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NHKの100分で名著という番組の「アンネの日記」を観ました。

アンネはユダヤ人狩りを逃れるために2年間にわたりアンネを含め合計8人が潜伏生活をしていたと知りました。

結局、密告により8人とも囚われて収容所に送られて、生還できたのはアンネの父親だけだったと言っていました。

8人のうち7人が収容所で亡くなったことになりますが、ドイツのユダヤ人収容所に送られた人は、ほとんど生きて戻って来れなかったのでしょうか?

すみませんが、お教えくださいますよう、お願いいたします。

A 回答 (5件)

ドイツも日本も戦争に負けているので兵士の死亡率は結構高かったでしょうが、それより収容所の死亡率が低いということは、まずありません。



無かったかもしれないなどというアホ回答もありますが、毒ガスで殺された死体は全部焼却処分されたから検死できたものには毒ガスで死んだものはなかった、ガス室は全部こわされていたので見つからなかった(見つかったのは消毒室)、などという当たり前のことを、収容所で殺された人がいなかった証拠と言っているようなおかしな理論ですので、まぁ騙されないとは思いますが一応書いておきます。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/10 18:20

強制収容されたのはユダヤ人が多かったですが、それだけでなく、ロマ族(ジプシー)、捕虜になったソ連兵、ポーランド人の中で反政府的だった人など、他の人達もいました。



収容所は複数ありましたが、その中でアンネ・フランクが亡くなったのはアウシュビッツ収容所です。増設された部分と一緒に、アウシュビッツ=ビルケナウ収容所とも呼ばれます。
場所は現在のポーランドにあります。

ウィキペディアでアウシュビッツやホロコーストの記事を見てみると、犠牲者数ははっきり分かっていないようです。

こちらのリポートはアウシュビッツの博物館を訪ねたもの。10人に1人も生還できなかったと書かれています。
http://gigazine.net/news/20120506-auschwitz-pola …
 ↑
記事の下のほうに進むと痩せた大人や子供の写真など出てくるので、そういうのを見たくない方はご注意ください。人数については上のほうに出ています。

記事中に写真が出ている博物館の英語説明文には(文字の写真のみ)
http://i.gzn.jp/img/2012/05/06/auschwitz-poland/ …
アウシュビッツはナチスドイツのもっとも大きな強制収容所および死の収容所だった。1940年から45年の間に、ナチスは少なくとも130万人の人々をアウシュビッツに移送した。ユダヤ人が110万人、ポーランド人が14万~15万人、ロマ族(ジプシー)が2万3千人、ソ連兵捕虜が1万5千人、他の民族からの囚人が2万5千人。110万人がアウシュビッツで亡くなり、およそ90%はユダヤ人で、SS(ナチス親衛隊)は大部分の人をガス室で殺した、と書かれています。

実際には病気や栄養失調で亡くなった人も多かったようで、アンネと姉のマルゴーはチフスで亡くなりましたし、母のエディットも病棟で亡くなっています。

私はアムステルダム旅行の際にアンネ・フランク記念館(隠れ家だった家)に行ったことがあり、その時に日本語ガイドブックを買いました。
(強い関心があったわけでなくて有名なのでとりあえず行ってみただけだったんですが、行ってみていろいろ分かって良かったです。アンネ・フランクの他の写真を見たらいつもの有名な写真よりずっと可愛かったことも!)
で、ガイドブックには、

アウシュビッツ=ビルケナウだけでも100万人を超えるユダヤ人が殺された。ただ収容所到着後ただちに虐殺された人々は登録もされていないため、正確な数字は分からない。(199ページ)

1945年1月27日、ソ連軍がアウシュヴィッツを解放。オットーは撤収後のアウシュビッツに残された7560人のうちのひとりでした。その後、数カ月の旅を経て、1945年6月、ついにオランダへ帰還しました。(216ページ)

“東方”の収容所から生還した人々はわずか5200人だった(217ページ)

などの記述があります。ざっと見ただけですけど。
7560人と5200人が違いますがこの違いは私には分かりません。

少ないけれど生き残った人々はいました。隠れ家から連行された後のアンネたちの様子も、生き残った人々が証言したりしています。
父オットーは戦後、やはり収容所の生き残りの女性と再婚したそうです。彼女も息子を収容所で亡くした人でした。

なお、人数の議論でなく「ホロコーストそのものが無かった」と発言すると、欧米では日本以上に大問題になります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
犠牲者数ははっきりとはわからないのですね。
でも、とっても残酷なことが行われたことは事実なんだと思います。
貼り付けていただいたページも全部読ませていただきました。
人間がこんなことできるのかなと思うほど残酷でした。
ドイツ人が特に残酷だということはないと思いますので、戦争という状況のなかでどこの国でもこんなに残酷なことが起こりうるかもしれないと考えました。
いろいろお教えいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/10 18:47

これは難しい問題です。



そもそもナチスのユダヤ人虐殺が本当にあったかも
疑問とされているからです。

事実、当初は600万とされていた被害者数がその後の
調査によりどんどんと減少しています。
アウシュビッツでは400万が殺されたことになって
いますが、調査が進んだ現代では100万ぐらいにまで
減っています。

今後どうなるか解ったもんじゃありません。


また、アンネの日記についてもその信憑性に問題がある
と指摘する人もおります。
当時普及していなかったボールペンで書かれている
などがその根拠です。

そもそも世界のマスコミはユダヤ人が牛耳っています。
ロイター、ポスト、タイムズなどはユダヤ資本のマスコミ
です。
彼らが騒ぎ立ててユダヤ人虐殺を造りだした、という
説すらあります。

こんな状況ですから、何人が生き残ったなど、解らない
というのが真実ではないでしょうか。

戦争で最初の犠牲者は誰か。
兵士でも女子供でもない。
それは「真実」である。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
何人生き残ったかという真実は、ほんとはわからないのですね。
ロイター、ポスト、タイムズなどはユダヤ資本のマスコミなのですね。
いろいろ誇張があったのでしょうか。
いろいろお教えいただきありがとうございました。

お礼日時:2014/10/10 18:19

時期にもよると思います


最初の頃に連行された人たちはみんなガス室ですぐ殺されました
終戦の頃に連行された人は助かった人もいたようです

ドイツを制圧し収容所に乗り込んだソ連兵はあまりの凄惨さに
その後ノイローゼになったり自殺する者も居たそうです
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
ドイツの収容所はそれを見た人がノイローゼになるくらい凄惨だったのですね。
いろいろお教えいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/10 10:37

推測になりますが、1000人に1人ぐらいしか生還は出来なかったのではないのでしょうか?



ナチスにとって、何かしら役に立つような人物以外は、全て毒殺されてしまったみたいですね。

アンネ・フランクが連行をされた時期は、戦争の中~後期にかけてですので、もう少し見付かる時期が遅くなっていたら、難を逃れられたのかもわかりませんが、収容所に送られてしまったら、まず生きて帰ってくることは難しく、毒殺される運命のみが待っていましたからね。

アウシュビッツ収容所の写真の中には、死体がまるでゴミの山のように映っているものもありました、よほど、アドルフ・ヒトラーはユダヤ人の事を嫌っていたのでしょうね?
自分達よりも頭が良く、賢いので、異常に警戒をしていたのでしょうか?

指導者を間違えると、その国の国民も間違えた方向に向かってしまうということなのでしょうね?
そして、戦争という名前のもとに人間は残酷なことも平気で行うようになってしまうということなのでしょうか?
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
ほとんどの人が生還できなかったのですね。
もう少し見つかる時期が遅かったら、難を逃れられたかもしれないのですね。
残念です。
いろいろお教えいただき、ありがとうございました。

お礼日時:2014/10/10 10:35

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