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相対性理論によると、物体は光速に近づくほど加速しにくくなるそうです。
その理由は質量が増加するからということらしいのですが、これは本当なのでしょうか?
また、実際に観測することは可能なのでしょうか?
たとえばの話、なんらかの方法で地球を加速したとします。
相対論によれば地球の質量が増し、その結果重力も大きくなると思うのですが、あっていますでしょうか?

A 回答 (28件中11~20件)

>ところが、相対論によると観測者Aは重力場の中を自由落下していると見做せる



おならの爆風を背中に感じて飛ばされるのと、
重力や慣性力で飛ばされるのは同じじゃないですよ。

後者は髪の毛一本にいたるまで、体全体隅々に力を受けます。

前者はお尻のあたりか背中の表面でしょう。

ニュートン力学的に起きていることが全く異なるので、
そこに一般相対論の原理をねじ込もうとしてもナンセンスです。
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この回答へのお礼

勘違いしておりました。
ご指摘ありがとございます。

お礼日時:2014/12/13 21:51

> 相対性理論によると、物体は光速に近づくほど加速しにくくなる



その通り。何も相対性理論によらなくたって、実験で確かめられています。

> その理由は質量が増加するからということらしい

 違います。話が逆です。
 「加速しにくくなった」という事実をニュートン力学の
  f = m a
に基づいて解釈しようとすれば、「同じ力fを掛けたときの加速度aが小さくなるんなら、質量mが増えたと思えばいいじゃん」ということになる。ですが、運動の方向と平行に加速する場合と、垂直に加速する場合では、加速しにくさが異なるんです。なので、前者を「縦質量」、後者を「横質量」と呼んで区別しなくちゃならん。
 ところが、実際には質量は変化していないんです。(だから重力が強くなるなんてこともない。)単に、ニュートン力学が使えない状況であるのが分かってるのに無理にニュートン力学を使おうとすると「縦質量」「横質量」なんて区別が必要になって辻褄が合わなくなってしまう、というだけのことであり、こういうへんてこな話は相対性理論が世に出て間もない頃に生じた混乱の名残にすぎません。(いまでもこういうことを平気で書いてる通俗解説書が多いのは嘆かわしいっす。)

 ところで、これまでのコメントを眺めますと、加速することと速度を持っていることとの区別がしばしば混乱しているようにも思われます。両者を明確に区別することが先決ですね。

 で、無重量状態においてオナラで飛ぶ話について。
 Aさんがオナラで一定時間だけ定加速度で加速するとしましょう。これを加速していない観測者Bから見れば、オナラはAさんのケツの穴に力を加え、ケツの穴は腰骨に、腰骨は脊椎に、という具合に力が伝わることによって、Aさんの身体全体が吹っ飛ぶ。つまり、ケツの穴サイズの細い棒でケツを押し続けるのと同じ状態です。もしあまりに加速度が大きければ、ケツの穴に胴体や手足をつなぎ止め筋肉や骨を形作る電磁力が弱すぎて、身体がばらばらになってしまうでしょう。で、オナラが出終われば、加速はなくなってAさんは等速直線運動で飛んでいく(そしてローレンツ短縮している)。
 同じ現象をオナラしながら定加速度で加速している観測者Aから見れば、オナラを出したとたんに一様な重力場が現れて、Bさんもろとも世界が自由落下を始める。しかし落ちる世界の中でAさんだけはケツの穴に乗っかって静止している。オナラはAさんのケツの穴に力を加え、ケツの穴は腰骨に、腰骨は脊椎に、という具合に力が伝わることによって、Aさんの身体全体が重力とちょうど釣り合う力で支えられているからです。つまり、ケツの穴サイズの細い棒の先に腰掛けて抗力を受けているのと同じ状態です。もしあまりに重力場が強ければ、ケツの穴に胴体や手足をつなぎ止め筋肉や骨を形作る電磁力が弱すぎて、身体がばらばらになってしまうでしょう。で、オナラが出終われば、世界を落とす重力場は消滅し、ただ世界のすべて(自分は除く)の運動には、放屁前に比べて等速直線運動の成分が加わっている(そしてローレンツ短縮している)状態になります。ですから、Aにしてみれば、Bの時計の進みは遅くなっている。

 さて、かなり待ってからAはケツを反転させて、再び放屁したとしましょう。すると、Aから見れば世界がさっきとは逆向きに加速します。BがAから遠ざかる速度も小さくなるわけです。このとき、等速直線運動を続けることでAからうんと遠ざかってしまった(そしてまだ遠ざかりつつある)Bは、今や一様重力場の中においてAの遥か上方にいる。だからBの時計の進み(チクタクのテンポ)はAの時計に比べてずっと速い。(これは一般相対性理論の効果です)。かくて、この加速(てか、減速)中にBは一気に年を取ります。その効果でBの時計は、等速直線運動していた間に累積した遅れを取り返した上に、さらにおつりが来ます。
 この二度目の放屁が終わって両者の相対速度が0になった時には、重力場も消滅するので両者の時計の進み(チクタクのテンポ)は同じになります。
 ここでさらにAが三度目の放屁をしてBを自分の方に落下させるとしますと、またしても現れる一様重力場の中においてAの遥か上方にいるBの時計は速く進み、Bはさらに年を取る。この効果は、三度目の放屁の後の等速直線運動のせいでBの時計の進みが遅れることよりも大きい。かくてBがAの所に戻ってきた時点で、BはAよりも老けている訳です。これがウラシマ効果ですね。
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この回答へのお礼

何度も回答頂いているのに済みません、分からないことがあり質問させて頂きます^^;
縦質量と横質量があるなら、その質量差から絶対速度が導けそうなので???と思ったのですが、実際には質量は変わらないとのこと。
それでは光速に近づくにつれ加速しにくくなる原因とは何なのでしょうか?

加速の向きについては私の考え不足でした。
たしかに重力場の向きが変われば双子のパラドックスは起きないようですね。
詳しく解説をありがとうございました。

お礼日時:2014/12/13 21:42

 #9です。



>自分が加速すると自分以外の周囲が自由落下を始めたのと同じなのですね。

 これを拝読して、「おや!?」と思いました。そこが、すっと理解されるとは思っていなくて、先の#9は「どうやら理解して頂けないようだ。ここで投了しよう」と思って書いたものです。

 しかし、等価原理をさっと理解してしまわれたのですね(←嬉しい驚き)。もっとも、そこから延々と続くものではあります。何せ、一般相対論の出発点ですから。特殊相対論でいえば、光速度不変の原理と同じようなものです。原理は理論を作るために最低限必要で、しかも証明不可能なものをいいます。「~だとしたら、こうだ」の「~」の部分です。

 他の回答者様へのお礼も少し拝読しました。どうやら、一番難しい(←理論が難解なのではなく、直感や常識に反するという意味)、「相対的」ということも理解されておられるようです。

 そうであるなら、最初のご質問、

>相対論によれば地球の質量が増し、その結果重力も大きくなる

に戻りましょう。ただし、加速は忘れます。既に光速度近くまで加速済みで、加速をやめて慣性運動(等速直線運動)をしているとしましょう。

 地球の外にいて、地球を眺めている観測者Aさんの立場では、地球はかなり光速度に近い、つまり亜光速です。相対論的質量は増大しています。地球が観測者に対して静止している場合の質量(静止質量)より、遥かに大きな質量となっています。

 しかし、この状況は「地球が速い」という見方しかできないのでしょうか。ガリレイの相対性原理ってあります。等速で真っ直ぐな線路の上を走っている電車は地面にじっと立っている人から見れば、ある速度で移動しています。しかし電車の乗客からすれば、ある速度で動いているのは地上にじっと立っている人になります(さらに言えば、地表全部がある速度で運動している)。

 ニュートン力学の基礎であるガリレイの原理で、既に普通に言う速度とは異なっています。普通の言い方では、地面は静止で絶対的な基準です。しかし、ニュートン力学ではそうではないとします。慣性運動(等速直線運動)であれば、観測者は自分が静止であるとし、他が動いているとします(そういう見方をした上で、他から見て自分がどうなのかは、ガリレイ変換という計算で行える)。

 特殊相対論でもそのことは変わりません。慣性運動なら、観測者は静止、動いているのは周囲になるのです。地球にいる観測者Bからすると、亜光速で慣性運動しているのは地球の外の観測者Aさんになります。

 すると、どうなるでしょうか。地球にいる観測者Bさんは、Aさんが亜光速で近くを通り過ぎたら、自分が重くなるとするでしょうか。Aさんとは速度が異なる観測者Cさんも通り過ぎたら、AさんとCさん、どちらの基準で重くなるのでしょうか。

 どうも、それはおかしいですね。勝手に動いて、勝手にこちらを眺める観測者のせいで、自分が重くなったり軽くなったりするとしたら、体重が同時に何種類にもなってしまいます。そんなことを可能にする理論は不要です。だって、体重計で測れば体重は変わらないし、体重の数値は一種類しか出てこない。

 観測者は自分が静止でよいのです。だから、質量が増えたりもしない。疑問に思われたことの究極ともいえる質問がときどきあります。「太陽を限りなく光速度に近づくよう加速したら、重力が強くなってブラックホールになりますか?」というものです。

 もう答は出ていますよね。地球にいて、地球の近くを亜光速の観測者が通り過ぎても、我々は少しも重くならない。地球の重力も強くならない。太陽だって同じです。いくら亜光速に近づいた太陽でも、少しも重力は増えず、従ってブラックホールになったりしない。何も起こらないんです。
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この回答へのお礼

とても詳しい解説を、ありがとうございます。
おかげ様で「相対的」をやっと理解できたような気がします。
お褒め頂き、光栄です。
一点だけ腑に落ちない部分がありますので、辻褄を合わせたいのですが、これが難しいです。
>>地球はかなり光速度に近い、つまり亜光速です。相対論的質量は増大しています。地球が観測者に対して静止している場合の質量(静止質量)より、遥かに大きな質量となっています。・・・A
>>亜光速の観測者が通り過ぎても、我々は少しも重くならない。地球の重力も強くならない。・・・B
Aでは相対論的質量は増大するとしています。だからこそ質量のある物体は光速に到達しないのだと。
ところがBでは質量は増えないとしています。
どのようにしたらAとBを矛盾なく理解することができるのでしょうか?
Bの場合、質量が増えないのですから、光速を超えていくらでも加速することができるのではないでしょうか?
尤も、相対論では自分が静止していると考えますから、周囲が一様な重力場の中を落下すると考えるのでしょう。
いくら自分が加速しても自分の速度はゼロのまま、もちろん質量も増えないですよね。そして自分以外の周囲全てが自由落下していくと考える、と。
それでは一体なにが「速度の上限」を規制するのでしょうか?
自分が加速しても自分の速度はゼロのままですから、自分以外の全ての質量が増えて速度上限が出来る、という理解でよろしいのでしょうか?

お礼日時:2014/12/15 15:38

>運動中の物体から見て、運動しているのは自分以外の全てと考えるわけですから、


>時間が遅れるのはむしろ自分以外の全てではないでしょうか?

2つの慣性座標系から互いを観測すると、同じ事象は

β = v/c (v: 座標間の相対速度、c: 光速)
γ = 1/√(1-β^2) > 1

(t, x) 慣性座標系Aの座標の、(t', x') 慣性座標系Aに対してX軸正方向へ速度vで移動する座標系
で t = 0, x = 0 の事象は t'=0, x'=0 に対応する場合、式が単純化されて

t = γt' + (γβ/c)x'
x = γβct' + γx'

線形代数で逆変換すると、簡単に

t' = γt - (γβ/c)x
x' = γβct - γx

という関係になります。いわゆるローレンツ変換です。
事象(時刻と位置)は単純な一次変換で結ばれています。

ここで、x' = 0(座標系Bの原点に置かれた時計を座標系Aで観測すると

t = γt'

x = 0(座標系Aの原点に置かれた時計を座標系Bで観測すると

t' = γt

これが、お互いに相手の時計が遅れて見えるということの正確な意味です。
観測しているものは互いに対称的ですが、同じ事象を観測して比べているわけでは
無いということに注意してください。

相手側の特定の時計を、自分のたくさんの時計で座標系を総動員して観測しているという点で
測定する側と測定される側が対称ではないという点も重要でしょう。単純にひっくり返せないのです。

「時間が遅れるのはむしろ」というような言い方をする前に、「測定」をもう少し深く考えてみてください。
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ANo.12へのコメントについてです。



> 縦質量と横質量があるなら、その質量差から絶対速度が導けそう

 「絶対速度」なんてものはない、というのが、ガリレオに始まる「相対性」って考え方です。
 なので、飛んでる人を眺めてる方にとっては、そんなことしなくたって、単に飛んでく速度を測れば、それが観測者に対する相対速度です。で、飛んでるご当人にとっては、ご自身は静止しているんだから自分自身に対する相対速度は0であり、縦質量=横質量=質量です。

> 光速に近づくにつれ加速しにくくなる原因とは何なのでしょうか?

 この世界がそうなってるからです。
 ニュートン力学の言い分によれば「この世界では、ものの速さによらず加速しにくさは一定のままである」。ですが実測してみると、この言い分が成り立っておらず、光速に近づくにつれ加速しにくくなる。つまり、この世界はニュートン力学に従ってはいない訳です。

 …と、これはお分かりなんですよね。なのに『ニュートン力学が成り立たない原因』をお尋ねになるのは、矛盾してないですか?
 どうやら、ニュートン力学の考え方にどっぷり染まりきった頭で相対性理論をなんとか解釈しようとするという、大昔の混乱と同じドツボにハマっていらっしゃるようです。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
(光速に近づくにつれ加速しにくくなる原因について)
>>この世界がそうなっているからです。
との回答を頂きました。
質量を持つ物体が光速に到達することを防ぐための仕組みについてたくさん質問しましたが、どうも質量が増える結果ではないという回答しかないようでした。
であるなら、他の何かが光速に到達することを防いでいるのだと思います。
光速に到達することを防ぐために何らかの変数が必要となるのだと思いますが、それが質量ではなく他のものに原因を求めたとしても、結局のところ、その「変数」から絶対速度を割り出せてしまうのではないでしょうか?
例えば「空間の何らかの性質」が光速に到達することを防いでいるとします。
ある速度の時に物体を加速をして、加速の結果得た速度と加速に使ったエネルギーを比較します。
いくつかの違う速度の時に同じように計測して数値を得ます。
これをプロットしてグラフにすると、おそらく反比例のグラフのようになるのでしょう。
つまり、ある速度の時における加速のしにくさを計測できることになるわけです。
光速に到達することを防ぐそういった力があり、それを変数として計測したならば、物体の固有の速度を割り出せるはずだと思うのです。
しかし、これが意味するところは、「絶対速度の存在」ではないでしょうか?

お礼日時:2014/12/15 15:59

AN014です。


訂正

〉t' = γt - (γβ/c)x
〉x' = γβct - γx

t' = γt - (γβ/c)x
x' = -γβct + γx
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 #13です。



>Aでは相対論的質量は増大するとしています。だからこそ質量のある物体は光速に到達しないのだと。
>ところがBでは質量は増えないとしています。
>どのようにしたらAとBを矛盾なく理解することができるのでしょうか?

 まず、観測者をはっきりさせることが必要です。観測者から見て動いている物体の相対論的質量は増大し、観測者から見て動いていなければ相対論的質量の増大はなく静止質量のままとなります。観測者自身を考えると、観測者が自分自身に対して移動するように動くことはできません。どこへ移動しようとも自分自身ですから。

 次に「相対性」を天下り的なものと諦めて受け入れることです。観測者AさんがAさんに対して速度を持って慣性運動しているBさんを見たとします。AさんからすればBさんの相対論的質量は増大しています。Aさんから見て自分自身は速度0ですから、Aさんの相対論的質量の増大はありません。

 しかしその状況で、Bさんの立場に立ってみます。観測者はBさんです。Bさんからすれば動いているのはAさんです。Bさんから見て、Aさんの相対論的質量は増大しています。Bさんが自分自身を見れば、速度は0ですから、Bさんの相対論的質量の増大はありません。

 どちらかが一方的に相対論的質量が増えるという状況はないのです。もし直感的に難しくても、そうなっている、と受け入れるしかありません。

P.S.

 相対論的質量は、特殊相対論を学んで行っても、割と後で出てくる話です。その前に動いている物体では、時間の進み方が遅くなる、長さが(空間ごと)短くなる、時刻合わせしている時計の時刻が合っていない、といったことが最初のほうで出てきます。これらも、速度があれば起こるのですが、どちらかだけがそうなっているということにはなりません。上記と同じように、立場によって異なってしまいます。

 そういうことを受け入れられるようにならないと、相対論的質量は納得しにくいかもしれません。時間、空間、時刻で一見はおかしなことが、実はおかしくないと理解した後の、応用的なトピックですから、
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この回答へのお礼

相対性理論で重視するのは、観測者とのことで理解致しました。
観測者の概念を持ち出すことによって、ある程度矛盾を解消してしまう、と。
確かに、自分の視点で自分をいくら加速したところで、自分の速度はゼロのまま、という思考過程も可能なのでしょう。
相対論の考え方を持ち出すなら、全ては相対的なのだから、結局のところ、「第三者の視点」というものが成り立たなくなってしまいます。
その「第三者」からみた場合も、相対的なのです。
相対論では客観がないのですね。
ところがです。
その相対論は、速度の上限を設けたために、その部分が客観となっています。
そのことによって、なにが生じるか。
光速に近づくにつれ加速しにくくなるのなら、その加速しにくくなる度合いを計測することができるはずです。
速度aの時に加速に使ったエネルギー(感じた加速度)と、その結果増速した割合を比べます。
速度bの時にも、同じように計測します。
そうやってデータを集めると、どうなるでしょう。
加速しにくさによる「固有の速度」を割り出せてしまいます。
つまり「固有の速度」が存在することになります。
これの意味するところは絶対静止系の存在です。
しかし相対論から説明するとなると、それをも丸め込もうとするでしょう。
観測者をはっきりさせることが必要なのです、と。
全ては相対的なのだから、客観的に観測できず、自分で自分を観測しても、自分は速度ゼロのままで周囲が自由落下していると考える、と。
それとて同じ話ですよ。
周囲が自由落下し続けていけばいつかは光速を超えてしまう。
光速を超えないようにする何らかのブレーキが掛かるのなら、そのブレーキを計測することによって速度上昇の歩留まりを計測できるのです。
つまりは光速度を設定した以上は絶対静止系も必ずできてしまうのです。
そうでないというのなら、全ての科学的観測を否定してください。
全ての科学理論を否定してください。
全ては相対的なのだから、距離も時間も絶対尺度は持ちえません。
メートルも秒も人によって違いますから、遅刻したとしても相対的結果であると認定されれば遅刻とはならないはずです。
ことさら観測者にこだわるなら、そういうことになります。
誤魔化さないでください。
しかし、光速を超えられないというのはかなり信憑性のある話ではあります。
おそらくこえられないのでしょう。
そう考えないと様々な不都合が出てくると。
相対論の最大の功績は光速という上限を設定したことによって絶対静止系の存在を示唆したことにあると思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/12/15 20:14

>相対性理論で重視するのは、観測者とのことで理解致しました。



 その通りです。

>観測者の概念を持ち出すことによって、ある程度矛盾を解消してしまう、と。

 いえ、完璧に解決します。数多とある間違いの中の少なからぬものが観測者に関する勘違いです。絶対系を考えてしまうんですね。ある意味、ニュートン力学以前だともいえます。

>確かに、自分の視点で自分をいくら加速したところで、自分の速度はゼロのまま、という思考過程も可能なのでしょう。

 それしかないんですよ。ニュートン力学から、ですが。相対論はニュートン力学に帰着することを重視し、証明もします。成り立っているものが成り立たなくなる理論など不要ですから。

>相対論の考え方を持ち出すなら、全ては相対的なのだから、結局のところ、「第三者の視点」というものが成り立たなくなってしまいます。

 ないですからね。

>その「第三者」からみた場合も、相対的なのです。

 いないんですよ、第三者。よくある間違いです。第三者も、他と相対的なのです。

>相対論では客観がないのですね。

 客観のみですよ。主観が入る理論など、物理学には不要です。というか、入れられない。主観を表す数式、項なんて分かってないですから(もし分かれば、知能研究上の偉大な成果となり得る)。

>その相対論は、速度の上限を設けたために、その部分が客観となっています。

 客観であり、特殊相対論では唯一の不変なものです。

>光速に近づくにつれ加速しにくくなるのなら、その加速しにくくなる度合いを計測することができるはずです。

 できますし、やっていますね。例えば、素粒子加速実験器。光速度に限りなく近い速度まで素粒子を加速します。相対論通りの結果となっています。相対論通りで設計し、相対論通りに動作する。

>速度aの時に加速に使ったエネルギー(感じた加速度)と、その結果増速した割合を比べます。
>速度bの時にも、同じように計測します。

 そのようにしていますね。

>加速しにくさによる「固有の速度」を割り出せてしまいます。
>つまり「固有の速度」が存在することになります。

 まあ、それが光速度でいいでしょうね。光を重視していないところは注意が必要です。秒速30万kmという、謎の速度があるのです。謎、とはどうしてその速度なのかは不明、ということです。秒速30万kmに関する、物体などの振舞いについては明確です。

>これの意味するところは絶対静止系の存在です。

 飛躍しているため棄却するか、もしくは論理を繋げる必要がありますね。理論は思いつくための飛躍は必要ですが、理論を記述するときには飛躍は消さなければなりません。でないと、他人と共有できなくなります。

>しかし相対論から説明するとなると、それをも丸め込もうとするでしょう。

 丸め込まないです。相対論を破ってくれないかな、と誰もが思っていますよ。まあ、物理学関係者は、ですが。相対論が破れたら(破れ方の予想は既にできている)、その後百年くらいは仕事がふんだんにあるはずです。

>観測者をはっきりさせることが必要なのです、と。

 その通りです。

>全ては相対的なのだから、客観的に観測できず、自分で自分を観測しても、自分は速度ゼロのままで周囲が自由落下していると考える、と。

 ガリレイ時代からそのようになっています。ニュートンが引き継ぎました。

>それとて同じ話ですよ。

 何と同じなのでしょう?

>周囲が自由落下し続けていけばいつかは光速を超えてしまう。

 超えないんですね。それには一般相対論が必要です。しかし、結果はよく知られています。ブラックホールです。ブラックホール中心から、自由落下した物体が(物体がどんな加速していても同じ)光速度を超えるようになる距離があり、それが事象の地平面です。事象の地平面に近づくに従い、時間の進み方が遅くなり、事象の地平面で時間は停止してしまう。

 そのため、事象の地平面を超えて行くには無限大の時間が必要となります。

>光速を超えないようにする何らかのブレーキが掛かるのなら、そのブレーキを計測することによって速度上昇の歩留まりを計測できるのです。

 時間が遅くなり、止まるんですよ。それがブレーキです。

>つまりは光速度を設定した以上は絶対静止系も必ずできてしまうのです。

 ということですから、絶対静止系は作れないわけです。ブラックホールで絶対静止系が作れるとすると、互いに速度を持つ二つのブラックホールがあるとどうなるのか。ブラックホールごとに絶対静止系がある? それって、相対的なんですね、結局。

>そうでないというのなら、全ての科学的観測を否定してください。
>全ての科学理論を否定してください。

 安心してください。質問者様が勘違いしてしまっただけです。自然科学は今のところ盤石です。コンピュータもスマホもちゃんと動きますよ。

>全ては相対的なのだから、距離も時間も絶対尺度は持ちえません。

 その通りです。

>メートルも秒も人によって違いますから、遅刻したとしても相対的結果であると認定されれば遅刻とはならないはずです。

 同じ場所での物理事象は同じになります。教室で待っていた先生からすれば生徒が遅刻、生徒からすれば定刻までに到着、なんてことは起こりません。相対論でもそうなっています。仰ることは、相対論とは別の、オカルトか何かでしょうね。

>ことさら観測者にこだわるなら、そういうことになります。

 その通り。上記の通り、常識通りになっているでしょう?

>しかし、光速を超えられないというのはかなり信憑性のある話ではあります。

 その通り。素粒子加速器の中の素粒子は、ニュートン力学の計算では無限大の速度に限りなく近づくはずなのに、近づくのは光速度。例えば、ですが。

>おそらくこえられないのでしょう。

 どれだけエネルギー注ぎ込んでも光速度未満ですね。

>そう考えないと様々な不都合が出てくると。

 いや、考えたくないんですよ。光速度を超えられないというのは不便で仕方ない。だから、自然科学の枠組みを破ってよいSFではワープなどをじゃんじゃん行います。

>相対論の最大の功績は光速という上限を設定したことによって絶対静止系の存在を示唆したことにあると思います。

 上記の通り、否定しかできていません。相対論は、ガリレイやニュートンを超えられないんですね。ニュートン力学を破らないように作ってありますから。誤差修正だけなのです。

 さて、よくお話頂けました。そうして頂けるよう、はからった甲斐がありました。お考えが容易に全否定されることが、これでよく分かりましたね。質問者様がそのことを分かるか否か、それは質問者様次第です。お疲れさまでした。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
どうすれば「固有の速度」の存在を認めつつ「絶対静止系」の存在を否定できるのか教えて下さい。
固有の速度とは何かに対して固有なのであって、相対的ではありません。
加速する時に消費したエネルギーから予想されるよりも少ない増速であったなら、その差分から固有の速度を求められるということです。
これは光速未満の話です。
そしてここに相対論の誤魔化しがあると思うのです。
全ては相対的であるとして、客観的な観測者を排除する。
客観的な観測者なしで理論から予想される世界を俯瞰するとしたら、それこそ主観だと思います。
しかし実際にはこの世界は「客観的な観測者」があることによって成り立っているのです。
全ての科学的観測は客観的観測者によって行われているのです。
この事実を重く受け止めて下さい。
「客観的な観測者」を排除した理論など、それこそ机上の話だと思います。
そもそも、回答者様は「固有の速度」があるのは光速の100%の速度の場合だけと仰られるのでしょうか?
光速の90%の時はどうなのでしょうか?
光速の50%、光速の0%の時はどうなのでしょうか?

補足日時:2014/12/15 23:07
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
もう一つよろしいでしょうか?
ユークリッド平面やユークリッド空間は実際にはこの世界には存在しないものですが、想定することはできます。
というよりも、その想定によって幾何学はなりたっているわけです。
相対論における「客観的な観測者」を想定することは可能なのです。
論理的な意味で、です。
相対論の世界を客観的な視点で見渡すことは可能なのです。
つまり絶対静止系から相対論的宇宙で何が起こっているか、想像することは可能なのです。
おそらく、矛盾だらけでしょう。
だから、相対性理論は一切の客観的観測者を排除するのだと個人的には想像しています。
しかしながら物体の運動を観測してみると、どこにも矛盾がなく理論通りの計算結果が得られる・・・と。
アインシュタインは「神はサイコロを振らない」と言ったそうですが、確かにそうなのでしょう。
観測結果に矛盾がないのなら、神は世界をそのように作ったと考えなければなりません。
しかし、それでも、そこには矛盾があるはずです。
矛盾のない世界であるなら、三次元空間は三次元空間ではありえません。
ましてや四次元時空などでもないのです。
時間とは因果律のことです。
けっして空間と融合することはないでしょう。

お礼日時:2014/12/15 23:32

>どうすれば「固有の速度」の存在を認めつつ「絶対静止系」の存在を否定できるのか教えて下さい。



 話が理解できていないようですね。固有速度とは、特殊相対論でいう、空間が静的な場合にも存在する速度、我々が普通に速度と呼ぶものですよ。光速度不変が通用する速度といっていいでしょう。

 固有速度とわざわざ言うのは、一般相対論では許される、空間自体の膨張による後退速度と区別するためです。単なる相対速度です。

 後退速度は空間の膨張速度です。光速度不変は最早関係ない速度です。速度を測るべき距離が伸びちゃうんで。だから超光速も問題なくアリなんですよ。

 ね、分かるでしょ? 全然理解できてないことが。理解せずに力んでみても仕方ないのです。物理学は自分の好きなように結論をくれたりしません。物理学では何をどう言っているかを知りたければ、学ばずに考えてみただけの自分の空想は捨てることが第一歩になるでしょう。

 そうしてみるといいですよ。分かれば面白くなるのが物理学ですから。アドバイスとしては、これくらいでしょう。では、頑張ってください。

P.S.

 なお、残る部分で何かお尋ねですが、回答不能です。間違っていればまだしも、間違いかどうか以前、つまり相対論を含めて、物理学と無関係な話になっています。客観的なものだよ、と教えて差し上げているのに、客観でないといけない、とか、意味不明にもなっています。

 落ち着いて。物理学は逃げやしません。ゆっくりやればいいのです。

この回答への補足

>>空間自体の膨張による後退
相対論では、これもよく出てくる話ですね。
これも適当に考えてなんとなく理解していては何も分からず仕舞いです。
空間が膨張することによって物体が遠ざかるのであれば、空間から何らかの力を受けなければなりません。
ゴム風船の例えもよく出てきます。
ゴム風船を膨らますとゴム風船に描いたAとBは確かに距離が離れていきます。
しかしAとB自身も膨らんでいるので、膨らむ前と膨らませた後では何も変わっていません、相似形です。
「空間が膨張すると物体はお互いに後退する」とするなら、AとBの大きさはそのままで距離だけが増えなければならないのですが、その場合、必ずどこかから力を受けなけばなりません。
空間が膨張する結果であるなら、空間から力を受けるのでしょう。
これも空間が何らかの絶対静止系を持つことを示唆しています。
とにかく、相対論は矛盾だらけですね。
想定上の絶対静止系まで存在不可能なら、幾何学が存在することを全て否定するべきです。
そうでなければ一貫しているとは言えません。

補足日時:2014/12/16 01:15
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この回答へのお礼

相対性理論では客観的な観測者(絶対静止系)を想定することもダメなんですね。
それは良く理解できました。
ユークリッド平面などどこにもないはずなのに、それを想定して理論を組み立てられる。
ないものを想定できるんです。
でも、相対論はそれすらも許さない。
それを許すと、とんでもない支離滅裂な矛盾に満ちた世界が見えてくるからなのでしょう。
まあ、時代が進めばいずれ新しい理論によって相対論の世紀の大嘘が明るみになるのでしょう。
そんな気がしています。
いずれにしても、回答くださいましてありがとうございました。

お礼日時:2014/12/16 00:00

>相対性理論では客観的な観測者(絶対静止系)を想定することもダメなんですね。



 客観的な観測者=絶対静止系という主観的なことはしないですからね。分かりやすく観測者と言ってはいますが、そこにあるのは数式です。


>ユークリッド平面などどこにもないはずなのに、それを想定して理論を組み立てられる。
>ないものを想定できるんです。
>でも、相対論はそれすらも許さない。

 ないものを想定していますよ。数式なんて、実在のもののどこにも入っていませんからね。

>それを許すと、とんでもない支離滅裂な矛盾に満ちた世界が見えてくるからなのでしょう。

「客観的な観測者=絶対静止系」であれば、確かにその通りですね。

>まあ、時代が進めばいずれ新しい理論によって相対論の世紀の大嘘が明るみになるのでしょう。

 もうそうし始めています。といっても、前世紀からですが。知らないかったのですか?

>空間が膨張することによって物体が遠ざかるのであれば、空間から何らかの力を受けなければなりません。

 受けてますよ。まだ小さい力ですが。しかし、だんだん大きくなり、いずれ原子を砕くほどになります。

>しかしAとB自身も膨らんでいるので、膨らむ前と膨らませた後では何も変わっていません、相似形です。

 膨らまないですね。

>「空間が膨張すると物体はお互いに後退する」とするなら、AとBの大きさはそのままで距離だけが増えなければならないのですが、その場合、必ずどこかから力を受けなけばなりません。

 繰り返しですが、受けてますよ。

>空間が膨張する結果であるなら、空間から力を受けるのでしょう。

 その通り。

>これも空間が何らかの絶対静止系を持つことを示唆しています。

 膨らむ風船のどこかが絶対的な原点と決めることができればそうなります。あるいは、例えば超円筒なら絶対静止系が決められます。

>とにかく、相対論は矛盾だらけですね。

 そう見えるということはよく承知していますよ。

>想定上の絶対静止系まで存在不可能なら、幾何学が存在することを全て否定するべきです。
>そうでなければ一貫しているとは言えません。

 座標系を置いとけばいいんですよ。どこでも置けますんで、というより観測者あるところに原点あり、なんで相対的ですが。一貫とは、絶対系、すなわち一つあれば足りるということですね。そういうシンプルイズベストな世界だったら、理系の皆さん、苦労が少しは少なかったでしょうね。それなら、例えば速度が足し算で良かったわけですし。脱落する人を生んでしまったのは残念なことです。
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