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ロープで降下、県警救助隊員滑落死…山岳救助中

 15日午前7時20分頃、愛媛県西条市西之川刀掛(かたながけ)の大森山(標高1399メートル)で、遭難した男性3人の救助活動にあたっていた同県警西条署山岳警備救助隊員の三好浩司巡査長(33)が滑落した。

 松山市内の病院へ運ばれたが、頭などを強く打っており、約2時間半後に死亡した。



上記はとても悲しい、また腹が立つニュースです。
遭難した男性3人はすでに救助され、3人とも無事だったそうです。
この救助されたバカ3人は、この事実を知ってどう思うのだろうか?
まだ、山登りしたいのだろうか?

人に迷惑をかける遊びはするべきではない。というのは僕の考え
だが、皆さんはどう思うだろうか?
山に登って遭難するバカはほっておくのが一番ではないだろうか?

A 回答 (9件)

このケースは救助隊の判断が間違っていただけ。


最初からSOSに応じないのは人道的に問題があります。
救助隊も死ぬことが予測できていれば助けないで引き返す判断もします。(そういう事例がある。)
ですから答えは必ずしも助ける必要はないになります。
やっぱり安全を確保しつつの救助が原則になるでしょう。
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二次遭難の場合の補償は 一時遭難者がその損害や生命の損害を金銭で保障する



危険な場所への行動は損害保険をかけて行動するのが当然。
それが不満なら冬山など危険な場所へ行くな。
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こういう批判する人って自分が遭難したら早く助けろだのわめくんだろうなと思います。



登山はまたするんじゃないですかね。プロかどうかは知らないけど。
個人的には助けるべきだと思う。税金がどうのとか言われてるけど国会議員の無駄な給料や税金対策よかマシかと。
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その通りですね


この世で最も無意味な事が山登りです
それで死んだら自業自得 助ける必要なんか無いと思います

ゴミは所詮ゴミです
きっとまた懲りもせず山に登るのでしょう
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私は医療機関の人間ですが、例えばこういう話があります。


「彼女にフラレて夜も眠れない、飯も食えない、つまり抑うつ状態でうつ病です」
こういうヤツが病院に来て高い治療を受けても薬の処方を受けても「保険診療」になります。
つまり、あなたとか、私が汗水たらして月間1万円以上の血税ならぬ「血健康保険料」を払った中からこの失恋男の治療費にお金が払われるわけ。ヘタしたらこいつが会社をやめて失業保険を10ヶ月もただでもらうかもしれない。
それもあなたや私の支払った「血社会保険」ですよね。
「酒飲みすぎて酔っ払って自転車で転んだ、怪我した」「それで歯が折れた」「足の骨も折れた」 なんて全部同じ話です。
頭にくるでしょう。
でもさ、よく考えてください。
酒の飲み過ぎで肝臓がんになった。運動不足でぎっくり腰になった。裸でエッチして風邪を引いた。
世の中のすべての病気って
「労働災害」か「全然関係のない自然や自分が責任だったりする病気」 この2つしか無いんですよ。
労働災害だけ「かわいそうに」と許すことが出来て、でもこれは健保ではなく労災保険から治療費が出ます。 あとは「全部自分の責任じゃんか」と言うくだらない病気の部分が健康保険の守備範囲なんです。

切り離して考えるのがいいですよ。つまり。。。

(1)職務中に事故にあって死んだ男性。労災適用。

(2)遊びの登山で遭難して救急隊に救助された男。

この2つは同時に起きていることではなくて、別のことなんだ。と思えばいいんです。
ほーら納得でしょう。
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まず、この事故の詳細を知りませんが、ご質問の文章内容を考察するに、この遭難し救助された登山者3人ですが、入山した際の天候や装備やその他環境やらが、何ら中止を促すような無謀な点などがなかったとすれば、遭難したことに対して、救助活動を行うのは、愛媛県警西条署山岳救助隊員としては、極々当然のことでしょうし、で、その救助活動において、滑落してしまい不幸にも命を落としてしまった、確かに悲しい結末ではありますが、遭難し救助され助かった3人の登山者には、何らの非難される要因など有りはしないと思いますけど、逆の面から窺えば、三好浩司巡査長ですか、スキル不足=未熟だったのでは、と断じられても抗弁の余地無し、早い話がヘマこいた、との結論を導きざるを得ない事象だった、と解釈しますけれど、どうなんでしょうか、事実・真相の前提がそもそも違っていれば、回答も異なるのは当然のことで、ということを理解した上で、読み取ってくだされば幸いです。

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馬鹿かどうかは後日判断するとして


今将に困窮している人間がいた場合に、国家としてその困窮した人間に手を差し伸べると言うのが国家と国民との間の約束事として存在する

その約束事があるからこそ、国家のルールに従って生きているし国家の運営に必要な納税も行っている

助ける助けないと言うのを、その時々判断するというのは合理的で無いし一部の人間の判断に委ねられる事は取っても気味が悪い
要救助の要請があったときに、裁判所でアーでもないコーでもないと議論を重ねる余裕はどこに有るのだろうか?

約束が果たされないかも知れないという疑心を生じれば、国家への信頼が揺らぎかねない

馬鹿か馬鹿じゃないのかの判断はそう簡単でも無いんだし
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 酒飲んで事故したバカを助けに行って救急車が帰るのも何だし、バカ高校生がこっそり家で子どもを産んで助けるのも何だし、恋人がストーカーになって刺されても選んだバカのせいだから何だし、寝タバコの火事で消防車が出動するのも何だし。

その行き帰りに救急車や消防車ゆパトカーが事故って隊員が殉職することがあるのなら、自分で来いと。
 君の言うことはベクトル的にそういうことだね。おかしくね?
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>なぜ勝手に遭難したバカを助ける必要があるのか?



この辺は線引きが難しいので、何とも言い難い。

台風の中サーフィンしている馬鹿は助けなくてもいいと思う。
厳冬期の北アルプスに入っている登山者も助けなくてもいいと思う。

けど、この程度の道迷いなら助けてもいいし、
山菜取りで道に迷った人も助けてもいいと思う。

川で遊んでいた小さな子供が流されて
そんなバカは助けなくていいというのも違うと思う。

こういうのは社会の練度、民度の程度の問題なんで、
なんでもかんでも助けてくれる今のシステムを
ちょっと違うだろと思わな時もないが、頼もしく
素晴らしい制度だと思うこともある。

不幸で気の毒な事故ではあるが、普段からこの手のトレーニングは
しているだろうし、やってはいけない手順で起こした
不幸な事故で責任は遭難者じゃなくて、死んだ隊員もしくは、
事故を引き起こした別の隊員がいるならそちらのせい。

人に迷惑をかける時はそんな気はなくてもかけるもので、
それは一生かけない人もいるだろうし、
かけてから気づく人もいると思う。
自動車の事故なんかまさしくそうだ。
自分はそんなことはしないから、バカはほっとけ。
というのはちょっと違うかな。
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