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私は正にネガティブ思考です
自分でも嫌なので抜け出したく試行錯誤色々試しました
本なども読み勉強をしたので知識だけはつきました
しかし、結局ネガティブ思考が治まる気配は今のところありません

簡単に言うと、脳はどうしても楽観より悲観の方が刺激が強いので求めてしまう、という考えを前提に

どんだけ意識上、前向きを心がけても無意識の部分で自己評価が低いのでいずれネガティブが勝ってしまう
無意識の部分での自己評価を高めるには過去の負の蓄積が強すぎて自分に言い聞かせるだけでは到底作り替えれない
小さな成功体験を重ねようにも、まず体が動かない、ため息しか出ない
成功体験をせっかくつくれたとしてもすぐに、それがどうしたのだ?結局無駄に終わるぞ。と、すぐネガティブモードに入ってしまう

大体こんな感じです。
実際ネガティブ思考から抜けれたと言う方、どのような方法やきっかけ、思考の変化立ったでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

>実際ネガティブ思考から抜けれたと言う方、どのような方法やきっかけ、思考の変化立ったでしょうか?



実際、幸福の数と不幸の数は同数ではないです。圧倒的に不幸の数が多いことからネガティブ思考から抜けられない原因であったりします。
まず、幸福を自分で具体的に思い描くことが重要です。金持ちとかいう幸福は極めて抽象的ですが、45階建の高層マンションの最上階の角部屋に住むことを頭に描くことです。
だいたい脳裏にイメージを描いた瞬間、そのものはこの世に存在するのです。

それだけでいいのです。私が失敗してきたのは、そこに至る困難ばかりを想像し、実際に頭金だとかローン審査だとか困難な道を想像し、何度も失敗しました。
あるとき、父母が残してくれた遺産がそれぞれ弟私の分で5000万づつあることを知りそれに今の住まいを売却すると、最上階は無理でも39階くらいは住めそうだということがわかりました。
そんなの偶然だろう。誰でも真似できないじゃないか。そう仰るでしょうが、ネガティブ思考から抜けるには、ただネガティブのことを考えないと、ラッキーな偶然が起きるということを申し上げたかっただけです。

私は、ある会社の役員候補だったのですが、新規事業をしくじって冷や飯をを喰わされていました。ここでネガティブにならなかった理由は、ちょうどその時期に高層マンションが手に入ったりして、なにも落ち込むことはないと、思っていました。するとのちの社長になるある役員から海外市場調査の仕事を命じられて、私は合計7回も調査団を組んで海外市場の調査を行いました。人生経験としては大変豊かなものをが得られました。
プランニングという仕事は、とてもポジティブな発想のトレーニングになります。
例えば、わたしはマーケティングコンサルの仕事の原案を明日の10時までにまとめなくてはいけないのですが、そのイメージを描くと、もう出来合ったものと信じてあまり手を動かしません。ときどき上司と相談したりすると、「これどうかな」と見せてくれる資料や、メモがそのまま使えたり、ふと思いついた過去の自作のレポートをそのまま応用できたりします。

ポジティブ思考というのは、つまりネガティブを排除するのでなく、何かを信じて夢見る生き方なんです。
だいたい現実は自分が勝手に創造している世界なんだから、度胸をきめて幸福をあたまに描けば、それだけでいい。そういうことを私は体験してきました。
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お礼、ありがとうございます。



言っていることが、よくわからないのですが…
食いしん坊?と思ったんですが…

いや、冗談です(笑)

食べられるもののほうがいいか悪いかは、あなたが決めることでもないし、他の誰かが決められることでもないですよ。

草は生えているもの、それのみです。
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この回答へのお礼

うそこけ
実際そんな風に生きれるのはお釈迦様レベルの者だけでしょ
あなたの家にも蚊取り線香はあるだろうし
誰かが雑草駆除した作物だって実際は食べてるんでしょ
世界を愛するのは簡単なのでまずは隣人を愛してあげてください

お礼日時:2014/09/13 12:32

ポジティブ=良い



ネガティブ=悪い


ではありませんよ。


前にTED(スーパープレゼンテーション)で、アジア人はネガティブシンキングの人が多いが、その歴史の中で仏教などが生まれたのだといっていました。

逆に、欧米人はポジティブシンキングが多いらしいです。

アンケートで、「イエス・キリストについて、どんなイメージをもつか」を、アジア生まれアジア育ちのクリスチャンと、欧米生まれ欧米育ちのクリスチャンに聞いたところ、前者はたしか、「犠牲」とか「悲」とか・・・つまり、処刑されたこととかそういうところに着目したと思われるイメージが強かったのですが、
後者、欧米人のほうは、「偉大」「愛」など、実にポジティブなんです(笑)


このプレゼンをしたえらい方は、アジアの人々は、こういうネガティブなところを、仏教的思想(諸行無常、輪廻転生など?)で補ったりしている、といいます。



いや、仏教徒になってください、という勧誘じゃないですからね。

わたしなりの解釈ですが、ネガティブだろうとポジティブだろうと、目の前、身の回りで起こった現実を受け入れる、ということが大切なのではないでしょうか。


なんていうか、自分の感想なんて、どうでもいいわけなんですよ。
聞かれたら「こう思います」と答えるべきですが、あなたは今まで生きてきて、何かあるごとに誰かに思ったことを話さなければならない、ということはないですよね?

だったら、自分の感想は、べつにいらないんです。

たとえば、育てていた花が枯れたとします。

「あ、花が枯れている」(事実)

「可哀想。どうして枯れてしまったの?わたしが悪かったの?悲しい」(自分の感想)

あなたはたぶん、こういうふうになるんですよね?

そこを、わたしは、こう考えるように意識します。


「あ、花が枯れている」(事実)

「残念・・・だけど、どうして枯れたんだろう。どうすれば枯れなかったのかなあ」

今度は、一瞬感情を出していますが、それよりも枯らしたくなかった花が枯れていることをいったん受け入れて、どうすればよかったか、次はどうしようか、などを考えているんです。

こういう思考回路になるには、初めは意識することが大切ですけれど、気持ちはずっと楽になります。



ほかにも、雨が降ったとき(あんまりうれしくないですよね?)、

「あ、雨だ。いやだなあ。憂鬱だ」

じゃなくて、

「あ、雨だ。結構大粒だな~。雨の音がするな~」

とかでいいんですよ。


あなたが憂鬱かどうかは、だれにも尋ねられないし、気にするというか、考える必要すらないんです。

これ、ポジティブシンキングとは違うけど、ネガティブさんにはかなりおすすめです。



実はわたしもあなたと同じように悩んでいた時期があって、恩人から教わった考え方なんです。
その恩人もかなりのネガティブさんなのですが、これをきいてから、少なくとも日常生活で自分がネガティブであることを気にすることは減りました。

ぜひ意識してみてくださいね。
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この回答へのお礼

でも同じ生えるなら雑草より食べれるものの方が良いじゃないですか

ありがとうございますです

お礼日時:2014/09/06 08:54

ご質問者様は、すでに自分を客観的に把握できていますので、道は明るいと感じます。



>ネガティブ思考から抜けれた

私の場合、自分はポジティブすぎてきたのだと気づきました。世間ではポジティブすぎるのもよくない、という考え方を知ってです。

「方向性」は陰陽関係なく、傾き過ぎるとどちらでもないもくなるものであるとと思っていますから納得できました。


>本なども読み勉強をしたので知識だけはつきました

解決方法や、原因となる関連のものを読みすぎてはいませんか?
どうしても藁にもすがる思いだと、主旨は同じでも言葉違いの解説を求めてしまうものです。

すると問題提起されたままで、解決は実現されません。
これは、頭では理解できているが心で納得していないので、行動化されていないということが原因です。

>脳はどうしても楽観より悲観の方が刺激が強いので求めてしまう、という考え

その説はどこで知ったのですか?科学的な根拠があれば教えてください、私も知りたいです。
脳というよりも考え方ではないかと思うのですが。

>無意識の部分での自己評価を高めるには過去の負の蓄積が強すぎて自分に言い聞かせるだけでは到底作り替えれない

良く分かります。私もそうですから。
それは不幸な記憶やネガティブな感情に圧倒されている状態なのだと思いました。
だから
>小さな成功体験を重ねようにも、まず体が動かない、ため息しか出ない
となるのではないでしょうか。

頭で自己評価の低さを否定しても、心がすぐに連動するわけではない。
不幸の分量は別としても、自分を変えられないというのはそういう心性になっているのだと思います。

よく「考えが変われば行動が変わる。行動が変われば性格が変わる・・・」などと言われますよね。
考えというのは、一見自由なようですが、実は無数の経験の際に受けた言葉に対する受け手の「考え」、そこから導きだした結論、その膠着状態をいうのかもしれないと考えます。

でも考えに必要なのは言葉です。言葉にはこうした考えの呪いがあります。
それを逆手にとり、今度は自分を別の言葉で騙すのです。

たとえば「お前はバカだな」と言われたのならすぐに「自分は賢い」と言う。
もちろん口に出して反抗するのもよい(でないと感情の抑圧によってさらに悪化します)。
できなければ、内心で自分に言い聞かせてもよい。

>成功体験をせっかくつくれたとしてもすぐに、それがどうしたのだ?結局無駄に終わるぞ

という考えも作られた思考にすぎません。
こうした場合、ポジティブな思考がまず必要となるのではなく、ネガティブな偏りをする思考の姿勢から矯正しなければならないと考えます。

最初は無の状態でしたが、後天的に植えつけられた潜在意識に至る根深い自己否定や自分は幸福になる資格はないという自己否定も、同じように後天的に直すことができると考える・・・というこれもポジティブ思考ですが(笑)ぜひ実践してみてください。
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 こんにちは。


 
 ★ 実際ネガティブ思考から抜けれたと言う方、どのような方法やきっかけ、思考の変化立ったでしょうか?
 ☆ 《抜け出せた》とは思いません。

 《思考の変化》はありました。

 それは けっきょく これから何が起こるか分からないという見通しが 誰にもあると言えばある。のですから その前提に意識的に立たなければならないというときには そのときその都度ちょっと気に成ったことについては 〔けっきょく〕その将来にそなえてみづからが免疫を先につくっておこうとしているのだ。予防接種なのだ。このように《ネガティヴ思考》について捉えたわけです。
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それはネガティブ思考ではありません。

生まれつきの怖がりです。これはその人の性格なのでなかなか治せません。むしろ自分の個性として大事にした方が良いと思います。結果として大成しませんが、何もしないので大失敗もしません。
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質問文を何度か読みましたが、質問者さんが「私は正にネガティブ思考です。

意識上、前向きを心がけても無意識の部分で自己評価が低いのでいずれネガティブが勝ってしまう」という状況がはっきりイメージ出来ません。
質問者さんの過去の質問で関係が多少ともありそうなのを2つ見つけましたが、あまり「正にネガティブ思考です」とは思えません。 問題を抱えているとしても、ネガティブ思考とは別のことのように思えます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8727847.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8670319.html
下の質問をこの期間内にしている状況からしても、「私は正にネガティブ思考です。意識上、前向きを心がけても無意識の部分で自己評価が低いのでいずれネガティブが勝ってしまう」という状況にあるとは思いがたいです。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8712691.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8730936.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8729610.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8648568.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8711334.html
ネガティブ思考に陥らず、別のことを考えようと努力している状況を示しているのかも知れませんが、あまり深く気にしなくても良いのじゃないですか。
時々「私はダメだ。こんなことではダメだ。この程度ではダメだ」と思うくらいで済んでいるのであれば、深く気にすることはないです。

先行回答者にも、私にも、私の周りにも、「こんなことではダメだ。この程度ではダメだ」と思うことはあり、歳をとって体力・気力・集中力・読解力・記憶力・持続力・スピードが落ちてきたり、何かの疾病で体力が落ちたり、夏の暑さで参ったり、いくつか失敗が続いたりすれば、ごく普通の範囲で、多くのヒトに起きることです。

高齢者であれば、色々と不具合もでて来て、チャレンジどころではなく、小さな成功体験を重ねようにも、まず体が動かない、ため息しか出ないということは、自然にある現象です。
自分のレベルを知ること、自分の出来るレベルを測れることも大事なことです。
自分のレベルで出来ることが分かれば、「成功体験をせっかくつくれたとしてもすぐに、それがどうしたのだ?」と思ったりはしないものでしょう。
山に登る・軽いハイキングができる、長編小説を創作できる・随筆程度を書く、数学の難題をあっさり解く・中学生レベルの問題を解くことに爽快感をえる、、、、
自分のレベルや状況を、しっかりと把握することも大事だと思います。
スポーツ選手だけでなく、物理化学の研究者でも、最盛期をすぎれば、以前できていたことはできなくなって当然です。 誰でも同じです。

自分の状況やレベルを認識出来れば、そこに立脚して、チャレンジ課題に臨むことができ、成功体験、快適な時間を積み重ねることは出来ます。

私も、一番の充実時期は、14~21歳くらいだったと思います。 
大学や40歳前半くらいまでは、なんとかそれなりに他人との比較においても自己満足的なことは多かったですが、その後は「こんなことでは、、」と自分で思ったりすることが増えてしまいました。
しかし、達観したわけではないですが、科学的?生物学・生理学や体育学、医学などの関係の知識を読み散らかし、それなりに状況がわかり、周囲の人物の状況も眺めれば、自分が迎えている状況もわかります。
その全体状況、自分の状況に照らして客観的に冷静に考えるなら、ネガティブ思考にはならず、そこそこ明るく、楽観的で楽しくやれることは増えると思います。
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>ネガティブ思考は本当にやめれるのか?



思考を近トールするのは難易度が高いのです。
しかし、言動はコントロールしやすい。

そこで、ネガティブ発言を止めることが重要です。

どうしてもポジティブ発言ができないときには沈黙をすればよい。

言動からネガティブが無くなるといつのまにか思考もネガティブでなくなると思います。
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こんばんは、gaituさん。




>ネガティブ思考は本当にやめれるのか?
:どうしてやめたいと思うのですか。
それはあなたにとって有害ですか。どのように有害ですか。
それとも、有害ではないけれど不愉快ということですか。


陽 → concentric
陰 → eccentric

という捉え方もあります。
陽も陰も、どっちもわるくないと思います。



 
_______________



わたしがおかしなことを言っていたら、
誰か直してください。




 
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これは国民性などにも関係しています。



米国人などは、失敗してもあれは運が悪かったのだ、
と考える傾向が強いことが確かめられています。
だから、失敗してもあまりくよくよしません。

これに対して、日本人は、俺の努力が足りなかったのだ
俺が悪いんだ、と自虐的になります。

この原因ですが、米国人が楽観的なのは
全知全能の神を信じているからだ
と言われています。


”ネガティブ思考は本当にやめれるのか? ”
    ↑
自虐的になるから、その為の予防線を張っておく
ということからネガティブ思考が出て来るのだと
思われます。
ネガティブしておけば失敗しても傷つく度合いが小さく
なるだろう、ということです。

これに対して、中国人は非常に楽観的です。
物事を始めるにしても、失敗することなど
考えません。
だから失敗しても、あまりめげません。
大きな会社の社長だった人が、破産して
アルバイト生活をしていても、チャンスは又来る
と卑屈にならないのです。
これは、過酷な歴史の為、楽観的でないとやって
行けなかったからだと推測しています。

日本は、中国などと比べると平和だったので、
自虐的の方が良かったのでしょう。


”実際ネガティブ思考から抜けれたと言う方、どのような方法やきっかけ、
 思考の変化立ったでしょうか?”
    ↑
以上、説明したように、これは民族性に根ざしている部分
がありますので、脱出は難しいです。
私の場合は、いつも逃げ道を三つぐらい準備しておく、という
ことをやっていて、気がついたら抜け出していました。
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