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日本語を勉強している台湾人です。
日本語はまだまだなので、どこか不自然なところがあったら、よかったらぜひお教えください。
【問】「~わけだから」と「わけ」抜きの「から」との語感の違いは何ですか。

本で見た文です。
まず全文:
「(略)、ときどき『あ、先生、お久しぶりです。』と声を掛けられる。講演会などの聴衆も含めれば、今まで何千人もの人々と接しているわけだから、挨拶されても相手を覚えているわけではない。ましてやその方の名前など出てくることは極めて稀だ。そこで『失礼ですが、どなたでしたか』と慇懃に名前を尋ねる仕儀となるわけだが、...」

その中で、
「今まで何千人もの人々と接している"わけだから"、挨拶されても相手を覚えているわけではない。」と入れ替えた
「今まで何千人もの人々と接している"から"、挨拶されても相手を覚えているわけではない。」と、
どこか違いますか。

前後の文脈から見て自国語で判断すると、「~わけだから」は単なる「から」と比べると、「何千人と接しているからこそ、挨拶されてもきっと相手を覚えている というわけではないだろう」という気持ちや感じを強調しています。
でも、ある日本語教師免許を取った先生に聞いてみたけど、何か違うような気がして、ただ原因を強調すると言っていました。

本当に強調だけですか。
何の為に強調するんでしょうか?
もしくは、何を強調するんですか。
わざわざ「わけだ」を入れるということはきっと何の理由があるはずだと思います。そうしないと、「から」でよいじゃありませんか。
(思い詰め過ぎてすみません⋯)
ですから、日本人の皆さんに、
具体的な違いやニュアンスをご教示願います。
よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

うーん、難しいところですが、私個人の意見としては


「わけだから」は「仕方がないよね」というニュアンス、
「から」は「当然だよね」というニュアンス
を持っているかと思います。

『今まで何千人もの人々と接している"わけだから"、挨拶されても
相手を覚えているわけではない。(それは仕方がないよね)』
『今まで何千人もの人々と接している"から"、 挨拶されても相手を
覚えているわけではない。(それは当然だよね)』
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「~というわけだから」を堅苦しく言うと、「~という理由だから」です。

「から」でも理由を示していることにはなりますが、それを強調しているわけです。
しかし、単なる強調とは違います。これは、原因(今まで~接している)と結果(挨拶されても~わけではない)の間の言葉を長くし、ワンテンポ置くことによって、原因と結果を独立させて、目立たせている、といえるのです。「接しているから~わけではない」では、原因と結果がつながり、結果だけが目立ってしまう。
英語でも、関係代名詞の使うとき、カンマを入れるかどうかで目立たせるものを変えることがありますね。それと同じようなものです。
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ときどき『あ、先生、お久しぶりです。

』などと声を掛けられる。講演会などの聴衆も含めれば、今まで何千人もの人々と接しているのだから、挨拶されても相手を一々覚えているはずもない。ましてやその人の名前まで出てくることは極めて稀だ。そこで『失礼ですが、どなたですか』と慇懃に名前を尋ねることとなるのだが、...」

  こういう内容の文章は、書きにくいですね。

ときどき『あ、先生、お久しぶりです。』と声を掛けられる。講演会などの聴衆も含めれば、今まで何千人もの人々と接している〈わけ〉だから、挨拶されても相手を覚えている〈わけ〉ではない。ましてやその方の名前など出てくることは極めて稀だ。そこで『失礼ですが、どなたでしたか』と慇懃に名前を尋ねる仕儀となる〈わけ〉だが、...」

  3回の〈わけ〉は、決して無駄ではないでしょう。読者は次の文のようにまで「深読み」できます。

ときどき『あ、先生、お久しぶりです。』と声を掛けられる。「申し〈わけ〉」も無く、「言い〈わけ〉」すべきでもないが、あえて「事〈わけ〉」をさせてもらえば、講演会などの聴衆も含めれば、今まで何千人もの人々と接しているという「〈わけ〉合い」があるのだから、挨拶されても相手を覚えている「〈わけ〉柄」ではない。ましてやその方の名前など出てくることは極めて稀だ。そこで『失礼ですが、どなたでしたか』と慇懃に名前を尋ねる仕儀・「仕〈わけ〉」となるのだが、...」
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確かにこの場合、「わけ」はなくても意味はほとんど変わりませんよね。


「わけ」は「理由」という意味を持つ言葉ですが、その直後に「から」があるので、それだけで理由を説明しているのだということは十分に伝わります。
だからここでの「わけ」はほぼ不要です。
それでも筆者がここでわざわざ「わけ」という言葉を使ったということは、何か意味があるのでしょう。
こういう場面で「わけ」を使うことで何か微妙なニュアンスの違いがあるのでしょう。

ではこの「わけ」はどんな場面で使われるのでしょうか。

私が思うにこの「わけ」は自分を正当化するときに使われることが多いようです。
例えば会社の社長が社員に対して、現在の経営状況かいかに苦しいかを説明したあとで「そんなわけだから、今年は給料を下げないとやっていけないんだ。すまないけれど我慢してくれ」と言った場合、給料を下げるという自分の判断には十分な根拠があるから正しいのだ、ということを「わけ」を使うことで伝えたいのでしょう。

「どうしても来てくれって言うからあいつの家に行ったわけよ。そしたらあいつ、出かけてていないんだよ。あとで電話して聞いたら映画見に行ってたんだって。頭来ちゃった」は、自分が相手の家に行ったのはどうしても来てくれと言われたという正当な理由があるからで、間違っているのは「あいつ」だ、ということを伝えたいのでしょう。

また、あることについての理由が誰にとっても当然だと思われるようなものである、というニュアンスでも「わけ」は使われると思います。
例えば「お前だってもう二十歳を過ぎてるわけだから、そんな子供じみたことをするのはそろそろやめたらどうだ?」の「わけ」には、二十歳を過ぎたら大人らしく振る舞うのが当然だ、というニュアンスが込められているように思われます。

そこで質問の文章に戻ると、筆者はここで「わけ」を用いることにより、「自分は何千人もの人と会っているのだから、声をかけてくれた人の名前を思い出せないのは当然のことであり、自分が悪いわけではない。どちらかと言えば『私のことを覚えているだろう』と思い込んで声をかけてくる相手の方が間違っている」という意味を含ませているのだと思うのですが、いかがでしょうか。

この回答への補足

ご回答ありがとうございました!大変勉強になりました。
「~わけだから」も「自分を正当化するときに使われることが多いようだ」というニュアンスがありますね。
でも、そうしたらまた新しい質問が出てきました。(ご迷惑をおかけしてすみません@@)
「~ものだから」という言い訳を表す用法に似ていますね。
このふたつの違いを聞いてもよろしいでしょうか。(タイトルは直せないのですみません...)

補足日時:2015/01/12 11:26
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この回答へのお礼

よくわかりました!
本当にありがとうございました!

お礼日時:2015/01/12 21:10

>わざわざ「わけだ」を入れるということはきっと何の理由があるはずだと思います。

そうしないと、「から」でよいじゃありませんか。

決して「思い詰め過ぎ」などではありません。ご疑問は実にもっともなことです。
それに思いが巡るあたりは、充分に日本語を習得されている証しでしょう。

この文章は口頭での話し言葉を文章に書き下ろしたから、それだけ筆者=話者の口癖や冗長語が塗(まぶ)されている──そんなイメージがあります。

ここでの「わけだ」の反復や連続はほぼ口癖のレベルで、実際には接続助詞「から」で済むものです。
ただし、実際には「何千人もの人々と接している」という文のままでは「から」で受けることは不自然で、その間に受けのための<のだ/んだ>で繋ぐ必要があります。「何千人もの人々と接しているんだから…」。

「わけ」には幾通りかの漢字や用法があります。
1)意味・筋道・・・分
2)理由・事情・・・訳
3)理由・道理・・・訣
4)わけ(なんだ)・・・終助詞的用法

最初の「と接しているわけだから」はこの「3)道理」を指しますが、実際には形式名詞的な用法なので、普通は形式名詞「もの」や格助詞「の」の準体用法に断定の助動詞「だ」を加えた「・・・のだから」とします。
その後の「・・・というわけではないだろう」については「4)終助詞的」な言い回しで、普通は「・・・っていうもんじゃない」など「もの/もん」などで表します。
最後の「・・・仕儀となるわけだが」の方は「仕儀」自体に「結果」という意味の含まれた格式ばった言い方なので、ここでの「わけ」はしつこくて冗長な感じで、普通は「・・・仕儀と相(あい)なったのだが」や「・・・仕儀となった次第なのだが」あたりで納めます。
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補足への答えです。



「ものだから(会話では主に『もんだから』)」はあるできごとをさすことが多い点が「わけだから」とは異なると思います。

「ものだから」は「あるタイミングであるできごとが起こったら少なからぬ影響があることが確実である、そういうできごとが実際に起こってしまったので」というような意味で使われることが多いようです。
例えば「今朝、山田さんがまた部長に怒られてさあ、聞き流しておけばいいのに山田さん『俺には俺のやり方があります』なんて言ったもんだから部長がキレて大騒ぎだったよ」というような場合、「このタイミングで『俺には俺のやり方があります』なんて言ったら部長がキレて大騒ぎになるだろうということは当然のこととして予想できる。部長がキレるのにぴったりのひとことを山田さんは言ってしまった」というニュアンスが「もんだ」によって加わります。
ここで「もんだ」を使わず、「言ったから」にすると、単に理由を説明しただけ、という感じになりますね。
また、ここでは「わけだから」は使われないでしょう。「わけだから」は、あるひとつのできごとというよりは前提条件を表すのに使われると思います。

そこで「ものだから」を言い訳として使うことを考えてみます。
デートの待ち合わせに遅れた人が「ごめん。ちょうど家を出ようとしたときに部長から仕事の電話がかかってきちゃったもんだからさ」と言った場合、このタイミングで部長から電話がかかってきたら短時間で話を切り上げるわけにいかないのは当然であり、だから待ち合わせに遅れたのも仕方がないことなのだ、君を大事に思っていないわけじゃないんだから許してほしい、というニュアンスが加わるように思います。

以上ですがご理解いただけたでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、その語感があるので、言い訳に似てるんですね。勉強になりました!
ありがとうございました。

お礼日時:2015/01/12 21:12

「わけ」という言葉には、単に「理由」「原因」という意味だけではなく、多くの使い方ががあります。


○言葉の意味を表す
用例:この専門用語のわけを調べる

○物事がどうしてそうなるのかという、理由や事情を表す
用例:来ないわけがある。 何かわけがある。

○物事の道理や筋道を表す
用例:それと、これとはわけが違う→結果が同じように見えても、その結果に到達するまでの経緯や条件が異なる。
わけがわかっている人→原因や経緯を知っている人という意味だけではなく、道理や常識をわきまえている人という意味で使われる場合が多くあります。
わけがわからない人。→正体不明な人物というよりも、何を考えているのかよくわからない人や常識を逸脱した言動を採る人を指して言う場合に多く使われます。

○自然ななりゆきで、結果としてそのようになったことを表す
表現としては、断定や否定の調子を和らげる効果があります。
用例
これで終わったというわけだ。
→(いろいろな経緯があったが結果として終わってしまった、ということを表しています。)
上手くいかなかったわけだ。
→原因や経緯は沢山あるけれども、結果として失敗に終わってしまった。

○当然そのような結果になる、ということを表す。
用例:そのような運転の仕方では事故を起こすわけだ。そのようなことをすれば、彼は怒るわけだ。

○目的やねらいをもって、そのようなことをする、ということを表す
用例
久しぶりに会ったので食事をしようというわけでレストランへ入った。

○否定的につかわれる場合は、結果として認めることはできない、ということを表す
用例
賛成するわけにはいかない
そういうわけにはいかない。

○簡単に目的を達成できたり問題を解決できることを表す。
用例
揉め事をわけなく解決した=努力することなく解決した。
彼奴に勝つのはわけがない=簡単に勝てる。
こんな問題はわけがない。=簡単に答えがだせる。

ご質問の文章も
「何千人もの人々と接しているわけだから」
多くの人を相手に話をする講演会などの性格上、当然の結果として、というニアンスが含まれています

「覚えているわけではない」
一度に沢山の人を憶えたり、複数回行われた過去のことを全て憶えていることは、不可能であり、憶えていないのは当然のことだ、というニアンスです。

「名前を尋ねる仕儀となるわけだが」
自然な結果として、尋ねるようになる、というニアンスが含まれています。

以上のように多岐に渡って使用されますので、一言で説明するのは難しいでしょう。
日本語教師免許を取った先生は、これ等を一括して強調という言い方で簡潔に表現したのでしょう。
一概に間違いであるとは言えません。

口語では頻繁に使われますが、文章では余り使われません。
エッセイのような軽妙な文章によく使われます。
従いまして、官報やビジネス文書などには使われない言葉です。
日本の国外で文字情報だけで理解するのは非常に難しいかと思います。

蛇足
なお特殊な使い方として男女の間柄を示す場合に使われることがあります。
彼と彼女はわけありだ。(情交を交わしている)
わけありの二人(特別な男女関係の二人)
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「今まで何千人もの人々と接している"わけだから"、挨拶されても相手を覚えているわけではない。


この文には「わけ」が2箇所出てきますね。この両者は、区別して解釈する必要があります。

前者の「わけ(だから)」は、「理由・事情・根拠」という意味です。
「から」も理由を表わす接続助詞ですから、「理由」という意味が重複しており、結果的に「理由(原因)」を強調する表現と言えます。
何のために強調するかというと、「今まで何千人もの人々と接していること」が理由であることを相手(聞き手)に強く印象づけるためです。

では、なぜ強く印象づける必要があるのか?
これを説明するためには、後項の意味について考える必要があります。
今回の例文の場合、後者の「わけ(ではない)」の用法に注目してください。
後者の「わけ(ではない)」は、「結果として当然そうなること」という用法で、後項は「挨拶されても相手を覚えているのが当然、ということではない。」という意味です。
つまり「挨拶されても相手を覚えていないのが当然だ」と言っていることになりますが、この部分だけ見れば、極めて失礼な考え方でしょう。
ですから、「なぜ当然なのか?」という理由を強く説明しないと、「性格の悪い人物だ」と相手(聞き手)に誤解されてしまいます。
『「なぜ当然なのか?」という理由』=「今まで何千人もの人々と接している」なので、
「今まで何千人もの人々と接している"から"、挨拶されても相手を覚えているわけではない。」と表現することもできます。
しかし、前述した理由により「強く説明」する必要があるため、
「今まで何千人もの人々と接している"わけだから"、挨拶されても相手を覚えているわけではない。」とするほうが適切な表現になるわけです。
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この回答へのお礼

なるほどそのニュアンスは大体わかりました。ありがとうございました!

お礼日時:2015/01/12 21:14

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