便乗質問です。
「基本的に」は、善悪は不変ではありません。
これは歴史的に明らかです。
例えば、近代化がなされる前のキリスト教徒にとっては、「異教徒を殺さない事」は「悪」でした。
それを拒否した場合、悪魔の手先とみなされ、異端にかけられ処刑されます。現在は、その逆で「異教徒を殺す事」は、ただの殺人罪になり「悪」です。
例えば、イギリスはタスマニア人を絶滅させましたが、それらの行為は当時のヨーロッパの国際慣習では、主権国として合法的な権利でした。現在は、ジェノサイド条約などの違反になり「悪」です。
例えば、現在は侵略は国際法違反であり、「悪」です。しかし、「侵略が悪」と世界で定着するのは、1945年に51カ国によって署名された国連憲章からです。1917年のアメリカ大統領ウッドロー・ウイルソンの「勝利なき平和」や1928年の不戦条約にもその傾向がありますが、確立するのはやはり1945年であって、それ以前は侵略は「悪」ではありませんでした。
(「侵略」に関しては、佐藤和男青山学院大学名誉教授『憲法九条・侵略戦争・東京裁判』から一部を引用。)
と言う事で、これらの歴史的事実を観る限り「基本的に」は、善悪は不変とはいえません。
しかしそんな世の中でありながら、それでも「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」はあるでしょうか?これは、人間社会の法則にも関係するかもしれません。
「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」は存在するか?
もし存在するなら、どのようなものか?
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
一般的に不変な善があるとすれば『自分の子孫を残すこと』
でしょうか。
他人の子孫を根絶やしにすることはあっても、一部の子孫を
切り捨てることはあっても、自分の子孫に(自分の望む形で)
繁栄してほしいと願うのは、古今東西変わらないでしょう。
『自分の子孫を残すこと』は人間を含む「生命」の本質とも
言えます。『所詮「生命」とは遺伝子が自己を増殖するための
「乗り物」にすぎない』という考え方もあるくらいです。
この回答への補足
皆さんの回答の返答をしている内に気付いた事は、軍事的合理性は、「国にとっての善悪」の判断基準となっている事。人間の歴史において無意識に踏襲される善悪が、「生命の本質の善」である事。(例外は、この場合排除)
つまり、軍事的合理性というと「国にとっての善悪」と、「生命の本質の善悪」が両立しているものが、
「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」なのだと思いました。
大変有意義でした。有難うございました。
>一般的に
>他人の子孫を根絶やしにすることはあっても、一部の子孫を
>切り捨てることはあっても、自分の子孫に(自分の望む形で)
>繁栄してほしいと願うのは、古今東西変わらないでしょう。
>人間を含む「生命」の本質とも言えます。
一般的には、その通り。全面的に賛同します。
「生命の本質」を否定している「善」は、一般的にはなりません。
例えば、マニ教の禁欲主義による「善」。
「マニは悪からのがれることを説き、そのためには人間の繁殖までをも否定した」
(禁欲主義の部分より引用)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B% …
これは、「生命の本質」の否定です。
自然消滅しますので、「一般的」になりようがありません。
No1のような「善」も、自己防衛という「生命の本質」の否定といえるでしょう。
自己防衛本能の否定は、他者に淘汰されやすい事を意味しますので、「一般的」にはなりようがありません。
「生命の本質」を否定している「善」は、一般的にはなりません。
と言う意味で、全面的に賛同します。
No.10
- 回答日時:
善とは、現代流に定義すると「人類の種としての繁栄と進歩に貢献すること」と言ってよさそうな気がします。
それに類する感覚が少なくとも直感的には存在したから、人類は歴史を現在までつないでこれたのではないでしょうか。そうした善が時代や社会環境による限界という制約がある中で、具体的な枠組みとしては混沌とした未熟な段階から進歩してきた結果、現代において上記のような少なくともより明確な定義ができるようになってきたという経緯があると思います。
群れを成す動物から進化してきた社会的動物に過ぎない人間という生き物にとって、それは必然的に内包されている感覚と考えていいかもしれません。
ちなみに、利他一辺倒や完全自力本願というのは物理における永久機関と同じように不可能で、そんなことに固執すると破綻して善と逆行する無茶な流れを生み出す起点になってしまいます。善と逆行することは悪です。
むしろ、フェアにセンスを出す利己は現代の繁栄の要素となり、自力を尽くした後に他力に託す感覚は進歩への歴史のたすきリレーの本質だと考えていいと思います。
>自力を尽くした後に他力に託す感覚は進歩への歴史のたすきリレーの本質だと考えていいと思います。
自力を、尽くすとは何か。
私の答えは、実にシンプルです。
・自力で危機管理が出来る国。
・他人に押し付けられた憲法にすがらず、自力で考えた憲法で国家運営をしている国。
・国家の最高法は憲法だが、その憲法より安保条約が上位法という醜態を晒していない国。
自力で生き抜いている者が身につけているタスキだから、他人もそのタスキを引き受けたいと思うのです。
かつて、世界の誰もがイギリスのタスキに憧れたように・・・。
イギリスが身につけている「近代国家というタスキ」を身につけたいと、明治維新もどの国も憧れました。
それは、イギリスが最強の自力国家だったからです。自分もそのタスキを引き継いで、強い自力国家になりたい。だから、そのタスキを引き継ぎたいと思ったのです。
他人に守ってもらわないと、生きていけない国のタスキ。
そんな国のタスキ、誰が引継ぎたいと思うでしょうか。
No.9
- 回答日時:
おそらくは、本能に根ざす事柄は人間が人間である限りにおいて不変なのではないでしょうか。
例えば食物が足りてない。
ここで、争うか、分かち合うかの分かれ目があります。前者は悪で、後者は善であると思います。
或いはまた、人はいつか死ぬもので、それがいつになるかは予見出来ません。故に日々をおろそかにすること無く過ごすことは善いことです。一方、寿命の上にあぐらをかいて、無為に過ごすのは悪いことです。
長い歴史の中でも変わらないものの中では、善悪も変わらないのではないでしょうか。ただし、今後、遺伝子改良などで人類が大幅に進歩し、人間を超えてしまった場合、善悪はもしかすると変わるかも知れません。しかしそれでも、その時にある本能や死にまつわることにおいて、僕らとそう変わらない善悪論が存在しているように思われます。
>例えば食物が足りてない。
>ここで、争うか、分かち合うかの分かれ目があります。前者は悪で、後者は善であると思います。
はじめは分かち合ったが、それでも食料が足りない。
本当にこのままでは皆、飢え死にする。
さて、どのような行動をとるか?
1、「他人のものを奪って生き抜く」
2、「安らかに皆と共に死を待つ」
1を選択した者は、「生命の本質の善(生存本能)」の選択と言えます。
2を選択した者は、道徳としての「理性の善」の選択と言えます。
これが、「個人」であれば、2の選択をした者は「素晴らしい」事です。
これが、「国」であるなら、2の選択をした指導者は、とんでもない大馬鹿者です。
「個人にとっての善悪」と「国にとっての善悪」は、全く別物なのです。
「国にとっての善悪」ですが、人類は既に気付いています。
その実例が、「国際仁義」です。(あえてここでは、国際法ではなく「国際仁義」と言う。)
「国際仁義」の始まりは、古くは30年戦争当時の、スウェーデン国王グスタフ・アドルフと神聖ローマ帝国・傭兵団長ヴァレンシュタインの国際法の成立などが挙げられます。
この時代の兵士は傭兵ばかりで、彼らは略奪も報酬と考えていました。残虐行為を余興とし、金銭を奪い殺し強姦し、あらゆる略奪を満喫していました。その為、指揮官が略奪を禁止を命じようものなら、槍衾を突きつかれかねない社会背景でした。
しかしこの状況は、軍事的合理性に反していました。意図しない勝手な略奪は、作戦に支障をきたします。グスタフもヴァレンシュタインも、その事で悩まされていました。そして、軍事的合理性という、両者の利害が一致し、両国で「国際仁義」が成立します。
これを切欠に、ヨーロッパの多くの国でもこの仁義が定着し、そこから生まれた国際慣習は現在の国際法の基礎を作ります。軍事的合理性は、「国にとっての善悪」の判断基準となっているのです。
しかし、どんなに人類が、軍事的合理性という「国にとっての善悪」を洗練させたとしても、国が「2の選択」を採用する事はありえません。
*国際法とは「International Law」の直訳。
この直訳のせいで日本人は「法律のように強制的」と勘違いしますが、ここで言う「Law」とは、仁義を意味します。つまり弱いものが仁義を破れば、報復を受けますが、強い者が仁義を破っても報復は受けません。
国際法は、現在でもヤクザの仁義と同じです。
国と言うヤクザやマフィアが国際仁義を盾に、自分たちの正当性を主張して、縄張り争いをしているのが現在の国際情勢です。
No.8
- 回答日時:
ibid様、こんばんは。
>「「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」は存在するか?
もし存在するなら、どのようなものか?」
有るは有る、無いは無い、ですか。
あー、だから、数学であり。物理学ですか。
(数学や物理学は「恣意的」というわけには、いかない)
>数学や物理学は「恣意的」というわけには、いかない
つまり、数学や物理学と違って「善悪は恣意的で構わない」と言う主張ですね。
国内の道徳問題を、考えた場合の返答は「肯定」です。
国際社会の善悪の問題を、考えた場合の返答は「否定」です。
この違いは、物事を考えるために使う「物差しの違い」が関係しています。
国内の道徳問題を、考えている上で重要な事は、「日本の土壌にあった、習慣や常識」という物差しで考える事です。国際社会の善悪の問題を、考える上で重要な事は、「人類の歴史で培われてきた、国際習慣や国際常識」という物差しで考える事です。
前者の問題を考える時は、日本国内の問題ですので、日本人が「善悪は恣意的で構わない」と思えばその善悪で考えても構いませんが、後者は国際問題ですので、国際基準に沿った考え方をしなければなりません。
そして、「善悪は恣意的で構わない」という考え方は、日本でしか通用しない物差しです。
少なくとも、聖典を重んじている文化圏は、その考えは一切通用しません。
聖典を重んじる文化圏にとっては、聖典に書かれている善悪こそ、「明確な善悪」なのです。
聖典に書かれた善悪こそが、「善悪のアイデンティティ」なのです。
そして重要な点は、そのような文化圏が世界の大半であり、日本人のような「善悪は恣意的で構わない」という価値観は「少数派」という事です。そのような問題を考える場合は、少数派の物差しで考えても駄目なのです。
「善悪に、答えはない。」と言う答え。
これは、世界では通用しません。
No.7
- 回答日時:
善悪は不変的なことです。
ですが普遍的なものでもあります。人が進化する。その過程で人が考える課題であり、次世代に残す「生」の答え(そのとき人間は別の生物になっているかもしれませんが)。残されたものにこそ答えがあるのではないでしょうか。
進化または淘汰したものはある意味その答え(真実)としても、遠い時間の先から今を見なければその根拠もわからないでしょう。その今をみることは不可能かもしれませんが。だからこそ今(限られた時間=生)において残すべき者(すべて)が考えるべき課題なのだと思います。
そこには普遍的なものが残されていると思います(生はシンプルなものです。)。
ご質問者様のおっしゃるような善悪の具体的な対象は時代や国によって変わるかもしれませんが、善悪という概念、それと対峙し、常に考え、体現し、現象や記録、傷痕、課題として残されていく人としての行為、アイデンティティなどは不変だと思います。
>それでも「奇跡的に不変な「善」が守られてきたモノ」
私個人の考えですがそれは「守るべきものを守る」ことだと思います。
>善悪の具体的な対象は時代や国によって変わるかもしれませんが、善悪という概念、それと対峙し、
>常に考え、体現し、現象や記録、傷痕、課題として残されていく人としての行為、アイデンティティなどは不変だと思います。
「善悪の対象」は変るが、「善悪のアイデンティティ」は変わらないというご意見ですね。
確かに、私が挙げた例は明らかに「善悪の対象の変化」です。
しかし、「善悪のアイデンティティの変化」も起こっています。
代表的なものが、ユダヤ教の世界からキリスト教が誕生した事例です。
イエスは、これまであったユダヤ教の「善悪のアイデンティティ」を変化させました。
その結果、キリスト教が誕生しました。
イエスは元々、新興宗教を立ち上げるつもりはありませんでした。
ユダヤ教の改革者として、それまであったユダヤ教の「善悪のアイデンティティ」を否定しました。
そして、ユダヤ教の「善悪のアイデンティティ」を変化させようとしたのです。
一部のユダヤ教徒は、イエスに賛同しました。
しかし、当然ですが異端にかけられ、イエスは磔刑処となります。
イエスによる、ユダヤ教の「善悪のアイデンティティ」の改革は、失敗しました。
しかし、一部のユダヤ教徒の「善悪のアイデンティティ」を変える事には成功しました。
この瞬間、「善悪のアイデンティティ」の変化が起きました。
まだこの時点では、「善悪のアイデンティティ」の変化に気付いたユダヤ教徒は、数えれる程に少ない人数でしょうが。その者たちが、後世に伝えたものが現在のキリスト教です。
「善悪のアイデンティティ」も変ります。
しかしもしも、あなたにとって私の挙げた「善悪のアイデンティティの変化」の例も、「それも、善悪の対象の変化に過ぎない」と主張されるのでしたら、私はそれ以上の事を反論するつもりはありません。
No.5
- 回答日時:
生きる目的は基本的に、意志の発現=精神的充足の追及であり、
一般的に目的化しがちなお金や物質的豊かさや、善悪や法規と
いった外的権威は、その過程上の二次的目的に過ぎない。
その生の社会性(交配、共同、分業)の発達において、自己の
生命性の拡張をフォロー(自覚化=自律的社会行動=助け合いと
しての労働)する認識の発達を省略し、自己中心的な意識の
まま他律的に社会行動をとらせるためのアメ(お金、出世)や
ムチ(善悪、法規)を発達させたのだ。
短絡的利己を抑制して、社会性を付与するための(自己の充足
の他の)外的価値。
しかし、そうした外的価値は、自覚的な充足追求行動と対立し
たり、あるいは外的価値同士で矛盾したりして、「人生を通算
した精神的充足量の最大化」という本質的目的に反するものに
なりがちである。
そうした外的価値(善、お金、権力、神)を排し、社会全体を
1つの生命として意識した、自律的社会行動=愛による社会の
実現において、個の成果は全てに共有され、全ての人が最大限
の充足を得ると同時に、その総和において(最高効率の社会性
において)最長の充足量も実現、さらにそうして自己の肉体を
超越(他我)した意識において、自己の死を超えた未来におけ
る意志の達成も(他への信頼の限りにおいて)得られる。
そうした指向の総体的な計量は、淘汰(エントロピー増大)の
反力としての反エントロピーとして得られ、具体的には生産性
の向上に関わる組織性(分業化、技術力)の発達と、そこにお
ける創造性と感受力に関わる認識の深まりの、両面のバランス
として表れる。
No.4
- 回答日時:
大先生様ですか・・・
まっ 仕方無いか・
もっと 基礎から勉強しないと駄目みたいですね
あなたと 俺は 対等の立場です
どちらも優って無いし 劣っても無い
其処からの勉強を して下さいね
私が大先生様と言ったのは、大先生様が「人の質問に答える気もなく、自分の助言を垂れ流している奴」だからです。
その傲慢な態度は、大先生様に相応しいと思ったので、大先生様と呼びました。
大先生様の回答は、「不変な「善」を探す前に」と質問を全否定して、答える気が無い回答ですね。その後の回答も、私の質問した、「不変な「善」は存在するか?」に対する答えは、一切見当たりません。
このサイトは、質問に答える場です。
大先生様の、駄文の助言を垂れ流す場ではありません。
そんなに助言を垂れ流したいなら、大先生が所属する大学などの講義で行ってください。
貴方が、本当の先生ならばたやすい事でしょう。
No.2
- 回答日時:
まず 言えるのは
不変な「善」を探す前に 「進歩と改善」を勉強した方が良い
歴史は常に 人間生活に便利になる様に発明 発見しています
そして それに伴い 地球環境の事も考える様になりました
命の大切さも判り 人と人 国と国の争いが 如何に哀しい結果に繋がるか それを 歴史で学ぶ事が出来ます
科学の進歩に合わせた 心の進化が これからの時代には 必要なのです
大先生様、こんにちは。
>不変な「善」を探す前に 「進歩と改善」を勉強した方が良い
大先生様が仰るには、私はそれを考えるレベルには達しておらず、まずは「進歩と改善」とやらを勉強した方が良いと言う事で御座いますか。さすが大先生様。言う事が違います。その大先生様の一言を聞けただけでも、質問を立てた甲斐がありました。
大先生様、どうも有り難う御座いましたm(_ _)m
No.1
- 回答日時:
私個人の考えを書くなら それが戦争であろうと 恨みや事件であろうと
人を殺すのは悪であり 人を殺さない事が善だと思います。
正当防衛と認められて無罪でも 死刑囚を死刑執行するにしても
止むを得ずやってる事で 消して善ではありません 悪なのです。
戦争のない世の中にして 犯罪のない社会にして 悪を断ち切りましょう
それが善です。
それともう一つ
自分が生きる事は善です。生きて人殺しをしてはいけませんが 生きること自体は善です
自殺などは可哀想ですが けして善とは言えません。生きることが善だと思います。
善悪は科学や歴史の言葉ではありません 人間の倫理の言葉です。
人間がどうするのが善かと言えば 自分が生きて人を殺さない事です。
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