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東京千代田区にある平将門公の首塚の話が最近またテレビなどで取り上げられました。

平安中期になっても、京都王朝に屈しない関東王権の気概が残っており、
将門の死の後も、関東の民衆はそれを支持していた。
それが将門の首が京都より関東に飛んで帰ったという伝説となったなどと考えました。

しかし、よりによってなんで東京の千代田区なのでしょうか?
よく考えたら、そこが不思議。

平安時代は、江戸城なんてそもそも無かったし、東京湾の埋め立ても全然されていなかったから、
あそこら辺は浜辺の近くじゃないですか? ひょっとしたら海の中、浅瀬?

たぶん全く意味の無い土地だったのではないでしょうか?

なぜ、そんなところに飛んできたという伝説ができたのでしょうか?

ひょっとして後世の作り話、つまり江戸時代の初期に江戸を権威付けるために
そんな話を作った?

それとも太田道潅が江戸城を作る前も、実はあの地には何かしら古代の城らしきものが残っていた? (関東王権の城?)  つまり、東京って平安時代も特別な場所だった? 
などと妄想がわきあがります。 どうなんでしょうか?

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A 回答 (4件)

将門とは直接関係が無い場所と言えば言えます。


ご指摘のように日比谷入江の海岸地帯でした。
現在首塚がある場所は武蔵国豊嶋郡芝崎村と呼ばれる寒村でした。
ここに天慶3年(940年)に将門の首を祀った津久戸明神として創建されたのが始まりです。
この地には古くから神田明神がありました。津久戸明神はこの神田明神の敷地内に建てられました。
神田というのは元々は伊勢神宮の荘園で伊勢神宮の田すなわち神田からきた地名です。
津久戸明神の神社は、太田道灌によって移転さぜられその後転々として第二次世界大戦後に現在地の地下鉄九段下駅近くに移り、現在に至っています。(現築土神社)
神田明神も江戸城拡張にともない現在の場所に移されてしまいました。
首塚の場所は幕府の重臣だった酒井家の屋敷の中に取り込まれ、江戸の町民とは余り縁がありませんでした。
江戸っ子と将門さんとのつながりは神田明神で充分でした。
つまり、江戸幕府の権威づけとは無関係です。

首塚が現在のような姿になった切っ掛けは関東大震災です。
関東大震災の後で、ここに大蔵省の建物を建てようとした際に事故が多発して将門怨霊伝説が復活しました。
第二次世界大戦後にGHQが区画整理をしようとして事故が多発して伝説を補強しました
鎌倉時代にこの地域の飢饉が将門の怨霊によるものとされて供養されたことから怨霊伝説が始まりました。
このときに板碑を建てたのが塚の始まりです。
この板碑は関東大震災で破損してしまいました。
現在のはその後に作られたものです。

この都市伝説がいまでも引き継がれています。
将門の首が戻ってきたことに因んで、左遷サラリーマンがお詣りしてカエルの置物を奉納すると無事に東京へ戻ってこれるという伝説もあり、今でもカエルの置物が沢山置いてあります。
飛んだ首が戻ってくるということですかネ。
直ぐ近くを本行とする三菱東京UFJ銀行には平将門という名義の口座があります。
ボランティアによる首塚の保存維持費用が入金されています。

首塚にお詣りしたら、成田山新勝寺へお参りしてはいけないことになっています。
成田山新勝寺は将門調伏を祈願したお寺です。

神田明神も元々の祭神は平将門でした。
明治になって朝廷に逆らった人物を祭神とするのは拙いということで、大黒様やえびす様をまつりました。
現在は主祭神として元に戻していますが、商売繁盛のえびす様もあることから営業成績の向上を願うサラリーマンのお詣りが盛んです。
松下幸之助が関東への進出に当たり奉納した神楽殿が今でもあります。

そもそも津久戸明神が建てられたときに祀ったとされる首は誰がどこから持ってきたのか、ということです。
なんせ、神社自称の故事来歴ですからその真偽は定かではありません。
将門伝説は関東の各地にありますが、皇居前の首塚もよってたかって権威づけられたようですね。
将門さんもなんのコッチャイと思っているかも知れません。
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この回答へのお礼

詳しい説明ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 23:38

あの場所は海では無く 元々古墳があったらしい


で 将門の首塚は何度も移動されかけました(再開発のため)
しかし工事のたびに作業員が怪我をしたり不審死が相次いだため首塚はそのまま 今の位置に落ち着いたということです
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この回答へのお礼

お礼が遅れてすみません。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 23:38

元は古墳だったのか。



記憶によれば、いつだったか忘れたけど、途中で場所がわからなくなったので適当な場所に移されているはず。古墳の後か先かは分かりませんが。

まぁもともと首などないのだから、どこでも良いのです。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてすみません。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 23:37

元は「古墳」だったようです。

ですから将門の時代よりもはるか前から存在していたものと思われます。
その塚がいつの頃からか将門伝説と結び付けられて「首塚」と言われるようになったのでしょう。
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この回答へのお礼

お礼が遅れてすみません。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/25 23:36

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