アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

先生に怒られました。
悪いのは自分です。
アクセサリーをつけてはいけないのですが
その日はつけていて取り上げられました。
自分はどうしても親には伝わって欲しくなかったので、親には言わないでください。そちらで処分してもいいので親には言わないでください。と言いました。(以前にもこのようなことがあり、そのときも先生にテスト週間中にどうせ放課後残っても勉強してないんだろ、さっさと帰れや。お前は馬鹿なんだから勉強しても意味がないんだよ。どうせ彼氏といちゃいちゃしとんだろ。など、見てもいないのに適当なことを言われ、それを親に話すと、校長先生や担任の先生に電話をし、揉め事になりました。その後は他の先生が最近クレームが多い。お前は親にチクるなよ。など他の生徒に言っているのを聞いてもう揉め事は起こしたくないと思いました。親はその学校が相当嫌いなので文句をなにかにつけると学校側に迷惑がかかってしまうと思い言いました。)
すると、その先生が
3年生がこんなことしてもいいもおもっとんか。頭おかしいんじゃない?大丈夫か?
親に言わないでください?絶対頭おかしいよね?え、本当に大丈夫?
など言われました。校則を違反したのはとても反省しています。怒られるのも当然です。このようなことになったのも自分の責任です。まだ今回のことは親に話していません。
でも、頭おかしい。大丈夫か。
教師が生徒に言う言葉ですか?
指導するならもっと他の言い方がありますよね?
これって暴言ですか?

A 回答 (6件)

こんばんは。



高校にて講師をしております。

そうですね…。
大人としてもダメですし、
教育者としてはより一層好ましくないですね。
暴言と言えます。

ともかく先生失格。
同じ立場の者としましても不愉快です。



……しかしながら、
やはり質問者さんもおわかりの通り、
そんな親と、そんな先生だとわかっているにも関わらず、
校則を破り、見つかるようなことをした事が、根本的な問題です。

最初からやらなければ済む話なんですからね。


厳しい言い方をしますが、
自分がルール違反をしている間は、
どう訴えても、自分に非があるので、結局は完全には受け入れられません。

仮に互いの悪い度が5:5(フィフティー・フィフティー)ではなく、
6:4の悪い度がだったとしても、
どちらも悪い事には変わりはありません。

端から見ると、「どっちもどっちだよ…」です。


大変失礼ですが、親御さんも、
学校に文句を言う前に、質問者さんが二度と違反をしないように
その時にキツく叱ることが大前提で嫌として一番にすることだと思います。
質問者さんがまた違反をしたことで、それができていなかったと証明されましたからね…。


当然と言えば当然なんです。
自分たちがちゃんと反省もしていないのに、相手の非だけを責めるって言うのがね。
人を責めたりできる立場ではないんです。。。


もちろん、その先生も決して褒められたものではなく、
その先生が質問者さんに対して余計な事まで出して説教する資格もありません。

ね。どっちもどっちでしょ…(+×+;?


もし、質問者さんに一切の非がない状態なのに、
先生が理不尽な態度や言葉言うようであれば
その時こそ、訴えるべきだと思いますね。

先生にも、学校にも。


これに凝りで、
在学中は、二度と余計な行動はしないように心がけましょうね…^^;

少しでもご参考になれば幸いです。
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>指導するならもっと他の言い方がありますよね?



何度も同じ注意をしているのに校則違反を繰り返したり、
反省の態度が微塵も無かったり、
常日頃から反抗的だったり、
本当に理不尽極まりないクレームをする&攻撃性を持っている御両親なら、
この様な言われ方をしても仕方がないと思います。
先生だって感情がありますから。
そのような事は、全然身に覚えがありませんか?
自信を持って言えますか??

結局のところ、相手側の対応について何か意見を求めるなら、
相手側の主張も聞かないとどうにも判断ができませんよ。
夫婦喧嘩で一方の言い分しか聞いていないのと同じです。
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どっちもどっち。

。。。。

アクセサリーつけてたんでしょう。

ちゃらいことしてたんだから、暴言もらっても仕方がないですよ。

教師なのに・・・・と思うなら、あなただって、素直に勉強しなけれ
いけないば高校生なのに、ですよ。

お互いに不快な気分になっているのだから、引き分け~
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第三者から見ると、どちらもどちらじゃいかなあ、と感じます。



質問者さんが仰るとおり、暴言でしょうね。

そこだけみると酷い先生に思えます。


先生の質が下がっていると言うのを、

さきほど有名私立高校の元教頭先生に伺いました。

ただのサラリーマン(私は会社員ですので、この言い方はどうかと思いましたが)

みたいで、先生と言う特別な職業に相応しくないとの事。


実際はどうか良く知りませんが、

質問者さんの疑問に対して一ついえることは、

「相手に非があっても、自分の魅力が増すわけではない」

という事です。

教師の非を責めても、自分の魅力が増すわけでもない。

その時間勉強でもしたほうがマシですよ。

つまり、本当に腹を立てた場合は、関わらないことが大事です。

関わらないで済む様に自分を律することが肝要ですよ。


中々出来ないものですが、自分を戒めるのは大事です。


例えば、

このサイトでも似たような質問が、大学生、会社員の人からされます。

そこで思うのは、

その様な質問をする方は、社会に出てから突然、その様に感じ始めたのか、

学生時代から同じ様に感じていたのか、どちらなのか?ということです。


一時腹を立てて、誰かを糾弾する癖がつくと、

それは一生モノで、いつまでもそうし続ける事になります。



もし不徳な考えを持つならば、

「こんな場所にいるからこんな目にあう。

 もっと素敵な人が私を待っている。

 そこに行かないと話が進まない」

と思うことです。たとえ身勝手でも運命が変わります。


一つの知恵としてですが、

周囲の人に不満があっても、口にしてはいけません。

深く付き合わないことです。


というのは、

上質な人物の周りには、上質な人物が集まります。

身近な人をディスるという事は、

返す刀で、その人物のいるコミュニティの質が低いことがばれてしまいます。

そういう場所にしかいられない自分です。

と白状してしまうことにもなるのです。

嘘でも褒めておくのが必須ですよ。



私たちも自分の高校や友人について紹介することがあります。

そのときは、

「自分は馬鹿でいい学校行けなかったんで仕方なかったんだけど・・・

 こんなのが沢山いて、酷いものだったよ」

と言う文面になります。

これは、暗に今は違う。自分はそこを嫌だと思って脱出したと言う自慢です。



もっと質の高い人がいる場所に行かないといけない。

たとえ傲慢に思えても、こう考えるほうが実は得なのです。

そうしないと、怒りの発作に囚われるしか道が無いからです。


私なんかが子供の頃は、色んな妖怪などの怖いたとえ話を聞かされました。

その中で記憶に残っているのは、

「旅をしていて、誰かに話しかけられる。

 それに応えて話しに付き合うと、

 その人物と入れ替わり、その場所にずっと足止めされる」

と言うお話です。

代わりの人を見つけないと、逃げられないため、次は自分も人を騙す立場になるそうです。


子供を脅かすテクニックの一つでしょうけど、

多くの示唆に富んでいます。

自分の本来の目的を見失い、

あまり深く考えずに、目の前にあるものに夢中になってしまうと、

いつまでもそこに居続けなければならない。

人生ではこの罠がもっとも恐ろしい。


人のタイプとして三種類の考え方があります。

「私は悪くない、相手のここを変えたい」

と言う人と、

「こんなところにいるのは嫌だ」

と言う人と、

「そういうものであるから、どこに言っても同じ。

 なので自分の周囲を覚悟を決めて作り変えよう」

と言う人です。

勿論時と場合で変わるものですが、

一番目の発想を一度でもすると、かなり長い間その状態が続き、

何十年も、その場に囚われます。

つまりは、

学校で嫌な先生にあったとしたら、

職場で嫌な先輩や上司にあいます。

自分の周囲は常にそういう人達で固められてしまい、

互いに傷つけあったり、罵り合ったり、騙しあったりを続けることになります。

ある程度大人になると、それになれてしまい、

そこから脱出できると言う発想が無くなってしまいます。


「何とかして、

 相手にこれだけはやめさせたい」

常にこればかりを考えて、

どう脅せばいいか?

どう説得すればいいか?

自分のどこを治せばいいか?

こうした思考で常に頭がいっぱいに成り、最後は倒れてしまいます。


そうなっていない人は、素でそうなっていないわけではなく、

そうなってしまう事を知っていて、努力して防いでいます。

その一つとして、

そんなところにいるのが悪い。

そんなところにいる羽目になった自分が悪い。

と考えるようにします。


欠点のある人、未熟な人に対して、まともに指摘しようとしたり、

まともに腹を立ててしまうと、

そこで自分が気がつかないうちに変質してしまいます。

もっと大きな幸福が待っていたのに、何十年も無駄なときを過ごしてしまいます。

わたしも、と言うのを15年ほど、やってしまいました。

それまでの蓄積がありましたから再起が図れましたが。


しかし、

蓄積をすべき学生時代や新人時代に、

もしその発想に囚われてしまったら?

私の人生はどうなっていたんでしょう。


いままでは、考えもしなかったんですが、

肉親や知り合い、身近にいる人で、

それに囚われてしまった人の人生を少し振り返ってみました。

一言で言うと、

「何にも良いことが無いのに、良く頑張っている」

という哀しい感想です。


ではそうなった人の特徴は何でしょうか?

他人に対して暴言を吐くんですよ。

といういことは、

質問者さんが出会った先生も、

どこかで質問者さんと同じ様な目にあい、

それを無視できず、応えてしまったんでしょう。

妖怪のお伽噺と違うのは、

代わりの人を見つけても、脱出できないことです。


では何故、理不尽に腹を立ててはいけないのでしょうか?


これまでの私では良く分かりませんでした。

多くの人が理不尽に腹をたてますから、

理不尽に腹をたてない人が珍しいので、

その人と比較できず、

あまり問題に感じなかったのです。


やっとわかりました。

腹を立てている間は、前向きなことが何も出来ないんです。

その間に、

そういう目にあっていない、普通の生活を送っている人が、

自分の人生に対して必要なことをしており、自分を磨いています。

あるとき怒りから覚めて、

初めて他の人と差が開いたことに気がつき、大変驚くのです。

相当落ち込みます。

その上で、

「こんなことになったのは、あいつのせいだ」

と言う具合に、怒りを思い出し、またもとの状態に戻るのです。


ですので、

理不尽に対して腹をたてる時間が短い人は、

不自然なくらい何事もうまくいき、

いつの間にか上質な人に囲まれております。

そのため余計に苦労をしないようです。

わたしは、ちょっとした切っ掛けで怒りを持ったため、段々と怒りが続くようになり、

そこから抜け出せませんでした。

今は、昔の力を取り戻すだけで大変忙しいですよ。


すべて人が怒りを持たず、

自分の事に邁進していれば世界は安全なんですが、

そういうふうにはなっていないようです。

理不尽に遭遇し、

これを許せず怒りをもち、

そのために自分を磨くよりも、他人を脅したり、貶めたりすることに

時間を費やしてしまい、

気がつくと他人との実力差が生まれている。

そして自分に対して幻滅してしまう。

こんなことは本当に良くあります。

物語に出てくる「幸福をつかむ人」は、当然、怒りとは無縁です。

そうのように描かれているのは、このような理由があるからです。


まずは、

暴言を吐く人を糾弾することに囚われず、

どの様にすると関わらないでよいのかを考えて、自分を律することです。

これは大変気持ちが良いですよ。

「自分が悪いのは知っておりますが」

と話したい気持ちわかりますが、この欲求は捨てましょう。

その時間で他の事ができます。


とくに、

普段から面倒に思っていた、自分を律する作業に取り組んでみるとわかりますよ。

例えば虫歯を治しに歯医者に行く。

とかでもです。


すると、

気分が変わり、これまでの考えを持った自分が、別人のように感じます。

ここで本当に怖くなり、祈るような気持ちで、

自分のことに集中できるようになります。


私の知り合いにこの話をしたら、

「自分にはそれが出来ない。それは何度もやろうとした。

 出来ないんだ。」

と泣いてしまいました。

わたしは、彼女が高校生のときに気がつき、

注意しようと思っていたのですが・・・

そのときは関わらないようにしてしまいました。

時がたち、意をけっして話してみました。

しかし、二度と怒りを忘れられないように脳が変質したあとでした。


何にも不満が無く普通だと思っていたときに、

うっかり理不尽に対して応えてしまった。

怒ってしまった。

これはとても怖いことなんです。

何かについて怒るという事は、人生の軌道を変えてしまいます。


恵まれていない人は、激しく怒っています。

休まずにです。

これが一生続きます。

もっと他の人の質問も見てみましょう。

すると、嘘じゃないことが分かりますよ。


けっしてこの道に入ってはいけません。


以上、ご参考に成れば。
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暴言にはなりません、バカに頭がおかしいと言っても構いません。



以前叱られているのに更正していないのは小学生以下ですね。

反省してると言うのは、後からなんぼでも言えます。反省して無くても言えます。

現に反省していないから、こんな質問をしてるんです。
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もちろん暴言です。


でもそれを引き出したのは間違いなくあなたの言動です。

その状況で「親には言わないでください。そちらで処分してもいいので親には言わないでください」などという要求をする神経は理解に苦しみます。
反省して無いでしょ?って、誰でも思いますよ。
また目上の人に向かって「そちら(其方)」と言うのもかなり強烈です。本来この言葉は目上の人が目下の人に向かって投げかける上から目線の言葉です。現代では用法も砕けてきていて対等な者同士で使う場合もありますが、さすがに子どもが大人に使っていい言葉ではありません。
あなたは他人の言動には敏感なようですが、あなた自身が常識はずれの暴言を投げかけていることについてはどう考えているのでしょう?

過去の経緯からあなたのご両親の人となりがあなたの言動に強い影響を与えていると思われても仕方ありません。

義務を果たさないからと言って権利が侵害されていい訳ではありません。
ですが社会が人と人との関わりである以上、まずそれぞれが他人様に迷惑をかけない、つまり社会的な責任(義務)を果たすべきであって、他人様から迷惑をこうむりたくないよという主張はその後というのが普通の感覚です。

この短い質問文からあなたの人品を判断するのは適当ではないかもしれませんが、あなたは家庭環境その他の影響でかなり一般とはズレた感覚を身につけていると思いますよ。
自分は迷惑かけるけど他人の迷惑はお断り、なんていうのは通用しないんです。
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