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仕事を紹介した人に逆恨みされています。
私が働いている職場で、求人がでたので仕事を探している友達を紹介しました。ただ1人かなり意地悪な人がいて、その人の事もこれでもか!ってくらい話をしてそれでも受けたいと言うので上司に面接をお願いしました。
働く事にはなったんですが、あまりにも同じミスばかりで意地悪な人からもネチネチ言われ周りの人からもどうしてあんなに仕事出来ないの?と言われる始末…それでもブランクがあるから長くみてあげて^ ^とかばい、上司には意地悪な人からの嫌がらせを話して先手を打ったり毎 日のように愚痴を聞いて、私なりに出来ることをサポートしていました。
それがある日お客さんを怒らせ、意地悪な人からも必要以上に言われ泣いて過呼吸になり、仕事を辞めました。

問題はそこからです。
その友達は私があんな思いしてたのにかばってくれなかったと…目が飛び出そうになりました。毎日のように何時間も愚痴を聞かされ、私の方がおかしくなりそうだったのに…。
今では酷い目つきで睨んできます。
私は被害者!アピールを周りにしているようです。
本当に酷い睨み方でその目が頭から離れず、胃が痛い毎日です。

その人とは子供が同じスポーツクラブで一緒で(学年は違いますが)週3~4回は顔を合わせます。
今ではそこのスポーツクラブで私が働かないとか、重箱の隅をつついてきます。

相手にはしていないんですが、メンタルがかなりズタボロです。
そんな人だとは見抜けなかった自分に腹が立ちます。
ウチは後半年で卒団ですが、半年メンタルを保つ自信がありません。

A 回答 (3件)

 世知辛い世の中ですから、ウッカリ他人に手を差し伸べてはいけないという好例でしょう。

今の世の中ではウッカリ親切心で知人を車に乗せても、事故が起これば乗せてあげた人間が賠償を請求される時代なのです。『そんな人だとは見抜けなかった』は当たり前のこと。これに懲りて他人には無関心でいることが一番無難であると学んでください。

 私は先日まで急な手術で入院していましたが、それを連絡した人の中には早速病院に飛んできて「必要なものはないか?」と心配してくれた友人もいました。本当に感謝に堪えません。しかし、多くの友人?は「何かできることがあれば言ってください。」とのメールです。これが一番無難な対応なんですね。好むと好まざるとに関わらず社会はそっちに流れているのです。九死に一生を得て生還しましたが、正直、あまり未練も起きない社会です。私も還暦過ぎですから、そのような社会を作った責任の一端があるのかもしれません。子供たちの世代には本当に申し訳ないことだと思っています。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
今の世の中、親切心は損をしますね。他人の子を叱ればその子の親に逆ギレされるし…。私が子供の頃は近所の大人に平気で叱られていましたが。やはり無関心が無難ですね。
お体、大事になさって下さい。

お礼日時:2014/10/03 19:44

他人に情けをかけて、見返りを求めないのは常識ですが、逆恨みされては、たまりせんね。


心中、お察しいたします。しかし、その人は所詮その程度の人だったのです。
どこの職場にも、意地悪な人や付き合いづらい人は居ます。
そういう事に耐えられない人は、長く同じ職場で働けず、キャリアがつめません。

そういう人が、知人(質問者さん)をあてにするのは、依存心が高いからです。
そうまでして紹介してもらった仕事を続けられず、申し訳なく思うならまだしも、
恨むとは、呆れて物が言えません。もうお気になさらなくてよいと思います。

>そんな人だとは見抜けなかった自分に腹が立ちます。

依存心の高い人を見ぬくには、いくつか方法がありますので、
図書館などで、簡単な心理学や発達障がいなどの本を読むことをお薦めします。
同じパターンを別の人とも繰り返しすと、質問者さんも共依存ということになってしまいます。

長い人生の間で、半年なんて短い時間です。睨んできても相手にせず、流してください。
何事も経験というか、次におかしな人に引っかからないようにするための、勉強だと思えば
そういう人の存在も、ある意味、有意義ではありませんか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
そうですね!1つ学んだと思えば良いですね!
これからは新たな人付き合いが慎重になると思いますが図書館に行って少し学んでみます!
職場の同僚はあんなにかばってたのに…と気持ちをわかってくれる人がいるので少し救われてます。
後半年、頑張ってみます。

お礼日時:2014/10/03 20:40

確かに理不尽ですね。



とはいえ、そうなるものです。

今に始まったことではなく、昔からそうなんでしょう。

ですので、友人同士とか、肉親、親族の間では、

利害関係が発生するイベントを、けっして催してはいけません。


友達同士でのお金の貸し借り、物の貸し借りは絶対にしてはいけない。

子供の頃に、親からきつく言われてきた事として覚えています。

また、

友人は自分で選んではいけない、両親の許可を得る。

これもとても大事です。


わたしも何度も質問者さんと同じような目にあい、

いい年をして人前で泣いたこともあります。


段々と同じことが繰り返されているのが分かってきて、

そこから共通のパターンが見えてくるんです。


「気の合う友人と一儲け」


こういう始まり方をした場合は、

どちらかか、もしくは双方が、傷つきます。

最後は、気が変になるくらいですね。


昔から伝えられる教えを軽んじて(深く受け取らないで)、

そうなってしまたったんですから、

諦めて我慢するしかないです。


友人同士だから、恋人同士だから、夫婦だから・・・

「仲が良いもの同士は、利益を分け合うものだ」

と、間違った教えが(ここ最近になって)増えました。

本当に人を幸せにする人は、これと逆の発想を持っています。

自分や家族、友人など、自分に近い人にほど厳しく接する。

これを貫いていると、

涙が出るくらい素敵な事件がおきて、

生きてて良かったと思うシーンがたまにあります。

これと逆の発想だと、

涙が出るくらい悔しい事件が沢山起きて、

死んだほうがマシだと思うシーンがいずれ自分にトドメをさします。

不幸に成る人は、こっちの思想が定着しています。


ですので、

必要以上に傷ついて、

気が変になりそうになっている人が多いんですよ。


これは片方が気をつけても、

もう一方の方に「その感覚」がない場合は防げません。

また当事者同士では、

関係を壊したくないと言う思いから、

成り行き上、深みにはまります。これも防げません。


「仲が良いもの同士は、利益を分け合うものだ」


こういう思想を持っている人には、けっして近づかないのが得策です。

利害を分け合わないように気をつけようとする人。

こういう人とは長く良い関係が続きます。



そうでない場合は、どんなに良い関係が続いても、

最後は、絶縁に近い仲違いに発展するものです。


このため、

情が移る前に、

親が「あの子と友達になってはいけません」と不許可を出すわけですね。


また、

タワケモノ(田分けもの)という言葉があります。

これは、子供に対して、資産を公平に分配してしまう親のことを言います。


愚か者の本質を語っている言い伝えですね。


他の勘違いも例に挙げます。

家の資産、個人の能力、心の強さ、などが成功の鍵のように思えます。

しかし、

実際に資産がある家では、これは全く関係ないと教えます。

そして、

実際に資産がない家では、さきほどのポイントが大事だと子供に教えます。


資産や、能力、心の強さは、他人が観察した結果の話。

主観で取り組む場合は、

「自分に近いものほど(つまり自分にはもっとも)厳しく接する」

これだけを意識しておきます。

すると、結果として、資産、能力、心の強さが身についているわけです。



うちは貧乏でしたが、

父の生家は資産家だったらしく、

母(ずっと貧しい家系)とは対照的な教えをしてくれました。

家が伝える「子供のための教え」が、

富める階層と、貧しい階層では、

まったく逆のようです。


殆どは同じでした。

ですが、唯一ここだけはハッキリしている。

自分が人に選ばれるとき、

自分が人を選ぶときは、

ここだけが違いになると覚えておくと良いかと思います。



結局ですが、

うちの母は最期は酷い人生になってしまいました。

彼女が成功の鍵として信じているものが、

不幸の鍵だからです。



さて、

大人になると、少しは自分が立派になります。

そのせいで、

子供の頃に感じていた劣等感、優越感から開放され、

普通の人になれたと錯覚するものです。


ですが、

子供の頃には、「なりたくない大人像」が沢山あったわけです。

ここで考えないといけないのは、

その人にだって、

「普通の大人になれた」と錯覚した時期があったということ。

ここから、

ふとしたことで人生の軌道が狂い、

どこかで取り戻せると思っているうちに、

「なりたくない大人像」になったんではないか?

と洞察しないといけません。


人に八つ当たりする理不尽な大人が多いですよね?

その人は生まれたときからそうだったんでしょうか?

それとも、一時は立派な大人になり、

そこから徐々に理不尽を言う大人になったのでしょうか?

うちの母は最期は統合失調症になり、消息不明になりました。

彼女が徐々に壊れていくのを見ています。

私が幼少の頃は、それはそれは立派な母でした。


そういう人でも、いずれは酷い大人になるんです。

うちの姉も同じ軌道に乗っています。


それなりに普通になれたと思っている大人は、

必ず、「なりたくない大人像」へと変化するのです。

質問者さんが出会った方は、

未来の自分です。


メンタルが不調に成るからこそ、

仕事で失敗し、

それがやりきれないため、

身近な人に八つ当たりをし、逆恨みをするんです。

その中でも自分を鼓舞して、人生をやり直そうとするからこそ、

友人を頼るわけです。

そうして、先ほど述べたケースにはまり、

新たな同胞を作り出してしまう。


これは連鎖であり、危うきものです。


これに関わりさえしなければ、

普通に立派な状態から、徐々に大変立派な状態に移行し、

人物として完成します。

途中で躓くから、普通の人であり、そのまま不幸になるわけです。


これらの切っ掛けは、

普通の状態で何も困っていないときに、

友人や知り合いに「何故か頼りにされる。必死にお願いされる」

ところから始まります。

学生時代や社会に出たばかりのときに、これにはまって悩んでいる相談者もいます。


自分が必死に誰かにモノを頼むときって、どんなときですか?

それを考えてみれば、

理不尽どころか、必然の流れと分かります。



また、

その人がそこまで追い詰められた経緯には、

大概において、

「誰かのために自分を犠牲にした」

過去があるのです。今ある姿とは想像もつかない姿があった。


それがあるために、

迷惑をかけた相手を尊重できないのでしょう。

「自分だだってそれくらいのことはしてきた」

と思うからですね。


ですので、

理不尽な変な人がいるのではなく、

普通に立派な人が、

理不尽な目にあい、

メンタルが可笑しくなり、

しばらく生活もままならなくなり、

それでも努力して自分を持ち直そうとして、

余裕がありそうな友人を頼り、

それでも上手くいかず、とうとう友人に八つ当たりをする

人がいるという事です。



誰もが普通であり、誰もがそれなりに立派です。

ただし、

その程度の立派さですと、

この強力な連鎖から逃れられず、

最後は引き釣り倒され、

自分も同じ側で、他人を引き釣り倒すことになるんです。


この連鎖から抜けるためには、

大昔から、そういう成り行きになることが知られており、

それに巻き込まれる人を愚か者として笑いものにしていたのだと受け入れ、

(それに気がついて、ショックを受け)

自分が単なる馬鹿者であると自分を笑いものにし、

赤面しながら、

「子供にはちゃんと教えよう」

として、さっさと忘れることです。


これが出来れば、

相手が「理不尽」なのではなく、

自分が「タワケモノ」であったと認識をかえることができます。


必要以上に、自分を哀れめば、

(こんなものは昔からポピュラーでよく知られていることですから)

別の大人にニヤニヤされますよ。


私は人前で泣きましたが、

自分を美化するのをやめて、

ただの愚か者だったと悟り、

二度とタワケモノを相手にしないと言う誓いを立てました。


昨今の創作ドラマや漫画、アニメ、学校教育では、

タワケを推奨していますね。


それがいけないんだと教えないといけない側なのにです。


凄い時代になりました。


以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
愚か者だと悟り、タワケモノを相手にしない!心に響きました。
思考を変えて、後半年頑張ってみます。

お礼日時:2014/10/04 07:01

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