ニーチェとカントの出会い?
▼ (三島憲一:ハーバーマスとデリダのヨーロッパ) ~~~~~
デリダの〔ハーバーマス七十五歳の誕生日に際しての〕お祝いの手紙が 《我々の誠実さ》というニーチェの引用で始まっていることを忘れてはならない。デリダとハーバーマスにおいて(ひょっとしてハーバーマスは多少ともいやいやながら) ニーチェとカントが出会っているのである。
理性の欺瞞を告発し 個性と差異を情熱と芸術の名によって擁護したニーチェと 人間を目的として扱うことを哲学的社会論・政治論へと翻訳し 世界市民権を説いたカント 理性と力の癒着の告発がともすると力の理不尽な肯定という迷誤に陥ったニーチェと 理性の哲学がときとして謹厳実直な特定のライフスタイルへの固定化を誘引しがちな道徳主義的カント 政治的にはこれまでまったく違った陣営に位置づけられていた両者が デリダとハーバーマスの《翻訳》を通じて二一世紀にもっと激しく出会うならば――そして すでに二〇世紀の最後の一〇年で確実に出会っているのだが―― それぞれの迷誤と誘引をもう知らない世代の希望が出てくるというものである。
そうすれば ヨーロッパ憲法の挫折はエピソードに終わり 国際秩序の立憲化という《ユートピアなき理想主義》への道がひょっとすると見えてくるかもしれない。
これがデリダとハーバーマスのヨーロッパ つまりエアバスと武器輸出のヨーロッパではない ヨーロッパの自己像である。
そして ひょっとすると 日本の思想の世界でも 《なんとか大学なんとか学会》の習慣も 〔* 日本の学者たちがそれぞれ自分たちの奉じる外国の学者や思想家をそれにたてまつったところの〕神様や偶像を引くだけの《神々の戦い》の時代も終わるかもしれない。ヱーバーがこの表現を使った経験は もう過去のものに属するのだから。
(三島憲一:『ニーチェ以後――思想史の呪縛を越えて』 2011 終章 ハーバーマスとデリダのヨーロッパ p.227 )
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ハーバーマスおよびデリダについて知りません。どなたか解説してくださいませんか。
いい線を行っている内容であると思います。
わたしの言葉では 《あやまちうるスサノヲ人間語 と あやまち得ざる〔とみなされた〕アマテラス普遍語(科学語および人格語)とのえも言えない融合》ではないかと。
質問者に物言いがあるとしたらそれは わづかに《世界市民権》が 市井の一市民にあるというだけではなく そうではなくそのことが 社会制度としても――つまり 必ずしも国家に頼ることなくあるいは国際連合などといったメタ・アマテラス普遍語次元の機関に頼ることなく 地域のムラ(市町村)じたいの共同自治の体制としても――成っているということ このことを必須の条件とすると考えられることにあります。(インタムライズム)。
自由なご見解・ご批判をどうぞ。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
あっちからこっちに引越ししました。
デリダについては名前だけしか知らないので、回答をする資格がないのですが(ポリポリ)。
三木清が『イデオロギーとパトロギー』という論文の中で非常に興味深いことを書いておりますので、参考までに御紹介します。
~~~~~~~
ニーチェは情熱の心理学について無経験で無知なドイツ人に対して、スタンダールを称揚している。このニーチェは一生の間ソクラテスと格闘した。このいわば世界史的な格闘の意味はどこにあったのであろうか。ソクラテスはロゴスの力を借りて混じり物のない純粋さ、明瞭さにおいて現わした人である。それに対抗してニーチェはパトスの根源性と高さを主張した。ソクラテスはなかにも倫理とロゴスと結びつけた。それとは反対にニーチェは倫理上の諸概念をパトスからみちびいてくる。ニーチェはその反キリスト的な口吻にも拘らずキリストとは格闘しなかった。彼はむしろキリストに嫉妬を感じたのである。思想上においてロゴスの高い価値を発見したのがギリシア人であったとすれば、パトスの深い意味を見出したのがキリスト教である。パトスは主体的内識であるが、その主体性を掘り下げたのは、ニーチェと相通じる魂を有したキュルケゴールであったのであろう。キュルケゴールは主体性をもって人間の倫理的実存性を考え、そして倫理とパトスとを結びつけた。
(中略)
さて私の意見によると、人間の意識はロゴスとパトスという相反する方向のものから弁証法的に構想されていると考えられねばならない。一方は客体的な意識であり、他方は主体的内識である。そしてロゴス的意識にはいろいろないろいろな種類と段階があるように、パトス的意識にも差Mざまな種類と段階が区別さあれるであろう。ロゴス的意識が、感性知覚の如きものから思惟の方向に次第に高まるにしたがって、その対称性あるいは客観性を次第に増してゆくのとは反対に、パトス的意識は、主体的方向に深まるに従って、その対象を失い、次第に無対象になってゆくと考えられる。そこに両者の対立が最も明瞭に現われる。一定の対象、従って一定の表象に結びついているようなパトスはなお浅薄だといえる。深いパトスはむしろ対象を含まないものであり、そのような無対象なパトスとして、たとえばあの運命の意識、原罪の意識などは解釈されるべきものである。我々が普通に意識と言っているものはすべて何物かの意識であり、従って対象を含む意識であるとすれば、かような無対象なパトスは意識とは見られず、むしろ意識下のもの、いわゆる無意識と考えられるであろう。かような無対象なパトスに表現を与えるのが芸術である。そんような表現を求めるところにパトスの主体性があるともいえる。
(云々、云々)
イデオロギーとパトロギー
~~~~~~~
長々と引用しましたが、
三木清はこのように述べています。
三木はソクラテスと書いておりますが、実際はプラトンなのでしょうが。
そして、
「ニーチェはその反キリスト的な口吻にも拘らずキリストとは格闘しなかった。彼はむしろキリストに嫉妬を感じたのである。」
という記述は非常に重要なのでしょう。
イエスもまた《パッション(この語には受難の意味もありますね)》の人ですから(ポリポリ)。
これもたぷん三木清が書いたのだと思いますが、読売新聞に寄稿した「自殺の哲学」
http://binder.gozaru.jp/miki/sui.htm
が非常にわかりやすいようです。
───三木清の提唱した《パトロギー》という学問?について、ネットに何かいい説明があるかと検索し、偶然、これを発見しました。自殺の哲学という言葉に覚えがあるので、おそらく、読んだことがあるはずなのですが・・・───
ここに、
「人間の主体的な意識を私はパトス(パッション)と呼び、そこからパトロギーといふ言葉を用ゐてゐます。」
と《パトロギー》についての簡単な定義が与えられているようです。
なかなか回答がつかなかったのでよかったです。
こんにちは。ご回答をありがとうございます。
デリダは紹介や解説の記事をやたら多く読みます。そして翻訳ででも図書館から借りて来て何度読もうとしたことか。一冊は 新書版ほどの原書が出ていたので入手してあります。ですが さっぱり分かりません。
ハーバーマスは そのような紹介記事のはるかかなたにいます。
▲(三木清) ニーチェはその反キリスト的な口吻にも拘らずキリストとは格闘しなかった。彼はむしろキリストに嫉妬を感じたのである。
☆ さもありなん。でしょうね。『アンチ・クリスト』なんて著書は もう文字通り支離滅裂です。キリストに対する罵りと憧れとの綯い混ざり合った告白ものだったと思います。(しっかりと分析しなかったのですが それには値しないという判断を持ったことをもおぼえています)。
▲ ロゴス的意識が、感性知覚の如きものから思惟の方向に次第に高まるにしたがって、その対象性あるいは客観性を次第に増してゆくのとは反対に、パトス的意識は、主体的方向に深まるに従って、その対象を失い、次第に無対象になってゆくと考えられる。
☆ これはですね。最近読んだ本の中に《相互内在》といった概念を見つけました。
これは 集団主義が必ずしも欧米にはないというのではなく
そうではなくそれでも日本人のあいだに特徴的であることは
どうもこの《相互内在》する意識もしくは感情(情感)がある
からではないか。
欧米人は 集団としてチームを組むこともおこなうわけだけ
れど 必ずしもそこでこの《情感的な相互内在》はない。とい
ったことを思いました。
もしこの見方に従うなら 《パトス的意識》は 《主体的方向に深まるに従って、その対象を失い、次第に無対象になってゆく》というよりは 《対象≒すなわち特には相手の人間》とのあいだに相互内在の情感をただよわせこれを互いに共有する。ということではないのか?
相互内在が深まると そのときにはもはや《対象を 意識としては 失ったごとくになる》のではないか? とは思ってみました。
すなわち:
▲ 一定の対象、従って一定の表象に結びついているようなパトスはなお浅薄だといえる。
☆ ただし
▲ 深いパトスはむしろ対象を含まないものであり、そのような無対象なパトスとして、たとえばあの運命の意識、原罪の意識などは解釈されるべきものである。
☆ これは どうでしょうね。《原罪》というのは やはりどこまでもむしろ理知的なとも言える《倫理上の意識》だと思われます。確かに相手の存在を問題にするより以前にすでに自己の主観内面において これこれの思いや行動はアヤマチか否かを敏感に感じつつ自己自身と議論するような状態だと思います。
《あの運命の意識》というのは いましっかりと捉えたという自信がありません。
◇ イエスもまた《パッション(この語には受難の意味もありますね)》の人ですから(ポリポリ)。
☆ これは 人間の観点から見た場合には すでに質疑応答をおこなった《パウロの〈すべての人に対してすべてとなりました〉》の実践を想い起こせば 或る程度その方向で捉えることが出来ると思います。
ブディズム風に言えば あらゆる人のすべての苦を引き受けたのだと。――これも 言ってみれば《相互内在》ですね。ミラーニューロン現象から出発して。
▼(三木清:自殺の哲学) ~~~~~~~~~~~~
人間を一面的にパトロギー的に探つて行くと、そこで、「無」に突き当ることになるでせう。この無はそれ自身性格的なもので、人々によりそれぞれ性格的に解釈されてゐます。
ニイチェにとつては、それはもろもろの星を産むべき渾沌であり、キェルケゴールにとつてはそれは「死への病気」であり、またこの無から虚無主義も出て来ます。
然しこの無に突き当つて或る者はパトスなきこと(アパティア)を憧れるでせう。
藤村氏の場合はこのやうなパトスなき無を求めての死ではないかと思ひます。
あなたのいはゆる哲学的な死です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ ですから イエスやパウロの場合には 出来るだけ多くの人と相互内在を果たして しかもそれらを引き受けて 負担をまづ半減させつつ そこからの解脱を示したとは言わなくても そのパトスとの共存体制を身を以って示した。かも分かりません。
つまりは 《主体的》だとは言いますが むしろ主体的であるならば やはり関係性において自己をも他者をも捉えなけばならない。とは思います。みなさんは 自分の内面へと――そのとき必ずしも外へ開かれることなく――沈潜してしまう。これは――非思考の庭が 心の明けだとすれば―― 何ものかなるナゾに対しても開かれていない・そのことが 悔やまれるのではないでしょうか。
開かれない場合には
▼ 従つてそこに自己闘争といふこともあるわけでせう。
☆ とまで分析して言っています。
もっとも相互内在についてもあぶないことがあると言います。
▼ それはほんとにパトスを共にするといふよりも、一方が引摺られるのではないかと考へられるのです。
☆ と。まぁ イエスは引きずられることはなかったのでしょう。
▼ 人間は主体と客体との弁証法的統一であり、従つて一面的にパトロギー的であることは、普通に用ゐられる意味でのパトロギー的、即ち病理的ともなります。そしてまたそのやうにパトロギー的になるのは、その人が社会から遊離してゐるからだとも云へるでせう。
No.2
- 回答日時:
語句の訂正。
【誤】 パトスは主体的内識であるが
【正】 パトスは主体的な意識であるが
私の変換ミスです。
意味が大きく変わってしまってしまうので、これだけは何が何でも訂正しないといけない。
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