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戦後に至ってもその罪と責任を明確に裁かれずにのうのうと生き延びているのですか?

日本を勝ち目のない戦争へと走らせ、勝利を煽り、これ以上情けない無条件降伏という最悪の形で敗戦へと導いた軍部の罪を。そして右翼化、国粋主義を担った連中は日本の敗戦責任に対してその罪を償ったのですか?

よく外国に対する戦争責任とか言われますよね?そんな話はどうでもいいです。
問題なのは、日本に対する日本人への敗戦責任はどうなったのか?ということです。
勝てると言い続けた戦争で国土を灰燼に帰し、歴史上初めて外国の支配を受けることになったこれ以上恥ずべきもののない情けない敗戦をもたらした、その敗戦責任はどうなっているんですか?

行き過ぎた愛国心が日本を最悪の敗戦へと導いたのなら、日本において愛国者そのものが売国奴と同義ではないのですか?ならば今の日本において愛国心という言葉を使う際、その言葉の中身は何を指しているのですか?戦前と戦後で愛国心の指す内容が変わったのですか?しかし時代によって意味がかわる愛国心など本物の愛国心ではないですよね。それを鑑みれば日本人にとって愛国心なんてものは、扱いを知らない子供に難しいおもちゃを与えるようなもので、分不相応の代物と言うほかない気がします。
つまり日本人は一度も愛国心を正しく扱ったことがなく、その概念を明確に言い表したこともない。それなのに集団主義は愛国心をはやし立て、その挙げ句に国を滅ぼした。その責任を戦後の日本人はちゃんと背負ってきたんですか?

日本人どころか、昭和天皇の日本人に対する敗戦責任は?
外国に対する戦争責任なんかどうでもいいです。そんなことは聞いていない。
国家の主権をかけた戦いに敗れたということは、その国の代表が全責任を負うのは憲法や法律を解釈するまでもなく当然の道理ですよね?なぜ昭和天皇の戦争責任について議論百出して答えがでないのですか?答えは明確ではないですか。外国に対する戦争責任ではなく、日本人に対する敗戦責任を天皇は負っているのではないのですか?

昭和天皇は殺すべきだった。

戦後開かれた極東裁判が外国人による一方的で不当な裁判だと右翼の連中はよく批判しますよね。
じゃあ聞きますけど、あの裁判が日本人によって開廷され、日本人の裁判官によって軍部の連中に死刑判決を下していたら文句はなかったわけですか?
何度も繰り返して言いますが、あの裁判で裁かれた戦犯どもは外国に対する戦争責任以前の問題として日本人に対する敗戦責任を背負っていますよね?それが国土中を灰燼に帰するという最悪の敗戦を迎えたのであれば、日本の主導的立場にいた彼らが責任を取って死ぬのは当然のことでは?

むかつくのは、日本人が彼らを裁こうとしなかったことです。

マッカーサーが昭和天皇を生かそうとしましたよね?
その発言を受けて、日本人は何をやってたんですか?
マッカーサーが天皇を許したとしても、我々は自らの手で昭和天皇を起訴し、日本と日本人に対する敗戦責任の名のもとに昭和天皇を殺すべきではなかったのですか?
でなければ示しがつかないじゃないですか。

日本はあまりにも敗戦責任というものを軽視しすぎていませんか?
戦後の日本は元軍人出身の連中が戦後のどさくさに紛れて社会に溶け込んでいきましたよね?おかしくないですか?
特高や官憲に属していた人間は何のおとがめもなく戦後を生き続けました。我々は彼らを徹底的に草の根分けて探し出して、日本の敗戦に対する罪で起訴し、日本を滅ぼした売国奴の烙印を押して罪に問うべきではなかったのですか?

日本人は戦争加害者としての意識が薄すぎる。
一番の戦争加害者としての責任を持ってるのは誰に対してか。日本人に対してですよね?

なぜ昭和天皇を殺さなかったのか。なぜ殺そうとしなかったのか。なぜ誰も敗戦責任という言葉を使わないのか。

本来罪を背負うべき人間がその罪を背負わずにのうのうと生き延びている。天皇も含めたそいつらを罰せずにどうして過去の敗戦を顧みることが可能になるんですか?

靖国神社も分祀すべきですよね?
なぜ万歳特攻を命じた指揮官と、その無能で馬鹿な指揮官によって無駄死にさせられた兵隊たちが一緒に祀られているんですか?それは死んでいった兵隊たちを侮辱冒涜する最悪の行為ではないですか?そうした現状を無視してなにが英霊ですか。
それどころか最も日本の敗戦責任を背負っている天皇が一度も参拝したことがない靖国神社などに正当性などない。
こんなおかしな神社の存在を許しているどころか、靖国を敬っている人間がいる時点で、日本人の戦争に対する考え方に自分が当事者でもあったという事実がまるっきり抜け落ちているのを容易に感じ取れます。

繰り返しますが、行きすぎた愛国心が日本を滅亡へと導いたのなら、結果から言えば愛国心こそ売国心と言えますね?同じ理屈で愛国者は売国奴となります。
この矛盾した現象を解消できていますか?
今の日本において愛国心と行った場合、その言葉は何を意味するんですか?
愛国心の中身を分析すれば、日本人は一度その言葉のために祖国を滅ぼしてますよね?
だとしたら、本当に日本を愛している人間は、愛国心という言葉を最も軽蔑すべき言葉として用いるのが正しくあるべき姿ではないのですか?
世間の風潮として左翼が売国奴と呼ばれていますが、日本において売国奴は右翼のほうです。しかもめでたく右翼にはその実績がありますから。

なのに右翼がその罪を問われず、今ものうのうと生き延びて、しかも日本の敗戦責任を何もとらずに偉そうに愛国心なんて言葉を使っているのを見ると虫酸が走ります。
ネットにもいっぱいいますよね、自称愛国者というネトウヨが。
自称愛国者ネトウヨこそ売国奴です。

まず日本を愛するのだったら、一度その意味をちゃんと考えてみるべきでは?それが出来ない日本人が偉そうに愛国心なんて言葉を使うべきではない。中身の無い人間が偉そうに愛国者を気取る現状が今の日本です。
自称愛国者という売国奴が蔓延っている。
もしあなたが本当に日本を愛しているのなら、自称愛国者を売国奴として弾劾すべきだ。そして愛国心という言葉を真の意味で復権させなければいけません。

我々は昭和天皇を殺し、その上で平成天皇に忠誠を誓ってこそ、正しい天皇制のもとで戦後を生きられたはずだったんです。
無能な日本人は何もしませんでした。
極端な言い方をすれば、まともな日本人はみんな戦争で死んだんです。死ななかった人間が生き残ったからこんな情けない戦後を歩んだとも思いたくなってきます。
実際戦後の歴史を振り返って、日本はあの戦争に対して総決算をしましたか?未だに無意味な議論が続くだけで誰も日本の敗戦責任を問おうとしない。

敗戦というコンプレックスをこじらせた人間は愛国心を持とうとすると韓国中国を卑下するだけのネトウヨに成り下がり、また反対の場合は極端な左翼になる。
どっちも日本のゴミ、クズです。
外国を親日か反日かでしか判断できない情けない自称愛国者たち。
テレビをつければ日本マンセーの番組が最近の流行に。
とにかく周りの評価がなければ日本人は何もできないんですね。だから自分が負けた戦争にすら真剣に向き合わないで天皇というトップの責任の所在一つすら明らかにできない。日本人には生来の能力的に近代国家を維持していくだけの能力が足りないのでは?
これほど情けない現状を曝しておいて違和感を覚えない日本人を見てるとそういう感想が出てきます。

今一度問いませんか。
昭和天皇の日本人に対する敗戦責任を。たとえ墓を暴くことになっても我々は敗戦責任の総決算を取る必要がある。
そして軍部の罪を。靖国神社は正当性がありません。こんな神社はさっさと潰すべきです。
最後に、自称愛国者という売国奴を弾劾する。身勝手で矮小な愛国心を他人に強要して自称愛国者を気取ってる人間がいるほど真の愛国心を語るうえで邪魔になる連中はいません。

日本人の日本人に対する敗戦責任についてお答えください。

A 回答 (9件)

63歳専業主婦です。



貴方は、お若そうだからご存知ないでしょうが、あの頃の新聞では、

「朝日新聞」が一番、戦争を煽っていましたよ。

でも、責任とってませんよね?

当時、昭和天皇は、「何故、戦争をするのだ!!」と軍部に

詰問されました。

戦争反対を一番唱えておられたのは、昭和天皇ですね。

が、軍部の一部は、天皇の意見を聞き入れませんでした。

今もそうですが、天皇は 政治には口を挟めません。

いくらご自分が「戦争反対」と意見を唱えられても、

それは、越権行為になります。

が、戦争に負けた時、軍部は、戦争の幕引きを天皇に頼みました。

と いうか天皇が出て行かなければ収まらなかったし、戦勝国は天皇でなくては納得しなかったのです。

戦争に反対してた天皇陛下が「この戦争の全ての責任は自分にある。

日本国民を救ってほしい」と、陛下自らがマッカサーの部屋に訪れ(これは、とても異常なことなのです。

陛下に足を運ばせるということは、それだけで、日本は、屈した、、ということなのですから。

今まで、日本の歴史上、陛下の方が 相手を訪れるということは、ありませんでした。だって、

神なのですから)

「自分の身は、どうなってもいいから、日本国民を救ってほしい、、と

マッカサーに願ったのです。

マッカサーは、大変驚きました。

いままでの、世界の君臨者は、国民を投げ出し「自分だけは」一目散に逃げていたのですから。

それなのに、天皇陛下は、自分自身は戦争に反対してたのに、

「一切の責任は自分にある」と身を投げ出されたことに、マッカサーは、大変感銘され

「自分は、これほどの人物を見たことない」と。

こういう、立派な人物がいる日本国を潰してはいけない、、

と日本を救ったのです。

それまで、日本国民にとっては天皇は「雲上の人」「神」でした。

現人神、、、神が天皇という姿で現れた。だから「現人神 あらひとがみ」。



日清、日露戦争で、日本はこんな小国なのに世界を相手に勝ちまくった。

アメリカを代表としての戦勝国は、「こんな小さい国がどうして こんなに強いのか?」と

日本を徹底的に調べました。

それが、日本国民が天皇を神とも崇め、日本民族の父とも慕ってる、、

ということに気がつき、日本を滅ぼすには、天皇も ただの人間である、、と

思わせることが大事、、ということで天皇に「人間宣言」をさせたのです。

貴方も、映像でみたことないですか?

人間宣言をされた陛下に、座り込んで泣き崩れた国民の姿を。

その後、

戦後、ソ連などの外地に捕虜となったに日本兵に、徹底的に 共産主義

「アカ」の思想に洗脳させ、「アカ」の思想にそまった帰国した日本兵は、

法曹界、教育界に就職し、子供達に、貴方のように「天皇の戦争責任」等を

教え込みました。

当然、ソ連は、しめしめ、、ですね。

これで、日本もソ連の傘下になる、、と期待したのですね、、。


貴方は、誤解しています。

愛国心が戦争を引き起こしたのではなく、「一部の軍部の軋轢」が戦争をを引き起こしたのです。

昭和天皇の思いを汲み取らなかった軍部の責任ですね。

が、軍部はどうして戦争に入っていったのか?

それは、戦後、ダグラス・マッカーサー元帥が「日本の戦争は 自衛 の戦争だった」と証言しているように

(以下、マッカーサーの証言)


日本は、絹産業以外には、固有の天然資源は、ほとんど何も無いのです。

彼らは綿が無い。羊毛が無い。石油の産出が無い。錫(すず)が無い。ゴムが無い。

それらの一切のものがアジアの海域には存在していたのです。

もし、これらの原料の供給を断ち切られたら1000万~2000万の失業者が発生するであろうことを

日本人は恐れていた。

したがって、彼らは戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が安全保障の必要にせまられていたから

だったのです。



と証言しています。

しかし、呆れたことにこれほどの重要な証言を報じた日本の大新聞は当時も、今も皆無である。

マッカーサーは、実際に朝鮮戦争を戦ってソ連、共産主義の脅威(明治維新以来、ずっと日本が

恐れていたもの)をやっと悟った。

マッカーサーは、日本が戦争をせざるを得なかった理由をやっと理解出来たのです。


若いから仕方ないかもしれませんが、もっと、頭を柔らかくして、沢山の本を読み

考えを変えないと、、、。

私には、貴方自身可哀想に思えます。真相をしらないで、、と。

でも、ここのカテゴリーで疑問を問うのはいいことですね。

それから、申し訳ないのですが、貴方の質問は長すぎて、最初の20行くらいしか読んでません。

まぁ、問うておられることは、かわりないでしょうし、、、。


愛国心が戦争をしたのではないのです。

資源の少ない日本をどうにかしたい、、という、思いが戦争にむかったのです。

マッカーサーだって、あの戦争は、自衛、自分を守る戦争だったと、、。

それから、かなり多くの方が勘違いされてますが、日本が戦った戦地は

既にイギリスやフランスの「植民地」だったところです。

日本が、進行したおかげで、アジア各地は、何百年という植民地から

解放され、ようやく、独立国になれたのです。

日本は、英、米、欄、仏と戦った。ただ、その戦場が東南アジア地域であり、

住民中、侵略国側にかりたてられたものが、戦火の犠牲になったことはやむを得ない。

しかし、これをもって全てが日本軍から受けた損傷というのは

真実を歪曲するものです。

現に、日本によって、植民地の奴隷から解放され、独立国になつたインドシナ、マレー、

ビルマ(ミャンマー)など、その他の国は、いまでも、日本に親愛と信頼感をもっています。

ことさら、日本の残虐性をことさらにいいたてるのは、中国、韓国くらいでしょう。

真実を見極めてください。

でないと、私には、lugalさんが、気の毒でなりません。

このように素晴らしい国に生まれてきてるのに、それらが見えないまま

一生を終えたら、ただ、ただ気の毒です。

来年で、日本は2674年の歴史を持ちます。

こんなに長い間 国として栄えているのは 世界中で日本だけです。

中国4000年の歴史、、なんて言ってますが、

あの国は、途中で「清」とか「明」とかに国が変わっています。

にほんほどの、長い歴史ではありません。

貴方は、日本人ではないですね。

日本人なら、多少なりとも、昭和天皇の国民を思う 「御心」 は

なんらかの形で身についてるはずですから。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
あなたの目には私が戦後歪曲された左翼的教育の自虐史観を代表する人間に思われているかもしれませんが、まずその偏見を捨ててください。もしそう思われたのなら、そう思ったこと自体があなた自身が一つの愛国史観という歪曲された真実の持ち主である証明になります。

あなたは典型的なネトウヨ脳の持ち主ですね。
失礼ながら63歳まで生きて日本だけが特別な国だと盲信することしかできないあなたのほうが哀れに思えます。そういう人間の特徴として、あなたが後半部分でやっているように、日本ほど歴史の長い国はないとか自国贔屓を繰り広げたかと思えば中国は~など他国の批判を仕出すあたり典型的です。

それどころか、あなたのような、日本の傷口を相手に見せまいと必死で取り繕っているような人間こそ、日本をどんどん戦後解釈の必要性から逸脱させ、自国を検討する余地を阻害させ、「真実」から一層遠ざけようとしている張本人に思えます。

あなたのいう真実とは、日本にとって都合のいい、傲慢で自分勝手な日本観以外の何物でもないです。
天皇の無謬性を信じて疑わないあなたのほうこそおかしいという考え方には至りませんか。
そして、その天皇の無謬性のおかげで、日本が余計な戦後解釈の混乱の中に巻き込まれている現実からも目を背けるつもりですか。
昭和天皇は反戦を唱えていたからといって、それで昭和天皇が背負っていた責任の全てが無になるのですか?

どうも私の感想として、お年寄りのなかにこそ、変な愛国思想に取りつかれた人間が多い気がします。私にはそういう人間が一番恐ろしいです。私のような人間が日本人の内側からも湧き起こる事実や可能性をまるで無視して、日本は正しいという自分の世界の中に閉じこもっているのですから。それはもっとも恐るべき排他思想以外の何物でもないです。
あなたは63歳まで生きて天皇の御心以外に何か学んだことはあるのですか。

お礼日時:2014/12/18 18:38

仰るように


開戦責任は戦勝国が裁くものであり太平洋戦争については極東裁判で裁かれましたが、国民が裁くべき敗戦責任は何も行われていません。責任はうやむやとなり戦争の総括すらされていない状態となっています。
このため、諸外国からは日本は戦争を総括していないと捉えられ、靖国問題やその他の問題で諸外国からたびたび批判を浴びる結果となっております。

なぜ敗戦責任が問われなかったかというと、簡単に言えば裁く法律が無かったから、ということになりますが、通常、国の存亡にかかわるような大敗をした後は、国民は革命を起こしてでも敗戦責任を追及するものです。
日本もそうなる可能性はありました。

この可能性にいち早く気付いて行動した人がおりまして、満州事変を画策した石原莞爾です。敗戦当時かれは退役軍人で末期がんにも侵されていましたが、敗戦直後から全国を講演会で精力的に周り「一億総懺悔」を説いて周りました。
この一億総懺悔の考えはやがて大きなうねりとなって全国に広がってゆき、後の自虐史観による教育に繋がっていきました。

一見、大戦のきっかけを作った本人が反省して平和主義に走ったかのように見えますが、石原の狙いはそこではありません。
「一億総懺悔」とはつまり「戦争に負けたのは誰彼が悪いというのではなく、国民全員が悪いんです。みんなで反省しましょう」ということにして国民からの敗戦責任の追及が天皇に及ばないようにすることが主目的だったのです。
このような戦後の自虐史観のおかげで、石原の狙い通り天皇への敗戦責任追及の声は無く、ついでに大本営内の戦争指導者たちの敗戦責任もゆやむやとなってしまいました。

言い換えますと、自虐史観の考えでは「悪いのは日本国民全員です」ですが、敗戦責任を追及するということは「悪いのはコイツだ、おれたちは悪くない」ということであり、自虐史観教育を受けた人たちは「おれたちは悪くない」が言えないため敗戦責任追及が行われない結果となったのです。
皮肉にも自虐史観で平和主義の左翼系の人たちのおかげで敗戦責任は追及されなかったということですね。

いま敗戦責任を追及しようとするならばその前に「おれたちは悪くない」と自虐史観を全否定しなければなりませんが相当難しいでしょうね。
こうして考えると石原が天才謀略家と言われていたことにも頷ける気がします。
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紀元前の昔、カルタゴという国がありました。


この国には、敗戦した将軍を死罪にする慣習がありました。

一方、同時代のローマはそういう習慣はなく、場合によっては敗戦経験のある将軍を再登用することもありました。

ローマとカルタゴは地中海の覇権をかけて三度戦います。
中でも第二次ポエニ戦争では、ハンニバルという名将が大活躍するのですが、将軍になる人材が薄く、ハンニバル一人ではローマを攻略できませんでした。

しかしローマは、将軍を死刑にする習慣が無いため人材が厚く、後にハンニバルのライバルとなるスキピオが成長するまで持ちこたえ、そのスキピオとハンニバルの決戦でスキピオが勝利を収めることで、カルタゴに打ち勝つことができました。


で、何でこんなに長々と歴史の話をしたかというと、「戦争に負けただけの理由で、人を裁くな」ということです。
そういうことをすると、長期的には国力を弱めるだけの結果となるのは、カルタゴの歴史が示すとおりです。

まあ、東京裁判で戦勝国側が裁きましたけどね。これについては、敗戦国なのだし、もう過去のことなので仕方ないかと。

あと、戦争に負けた責任を問うのは、後世の歴史家に任せるべきでしょう。
ローマでは敗戦した将軍や指導した政治家は直接法廷では裁かれませんでしたが、その代わりに歴史家たちが厳しく審判しました。

そういう歴史家たちの記録を後世の人が読んで、同じ失敗を繰り返さないように戒めることが重要であり、また子孫たちへの贈り物となるはずです。
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初めまして。

まるで中国か韓国の方のような文ですが、日本人ですか?幕末からパールハーバー、ポツダム宣言、極東軍事裁判までの経緯をもう少し調べられた方がいいと思います。戦争責任については、確かに当時の軍部や一部官僚の責任は重いと思います。当時の報道機関もそうでしょう。しかし、国民に全く責任がなかったかとは言い切れないと思います。当時のムードは領土を広げるたびに祝賀ムードだったと思います。
また、建国と天皇の関係も調べられたらいかがでしょうか。出雲大社や伊勢神宮にはご興味はありませんか?

似たような質問がありましたので、参考までにURLを掲載させていただきます。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/415236.html

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5904702.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
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この回答へのお礼

私のような発想が中国韓国に毒されなければ出てこないとでも考えているあたり、そして人種の話をいきなりし始めるあたり典型的なネトウヨ脳の持ち主みたいですね。

掲載していただいた質問を拝見しましたが、2番目のほうの質問のNo10が答えているように戦争責任の定義から始まったり、No11が答えているように欧米にも責任があるという、こういう回答の流れは今まで腐るほど見てきました。
結局誰も日本の敗戦責任ということに言及せず、わざと話の矛先をずらそうとして結論を出さないんですよね。
形式上天皇が戦争を宣言したのなら、形式上天皇が裁かれる必要があるというのは全面的に賛成です。

あと、建国と天皇の関係というのは調べたら何が出てくるのでしょうか。

お礼日時:2014/12/18 18:06

>日本を勝ち目のない戦争へと走らせ、勝利を煽り、これ以上情けない無条件降伏という最悪の形で敗戦へと導いた軍部の罪を。

そして右翼化、国粋主義を担った連中は日本の敗戦責任に対してその罪を償ったのですか?

陸軍省や海軍省の発言力が増し、戦争遂行に力を割きましたが、陸軍大臣も海軍大臣も政治家であり、また、日本では選挙によって選ばれた者が政治を行っていました。そこで色々と駆け引きはありましたが、政治の範疇でクーデターで軍部が政治を握るようなことはありませんでした。今でこそ文民統制が言われますし、戦争をしかけて領土の拡大を図ってはならないという国際コンセンサスができましたが(もちろん頭の中が18世紀のような国は沢山ありますが)、当時では普通のこと、戦争は外交の延長です。

>問題なのは、日本に対する日本人への敗戦責任はどうなったのか?ということです。

自身が選んだ政治家が行った政治ですので、実行者である政治化にも責任はありますが、国民にも責任があります。ちなみに普選法前ではありますが、特別に日本が閉鎖的な選挙をしていた訳ではありません。

>行き過ぎた愛国心が日本を最悪の敗戦へと導いたのなら、日本において愛国者そのものが売国奴と同義ではないのですか?

愛国心が戦争理由ではないです。

>ならば今の日本において愛国心という言葉を使う際、その言葉の中身は何を指しているのですか?戦前と戦後で愛国心の指す内容が変わったのですか?

戦前戦中、戦後も「自分が生まれ育った、自分と同じ価値観を持つ者が住む国が好きである」ということだけだと思いますけどね。

>それを鑑みれば日本人にとって愛国心なんてものは、扱いを知らない子供に難しいおもちゃを与えるようなもので、分不相応の代物と言うほかない気がします。

軍人勅諭や教育勅語を愛国心と同義語のように扱えば、混乱もするでしょうし、このような意見も出てくるでしょう。

>つまり日本人は一度も愛国心を正しく扱ったことがなく、その概念を明確に言い表したこともない。それなのに集団主義は愛国心をはやし立て、その挙げ句に国を滅ぼした。その責任を戦後の日本人はちゃんと背負ってきたんですか?

つまり、あなたは単語が合わせ持つイメージを、自身の希望するように拡大発展して考え、あなたのイメージでだけ語ろうとしているのです。

>日本人どころか、昭和天皇の日本人に対する敗戦責任は?

「君臨すれども統治せず」の立場の昭和天皇、それを利用した陸軍省、海軍省、さて昭和天皇の責任って?

>国家の主権をかけた戦いに敗れたということは、その国の代表が全責任を負うのは憲法や法律を解釈するまでもなく当然の道理ですよね?

それをするのであれば、国体の変更が必要です。

>外国に対する戦争責任ではなく、日本人に対する敗戦責任を天皇は負っているのではないのですか?

負ってませんよ。

>昭和天皇は殺すべきだった。
>じゃあ聞きますけど、あの裁判が日本人によって開廷され、日本人の裁判官によって軍部の連中に死刑判決を下していたら文句はなかったわけですか?

と仰るのであれば、戦勝国の統治で戦勝国が処断するか、クーデターなり革命を起こして国体を変更し、そのうえで処断するか、ですよ。

>最悪の敗戦を迎えたのであれば、日本の主導的立場にいた彼らが責任を取って死ぬのは当然のことでは?

自害の例はそれなりにありました。その他、自害を当然のこととして説き自害するよう申し渡していたのは、自身の責任を放棄しつつ部下に責任転嫁していた一部の上官です。みっともない軍人だと思いますが、あなたの主張はそれと同じところにいます。

>むかつくのは、日本人が彼らを裁こうとしなかったことです。

それは、あなたの両親、祖父母等、終戦当時成人していたあなたの親族にぶつけて下さい。

>マッカーサーが天皇を許したとしても、我々は自らの手で昭和天皇を起訴し、日本と日本人に対する敗戦責任の名のもとに昭和天皇を殺すべきではなかったのですか?
>でなければ示しがつかないじゃないですか。

方向性がずれた面子論にしか聞こえません。

>日本はあまりにも敗戦責任というものを軽視しすぎていませんか?

何度か書きましたけど、戦争って外交の一手段ですよ。あなたと同じ道理で考えるのであれば、効果の無かったODAを実施した外務官僚、JICAの理事は敗軍の将ですから、殺されたり、国民から一生非難を受けなければなりません。

>戦後の日本は元軍人出身の連中が戦後のどさくさに紛れて社会に溶け込んでいきましたよね?おかしくないですか?

公職追放令が出ましたからね。おかしくないです。

>特高や官憲に属していた人間は何のおとがめもなく戦後を生き続けました。我々は彼らを徹底的に草の根分けて探し出して、日本の敗戦に対する罪で起訴し、日本を滅ぼした売国奴の烙印を押して罪に問うべきではなかったのですか?

法の不遡及がありますから。卓袱台返しをするなら、まず革命なりクーデターが必要です。

>日本人は戦争加害者としての意識が薄すぎる。

政治の失敗に対する追求が甘いという意味であれば、その通りですが、ならば敗戦だけでなくつい最近の選挙まで、恐らく今後も甘いのでしょう。

>日本の敗戦責任を背負っている天皇が一度も参拝したことがない靖国神社などに正当性などない。

ありますよ。

>こんなおかしな神社の存在を許しているどころか、靖国を敬っている人間がいる時点で、日本人の戦争に対する考え方に自分が当事者でもあったという事実がまるっきり抜け落ちているのを容易に感じ取れます。

宗教法人ですから一定の保護はあります。

>まず日本を愛するのだったら、一度その意味をちゃんと考えてみるべきでは?それが出来ない日本人が偉そうに愛国心なんて言葉を使うべきではない。中身の無い人間が偉そうに愛国者を気取る現状が今の日本です。

あなたも愛国心について、自分自身の定義をしてみるべきでしょう。
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No.1です。



戦後70年も経ってるのに、未だに戦争責任?ですか?

それだったら、徳川家康が関ヶ原の戦いで淀君や秀頼を

焼きはなった責任も追及しなくちゃ!!

そうそう、今まで、幕府の味方だった薩摩藩(西郷隆盛)が、寝返って

官軍になって会津藩を徹底的に焼き殺したのも責任追及しなくちゃね!!

大東亜戦争では、昭和天皇は、ずーっと、戦争に反対されていた。

そのことは、ご存知ですよね?

戦争に反対されていたので、昭和天皇は、国民から「弱腰天皇」と批判を

されていました。

父帝が早くになくなられたので、若くして日本の天皇になられた。

「あんな、若者に何が分かる」と天皇を批判して、戦争を希望したのは、国民です。

だって、戦争需要が起こって金儲けできるからね。

また、軍部も、重要な会議には、天皇が反対される、、と分かっておられたので、

会議には、隠密に開かれ、最後の承認だけ「御名御璽」をさせられたのですね。

「戦争は、国民の願いですから」と言われてね。

戦争の責任を取れ!!というのなら、当時の日本国民全員でしょう。

日本が、戦いで勝つと日の丸を振って喜んだのですから、、。

ところで ネト右翼って何ですか?

私みたいに、「当たり前」の考えをする人間のことですか?

それだったら、国民の8~9割は 貴方の言うネト右翼とかになりますね。

貴方みたいに「責任追及、責任追及」と、戦争当時に、生きてなかった人が

あれこれ言うのは 片腹痛い、、、。

そういう人のことは、なんていうの? ネト左翼?

書物の上でしか戦争を知らない貴方が、戦争責任を追求しなくても

歴史学者が、ちゃんと研究しますから、、待ってて下さい。

まぁ、結論が出るまであと100年はかかるでしょうが、、。

そのくらいになる頃には、日本自体が、富士山の噴火、東京直下型地震、それに伴う

50m級の津波、、、とかで、日本列島沈没、、してるかも。

あまり、カッカと熱くなりなさんな、、。

日本が戦争にまきこまれたのも、石油などの資源をストップさせられて、

国が、国民が立ち行かなくなったからなんですから。

東南アジアに、日本が進出したのも、イギリス、フランス等、白人社会に

植民地化されてたアジア諸国を独立させるためだったのでもありますから。

日本が、戦争したというか、戦争しなければならないように持って行かれたのも

時代の流れ、、ですよ。

大きな、大きな時代の、時の流れに流されたのです。

でも、そのお陰で、アジア諸国は、独立国になれたのですから

「日本というお母さんは、大きな痛手を受けたけど、そのお陰でアジア諸国が

白人社会から独立国として独立出来たのですから、、」

日本が、アジア諸国に進出したことで、イギリス、フランスなどの白人社会に

アジア諸国が植民地化されて奴隷の扱いを受けていたのに

独立出来たのは勿論 ご存知ですよね。

そして、日本が勝ち進んだ(最初の頃)ことで、アジア諸国は、一人前の国家として

独立国になれたのは、勿論、ご存知でしょう?

ですから、中国、韓国以外の国は、日本に友好的なのです。

戦争責任を、どこまで戦争責任とするのか、、、。

「自分は、戦争に反対である」という天皇の声を無視して

「弱腰天皇」と言ってた国民の責任はどうなるのか?

意見一つ述べることも出来ないで、国民の総意です、、と

御名御璽を押し付けられた天皇にまで責任が及ぶものなのか?

軍部の責任は、すでに取られてますよね。

それ以上に、責任をどう取るのか?

あの当時の、日本国民全員が、切腹(あるいは、馘首)すればよかったのですか?

過去の時代の人間が(私たちね)、先の時代の人達のことをあれこれ批判するのは

おこがましいです。
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この回答へのお礼

すみません、回答がついていたのに気づきませんでした。

ところであなたは先ほどから何を言っているんでしょうか。
ネトウヨの特徴は自身がネトウヨと言われると必死で否定するんですよ。自分が普通だと思い込んでるからそういうレッテルを貼られると顔を真っ赤にして否定するんです。そしてあなたが当にやっている通り、そういう人は「私がネトウヨなら日本人の大半はネトウヨになってしまう」だの、自身に向けられた批判の対象を意図的に拡大して矛先を転嫁しようとするんです。

私は戦争責任ではなく敗戦責任と言っているはずです。あなたは私の主張を何も読んでないばかりか独りよがりの意見を押しつけているだけで何も質問には答えていませんね。
日本が戦争に負けたという責任を日本人に対してどう日本は償ったのか?そしてその敗戦責任は誰が取ったのか?
それを聞いているんです。
何度も外国に対する戦争責任はどうでもいいと言っているのが聞こえませんか?
同じ敗戦国であるイタリアは外国に対する戦争責任を償うとともに、イタリア国内に対する敗戦責任を問う裁判を行っています。
軍部の責任は既に取られていると書いていますが、あの裁判は外国に対する戦争責任や人道に対する罪で裁かれたのであって日本人に対する敗戦責任ではありません。
日本への愛を語るなら、日本を敗戦に導いた主導部の責任を我々が追及することは当然の義務です。
国民全員が罪を負うだなんて馬鹿げた話はありません。それができるなら今すぐ全員死んでください。
そんなことが現実的に不可能だからこそ、国民の罪を代表してトップである天皇が全ての責任を負うべきではないのですか?
天皇が当時反戦を唱えていたかどうかなど私は一言も聞いていません。そんなことはどうでもいいからです。

戦争に負けたのに、その責任の所在が誰にあるのかすら明らかでは無い国が偉そうに戦後を語る資格などない。

そして過去の時代の人たちを批判するのは現代の人の責任であって、それがなおさら、当時生きていた人がちゃんと敗戦責任や戦争責任を処理しなかったから今でも議論が続いている現状を見て、それでも片腹痛いというのは、あまりにもあなたの脳内がお花畑すぎて呆れます。幼稚すぎます。

お礼日時:2014/12/24 12:24

No.6です。



徳川家康が淀君や秀頼を焼きはなったのは、

6015年の大坂夏の陣ね。

訂正。
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長文ですね。

当時世界は、襲ってきています。それに対応しないと生き残れない社会な訳です。今更中国の檄文文化ですかね。踊らされた、原因と襲って来るものに責任追及はあるべきだと思います。
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日本は古来から継続して守られてきた領土を持つ国であって、幾度も征服されて国境が幾変更され続けてきたいわば即席麺のような国にはまっとうな歴史認識なんてもともとあるはずもなく政権にとって都合のよい歴史を捏造しているだけであってその捏造した歴史認識を日本に押し付けようとするようなことはつまりは釈迦に説法なわけなのです。

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