれの10歳、1900年生まれの10歳が、それぞれ10歳になるまでに経験する内容は大きく違いますから、遊び、食物、食事、衣服、歌、学習などに関する行動傾向や志向は違います。

そのようにヒトは生育環境の影響を大きく受け、その生育環境は親子、家族、地域、世代など複層構造のもので出来ていて、かつ影響を受ける個人であるヒトの資質も重なるので、一様な状態にはなり得ず、様々な違いがありながらしかも傾向をそれぞれの歴史時間軸と空間・人文地理的配置、経済活動人事交流の流れの影響を受けます。

そのようなものであるから、伝統と呼ばれる習慣の影響がありながら、一時的感染や興奮の伝搬のような流行もあり、それら伝統習慣や流行にも色合いの濃淡が地域と時代と社会グループ内で生じ、かつ個人差もある状態になるのが当たり前でしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~
山や川、海、平地、丘陵、乾燥地帯、湿潤地帯のような自然の状態でも、世界は様々であり、山がちの土地を世界各地で見比べても、山なのだから似た面も多いですが、各地の事情で随分と地質も形も違います。
地域が離れていたり、過去の歴史的事情が異なっているから地域差はあるし、地域差があれば、温暖化や高気圧低気圧の通過という気象条件が似ていても、雨や風で、ある地域に起きる事柄は似ているばかりではなくて、結構違いがおきます。
和魂漢才、和魂洋才の日本のスタイルとか、人種による思考傾向のもたらす影響と考えてしまうのではなくて、どんなことでも、(自然でも、人間文化でも)、ある種のパワーが働いたときに、似たことが発生することもある・しかし全く同じことは起きず・起きていることをよく見ればずいぶん違うのは、確率的・力学的・文化的に当然ではないかと思います。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「近世 国同士で影響し合う服飾」「国民性が服飾に表れる時代」「国民意識が高まるにつれ、全体のフォルムは似ているもののその国ならではの個性的なファッションが生まれるようになる」は、《国・国民》を《近隣や遠方、その地域の住民やある宗教集団などに属する人々》と置き換え、《国民意識》を《集団帰属感情・他集団と隔絶し排他対抗する感情を共有したがる政治社会状況》と置き換えてみるなら、そうだと思います。
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伝統も、過去の流行です。


流行を次々取り込んで、選択されたものが、新たな伝統になる
のです。
伝統や流行と、個性も対立するものではありません。
伝統のヨロイカブトといっても、個性的なカブトは数多くありました。
個性の中から流行が生まれ、伝統になって行くのです。
その選択の過程で、気候や資源、気質、宗教、技術レベルなどに
よって、地域性が生じ、多様性を生みます。
それは、生物の進化が、強い1種の生物を生むのではなく、環境
や生態系に応じた多様性を生む事であるのと似ている。

ヨーロッパが伝統を守っているように見えるのは、建築が積石造で
耐用年数が数百年単位なのに対し、日本の民家は、よほど田舎や
金持ちで豊富に木材を使った家でない限り、数十年の寿命で
頻繁に建て替える文化である事に由来する。
実際、ソフトの部分では、2千年以上も続く皇室が、いまだに国の
安寧を祈る祭祀を行っている西欧の国などない。
日本は、形の部分は頻繁に更新してきたから簡単に着替えて
「和魂洋才」になり得るのに対し、西欧は古い形骸をまといながら
中身は近代化して来たのだ。
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(1)「近世 国同士で影響し合う服飾」


(2)「国民性が服飾に表れる時代」
(3)「国民意識が高まるにつれ、全体のフォルムは似ているものの
その国ならではの個性的なファッションが生まれるようになる。」

この三つの言論が正しいとして、解釈してみます
まず(3)にある「全体のフォルムは似ている」で指されている全体は何を意味するかというと
(1)にあるように国同士でとあるので二つ以上の国の集合であると思います
また、そう解釈するなら「フォルムが似ている」とは(1)にある影響の結果のことであると思います

つまり(1)と(3)を複合すれば
近世、それぞれの国の服飾はフォルムが似るが、国民意識の高まりによって
フォルムの類似性を崩さずにその国ならではの個性的な服飾が生まれる

更にここに(2)を加えると完成です
(2)では国民性=服飾になっているのでこう言いかえられます

近世、それぞれの国の国民性は似るが、国民意識の高まりによって
それぞれの国の国民性との類似性を崩さずに、その国ならではの個性的な国民性が生まれる

ではこの(1)(2)(3)の複合した言論を根拠に
流行と伝統、個性の関係を整理しますと
まず、近世以前からある伝統は近世において一旦断ち切られると思います
なぜなら近世ではそれぞれの国の国民性は似てしまうのでそれぞれの国にある近世以前の伝統を担う
人がそもそも存在しなくなってしまいます
ただ、近世の国民が持つ類似性によって育まれたものは伝統として定着すると思います

また、流行は国民性の変容を指すことになります
服飾は国民性を表すのですから、新たな服の流行は新たな国民性の流行です
それはただちに他の国にも広がりそれぞれの国が新たな国民性の類似性を獲得することになります

そして個性とは、それぞれの国民性の差異です
それも単なる差異ではなく、それぞれの国民性との類似性を持ち、かつ、国民意識が高まることで
獲得される差異です
つまり国民意識が高まらなければ個性は生まれませんし、類似性を持ってなければ個性とは言えません

ですからまとめると類似性に大きな影響を与えるのは個性と流行です
今までの類似性と、流行の結果変質した類似性、この両者の類似性が得られないならば
伝統は存続できません
また、類似性の変質は今まで個性とされてきたものが個性でなくなる可能性もあります
つまり新たに獲得された類似性が今まで個性とされていたものと等しくなるような場合です
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>流行と伝統、個性の関係って難しいので、整理をお願いします。



「流行」と「伝統」の違いは、ちゃんとした定義があります。

「流行」とは、「その何が良いのかわからないけど、友達がそうしているから私もそうする」と言う現象です。

ある、「着こなし」が流行した時、「友達がその服の着こなしをしているから」と言う理由で、自分もします。そしてその友達も真似をします。それが地域全体に広がります。これが「流行」と言う現象です。これはマーケティング用語です。

しかし、流行は、結局「その何が良いかわからないが、友達がそうしているから真似をする」が原因なので、すぐに廃れます。しかし廃れない場合があります。これを「定着」と呼びます。

「定着」が歴史的意味を持つまで長い間定着したら、「伝統」と呼ばれます。




「個性」とは、その定着した集合体のなかで、特出した優れたモノを言います。そしてその優れたものをまた、皆が真似をします。これを歴史的意味が出るまで繰り返し継続されると「洗練された文化・伝統」と呼ばれるようになります。





>伝統はその国で大事にされるけどうみだされたものの全部広がらなくてなど。

その国ではありません。その地域の人です。
その地域で歴史的に大事にされたものを、国として大事にしているだけの話です。
「国宝」「人間国宝」「伝統工芸の認定」などはすべて後付けです。


伝統を踏襲しているものは国ではなく、地域の人間です。
だから広がるには限界があります。


ヨーロッパなどの外国の伝統を考える場合は、日本とは違う概念を持たないといけません。宗教観・言語の違いと民族の違いです。

日本の伝統では、宗教観や民族性の違いは出てきません。そう言う要素がありません。「伝統とは、地域の人間が継承するもの」と言いましたが、ヨーロッパなど外国では、宗教観・言語、民族の違いによって地域コミュニティが同じ国でも、まるで異国のように違う場所が沢山あります。その辺は、注意して考える必要があると思います。
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