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こんにちは。

いわゆる伝統的哲学、例えばカントやヒュームや古代~中世の著作を読んでみると、確かに書かれている内容は難しいものの、少なくとも彼らが問題としていること、著作の意図などは理解できます。

しかしながら私は、現代哲学の話を人から聞いてみても、彼ら(特にフッサール系の哲学者たち)がいったい何について論究しようとしているのか、何を解き明かそうとしているのかがつかめません…。
哲学にはニーチェの死の前後で大きな隔たりがあるように思われます。

どなたか現代哲学の関心事がどのようなものであるのか、またその伝統的哲学からの転換の契機となったのはどのようなことであったのかを、教えていただけませんでしょうか?

また現代哲学の議論に仲間入りするために、現代哲学への興味をそそられるような著作があれば、よろしくお願いします。
できれば、一時文献が良いです。

お願いします!!

A 回答 (8件)

デカルト以降、ロック、ヒューム、カント、ヘーゲル、フッサールまでを近代哲学と言い、デカルトが心という言葉を発明し(発見ではなく)、さらにロックが意識という言葉を発明し、カントが主観・客観と言い、人間の主体性があると言ってから、近代哲学は人間中心の、意識や心という概念を使った認識論として展開してきましたが、それが20世紀のフッサール、それも後期のフッサールで終わって、哲学のテーマは言語に移りました。


それをローティーの言い方でいえば20世紀の哲学は「言語論的転回」です。
つまり、もはや人間だとか、意識だとか、心だとか、そのような概念装置は解体されてしまって、話題が言語に移ってしまいました。
20世紀の哲学は言語分析の哲学、分析哲学が哲学の主流です。
言語分析は20世紀初頭のウィトゲンシュタインから始まり、それがウィーン学団の論理実証主義に受け継がれ、さらにドイツのフレーゲの記号論理学・述語論理学からラッセルの記述理論に受け継がれ、ストローソン、オースティン、それがアメリカに渡り、クワイン、ディヴィッドソン、ジョン・サール、ヒラリー・パットナム、ソール・クリブキに受け継がれ、さらに現在のデネット、チャーマーズ、などに受け継がれています。

だいたい、言語分析と認知科学が合流したような哲学です。
物理主義と、脳科学、コンピューター・サイエンスなどが入り混じり、複雑怪奇です。
心とは何か、という「心の哲学」とか、意識とは何か、という神経生理学・脳科学からする問題が主なテーマです。
あんまり複雑なので、私などはついてゆけません。

もし現代哲学を知りたかったら、その出発点である、ウィトゲンシュタインを読むのが一番だと思いますが、あまり哲学の初心者には勧められません。
たぶん読んでも、何を言っているかチンプン・カンプンだと思います。
初期の「論理哲学論考」、そして後期の「哲学探究」だと思いますが、予備知識なしにいきなり読んでも分からないから、解説書を先に読んだほうが良いと思います。
野矢茂樹「ウィトゲンシュタイン・論理哲学論考を読む」(ちくま学芸文庫)でも読んでみてください。
まあ、それを読む前にフレーゲとラッセルを知っておいた方が良いのですが、それはムリだから。

この回答への補足

ありがとうございます!
さっそく「『論理哲学論考』を読む」を借りてきたのですが、とても面白いです。
二日で100p読んでしまいました!!(私にとっては早い方です)

この本の中にも出てきますが、論理学の変革の話はなかなか面白いですね!
ぜひフレーゲも読んでみたいのですが、「『論理哲学論考』を読む」のような読みやすい本はないでしょうか…?
フレーゲのほかにも、現代哲学関連の解説書など面白い文献があれば教えて欲しいです。
いままで頑張って第一次文献を読む努力をしてきたのですが、難しくてなかなか読み進められないので…TT

お願いします!!

補足日時:2014/11/06 02:09
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生命哲学 法華経や日蓮大聖人 など 調べるといいと思います



仏教哲学ですね

人が幸福になる が目標
お互いに助け合う とは 太陽と植物 植物と水 植物と人間 と すべてがつながりあってるのがこの世界です
 それが 生きることにつながります その法則の中にいる人間は やはり お互いに助け合うのが 自然ではないでしょうか
 そうすると 人格成長 振る舞い 生活法など 現実的になってきます 

 何のための哲学か 行動し どう生きるか また心や感情と行動のつながりは?と 幸せになるためにそれはあります 哲学とは 生活であり 行動であり 他者の幸福と自分の幸福を合致させるものです。
 人間は多くの関係性で生きてます 汚染された水を飲まないように 良いものとつながり 生きることができます 水や空気 だけではなく 人と人 それらの関係性を良くする行動実践が哲学であり 生き方 こうふくになる生活法といえるでしょう

 現代哲学は ココが重要です  人が幸せに生きるには  という答え

 ですから 言葉遊びの哲学は 本筋からそれている 低い教えの枝葉の部分だったりします

 お互い 太陽に植物に水 の関係のように 補い合って 人もそれらとつながって生きている このつながりを 良いものに高めるのがいい哲学でしょう 実践してる人は好かれ 助け 感謝し 行動するでしょう
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「日本国憲法」で、良いんじゃない?

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 こんにちは。



 これまでの現代哲学ではなくて これからのそれとして考えます。


 ひとつには 近代人と中世との対比ではなく 単純に《ふつうの人》をあつかっていた古代人の持った人間観を省みることが必要ではないか。

 《単純に》というのは ひとの行動にかんする普遍性を問い求めた倫理規範であるだけのオシエを打ち出しまた推し出してくる宗教を前提としないことが ひとつですし もうひとつは ひとの扱うものごとの普遍性を問い求めた科学語を打ち出した普遍教とも言うべき諸科学をやはり〔不可変的なものとしては〕前提としないことです。

 科学的知識はこれを前提とするのですが それだけを《普遍教》としてのように前提することからは自由でなくてはいけない。

 言いかえると この人間観をめぐって哲学は 科学をどのように取り扱うかを問い求め続けるのですし もうひとつに 倫理規範をとうとぶのはよいとして しかしながらこのやはり人倫にかかわる科学的普遍教を そのまま無批判に振りかざすことから自由でなくてはいけない。



 かんたんにこの一点だけにとどめます。



 別様の説明として:

 ひとがしゃべる言葉は ふつうに社会の中に生活するときの・ひとつの特徴としては《あやまちうる》ところの人間語です。
 そしてほかには そこから一般性や普遍性を抽象して その概念をしばしば概念だけの操作として推し進めて得た《あやまち得ざる》と考えられることになる普遍語があります。

 すなわち――すでに触れたところによれば―― 普遍語は 倫理規範となる人格語とそしてものごとの本質を問い求める科学語とのふたつです。

 これを名づけるとすれば:

  あやまちうるスサノヲ( S )人間語
  あやまち得ないアマテラス( A )普遍語(人格語および科学語)

 となります。

 ですから おそらく歴史をつうじてふつうにわれわれの問い求める人間観は:


  《 S 人間語 - A 人格語&科学語》のしかるべき構造的な複合

 が ふさわしい。こうなると考えられます。
 このような人間観をめぐって これからの哲学は いとなまれて行くことでしょう。


 《哲学の外へ》でもなければ 《自然科学一辺倒》でもなく あるいは触れませんでしたが ソシュールの言語学の内の《言語記号の恣意性》なる仮説はまったくのマチガイであるので それにもとづくいわゆる構造主義やその系統の思想からの自由でなくてはいけないでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!!

お礼日時:2014/11/09 02:24

”現代哲学の関心事がどのようなものであるのか”


     ↑
現代哲学の関心事は、哲学そのものに対する
懐疑です。

認識に対する懐疑から現象学や言語哲学が
出てきた訳です。

そして、哲学の外へということでフーコー
などが現れました。



”伝統的哲学からの転換の契機となったのはどのようなことであったのかを”
     ↑
ワタシは自然科学の台頭だと思っています。

元来、哲学の対象は、神と人間と自然です。
しかし、これらは科学によって解明されつつ
あります。
哲学はその対象を科学に奪われつつある
訳です。

そこで哲学そのモノの意義が問われることに
なり、現代哲学の問題意識が醸成されてきたのだ
と考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました!!

お礼日時:2014/11/09 02:23

「ブッダのことば」探しに失敗している仏教学にとって


「学問の危機」のような気がします。
心もないとすると、菩提心もないのですから菩薩もいませんね。
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この回答へのお礼

そういう観点もあるのですね…!!
ありがとうございました!!

お礼日時:2014/11/06 02:16

人類は中世まで『宗教』という思想にけん引されていました。


しかし、このけん引先がただの『と殺場』であると明らかにしたのが、
カントやヒュームが行った思考実験であり、つまりそれこそが
神ではなく論理性を第一におく近代哲学(モダン)です。


近代哲学とは宗教の解毒と並行して、新たな人間の指標を模索する
作業でもありました。ですから、難解な主題であっても
最終的には論理を積み重ねて一つの結論に至るという
体系的な構造を採っています。

これにより、生贄の牛に過ぎなかった人類という種は、
明確な指向性を持った意思を獲得し、
生きるための政治的な支柱、論理が完成されていったわけです。



ところが、ニーチェの死後、一つの転機が訪れます。
遺構を編纂した『力への意思』に影響を受け、
社会そのものを体系化した思想、『全体主義』の登場です。

(念のため補足すると、あらゆる哲学作品に言えることではありますが、
作者の意図に関わらず作品は時代の要請によってのみ完成し、
またそういった作品のみが影響力を持ち、受け継がれます。
一言でいうと、ニーチェのせい、ということではなく、
その分析こそが後述する現代哲学なのです。)



ナチスドイツの国民社会主義や、ソビエトの共産主義など、
近代哲学の指標に則り、法に従い進めたはずの思想が、
他人のみならず自身をも焼き尽くしてしまいました。
二度の世界大戦を経て、人類が得た教訓は、手続きを踏んだ
論理が人を死に至らしめる可能性がある、ということです。

破綻していない論理が、意図しない破滅的な結果をもたらす。
この仕組みを解明する転機となったのはやはり戦後の研究から
ではないでしょうか。



言語学、すなわち同じ言葉の翻訳語でも、本質的な意味の範囲が
ことなる可能性があり、意図が誤って伝わる可能性がある。

社会学、すなわち単純に社会の論理を適用すると
個人で導き出す正解とは基準の異なる正解が現出する。

心理学、すなわち無意識の存在の発見により、論理的でない
行動は存在しうる。


この三つの学問が、現代哲学に大きな影響を与えています。


一言でいうと、
<<異なる二つ以上の解が存在する>>

世界になったのです。それを受けて
その主題は異なる解の相互影響であったり
許容の度合いであったり、適用範囲の厳格化であったり
非常にわかりにくくなっていることも事実かと思われますが、
そもそも、そういった<<人間が理解できないのは何故か>>や
<<一見両立しないものを、両立させるにはどうするか>>という
人の理解の根幹、理解のしくみの部分を扱っているため
ではないでしょうか。



というわけでおすすめは、哲学本ではないですが
ハンナ・アーレントの全体主義の起源やソシュールの言語学関連本
あたりはおさえておくと、現代哲学の基礎というか、
何故こんなことをしているのかくらいは把握できるかもしれません。

この回答への補足

ありがとうございます!!


> <<異なる二つ以上の解が存在する>>
> 
> 世界になったのです。それを受けて
> その主題は異なる解の相互影響であったり
> 許容の度合いであったり、適用範囲の厳格化であったり
> 非常にわかりにくくなっていることも事実かと思われますが、
> そもそも、そういった<<人間が理解できないのは何故か>>や
> <<一見両立しないものを、両立させるにはどうするか>>という
> 人の理解の根幹、理解のしくみの部分を扱っているため
> ではないでしょうか。

なんだがふとガダマーの地平の融合?の話を思い出しました。
現代哲学には一次大戦やナチスなど社会の問題が深くかかわっているのですね…
そういった時代背景が哲学に与えた影響を解説してくれるような本、あるいは現代哲学を概観できるような書物があれば教えて欲しいです…
ずうずうしい質問ですが、もしよろしければ、お願いします。

補足日時:2014/11/06 02:15
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哲学が本質的に持っていた「世界観」や「存在論」は、


いまや宇宙論や量子論に移行しており、「現代哲学」
の架台は、既成の哲学の延長にはないでしょう。
(たとえば量子哲学などとして)
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この回答へのお礼

ありがとうございます!
だとすると分析哲学が大きく現代哲学に影響を与えているのでしょうか…

読んでみようと思います!

お礼日時:2014/11/06 02:10

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