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正義の為の正義は悪ですか。
(これはルールの為のルールという言い方でも言いと思います)

A 回答 (9件)

正義って、「正しいこころ」「義なる心」のことですよね。


正しいこころを守り抜くために努力するのが人間で、
正義のための正義というよりは、
正義を守り抜くことが人の道で、悪でもなんでもないと思いますけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/25 21:22

ここの詳しい状況で変わりますし、意識レベルでも見方は変わるでしょう。



本来、うまくいくやり方は、やがてルールになります。規則性から規則となります。

 いいことは規則になります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/25 21:22

 なぜルールは作られたのですか?

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この回答へのお礼

なんらかの必要性があるからだと思います。
ところが何故必要かを考えずに、これはルールだから取り合えず正しいんだ、というような発言も見ました。
それをルールの為のルールと表現しました。
分かりにくくてすいません。

お礼日時:2009/09/25 21:25

「正義/不正義」と「正/悪」は必ずしも同じ軸ではないような気がする... というか, そもそもからしておそらく「正義」「不正義」「

正」「悪」の全てが「万人の共通認識」を持っているわけではないと思うので, 「A にとっての正義」と「B にとっての正義」が一致するとは限らないし極端にいえば「『A にとっての正義』のための B にとっての正義」が「C にとっての正」となるかどうかって分からないんじゃないかな.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/25 21:22

仰ることを私なりに解釈してみますと、


正義を保護するための正義(言葉が適切かどうかはこの際考えません)というようなことではないかと考えました。
あるひとつの価値観を絶対として、そのまわりを巡回する警護の兵士、そういったイメージでしょうか。
その中心となる正義の概念が普遍に基づく限り、それに統べられた全体系はなべて正しいといえるのではないでしょうか。
もっとも、その中心の正義が真に正しければ、警護など必要ない(壊わたれることはありえない)、とする考え方もあるかもしれません。しかし、警護自体が常に間違っているというわけでもないでしょう。護るために手段を選ばないということにでもなれば、これはまた別の話になってきますが。
その体系の世界から疎外されたものたちにとってはそれらは権力の狗と見られ、悪とされることもあるでしょう。しかし正義そのものが本来相対的であることを逃れられないと仰るのなら、これも仕方がないということは言えると思います(日本の国を護るための軍事力というような概念です)。
その場合(彼らにとって)はその正義の体系すべてが悪だということでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/25 21:21

よくわかりませんが、現実問題として正しいことを正しくやったために孤立して不幸になるというのはよくありますよね。


ですから孤立して不幸になるのが正しいのかどうかという問題は残ります。
また正しいという信念がその人だけのものだったりします。たとえばゴミ屋敷のおじいさんが「物は大切にすべきだ!」という信念をもっていたりしますから・・・
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/25 21:21

そもそも、正義やルール、法律などが作れた背景としては、


社会的な混乱を防ぎ、社会を保持するためのものです。

これは群で行動する動物などでも見られるのは知られています。
ルール=正義(人間独自の概念)だとすればです。
彼らのルールが一番シンプルで基本的なとこを持ってると思います。

社会全体が円滑に動くように、経験的に構築された概念です。
経験的に試行錯誤を通して作られたために、
未知の状況や過去経験していない状況、
判断がつかない状況には対応できません。

たとえば、Aという正義(ルールでもいいけど)があって、
一方でBという正義があります。Aに反するけどBでは問題ない。
あるいはBに反するけどAでは問題ないという場合に、判断が
つかないのです。

おそらく社会が発展し、未知の状況が生まれていけばいくらでも
起こることでしょうね。

昔は正義だったとしても、今は正義じゃないことはいくらでもあります。社会が発展すれば変わっていかざるをえません。
たとえば、身分制度。弱い社会では、一部の既益者を擁護した社会体制が必要で、それを維持するためには身分制度が必要でした。より発展しさまざまな活動が行える現在の社会では、社会活動を円滑に運ぶためには不都合極まりないので、現在ではそれは非正義ですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/25 21:20

そもそも「正義」という、概念が問題なのです。


私たち人間は、同じイメージを持って、より効率的に意志の共通をするために、「道徳」や「正義」といった概念を作り出してきました。
みんな自分が殺されるのが嫌だから、人を殺してはいけないといった「道徳」を作ったように。
共通意識をよりブレがないイメージにするために、さまざまなものを省略してきました。
「人を殺してはいけない。」なら受け入れやすいですが、
「人を殺してはいけないが、状況によっては例外がある。」ではよく伝わりません。
そうして省かれたものによって
「人を殺す人を、殺していいのか?」といった問題が出てきます。
これは、「正義」のイメージで省略されたものですので、答えはありません。
つまり、「正義」に完全な答えがあると思っている時点で、間違いです。
「人を殺してはいけない」という正義と、
「人を殺す」ことは悪という概念。
この2つは一見相反する存在のようで、実は同時に起こりうるものなのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/25 21:20

正義の為の正義は理にかなってると思います。

この回答への補足

例えば、あるところにあるルールがあり、そのルールを皆が破った場合や、遵守していた場合に何が起こるかハッキリしない。
何々は問題がある、何々は常識とは言っても「それは何故か」がハッキリしない。こういう場合どうでしょう。

補足日時:2009/09/02 02:59
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2009/09/02 02:59

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