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私は今生きるのが辛いです。
仕事先で甘やかされて育ってきて可愛そうだねって言われました。
でもその通りであたしは小さい頃からずーっと甘やかされて育ってきてそれが嫌で嫌で親から離れようとしてきたもののそれもできずここまで来ました。離れられなかったあたしに非があるのは分かってます。結局怖くて自信がなくて離れられなかったあたしが悪いんですから。
それに加え、仕事も出来ない、物事を人に言えない、要領が悪い頭も悪い。
あたしっていいとこないやん。って思ってしまって、こんなんなら死んだほうがマシって思ってしまいます。なんであたし生まれてきたのか分かんないです。あたしなんていない方がいいのに。迷惑ばっかかけて。ほんと自分死ねよって思います。
今仕事場は個人店なのであたしと店長の二人きりです。で、職場を変えてまた新しくスタートしたいと思っています。でも社会に出ていくのが怖いです。働くのが怖いです。あたしなんて使い物にならない。もー何もかも終わりにしたいです。でも出来ないからここに縋ってるのが現実です。こんなの人に言えないから。一人で愚痴って不快な思いをさせてごめんなさい。何かアドバイス頂けたら幸いです。

質問者からの補足コメント

  • 職場を変えたい理由は、あたしは人に頼らないと上手く出来ない人間だと気付いたからです。一人で上手く遣りこなすことが出来る人間だと良かったのですが、そうじゃないと気付きました。なので色んな人に頼れる環境に身を置いてみようかと思いました。

      補足日時:2015/02/24 12:15
  • ごめんなさい。
    ちょっと質問したいのですが、職場に信頼できる友達や先輩などいますか?あるいはなんでもない話ができる友達など。
    あたしは店長しかいないので、毎日押しつぶされているようで、、、
    出来ないあたしが悪いのですが。
    やはり人がいるとなにか変わるのかなぁと思って。
    少しは気持ち的にも楽になるのかな。

    No.14の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/02/27 13:58

A 回答 (23件中21~23件)

生きたいだけ生きればいい。


生は義務ではなく、究極の任意です。
ただ、意識が「自分」の本質を代表していない場合も多いから、気をつけねばなりません。
プライドや劣等感といった、社会的な二次的情報の拘束衣に囚われてはならないのです。

我々を形成している物質に「目的」はありません。
しかし、その「無目的=エントロピー増大」は淘汰となり、二次的に進化を導きます。
「いや違う!」と主張する事は可能ですが、厳しい生存競争の中で、生き残るために努力しない個体の遺伝子が次世代に伝わり、種の形質となる事はなく、進化は常に、「生きる事」を目的とするよう導くのです。
(あなたが死にたいと思っても、死ねばそのような形質は遺伝せず、やはり全体は「生きよう」とする)

一方、どのような行動も、本質的には任意=意志の充足であり、「意志の充足じゃない」というのも一つの意志として、精神的充足の追及という方向性から逃れることはできません。
生きる事の本質的目的は、人生を通算した充足量の最大化(生理的拡大×欲求の強さ×それを「人生通算での最大」にコントロールする認識力×その達成度×それを把握する認識力)に収束します。

「精神的充足感のため」というのは、刹那的な快楽主義に帰結するのではなく、最大限の大きな目的、最大限の愛と、最大限の認識を兼ね備えたものになるのです(短絡的な快感の帰結は麻薬だが、それが最大充足でないのはご存知の通り)。

であるならば、人は無意識(死)による幸・不幸0の状態から、認識の発達に応じて充足量の増大(認識の深まりによる精神的豊かさ×認識的社会性の発達による物質的豊かさ)を目指して生きているのであり、大事なのは意志の充足=社会生命的自覚化=愛による自律的社会行動です(お金をもらうためにイヤイヤ働くのではなく)。

しかし今、そうした「他人を助ける」=愛のために働いている人が、どれほどいるでしょう?
人がとらわれているのは、“お金(や、その源泉としての出世)”という虚構の価値であって。
原始共産制の助け合いから、組織が分業化&拡大する上で、人の意識の社会性を発達させずに、お金や権力といった“馬車馬の目の前のニンジン”で、他律的に社会行動をとらせる道をとったのです。

お金は、本来助け合うために集まったはずの社会において、自己チュー的な意識のまま社会行動をとらせるための“矯正具”として発達したものなので(社会生命として生きる事である労働(助け合い)を、お金をもらうために嫌々働く)、当然、自由意志を束縛する機能があります。
本来、社会的生命として助け合うために集まっている人々をして、弱肉強食のジャングルに変える、悪魔のツール。
要するに今の人は、自ら喜び(自己存在の本質に根ざした生)に目をそむけ、死による幸・不幸±0の状態からプラスを目指して生きていたはずが、いつの間にか苦痛(マイナス)から逃げる事による、かろうじて±0に近づく死人に等しい生に堕してしまっているのです。

他律的生=「苦痛から逃げる事による生」に堕しているのです。
(「助け合う喜び」から「奪い合って勝つ喜び(幻想)」への変質)
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甘やかされたということは、内面が育つきっかけを失って育ったのですね。


甘やかされるのを多くの人は望みますが、実際それをされると
それもそれで、かなり辛いですよね。

子供の時には、周りの大人が育つのを支えてくれます。
大人になったら、自分で自分を育てて行くことができます。

今の状態が嫌であるのなら、自分で自分を育てなおすことはできます。
職場を変えなくてもできます。
嫌な自分や納得できない自分から抜け出すのは、自分次第です。

私は、あなたに非があるとは思えません。
自分の苦しみから救い出すのは、自分だけですから
それを選ぶかどうかだけの問題だと思います。

苦しみ続けるのを選ぶのも、また自分自身ですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分を育てるってどうやればいいか分かりません。自分では一生懸命やっている筈なのに全然ダメで、もーこの空間にいるのがほんとに辛いです。最近吐き気もします。仕事にも身が入らなくて。もーほんとダメですねあたしって。

お礼日時:2015/02/23 11:52

仕事の出来なさ加減を克服するという選択肢はないんですか?

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この回答へのお礼

これでも自分なりに一生懸命やっているつもりなのですが。 ダメな人間ですね。

お礼日時:2015/02/23 08:11

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